第193話 聖女との遭遇
アンジェラの手掛かりを求めて裏街を往く二人。そこで何やら悪漢に絡まれている女性を目にするが……
裏街の方へ向かいつつ、通りがかった屋台で腹ごなしをする二人。
ピロシキを食べながら歩を進める。この帝国の名物ともいうべき料理で、揚げられた生地の中に調味された肉やキノコなどの具材が入っている。
「美味しいですね、これ」
「でしょう」
名物料理に舌鼓を打ちながら更に中心街から離れていくと、いよいよ通りも陰惨な空気を醸すようになってきた。ガラの悪い連中が道を往く姿も目立ち始める。
(さて、どこから情報収集しますかね)
現状、妹はこの街の何処かに居るかもしれない程度の情報しかない。
どのような調査から始めるかスラは思案に暮れていたが、そうしている内に遠方で何やら揉め事が起きていることに気が付いた。
「は、離してください……!」
「ぐへへ、いいじゃねえかよ姉ちゃん。何か探しているんだろ?俺たちが手伝ってやるよ」
「ひゅー!激マブだぜ、こりゃ!」
見ればフードを被った姿の女性に、二人の粗暴な男が絡んでいる。女性は目立たないように努めているようだったが、それでも隠せぬ程の気品と美貌が感じられた。レモンイエローの麗しい髪がフードの陰から覗いている。
「いいから来いよぉ!悪いようにはしねえからさ」
「おれりゃ気持ちよくなれる場所知ってるんだぜぇ。アッチの方でもクスリの方でも……」
「お止めなさい」
背後からの声に、男たちは不愉快そうに振り向く。
そこにはスラ・アクィナスが毅然とした表情で立っている。
彼は闇に生きる者であり、本来は堂々と正面から戦うことを嫌う。しかしこの時ばかりは違った、というのもまだイロセスには自分が神の能力者であることを伝えていなかったし、そもそもこの程度の相手ならどうとでもなるからだ。
「んだ、テメェ!」
「しゃしゃってんじゃねえよぉ!」
「忠告します、その下品な口を閉じなさい。そして即刻彼女から離れて立ち去るのです」
相手がまったく怖気づかないことに、男たちは少々面食らった。それもそのはず、相手は盗みや殺しを繰り返し裏社会を生き続けてきた正真正銘の悪である。ただそれを感じさせないことに長けているだけだ。
「ふかしこいてんじゃねえ!死にてえか?」
「まじでぶっとばすぞ、テメェ!」
「ええ、ええ、どうぞご自由に」
スラはこれ以上は無用とばかりに言葉を切った。
男の一人が怒りに任せて殴りかかる。しかしスラは難なくこれを躱すと、鳩尾に重い一撃を入れて男を昏倒させた。
「何しゃーがる、テメ……」
もう一人が向かって来るが、スラは鋭く振り向くと強烈な蹴りをかまして男を吹き飛ばす。あっという間に彼の足元に、二人の男はうずくまった。
「正直始末してもよいのですが、流石にそれは止めておきましょうか。さあさお嬢さん、それにイロセスさん、とりあえず此処を離れますよ」
そう言ってスラは絡まれていた女性をエスコートするようにしてその場を後にする。それにイロセスが小走りで続いた。
裏街の少し離れたところで、三人は足を止める。
「……ありがとうございます。助けて頂いて」
「いえいえ、礼には及びませんよ」
そしてスラは彼女の服装に目を向ける。フード付きの外套を羽織って目立たないようにしているが、内側の服は王侯貴族が外出用に身に付けるような瀟洒なデザイン……なにより神聖ミハイル帝国の紋章が入っていることに彼は気付いていた。
「ところで、失礼ですが何用でこんなところに?貴女はこのような場所をふらふら歩いてよい身分ではないでしょう?」
「……!」
女性の表情がビクッとなった。傍らのイロセスが尋ねる。
「……スラさん、この方とはお知り合いなのですか?」
「いいえ、けれども分かりますとも。貴女が何者であるかぐらいはね」
「……」
やがて女性は観念したようにフードを外し、その美貌を白日の下に晒した。レモンイエローの長い髪が風に揺れる、高貴な雰囲気を纏った麗しい女性だった。
