第183話 破滅のアーテー③
姉ロウファの行方を追うメイファ。そして奇しくもこの日、ポイント劣悪者の処分が行われようとしていた。
「メイファさん……?いったいどうされたのですか?」
「……」
ただごとではない様子を感じて、ラヴィアが声を掛ける。メイファはしばらく茫然と立ち尽くしたままであった。
しばらくすると我に返ったかのようにはっとなり、彼女は一同に向き直った。
「み、みなさん、ごめんなさい!急用を思い出しましたわ!わたくしはこれで失礼させて頂きます!」
彼女は震える声で言うと、部屋の出口の方へと駆け出した。
「お会計は済ませておきますわ!皆さんはお好きなだけ寛いで、お好きな時に退店なさってください!ではっ!」
立ち去り際にそう言い残し、彼女はそそくさと姿を眩ませてしまった。
一同は訝し気な目でそれを見送るばかりだった。
◇
店を出た後、メイファは必死に辺りを駆けずりながら姉の姿を探した。しかし既に何処にも姿は見えなくなっていた。
代わりに見つけた姿がある。おろおろとした様子で、誰かを探すように周囲に視線を向けている。それはロウファの母親であった。皇帝の側室の一人である。
彼女もメイファに気が付いた。そして縋るように駆け寄って来る。
「おお、メイファや……!」
「おば様!姉様は……姉様はどうなされたのですか!?」
「ロウファはね、兵士に連れていかれてしまったのよ……きっとお狐様が怒っていらしたから」
「まさか今日……?今日なのですかっ……!?それにしても、何故姉様のお狐様が憤怒の形相に?先ほどお逢いした時にはいつも通り楽と哀の間のお顔でしたのに」
メイファもいよいよ深刻に取り乱し始めた。
「私も気になって、兵士が来る前に問い詰めていたんだよ。そしたらあの娘、どうも皇后様に手を上げてしまったみたいで……」
「……!」
皇后、すなわち現皇帝の正室。そしてメイファの母親にあたる。
ここからはロウファが、メイファと宮廷の庭先で別れた直後にさかのぼる。
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庭園の脇で話し込む複数の影があった。
その中の一人がメイファの母、すなわち現皇后であることに気付くと、ロウファは距離を取った。
ロウファは正直皇后のことが苦手だった。というのも自分の母が側室の身分でありながら皇帝との御子を正室よりも先に孕んだ為、皇后はそのことを根に持っていた。彼女は今までロウファとその母に散々嫌がらせを強いてきたのだ。
ポイント至上主義の国家体制だが、例外として絶対的に逆らってはならないとされる存在がある。一つは皇帝。そして皇后と政府のトップである阿鉄だ。
側室とその子供がどれだけ頑張ろうが、皇后には逆らえないのだ。
そのようないきさつもあったので、当然ロウファは身を隠そうとした。しかし気になる話が聞こえてきたのだ。
「お子様ができたって本当ですか?」
「おめでとうございます、皇后様」
「ありがとう。これで皇家の跡継ぎも他に候補ができたことだしね、メイファは余所の国へ嫁に出そうと思うのよ」
ようやく厄介払いができる、さもそう言いたげな口ぶりで皇后は言っていた。ロウファは目を見開いた。
「それは陛下もご存じで?」
「まだ誰にも話しちゃいないわ。でもきっと乗ってくださるはずよ。だってあの娘、ホントに言うこと聞かないし、両親への敬意ってモンがなっていないのよ?今までは皇帝と正室の嫡子があの娘だけだったから目を瞑ってきたけどね。顔と器量は多少は良いから、メイファはもう政略結婚の道具にしようってわけよ」
皇后はつらつらと胸中の想いを旧知の友へと語っている。しかし彼女はことさら自分が非道なことを言っているという自覚がなかった。
まず子は親に尽くすものであるというのが文化的背景としてあり、そして皇帝及び彼が推進している国家体制に賛同し迎合することが有るべき姿であると当然のように考えているのである。これは何も皇后だけでなく、桃華帝国民の大部分がそうであった。
