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God:Rebirth(ゴッドリバース)  作者: 荒月仰
第7章 暗闇に星を結びし者達
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第179話 忘却のレーテー③

記憶の忘却から杏族を救うべく、一行はレーテーと対峙する。しかし真の姿を現したレーテーは圧倒的な力を見せつける。

 そこは人里離れた深い森の中であった。遠望には途切れなく木々の(みどり)が連なり、まるで海原の波のように風に揺れている。


 そんな景色を眼下に望む小高い丘の上に、独りの老婆の姿があった。


 背は低く腰は曲がっている。両手で杖を突き、黒い衣装に身を包んでいる。長い白髪を頭頂部でまとめた、ひっくり返したお椀とも玉ねぎとも取れる髪型をしていた。


 老婆は目を閉じて微動だにすることなく、植物のように静かに佇んでいる。


 その時、老婆の背後に現れる四人の影があった。影の先頭――夜の闇のように黒い髪をした少女が語り掛ける。


「貴方がレーテーですね?」


「……」


 老婆はしばらく動かなかったが、やがて思い出したようにゆっくりとこちらに体を向けて目を開いた。


「……おやおや、よくここを見つけられたねえ。よく来なすった、(シン)族の姫君よ」


 アンドロクタシアのような、わかりやすい邪悪さはない。しかし毒の混じった空気を吸っているかのような、殊更に強調されたわけでもないが確かに存在している邪気であった。


「見てきたかい?お前の同胞たちの姿を。無様だったろう?誰もお前のことを姫だと分かりはしない、自分たちが何者であるかも分からないのだからね」


「……そうですね、とても悲しい気持ちでした」


 ラヴィアはさらっと零すに留めた。レーテーは言葉を続ける。


「脆いものさね、人なんてものは。記憶が続かない、積み重ねられないというだけであんなにも無様な生き物に成り果てる。彼らはただ腹を満たすだけの日々を繰り返すばかりで、何も積み上がらない。何も為せないし、何者にも成れはしないんだよ」


 そしてレーテーの声色は次第に邪悪さを帯び始める。


「いや、動物でさえも巣を作ったり、子に狩りを教えたりといったことはできる。奴らはそれさえも満足にできやしない。記憶の断絶……ただそれだけで奴らは畜生にも劣る存在に成り果てたのさ。実に滑稽さね……!」


 穏やかに微笑む。この期に及んで孫を慈しむ老婆のような表情を浮かべていた。


「……レーテー、もはや言葉は無用です。あの廃墟を立て直す為にも、彼らを忘却の(はざま)から解放する為にも、貴方には消えて頂きます……!」


 そう言って、ラヴィアは白い棍を構える。背後のユンファ、パンサン、フォンインも各々武器を構え、毅然とした瞳をレーテーに向ける。


 レーテーは邪悪に微笑みながら、その身を変貌させ始めた。


「……いいだろう。せっかく此処まで来てくれたんだ、儂の力を思い知らせてやろう。そして嘆くといい、人間というものの無力さと憐れさをね……」


 その時、巨大な地響きと共に丘が崩れ始める。四人は慌てて丘を駆け降りた。


 対峙していた場所から大分距離を空けた。土埃で視界は不良だった。しばらくしてようやく周囲が見渡せるようになると、四人はみな我が目を疑った。


 ――そこには途方も無く巨大な紫色の薔薇(ばら)が、天高く咲き誇っていたのだ。


 ◇


「まさか、これがレーテーの真の姿……でしょうか?」

「よもや植物とはな……」

「ねえ、いくらなんでもデカすぎじゃない?あの百足よりデカいじゃん……」


 三人は狼狽の目でその巨大花を見上げている。

 ラヴィアも余りにも規格外のサイズに気圧されそうになっていた。


(確かに大きい……でも植物なら、朱雀の炎が通用するはず……)


 そう思い、四聖剣を朱雀形態にしようとしたところ、天空に咲く巨大花が突如動物のような脈動を始めた。花びらを蠢かす度に、粒状の細かい何かがパラパラと降り注ぐ。


 ラヴィアはその正体を看破できないながらも、すぐさま四聖剣を玄武形態に変え傘のように掲げると、他の三人もひとところに集めた。


「何だこれは……何が降っている?」


 一同は不安げな目で周囲を伺う。毒とかではなさそうだった。周囲に降りしきる黒っぽい粒状のそれは、次々と地面に落ちて往く。やがて地面が不気味な鳴動を始めた。


「……これは、もしや!」


 パンサンが叫んだ。


 次の瞬間、すぐ近くで棘の付いた蔦が伸びたかと思うと、まるで鞭のようにしなって彼らを打ち払おうとした。ラヴィアは咄嗟に玄武形態の四聖剣で防御し、仲間たちを守った。


 これだけでは終わらなかった。次から次へと蔦が周囲から生えてビュンビュンと唸り、彼らを叩きのめそうとする。ラヴィアは四聖剣の白虎と玄武を切り替えながら、縦横無尽に駆け巡って攻撃を防ぐ。それでもすべてを防ぐことはできず、仲間たちも自身の武器で防いでなんとか事なきを得た。


