第188話 五つの光が織りなす未来①
ついに邪神エリスは滅び、桃華帝国は滅亡した。ラヴィアたち五人は、五つの部族の共同からなる新たな国家樹立を宣言する。
あれから一週間後、ラヴィアたち五人の姿は洛蘭中心部近くの広場にあった。お立ち台の上に五人が並び立ち、それを多くの民衆が見上げている。
黒、白、紅、碧、桃――並ぶ五人も、集まった民衆もみな五色であった。当然全国民が一堂に会したワケではなかったが、それでも国中の人々が集まっていることには変わりなかった。
内訳としては桃色が最も多い。次いで紅と碧が多かった。白はとても少なく、黒はそれを更に下回って最も見なかった。
これは奇跡に近い光景だった。
桃華帝国が成立して以降はそれぞれが完全隔離状態にあったのだし、それ以前は互いに争い合っていたのだ。五つの部族が平和的に集結しているこの状況は、永きに渡って実現し得なかったものであった。
それが成し遂げられたのだ!台の上に立つ五人の手によって――
民衆の顔つきは一様ではない。中には複雑な表情をしている者もいた。例えば、李族隔離区域で権勢を誇っていた暴力集団や梅族隔離区域で驚異的な能力を授かっていた醜女たち、洛蘭におけるポイント上位者の一部がそうである。
それでも大多数の民衆は喜びに満ちた顔で、期待気な眼差しを壇上の五人に送っていた。
「皆さん、本日はお集まり頂きましてありがとうございます」
中央の黒い髪の少女が、落ち着いた声で口を開いた。片手には相変わらず白い棍が握られている。
「既にご存知の通り、この国を三百年の永きに渡って支配してきた邪神――”争いと不和の神エリス”は滅びました。この国は邪神によって歪められていました。それぞれの部族が分断され、終わることのない苦しみに晒され続けていたのです」
民衆は黙って、彼女の言葉に耳を傾けている。
「しかしそれにもようやく終止符が打たれました。これからは争いも苦しみもなく、五つの部族が互いに手を取り合って豊かで平和な社会を目指すのです」
少女は右隣の眼鏡の男に目配せをする。男は片手に持っていた巻物のようなものを広げると民衆に見せつけた。そこには大きな五つの文字が、力強い筆致で並んでいる。
「その崇高なる理念を体現すべく、今日国号が改まります。これからこの国の名は”五色同盟国”となるのです!」
五つの部族が支え合う社会の到来――民衆は歓喜して、新たなる国の誕生を歓声で以て迎えた。
「ひとまずはそれぞれの部族代表による合議制を取ろうと考えています。代表それぞれの挨拶に移りましょう。まずはこのまま私、杏族代表であるラヴィア・クローヴィアからご挨拶とさせて頂きます」
ラヴィアは演説を続ける。民衆は尊い存在を仰ぎ見るような視線を送っている。
「私は元々この国の生まれではありませんでした。それでも旅の果てにこの国へと辿り着き、封じられた聖獣と出逢い、自分が杏族王家の血を引く者であることを知りました。そして邪神に支配されたこの国の実情を知り、未来を取り戻すべく戦いに身を投じました。そしてついにそれは達成されたのです!闇を晴らし、この国の未来に光をもたらすことが……」
思えばラヴィアは櫻族を解放したあの日から、各地で解放を達成する度に民衆を相手に演説をしてきた。もはや手慣れたものだった。
「私の同胞である杏族は記憶を奪われたことで五部族の中で最も数を減らし、絶滅寸前にまで追いやられていました。今日この地に集まってくれた彼らは、未だに不安な気持ちを抱えたまま毎日を過ごしていることでしょう。ひとまずは北の廃墟近くに新たに町を作ろうかと考えています。少しずつ生活を安心できるものにしていきたいと思います。皆さんのお力添えも賜れればなによりです。これを以て五つの部族が当たり前に協力してゆける社会になれたなら、これに勝る喜びはありません」
そう言って言葉を区切った。ラヴィアは、壇上の最も右端に位置する白い髪の少女に視線を送る。自分の番が来たことに気付いた少女はぎこちない動作で前に出る。
「み、皆さん、初めまして!櫻族代表の、趙雲花です!ごめんなさい、こんな大勢を前に話すなんて初めてで……その、取り留めもない話になってしまったらすみません!」
ユンファは丁寧に頭を下げた。その恭しさは大衆に好意的に受け取られ、たちまち不慣れさも愛らしさに置き換えられた。
