第185話 五つの部族が揃いし時
ラヴィアたちは新たに麒麟とメイファを仲間に迎える。そしていよいよ邪神エリスとの最後の戦いに赴く。
アーテーの死から数時間が経ち、ラヴィアたち四人の姿は高台の中腹を抜けた先にあった。眼前にそびえる坂を更に登ってゆけば最上部の宮廷へと辿り着く。そこには皇帝と邪神エリスがいるはずだ。
(……いよいよですね)
アーテーとの戦闘後、眠らされていた人々は次第に目を覚ましていった。彼らは肩の狐が消えていることに一様に驚き、そして混乱していた。しかし悠長に事情の説明をしている暇はない。まだエリスは倒れていない、まだ終わってなどいないのだ。
取り急ぎロウファを含む負傷者を医療院に送り届けた後で、彼らは一刻も早く邪神を討つべくここまで来たのである。
覚悟を決めて坂を登って往こうとする。そこに背後から駆け付ける影があった。
「お待ちください!皆様方!」
振り向けばメイファがいる。彼女の背には偃月刀があった。
「メイファさん」
「往かれるのですね?父上――皇帝、桃美位の元へ。そして父上と共に居るであろう悪しき存在の元へ……」
メイファにはまだ子細な事情は伝えていない。しかし聡明な彼女は、何とはなしに察しは付いているのだろう。
「メイファさん、貴女は宮廷に巣食っている邪神の存在には気付いていたのでしょうか」
「……いいえ、存じておりませんでしたわ。ですが父上からは身の毛のよだつような怖気を感じることが度々ありました。皇帝の威厳のようなものだと捉えていましたが、今にして思えばあれが邪神の気配だったのでしょう」
悔しげに零した後、メイファは言葉を続ける。
「ラヴィア様、どうか教えてください!この国に何が巣食っているのか、そしてあなた方が辿って来た旅の道筋を……」
「分かりました、他ならぬ皇女様のお願いです。すべてお話しましょう」
ラヴィアは今までのいきさつをすべてメイファに伝える。
そしてメイファは、聖獣の復活と四部族の解放が成し遂げられ、今まさに諸悪の根源である邪神が倒されようとしていることを理解した。同時に四部族と彼らの守り神である聖獣に対する誤解も解けた。今まで教わって来た歪められた歴史の中では、彼らは隔離すべき悪しき存在とされていたのだ。
「……腹立たしいことです。我々はずっと”争いと不和の神エリス”なる存在のいいようにされてきたということですね。そしてそもそもの発端は邪神の力を使って桃華帝国を興した初代皇帝……」
「メイファさん一つ質問させてください。貴女は先ほど現皇帝の名を桃美位と呼びましたね。その名は三百年前に、この桃華帝国を興した初代皇帝の名では?」
「いえ、その名は代々世襲されているのです。わたくしの父上にあたる今の桃美位は八代目の皇帝にあたります」
「世襲ですか」
ラヴィアは何故わざわざ名を世襲させるのだろうかと疑問に思ったが、深く詮索はしなかった。
やがてメイファは決意を帯びた眼差しをラヴィアに向ける。
「事情は理解しましたわ。お願いしますラヴィア様!どうかわたくしも同行させてください!皇女としてこの国の行く末に立ち会いたいですし、何よりそのような邪悪な存在をずっと放置し続けて来た皇家の汚点をみずからの手で漱ぎたいのです」
アーテーがそう言っていたように、やはりメイファは強い少女だ。
そしてラヴィアには断るつもりなどなかったのだが、彼女が言葉を発する前に神聖な響きの声が聞こえて来る。
【――杏族の姫君よ、どうか私からもお願いしたい】
五人は声のした方に視線を向ける。上空から神聖な何かが、空中を駆け降りるようにして脚を動かしながらやって来る。
ラヴィアはあらかじめ特徴を玄武から聞かされていたので、それが何であるかはすぐに分かった。龍のような相貌に鱗と毛を纏った大きな体、鹿のような四つの脚――桃族の守り神、麒麟が復活を果たしたのだ。
「貴方は……桃族の守り神、麒麟さんですね?」
【いかにも。貴女がアーテーを倒してくれたおかげでようやく自由になることができた。此度の貴女の働きには感謝してもし切れない】
「……麒麟様!?」
メイファが頓狂な声を上げていた。そして奇跡を目の当たりにしたかのように、瞳孔が潤んでいく。
「……今まで私たちが教えられてきた歴史は歪められていました。我ら桃族が堕落したから、守り神である麒麟様は我らを見放されたのだと。麒麟様に戻って頂く為にも、我ら桃族はより優れた存在になれるよう精進していかねばならぬと。そしてそれこそが”国民評価ポイント制度”の理論的支柱でした」
メイファを見つめ返す麒麟の眼差しは穏やかな慈愛に満ちている。そのような話が嘘偽りであることがたちどころに分かる。
「ですが、すべてアーテーの作り話であったなら、麒麟様は私たちを見放したのではなく……」
【もちろん違う。今まではアーテーに力を封じられ、どうすることもできなくなっていたのだ。永きに渡って桃族の皆には本当に苦しい思いをさせてしまった。不甲斐ないこの私をどうか許してほしい】