 幸い負傷者はいない。しかしあまりにも防戦一方だった。


 ――そしてここからが更なる悪夢の始まりだった。


 伸びた蔦がやがて本体と同じような花を咲かせ始めたのだ。それは急速に花を落として果実を実らせる。早送りの映像を見せられている気分だった。果実はやがて種を遠くへ巻き散らし、そこからまた同じように蔦が伸び始める。それが無限増殖のごとくに繰り返された。


 紫色の薔薇獄による、森の浸食が始まった。


「まずいです、防ぎきれません!とにかく離れましょう!」


 ラヴィアの声を受け、一同は本体からは遠ざかる方向にひた走る。しかし広がる薔薇獄は彼らを飲み込まんと急速に広がって往く。走りながらも、幾度となく新たに生えた蔦からの攻撃に晒される。ラヴィアは四聖剣の玄武と白虎を使い分けて攻撃を防ぎ、時には朱雀で蔦を焼き払ったり青龍で斬り払ったりしながら仲間を守った。守るだけで精一杯だった。


 逃げながらも周囲を克明に観察していたパンサンは、遠くに奇妙な植物が生えていることに気付く。薔薇ではない……茎から様々な角度に向かって紫色の花を付けている。その姿はホウセンカに似ていた。


 急速に花を落として実が裂け始める。彼はぎょっとした。


「……ラヴィア!あれはまずいぞ!防いでくれっ!」


 ラヴィアも気付いて、その植物に向かって玄武の盾をかざす。仲間たちはその陰に隠れるように避難する。直後、ホウセンカから弾丸の如くに種が射出されたかと思えば、それは接触したタイミングで大爆発を引き起こした。玄武で身を守らねば、一網打尽に死んでいた。


 周囲を見れば薔薇に交じって、ホウセンカが既にいくつも生えていることに気付く。


「走れ走れ!吹き飛ばされるぞ!」


 此処にいてはラヴィアでも守りきれまい、そう直感した一同は死に物狂いで脚を動かす。


 爆音が轟く中で、ホウセンカに混じってさらに新たな植物を確認した。今度はテッポウユリに似ている。その長い花弁の先端から、ぶわぁっと黒い霧状の何かが吐き出され周囲に飛び散った。


「みんな息止めて!多分アレ毒だ!」

 フォンインが叫ぶ。さしもの彼もこの状況下では表情に余裕がなくなっていた。


 ラヴィアは周囲のホウセンカを斬り払った後、朱雀形態で猛風を発生させて毒の霧を吹き飛ばした。そしてもはや攻勢に転ずるのは無理だと判断し、とにかく離れることに全力を傾注した。



 多少離れて余裕がでてきたところで青龍を呼ぶ。四人が急いで乗ると、青龍は空中を飛行してさらにレーテーから遠ざかっていった。


 青龍の背から眼下の景色を見る。急速に広がる紫色の花園が、(みどり)の木々を飲み込んでいた。


「……なんてやつだ、森が浸食されてゆくぞ」

「……とんでもないね」

「わ、私たち、あんなのに勝てるのでしょうか」


 三人は戦意喪失しかかっていた。


(……まずいですね、成長速度が早すぎる。青龍で斬り払おうとも、朱雀で燃やし尽くそうとも、それを上回る速度で広がってゆく。アレではとても本体まで辿りつけません。青龍や朱雀に乗って、上空からなら本体に攻撃することはできるでしょうが、あれほど巨大では簡単には倒せない。それに敵の攻撃を受けて墜落したら、真下はもっとも密度高く増殖したエリア……今度こそ攻撃を防ぎ切ることはできないでしょう)


 ラヴィアはしばらく頭を抱えた。とにかくあの異様なまでの増殖力が厄介だった。何か一網打尽にできる術はないだろうか?


(植物……一斉に死なせる方法…………そうだっ……!)