「……私の暮らしていた櫻族隔離区域はひどい飢餓に見舞われていました。お腹が空くのってすごくつらいですよね。周りの人がバタバタと死んでいくのが日常で、私も当初は生きることのすべてを諦めていました。ですが私は今回のことで、未来を信じることの大切さを知りました。これからは誰も飢えや寒さに苦しむことのないような、そのような社会にしていけたらいいな、なんて思っております!いっぱい作物を育てなきゃいけないと思いますので、色々と手を貸して頂けると嬉しいです……!」
追加で大きく頭を下げる。ユンファが引き下がると、今度は眼鏡を掛けた紅い髪の男が前に出た。
「李族代表の夢伴桑だ、みんな宜しく頼む」
シンプルな挨拶と共に軽い会釈をする。物怖じしない堂々たる雰囲気だ。理知的な語り口も頼もしさを感じさせる。
「俺たちの暮らしていた社会は悪事ばかりが認められ、まともな社会生活など営める状況ではなかった。そしてそれで得られたものなど何一つとしてなかった。ただ目先の欲望を満たせていただけだ……人間の真価とは、協力し合うことで大きなものを為せることに尽きると俺は思う。李族隔離区域では個人が自分勝手に振る舞うばかりで、支え合うということ自体がまるでできなかった。あの日々の暮らしの中で、俺はこのままではいけないんだと痛感したよ。今こそ願いを遂げる時が来た!俺は皆が協力し合うことで真なる豊かさを得られる社会を目指してゆきたい、どうか皆にも手伝ってもらえると助かる」
言い終えて引き下がると、次なる者へ目配せする。今度はラヴィアの左隣に立つ碧い長髪を束ねた男だ。
「みんなー、僕は楊風音。梅族の代表をやらせてもらうよ。まあ僕は、あんまりこういうガラじゃないんだけどねぇ」
軽い調子で飄々と話す。しかし民衆の多くは気さくさと受け取った。柔軟だからこそ逆境でも折れない、芯の強さのようなものも覗かせる。
「僕の暮らしてた環境ではみんな争いを続けてばかりだったよ。弱者が強い力を持たされて社会を逆転させ、今度は蹴落とされて弱者となった元強者が強い力を得る。社会の上下がグルグル回るようにしてずっと争い合っていたんだよ。みんな恨みや欲ばかりで生きていた。もうそういうのうんざりだからさ、これを機にこれまでのいざこざはすべて忘れよう。そして今度は逆をやってみようよ!互いに傷つけ合うんじゃなく、助け合って認め合っていく。そんな世の中にできたらステキじゃない?」
話し終わってから壇上の左端に居る人物を見る。それを受けて彼女は前に歩み出た。桃色の長く美しい髪で、頭の両サイドにお団子と編み込みの輪を作った少女。
「ごきげんよう皆様。わたくしに関しましては既にご存じの方も多いでしょう。桃華帝国八代目皇帝の第二皇女、桃美花ですわ。桃族の代表はわたくしにて務めさせて頂きます」
凛とした佇まいで民衆の熱い声援を受ける。彼女は国や民を愛し、曲がったことを許さず、そして高潔な生き様を貫いていた。彼女の人気がどれほどのものであったかが、民衆の熱狂ぶりからも伺える。
「今まで桃族の社会は腐敗させられていました。己を高めてゆくことは結構ですが、皆それにばかり囚われて他を顧みませんでした。自己研鑽の理由も国や社会を良くしたいからというよりは、他人に馬鹿にされたくない、他人を見下したいといった不純極まりないものが多く見受けられました。これからはもっと前向きな方向で己を高めてゆきましょう!互いを侮蔑し合うのではなく、尊重し合うことで向上していくのです。誰だって認めてもらえることはきっと嬉しいはずですから……皆様にもお心添えを頂けますと何よりですわ」
服の裾を摘まみ上げながら頭を下げる。集まった民衆の大部分が桃族だったからか、割れんばかりの大きな拍手が起こった。
広場の片隅には腹違いの姉、ロウファの姿もあった。感極まりながら潤んだ瞳で愛する妹を見つめている。また別のところではメイファに事あるごとに突っかかていた華族の男、グイミンが複雑そうな顔をしながらも拍手を送っていた。
国名の発表と代表全員の挨拶が終わった。
ひとまず場を締めくくろうかとラヴィアは思ったが、メイファは自分の挨拶を終えた後引き下がるのではなくラヴィアの元へとやって来た。そして民衆の方へと顔を向ける。
「さて皆様!最後に、この五色同盟国の盟主についてですが……」
(盟主……!?)