しかしメイファは曲がったことを許せないと思う性質であり、度々父母とは折り合いの悪さが目立っていた。だからこそ腹違いの姉ロウファに懐くようになったのだが、皇后はむしろロウファこそが娘を皇家のあるべき姿から遠ざけた原因のように思っていた。
「どこへ嫁がせようかしらねぇ……距離と国力を考えると神聖ミハイル帝国だけど、あそこの次期聖王は現聖王様の一人娘、メレーナ・ミハエロブナ様だろうからねえ。瞬く間に世界最大の国家となったアレクサンドロス大帝国もありかもだけど、あそこの皇帝は常に美女を侍らせているらしいし、あんな小娘一人送ったところで大した成果はなさそうよね。やっぱり最近噂の正義の神が現れたというブリスタル王国やラグナレーク王国かしら……?」
ひとしきり話し込んだ後、皇后は友たちと別れた。すわった目の険しい表情でロウファは姿を現す。自分でも信じられないほど行動が大胆になっていた。
皇后はロウファに気が付くと、不愉快そうに眉をしかめた。
「……皇后様、今のお話は本当なのですか?」
「嫌ねえロウファ、聞いていたの?盗み聞きとは趣味が悪いわね」
奥まった室内でもない場所で盗み聞きも何もないだろうと、ロウファは思った。
「これはあの娘の為でもあるのよ?これで少しは皇家の人間として役に立てるし、大嫌いなこの国からもさよならできるのだから」
「大嫌い……?皇后様は勘違いしておいでです。あの娘は……メイファはこの国も父母も心から愛しております……!」
ロウファは知っている、メイファは心から国を想っているからこそ現状が気に食わないのだと。だからこそ簡単に迎合もしなければ逃散もしない。大切だからこそ面と向かっている。
しかし実の母親からは、いつまでも聞き分けの無いどうしようもない娘としか思われていなかった。それどころか、幼き頃から娘と親しくしていたロウファこそがそうなった元凶であるとみている。
「何をほざいているの?あの娘があんな撥ねっ返りになったのも貴女が原因でしょう?本当に母娘ともども、私を苛つかせてくれるわね」
「話をそらさないでください!メイファの気持ちはどうなるのですか?あの娘はこの国のことをとても大切に思っているのですよ!」
「あのねえ、もし本当にそうだったらもっと模範的な皇女になって、ポイントだってずっと高くなっているはずでしょう?それがそこらの良家やぽっと出の華族にすら遅れを取るなんて、恥ずかしいったらありゃしない!私の娘がこんな体たらくなのも、お前たち母娘の悪影響に晒されたからだ!」
もはや聞く耳を持たなかった。
体制に反駁する者は、当然ポイント低位者が多い。そしてそのほとんどがいわゆる庶民である(皇族や華族、金持ちは家柄どうこう以前に、子に優秀な教育を施せるという点でそもそもスタートラインからして庶民と違う)。
ロウファの母親は庶民の出身であり、メイファが理想的な皇女に育たなかったのはそれが影響したからだと皇后は当然のように思い込んでいた。
「それをなんだ、お前は?私をまるで娘の心を理解できない馬鹿者のように言うのか!娘をあのような俗物にしたのはお前たちのせいだろう!」
「……」
「まったく忌々しい!房中術だけで皇家に入り込んだ薄汚い鼠どもめ!」
「……」
「お前たち庶民の悪しき感性が移ったせいで、我が娘は皇女でありながら天に唾吐き、親をも敬えぬ愚物に成り果てた……!お前たちのせいで……!」
「……!」
気が付けば、手が出ていた。皇后の頬を叩いていた。
自分や母を馬鹿にされたことも当然頭に来ている。だがそれ以上に、実の娘であるはずのメイファの心がこれほどまでに理解されないのがたまらなく悔しかったのだ。
メイファは国を、父母を、民をとても大切に想っている。だからこそ異を唱えている。思考停止して万歳することだけが国に尽くすことではないことを、利口な彼女は分かっている。
それだのに、ああそれだのに!娘の想いは血の繋がった母親にはまるで届いていない……!