そう言って麒麟は空中に浮かんだ状態のまま、メイファに向かって頭を垂れた。
「……!あ、頭をお上げください!」
【しかし、こうせねば私の気が済まぬ】
「いえ、麒麟様に罪はありませんわ。すべては今まであのような悪しき存在に翻弄され続けた我々が悪いのです……」
守り神の復活、そして見放されてなどいなかったという嬉しき事実が身を揺さぶる。メイファの頬を感激の涙が筋となって伝う。
【ありがとうメイファ。貴女のような人がおられることが、何より桃族の明るい未来を予感させる】
そしてメイファとの話を区切ると、改めてラヴィアの方を向く。
【そして杏族の姫君、ラヴィアよ。エリスの眷属はすべて倒れ、聖獣も五柱すべてが復活を果たした。いよいよ始まる邪神エリスとの最終決戦、どうかメイファも連れていってほしい。エリスを完全に打ち倒すには、五つの部族が力を結集する必要があるだろう】
「もちろんです。麒麟さん、そしてメイファさん、私たちに力を貸してください!」
「はい、お任せください!この国の為にも……皇女としての務めを果たさせて頂きます!」
メイファは、ラヴィアと固く握手を交わした。続いてユンファ、パンサン、フォンインとも握手を交わしていく。
そうして黒、白、紅、碧、桃の五色が確かな足取りで坂を登っていった。
◇
宮廷に辿り着くには既に日は暮れていた。言うまでもなく夜間、宮廷の警備は厳重である。門の前には衛兵が立ち並んでいる。メイファは遅くまで勝手に出歩いていたことを咎められるだろうし(お狐様消滅騒動でそれどころではないかもしれないが)、他四人はそもそも通してもらえないことであろう。しかし四の五の言っていられる状況ではない。
ラヴィアたちは聖獣に騎乗すると、門を跳び越えて強引に庭園内に入り込んだ。兵は驚きで上空を仰ぎ見るが、後の祭りだった。
二柱の聖獣が庭園内を疾駆した後、扉を破壊するようにして宮廷内へと入り込む。この宮廷は二階建てのだだっぴろい建物で、玉座の間は二階に位置している。階段を目指し、騒ぐ宮廷内の人々を意に介さず疾走する。
駆けているのは白虎と麒麟である。朱雀は移動手段が飛行であるため屋内には向かず、玄武と青龍は巨体である為こちらもやはり屋内に向かないからだ。
白虎の上にはラヴィア、ユンファ、パンサンが跨っている。
「いよいよですね。ユンファちゃん、パンサンさん、心の準備は大丈夫ですか」
「はい、問題ございません」
「俺も大丈夫だ。覚悟などとうに出来ている」
そしてユンファが髪を揺らしながら、どこか感慨気に言った。
「ありがとうございますラヴィア様、ここまで私を連れて来てくださって。今まで私はあまりお役には立てていなかったでしょう。ですが私はどうにも邪神とは相対峙しなくてはいけないと、そう思えるのです。最後の戦い――必ずやラヴィア様の一助となってみせます」
「……俺も同じ気持ちだ、ラヴィア。麒麟様は五部族が力を合わせる必要があると言った。邪神は負の感情を糧にしていたように、きっと心に巣食う存在なんだ。物理的な力どうこうじゃない――俺たち五つの部族が心で勝たねばならないんだろう」
パンサンも覚悟の決まった声で続いた。ラヴィアは背後の頼もしき仲間の言葉を受け、より瞳の光を揺るぎないものとする。
「はいお願いします、お二人とも。私は信じています。そして掴み取りましょう!邪神が打ち倒された輝ける未来を……」
片や、麒麟の上にはメイファとフォンインの姿があった。
「……なんで貴方だけこちらなんですの?」
「まあまあ仕方ないさ、四人とも白虎だと乗り切れないからねえ」
フォンインはいつものように軽い調子で返す。彼は揺れ落ちないようにと、両手をメイファの胴に回している。うっかり手先が彼女の胸に触れた。
「ちょ、ちょっと!どこ触ってますの!」
「しょうがないじゃん、ちゃんと掴まってないと僕落ちちゃうよ?」
抗議の声を上げながらも、メイファの口ぶりに毒気はどこにもない。
出逢って一日と経っていないが、メイファとラヴィアたち四人との間には、良い意味で既に遠慮というものがなくなっていた。
やがて階段へ至るとそこを駆け上がっていく。そして直進した先の大扉をぶち破って突入すると、やたら面積の広い空間へと到着した。床には紅い敷物が敷き詰められ、壁や天井は高貴な黄色。そして最奥には過度な装飾こそないものの高貴な造りの玉座が設えられていた。
玉座には肘掛けに頬杖を突く男性の姿があった。三十代程度の比較的若い見た目をしている。彼こそが桃美位――桃華帝国の皇帝にして、メイファの父親。
一行は聖獣から素早く降りると、皇帝に対峙する。先頭のラヴィアと皇帝の目が合う。
「ほう、お前が杏族の姫君か。エリスの眷属を打ち倒し、聖獣を復活させ、まさかここまで来るとはな……」
とくに表情を変じることもなく、皇帝は実に穏やかに呟いた。