寝耳に水だった。各部族代表による合議制という話はしたが、盟主を決めるなどという話はした覚えがなかった。
「……初代盟主には、こちらのラヴィア様がご就任いたしますわ!」
メイファはにこやかに宣言しながらラヴィアの腕を高く掲げた。民衆の顔は期待に染まり、反面ラヴィアの顔は驚きに崩れた。
「メ、メイファさん、盟主って何のことですか!?私は……」
「貴女以外に相応しい方はどこにもいませんわ!」
満面の笑みで言ってくるのである。ラヴィアは助けを求めるように他の三人にも視線を送る。
「誰も文句など言いはしないさ」
「正直適任以外の何物でもないよねぇ」
「みんなラヴィア様になら付いていきます!」
ラヴィアを国の盟主にするという件について、他の四人が事前に打ち合わせをしていたかは定かでない。それでも三人は、まるで示し合わせたかのようにメイファに同調した。
(えぇーー、この国の立て直しをある程度済ませたら、私は国に帰ろうかと思ってたんですが……そうですか、盟主ですか私が……)
仲間も民衆も同じようにして熱い眼差しを彼女に向けている。観念したように小さく溜息を吐くと、大きく左のこぶしを握り締めて高く掲げた。そして力強く叫んだ。
「やぁーーってやりますよぉ……!!」
民衆からは再び歓声と拍手が巻き起こるのだった。
(ああ……マグナさん。またしても貴方の隣に戻る日が遠のいてしまったようです……)
◇
その日の夜である。
宮廷の一室にメイファとユンファの姿があった。二人は仲良く席に着いてお茶を飲んでいる。
「それでは、宮廷を大きく改装することにしたんですね」
「ええ、天井に大きな穴が空いてしまいましたし、これを機にもっと民衆に開かれた政治の場にしていきたいと思っていますわ」
「ステキです、メイファさん!」
仲睦まじく言葉を交わす。やがて話が落ち着くと、ユンファが茶を啜りながらメイファの髪型をじっと見た。視線に気づいたメイファが反応する。
「あら、どうしました?ユンファ」
「いえ……メイファさんの髪型、すごく綺麗だなって思って。私は髪型をいじったことがないので」
「ふふ、ユンファにもやって差し上げましょうか?」
「ほ、本当ですか?」
「勿論ですわ、遠慮なさらないでください。わたくしの髪飾りを差し上げますので」
そうしてメイファは雪のように白いユンファの髪をいじり始めた。ユンファは椅子に座りながらニコニコしている。
二人の間にはもはや何年も共に過ごして来た家族のような親密さがあった。ユンファには兄弟はいなかったし、メイファにも妹にあたる存在が今までなかった。その為かメイファは年下のユンファのことを、すっかり妹のように溺愛し始めていた。
(ふふふ♪こうして髪をいじってあげていると、まるで妹が出来たみたいですわね)
そうしてメイファは終始上機嫌であったが、ユンファの表情にはいつしか陰が差していた。何か考え込んでしまったかもしれない。髪型を作り終わった頃に彼女はようやくそれに気づいた。
「どうしましたのユンファ?そんな浮かない顔をして」
「いえ、その……」
自分と同じ髪型をした白い髪の少女は、不安げに呟く。
「もしかして、何か悩みでもありますの?」
「……」
メイファはそう声を掛けながらデジャビュを感じていた。思えば姉ロウファもこんな風によく自分を気にかけてくれたものだ。
ユンファは恐る恐る悩みを口にする。
「正直不安なんです……本当に私が櫻族の代表でいいのかと」
メイファは聞いていて、なんだそんなことかと思った。
「どうして不安なんですの?」
「だって、私だけ取り立てて優れたものがないんですよ?ラヴィア様は言うまでもなく超然とした御方ですし、パンサンさんは頭が良いです。フォンインさんは世渡り上手ですし、メイファさんには高貴さと教養があります。私だけ……私だけとくになんてことのないただの小娘なんです……」
声からして、ユンファはそのことを割と深刻に負い目に感じているようだった。