そのことをいよいよ心の底から思い知ったロウファは、元々我慢の限界が来ていたこともあり、気づけば手を上げてしまっていた。
哀しい目をした狐が、その顔を憤怒に変じた。
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◇
メイファは全力疾走で高台を駆け降りて市街に行き着くと、きょろきょろと辺りを窺った。もし今日が処分の決行日であり、兵士が対象者を続々と処分場に集めているのであれば噂になっていないはずがない。
「おいおい見たか?さっきの兵士たち?」
「……ああ、今日処分があるっていうのはどうやら本当のようだな」
「……!」
メイファは話し込んでいる男二人に急速に近づいていく。
「ちょっと!お聞かせください!」
「うわあっ!こ、これは皇女様……!」
「教えてください!今月の処分は何処で行われるのでしょうか?」
「う、噂では第十三処分場に対象者が集められているそうです……」
「十三番ですね!ありがとうございます!」
そう言って、メイファは無我夢中で街を駆けた。
第十三処分場は市街の中央近くにある。高台からは近くも遠くもない距離だった。
服はしわくちゃ、顔は汗にまみれ、長い髪を二つのお団子と編み込みの輪っかにしたお洒落な髪型も崩れ始めている。それでも皇女は文字通りに形振り構わず走り続けた。
やがて多数の野次馬に囲まれた処分場が見えてきた。
第十三処分場は巨大な窪地のような構造になっている。穴の中には今月の処分対象者が集められている。その中にはロウファの姿もあった。彼らの肩の狐はみな怒っている。
穴の外側では、集った民衆がニヤニヤと下卑た笑いを浮かべている。彼らの手には石が握られていた。それはわざわざ拾ってきたものではなく、処分場のそこかしこに山と積まれて用意されているものだった。
投石で殺すのだろうか?いや違う、更なる悪趣味な役割があることがこの先おのずと分かる。
穴の内側の壁にはいくつもの鉄格子がある。メイファが辿り着く頃、それが開き始める。歓声が沸く。
(まずい!始まった……!)
メイファは民衆を押しのけ、時には突き飛ばすようにしながら歩を進める。そして穴の縁を囲う柵に手を掛けて身を乗り出し、ロウファを懸命に探す。
(姉様……!姉様は何処……!?)
やがて穴の中で叫び声が起きた。開いた鉄格子の奥から虎が姿を現したのだ。彼らは何日もロクに餌を与えられず、ひどく腹を空かしている。それが何匹も何匹も壁の内側から這い出て来た。
穴の中の人々はみなパニックに陥った。叫びながら迫る虎から逃げ惑う。喰われまいと必死に壁をよじ登っていく。
なんという生の執念かと思うだろう。しかし悪趣味なことに、この穴の壁面はある程度の高さまではわざと登りやすくしている。しかし登れば登るほど手足を掛けられそうな取っ掛かりがなくなっていくので、決して穴の外にまでは至らない。
そして、ある程度は登れるようにしている意図が次第に露わになってゆく。
(……!)
外側の民衆が次から次へと、壁にへばりついた処分対象者たちに上から石をぶつけ始めたのだ。ぶつけられた人々はたまらず墜落していく。そして落ちたそばから虎に喰われ始めた。
生きたまま喰われ、血を噴き出し、叫び声が響く。そんな惨劇を民衆はゲラゲラ笑って見物している。
メイファは腸が煮えくり返りそうになりながらも、必死にロウファを探す。しかし見つけ出す前に肩に何者かの手が置かれた。
背筋に走る怖気に、振り向く前から正体を知る。背後にいたのは阿鉄だった。
「おやおやメイファ、自分から不手際な姉の始末に参るとはねえ。感心なことだ」
メイファに石を手渡しつつ、壁のある一点を指差す。
「さあご覧、お前の姉はあそこだよ。無様だねえ、あんなにも見苦しく生にしがみついて……頭も悪けりゃ器量も悪い、とんだ皇家の面汚しだっていうのにねえ」
耳元に邪悪な声で囁く。そこには確かに怯えた表情で壁にしがみつくロウファがいた。
「さあメイファ、お前の手で始末を付けるんだ!皇家の人間だろう?率先してこの催しに参加しなくてはね!お前の姉に石をぶつけ、虎どもの餌にしてやるんだ……!皇家の汚点をお前自身の手で払拭するんだよ……!」
「……」
メイファは無言のまま、石を握り締めて、穴の縁のロウファに近いところまで歩を進めようとする。しかし突如として脚を止める。
そして、それまでの静けさとは打って変わって豪快に振り返ると、握った石を思い切り阿鉄に投げつけた。そして叫んだ。
