第180話 いざ帝都へ
レーテーを倒し杏族の解放に成功したラヴィア。記憶の無い彼らの未来に一抹の不安を覚えながらも、一行は帝都洛蘭を目指す。
レーテーを倒した後、一行は廃墟の方へと戻って来ていた。広場のような開けた場所にできる限りの杏族の人々を集めた。しかしそれは百人に満たず、若者ばかりであった。
彼らは忘却の呪縛から解き放たれた。とはいえ失った記憶が戻るわけではないようだ。例えば河べりで共にいた男女も、火を囲んでいた少女と青年も他人行儀にしていた。
人々はみなワケの分からぬ想いで、瓦礫の上に立つ黒髪の少女を見上げている。それが自分たちの姫であるとも知らずに。いや、そもそも自分たちが何者であるかも分からないのだ。
「皆さん、私の名はラヴィア・クローヴィア。あなた方と同じ杏族の者です。そして、かつてあなた方をまとめていた王の末裔――すなわちあなた方の姫にあたります」
ラヴィアは淡々と自己紹介をする。すぐ足元にはユンファたちが控えている。
「いきなりこんなことを言われてもワケが分からないでしょう。あなた方は”争いと不和の神エリス”の眷属――レーテーという怪物に支配されていました。レーテーによって記憶は二十四時間ごとに消去されるようになり、あなた方は自分たちが何者であるかも忘れてしまいました。自分たちがこれまでしてきたことも忘れ、真実を後世に伝えてゆくことすらもできなくなっていました」
人々の中でわずかにどよめきが起きる。彼らの何人かは突如出現した巨大花、そしてそれが炎に包まれながら燃え落ちてゆく様子を遠巻きに見ていた。あれが今話されている怪物だったのだと、自分たちが何も分からずに此処に居るのはその怪物の仕業だったのだと、腑に落ちていくのと共に恐怖を覚え始める。
それでも大きな騒ぎになることはなく、とても静かな様子のままだった。状況を理解し受け入れられるだけの素地が彼らには無いのだ。
自分を自分たらしめるこれまでの経験――”人生”が彼らには欠如していた。人々はみな、物心ついたばかりの幼子のような目をしている。どうするべきか分からず、自分では何も考えられず、ただただ呆然としているのみだった。
記憶の欠如――それはすなわち”人生”の欠如!
単なる規模の大きな物忘れとか、そういう次元ではない。人の明日とは、言うなれば今までの積み重ねが落とす影である。積み重ね次第で訪れる明日はいかようにも変化しうるし、何も無ければがらんどうの明日が訪れるのみ。ただひたすら無為に、時が過ぎ往くばかりである。
彼らには、そもそも「今まで」というものがない。みな一様に空虚で、迎える明日も一様に空虚であろう。
これより彼らは新しく”人生”を始めなければいけない。それぞれが、それぞれの辿る未来を造っていく為に。
「あなた方の中には、かつて共に助け合った者同士が、共に愛し合った者同士がいたでしょう。争ったり、傷つけあったこともあったでしょう。でもそのすべてが忘却の彼方に消えてしまった。良い思い出も悪い思い出も、そのすべてが等しく人生の礎となるのに……」
ラヴィアはこれまでの自身の経験を想起しながら話していた。無論良いことばかりではなかった。というか、大変なことばかりだったはずだ。それでも忘れていいものなど、一つとしてあるはずがなかった。
喜びも哀しみも、そのすべてが今の自分へと通じ、力となっている……!