メイファは、全然分かってない……!とばかりに大きく嘆息すると、ユンファの真正面に屈んで彼女の肩に手を置いた。真っすぐに瞳を覗き込む。
「いいですかユンファ?櫻族の代表に相応しいのは貴女以外にはいないと、皆さんはそのように思っていますわ」
「……本当にそうでしょうか?」
「当然ですわ!」
力強く言い返した。
「ユンファ、もしわたくしが貴女と同じ飢餓地獄に生まれていたなら、きっと耐えられなかったと思います。貴女はそれを生き抜き、あまつさえラヴィア様の旅路に一番最初に同道し、そして最後まで諦めることなく付いて行きやがては邪神とも対峙しました。貴女がなんてことのないただの小娘だなんて誰が思うものですかっ!といいますか、そんなことを言う輩がおりましたら、わたくしがその方のお尻を蹴っ飛ばして差し上げますわ!」
熱弁であった。しかしメイファの気持ちは痛い程ユンファに伝わった。うるうると涙で目を滲ませる。
「こらこら、泣くんじゃありませんよ」
「うう、だって、私嬉しくて……こんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったからぁ……」
メイファに抱き着く。彼女は妹をあやすような仕草で、白い髪を撫でた。
「夢みたいです……飢餓から解放されただけでなく、すべての部族が救われて……ステキな仲間もたくさん出来て……とくにメイファさんは、お姉ちゃんができたみたいに思えて、私すごい嬉しいんです」
ユンファにとってラヴィアは救い主であり、カリスマ溢れる存在であった。感覚的には雲の上の人に近く、姉のような存在と言えばいつしかメイファがその座に収まっていたのだ。
やがて泣き止んだユンファは、くっついたまま嬉しそうに微笑んだ。メイファは思わずキュンとした。
(この娘すっごく可愛いですわね……!このまま育てたい……!)
そうしてメイファは飽きる程、ユンファを抱き締めたままその髪を撫で回していた。
宮廷内の別の場所にはパンサンの姿がある。二階の欄干にもたれて、夜の街並みを見下ろしている。
やがて背後からフォンインがやって来た。
「お疲れー、此処にいたんだねパンサン」
「なんだ、お前かフォンイン」
フォンインは何のけなしに彼の隣にもたれる。この二人の間にもまた、長年続いて来た親友のような情が生まれていた。
「ひょっとして疲れてる?」
「当然だろう、これからは今までにない社会の在り方が求められる。考えることは山積みなのだからな」
「まあまあ、だったら一度肩の荷を下ろしてリラックスしようよ。そうだ!視察とか適当なこと言って、何処かに旅行にでも行かない?行ってみたい所が結構あるんだよねえ」
「相変わらずお気楽な奴だな。お前だって梅族の代表として考えねばならないことが五万とあるんだぞ?」
眼鏡を直しながらいつもの調子で呟く。実直で堅物なパンサンと、柔軟で穏やかなフォンイン。二人は互いに無い部分で互いを支え合う、良き信頼関係を築いていた。
「まあいいじゃない。パンサンが真面目な分、僕がこうしてバランスを取る。そんな感じで世の中上手く回っていくんだよ」
「……そうだな、お前の言う通りだフォンイン」
しんみりとした声で言った。
「人は自分独りだけで完全な存在には至れない。俺が今こうしていられるのも、支え合える仲間がいたからだ。俺独りだけではきっと何を為すこともできなかっただろう。そして今後もそれは同じこと……」
パンサンは欄干から離れると、フォンインに手を差し出した。静かに熱い眼差しを添えて。
「これからも俺は躓きそうになるだろうし、その度にお前たちを頼るだろう。そしてすべてはお互い様だ。もしお前が困ることになったなら、遠慮なく俺を頼ってくれ。力を貸すことを約束する」
「……うん!よろしくねぇ、パンサン!」
微笑んで手を取るフォンイン。
静寂なる夜の下で、二人は熱い握手を交わしながら友情を誓った。