「このようなことに……このようなことに、なんの意味があるというのですかっ!!」
眼には涙を溜めていた。
投げられた石は見えない壁のようなもので阻まれ、すんでのところで阿鉄には命中しなかった。彼女は静かに青筋を浮かべている。
「……何のつもりだい?メイファ」
「我々桃華の人間はずっと教えられてきました……!武芸や勉学に励み人間性を向上させることが、そして劣った人間を排除してゆくことがやがて国の為になると……!素晴らしき優秀な人間のみが生きる権利があるのだと……!」
メイファは泣き叫ぶように捲し立てている。
「ですが、笑って石をぶつけ人を殺す彼らのどこが素晴らしき人間なのですかっ!?阿鉄様!貴方は、貴方はこんな仕組みが本当に社会を良くすると、人間を素晴らしいものにできると本気で思っているのですかっ!?」
「思っちゃいないよ」
阿鉄は吐き捨てるように言った。
メイファはぽかんとした表情で目を丸くした。
「いいかいメイファ、人間の本当の価値はなんだと思う?鋭い牙も爪も無い、泳ぐ鰭も飛ぶ翼も無い、こんな憐れな生き物の一番の武器はなんだと思う?」
詰め寄るようにメイファに近づいていく。
「それは心さ。土壇場でも臆しない勇気の心、弱きを助け強きをくじく慈愛の心、未来を考え知識や資源を共有する互助の心……これらを強く持てるのは人間だけさ。だがそんな強い人間アタシは求めてないんだよ」
阿鉄の形相は人間味を失っている。
「本当に強くて立派な人間ってのはね、どんな状況であれ凪のように落ち着いた心を持っているもんさ。周囲が良かろうが悪かろうがブレないんだよ。ところがアイツらときたらどうだい?喜んで石を投げている!奴らにとって自分とは点数であり、結局自分なんかないのさ。ひとたび点数が落ちればこの世の終わりのような顔をするだろうね。当然さ、この国の仕組みはああいった心の脆弱な奴らを量産する為のもの!ああいう意思薄弱な奴らの方がたくさん負の感情を生み出してくれるからね……!」
阿鉄の変わりようと気迫に、メイファは恐怖していた。
やがて阿鉄は空中に腕を掲げる。それに連動してメイファの胸ぐらが持ち上げられ、彼女は空中に吊るされた。
「メイファ、お前は実に強くて聡明な娘だ。お前はこの国のことをよく分かっているよ。だがお前みたいな奴はエリス様の餌として相応しくない。そして、よくもアタシに石をぶつけてくれたね……!姉妹揃って本当に礼儀のなっていない奴らだ……お前は皇帝と並んで、国の頂点とも言うべきこのアタシに歯向かった……!」
ジタバタともがくメイファの肩に乗ったまま、狐はその表情を微笑みから憤怒へと変貌させた。
「マイナス一億点……これで晴れてお前も処分対象の仲間入りさ。だがせっかく処分が行われている真っ最中だし、来月の処分まで待つのはナンセンスだ――特例でお前は今月、百一人目の処分対象者とする!」
阿鉄は空中に吊るしたメイファを乱暴に穴の底に叩き落す。高所から落とされたので、しばらく彼女は呻いていた。
そこに虎が近づいて来る。彼女は観念しかけたが、そこに割って入って身を挺して守る影があった。ロウファだ。壁を下り、全速力で愛する妹の元へと向かっていた。
ロウファは右腕を噛みつかれた。
「姉様っ!」
メイファは何度も何度も必死に虎を殴る。虎は一旦離れたが、またもや牙を剥き、鋭い眼光を向けながら二人を狙っている。
ロウファの腕からはおびただしい血が流れ出している。
「……逃げなさい、メイファ……」
「何処へ、何処へ逃げろというのですかっ……!」
「……私のことはいいから、どうか貴女だけでも……」
「嫌っ、嫌です、姉様っ!」
メイファは泣き出し始めた。そしてぐったりとしてしまった姉にしがみつく。
「姉様……姉様が死ぬと言うのであればメイファもお供いたします……天上にはきっとこのような世界はないでしょう……まことに神がわたくしたちを見てくださっているのなら、姉様はきっと天国に招待して頂けるはず……そして僭越ながら、わたくしもそこに至れましたら、今度こそ二人で幸せに過ごしましょう……」
泣き声で呟くメイファ。やがて虎が獰猛に迫る。
――ところが二人が天に召されるのを阻止する姿があった。
それは白い棍を携えて突如空から舞い降りると、それを振り回し力一杯虎を殴り飛ばしてしまった。
「死に急がないでください、お二人とも……」
小柄な少女だった。メイファはその姿に見覚えがあった。少女は乱暴に頭の布を剝ぎ取った。
「……どうせなら天国は、この地上に作りましょう!」
夜の闇のように黒い髪が、風に舞った。