「お察しの通り、わたくしはただの町娘ではありません。この神聖ミハイル帝国の聖王――ミヴァコフの娘、メレーナ・ミハエロブナです。どうかわたくしが供も連れずにこのような裏街に来ていたことはご内密に……」
「やはり聖女様でしたか」
スラは当然見抜いていたので驚きも何もない。
反面イロセスは彼女の弁にすぐには理解が及ばず、しばらく呆けたような表情をした後ではっとなった。
聖王とは無論、この帝国のトップである。それぐらいは記憶喪失のイロセスでも既に把握している。その娘――すなわち彼女は聖女であり、とんでもなく位の高い人物であることにようやく認識がいった。そしてスラの言う通り、何故このような場所に独りでいるのかという疑問が首をもたげる。
「……聖女……様?で、ですが、聖女様が何故このような場所に?」
「……」
イロセスの問いにメレーナは少々押し黙った。
「ひょっとして何かお困りごとでも?よろしければお手伝い致しますが」
「……いえ、それには及びません」
「きっと簡単には解決しないことなのでしょう?それで一人で裏街を歩いて、またガラの悪い輩に絡まれでもしたら、貴女一人で切り抜けられるのですか?」
「……それもそうですね、すみません親切な方。貴方の実力と紳士さを見込んで、どうかご協力をお願い致します」
聖女は胸の前で両手を組み、懇願するような目でスラを見る。
「わたくしは確かめに来たのです。父上がこの裏街にあるという麻薬製造施設に出入りしているのか否かを……」
彼女の話は次の通りであった。
聖王ミヴァコフはかつてこそ善政を敷く良き君主であったという。ところがここ数年間は不当に税を重くしたり、議員の罷免や活動家の弾圧等、悪政ぶりばかりが目立つようになったのだという。
ここまではスラも既に聞き及んでいる話だったが、ここからは新情報である。聖王が麻薬組織から不当に利益を得ているという噂が上がったのだそうだ。そのような噂が立った理由としては、一つは麻薬の蔓延が社会問題化しつつあるにも関わらず聖王は何も有効な対策を打ち出そうとしないこと。二つは聖王が麻薬製造施設があるとされる裏街を人目を忍びつつ歩いていたという目撃情報があったからだ。
メレーナはその真偽を確かめるべく、こうして独り裏街へとやって来たのである。
「なるほど、聖王様が麻薬組織と繋がっている可能性があるのですね」
「……はい。父上は蔓延する麻薬問題に何も手を打とうとしませんし、それどころか裏街での目撃情報もあります。父上が麻薬組織とズブズブに癒着しているのではないか、そういった噂が絶えないのです」
「そして真相を暴く為に、ここまで来たのですね。メレーナ様は、本当に聖王様が麻薬組織と関係を持っているとお思いで?」
「……分かりません。ただここ最近父上は確かにおかしいのです。なんだか上の空であることが多いですし、癇癪を起すことも多くなりました。以前はとても心優しく厳格な、理想の父であり王でした。わたくしは思うのです、父上は麻薬組織と関係を持つばかりか自身が麻薬に毒されてしまっているのではないかと」
メレーナは深刻な面持ちで視線を落とした。事態の深刻さはより近しい者にしか分かるまい。スラは彼女の表情を見て、協力しようと思った。
なにより彼女の目的はスラ自身とも多少合致していた。彼はアンジェラの行方を追う為に、この街の暗部に入り込もうとしている。そして今のところ特段の手掛かりはない。
聖王の噂の真偽を探るため麻薬製造施設に入り込むというのはまさしくこの街の闇の部分に介入する行為に他ならず、彼にしてみればいつの間にか道しるべを整備してもらえたに等しかった。
この街を何度も出入りしている関係上、彼は麻薬問題を知らなかったわけではない。ただこれまで積極的に関わる理由がなかっただけだ。ここで彼はこの街に確かに存在する深い闇――麻薬問題へと切り込むことになったのである。