「レーテーが倒れた今、あなた方の記憶が消えることはもはやなくなりました。良いことも悪いことも、そのすべてが忘れずに残り続け、未来のあなた方を作っていきます。この先、忘れてしまいたい程に辛いこともあるでしょう……ですがそれすらも未来の糧となります。あなた方は哀しみすらも力に変えて、この地から立ち直っていくのです……!」
杏族の姫君は、穏やかながらも力強い語り口で民衆に訴えかける。それでも人々の表情は混乱と困惑に塗られたままだった。
無理もないことではあった。未来を造っていくということが、彼らには想像もし得ないのだ。自分も他人も、そのすべてが空虚であったが故に、何を目標にすればよいかも分からない。
未来が閉ざされていた自覚すらなかった為、それが開かれたとてどうすればよいかが見当もつかないのだ。みな何も見出せないままに、力無くこの廃墟に立ち尽くしているばかりだった。
吹きしく風に黒い髪を靡かせながら、姫君は民衆を見つめている。
やはり難しいか、と思った。幼子を野に放ち、貴方は貴方の人生を生きるのだと、そう諭しているのと大差ない。しかしいつまでも此処にいて、彼らの面倒を見ているわけにもいかない。なにより進むべき道は彼ら自身で模索するべきだ、他ならぬ彼らの人生なのだから。
姫君の演説が終わって幾ばくか経った頃、神聖なる煌めきと共に巨大な存在が姿を現す。それは黒い頑強な甲羅を持ち、尾部から黒い蛇を生やしていた。
杏族の守り神――玄武が復活を果たした。
【我が愛しき民たちよ、儂の名は玄武。其方たち杏族の守り神じゃ】
民衆の目は、恐怖であった。
突如知る由もない巨大な存在が現れたのだから当然の反応だった。
【驚かせてすまんのう、儂は其方たちに仇なすものではない。其方たちを守り、導くべき存在じゃ。もっともレーテーによって記憶を失い、儂のことを知っている者はもはや誰もおらんのじゃろうがな】
そして玄武は厳めしい外見とは裏腹に、穏やかな目を民衆に向ける。
【……其方たちは皆、わけの分からぬ状況じゃろう。これから毎日を生きていくだけでも精一杯じゃろうて。じゃからいきなりああしろ、こうしろとは言わん。じゃが、一つだけ約束してほしいことがある】
その優しい声色に、民衆も徐々に心を開いて、聞く姿勢が出来上がってゆく。
【もし目の前に困っている人がいたら助けてあげなされ。手を差し伸べてあげなされ。その手は他人に向けているようでいて、そうではない。皆が同じようにしていれば巡り巡ってやがて自分に対して差し伸べられる救いの手となるじゃろう。其方たちは外の世界を知らんじゃろうが、結局いつの時代でもどんな場所でも、より良き社会の礎となる人の有り方は変わらんはずじゃからな……それだけは、それだけはどうか守ってほしい】
――こうして杏族の人々は、ゼロからの新たなるスタートを切ることとなった。
やはり不安そうな者が多かった。しかしまだ見ぬ未来に胸を膨らませているような、そんな期待気な眼差しをした者もいた。
彼らが今後どのように生き、どのような社会を為してゆくかは誰にも分からない。姫君は彼らの未来に希望があらんことを強く願った。
◇
廃墟の外れに四人の姿がある。玄武には一旦姿を消してもらっている。
「とうとう四聖獣がすべて復活されましたね!ラヴィア様!」
「そうですね……ですが、一つ気になることがあります」
ユンファとの会話も程々に、ラヴィアは四聖剣を通して玄武に相談を始める。
「レーテーは死に際に、エリスの他に”アーテー姐様”という名を呼んでいました。もしかしてエリスの眷属は四体だけでなく、まだ他にもいるのでしょうか?」
【……そうじゃ。姫よ失念しておらんか?隔離されていた四部族の他に、桃族にも守り神がおることを】
「……!言われてみれば、桃族にだけ守り神がいないというのもおかしな話ですしね……その桃族の守り神をアーテーという怪物が封じ込めているのですか?」
【おそらくそうじゃろうな。守り神の名は麒麟という。龍のような相貌に鱗と毛を纏った大きな体を持ち、鹿のような四つの脚で力強く天を駆ける……とても神々しい存在じゃわい。そして、あやつの気配をここから南西の方角に微弱ながら感じるのじゃ】
玄武の弁を聞き、パンサンが口を開く。
「ここから南西……もしかして帝都、洛蘭にいるのか?」
「その可能性が高そうだよね。多分だけどそのアーテーって奴も他の眷属みたいに、桃族の社会の中で悪さをしてるんじゃないのかな」
「フォンインさんの言う通りかもしれませんね。それに情報収集するにしても、今度は桃族の人から話を聞かねばならないでしょうから、やはり帝都に行くのが確実な気がします」
洛蘭は桃華帝国領土の中心部近く、大河の畔に位置する内陸の都市である。領土の北東辺境である現在地から見れば、確かに南西の方角であった。
そして皇帝のおわす帝都であり、現主要民族である桃族がもっとも多く暮らしている場所でもある。アーテーが桃族の社会に入り込んで悪事を働いているのなら、そこにいる可能性が高いだろう。
そして宮廷には、現皇帝陛下と邪神エリスが――!
ラヴィアと仲間たちは、決意を新たに南西の空を仰ぎ見る。
「ではみなさん、往くとしましょうか……いざ帝都、洛蘭へ……!」