 彼女に天啓が舞い降りた。

 しかし危険な賭けでもあった。それでもやるしかない。


 ある程度遠ざかったところで、四人は青龍から降りた。


「白虎!朱雀!出て来てくれますか」


 ラヴィアの声に応えて姿を現す。

 三柱の聖獣が揃ったところで、彼女は話を切り出した。


「青龍さん、貴方はたしか朱雀さんよりもずっと高く飛べるとか」

【ああ、たしかにそうだが】

「ではお願いします!私を遥か天空の彼方まで連れて行ってください!」


 青龍は何事かを察したようにラヴィアを見た。他のニ柱の聖獣と仲間の三人はまだ理解の及んでいない顔をしている。


【嬢ちゃん、いってえ何を考えてやがんだ】

「時間がありません。すぐにレーテーの増殖はここまで迫ってくるでしょう。朱雀さんと白虎さんは、みなさんが凍えないように努めてください」

【凍え……?いったい何をしようとしているのです?】


 取り合うことなくラヴィアは急いで青龍に乗った。そして龍は天高く上昇を始める。


 白虎と朱雀は考えこみながら空を見上げていたが、やがてはっとした表情をする。


【……そうか、分かりましたよ!ラヴィア様の狙いが!】

【ああ、あの嬢ちゃん、とんでもないことを思いつくもんだ】


 ニ柱は呆れかえったような表情をする。パンサンが彼らに声を掛ける。


「白虎様、朱雀様……ラヴィアは何をしようとしているのでしょうか」

【お前らも気を付けな。予想通りなら、空から大寒波がやって来る!】

「だ、大寒波……?」


 三人して、戸惑いの顔をした。


 ◇


 遥かなる上空に向かって龍は上昇を続ける。既に雲よりも高い場所にいた。


 ラヴィアは玄武形態の防御膜を張り巡らせている。そして眼下の雲海がある程度遠ざかったタイミングで声を掛けた。


「青龍さん、この辺でお願いします」

【了解した】


 青龍は上昇を止める。そしてラヴィアは防御膜を解除する。目論見を果たすには朱雀形態に切り替える必要があったので、致し方のないことだった。


「寒っ!!なんですか此処、この世の地獄ですか……?」


 とても寒く、そして空気が薄かった。


 現在ラヴィアは遥かなる上空――成層圏に居る。雲があり気象の変化がある対流圏の更に上層にあたる。彼女は成層圏の下層、対流圏との境界に程近い位置にいた(通常高度が上がる程気温は下がっていくが、成層圏に関しては逆で、上層よりも下層の方が気温が低い。というのも成層圏にはオゾン層があるからだ。オゾンは太陽光の紫外線を吸収する。当然上層の方がより多くの紫外線を吸収できるので、上層の方が気温が高くなるのだ)。


 高度およそ十キロメートル超。気温にしてマイナス五十度を下回っていた。


(寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒寒……)


 歯をガチガチと鳴らして震える。

 しかしやるしかなかった。仲間を……そして自身の同胞を救うため、彼女は心の炎に闘志という薪をくべる。


「……ええい!やってやりますよ、こんちくしょう!覚悟しなさいレーテー!」


 ラヴィアは四聖剣を朱雀形態に変じる。そして紅い扇を真下に向かって全力で仰いだ。冷たい空気が猛烈な風となって地上に向かってゆく。


 それを何度も、何度も……凍えながら繰り返した。


(しかしこのラヴィアという(シン)族の姫君……やはり妙であるな)


 青龍は独り思慮に耽る。


(今までもそうであったが四聖剣を使っていて息切れ一つしていない。これは神器と同じようなものなのだ、使えば使うほど精神力を消耗する。しかしラヴィアにはそれがまるで見られない。であるからして此度の作戦もきっと成し遂げると思い、こうして空の彼方まで連れて来たが、やはり不思議だ)


 青龍の疑問を余所に、ラヴィアは無我夢中で扇を仰ぎ続ける。



 地上では異変が起きていた。猛烈に冷たい風が上空から吹き下ろし始めたのだ。突然真冬の世界に放り込まれたような感覚だった。


「うわあっ!何これ!?」

「さ、寒いですぅ!」


 フォンインとユンファが身を震わせる。


「そうか分かったぞ!ラヴィアが何をしているのか」


 パンサンも震えながら言う。


「どういう状況なのこれ?」

「雲というのは空気中の水分が氷結してできた氷の粒が浮かんでいるものらしい。つまり空の上はとてつもなく寒いんだ。ラヴィアは今、その冷たい空気をありったけ地上に送り込んでいるんだ」


 そう言っている間に更に寒さが増した。三人は飛び上がって駆け出した。


「こ、これはたまらん!暖、暖を取らねば……!」

【お前ら、一応俺の力で多少周囲の気温を上げている!だから寒い止まりで済んでいるが、足りねーようなら白虎の毛皮にでも埋まっておけ!】


 朱雀の声を受け、三人は白虎の元まで駆け寄る。そして彼の毛皮に覆いかぶされるようにして、その身を包んでもらった。


 そしてしばらくの間、荒れ狂う冷たい風が地上を吹き(さら)し続けた。


 ――――

 ――


 やがて空から吹き下ろす冷たい風が止む。


 三人は周囲を伺うようにして白虎の腹の下から這い出て来る。


「……まだ寒いですね」

「ああ、だが凍える程に冷たい風は止んだ」


 三人は辺りを見て驚愕した。あれほど増殖していたレーテーの花々がみな力無く(しお)れていたのだ。


「すごいね!みんな枯れちゃってるよ」

「……まあ、元々生えていた木々も巻き添えだがな」


 その驚嘆に値する光景を見つめているうちに、青龍に乗ったラヴィアが降りて来る。彼女はそのまま本体の方へと向かう。


 眼前には萎れかけた巨大花の姿があった。


【カカカ……オノレ……(シン)族ノ姫君……】


 不気味な声が響く。ラヴィアは紅い扇を構える。


「どうやら勝負あったようですね、レーテー!お寒いでしょう……というか私も寒いので、暖を取らせていただきます……!」


 ありったけの力を込めて朱雀の爆炎を叩き付ける。レーテーは断末魔を上げて燃え始める。


【グアア……申し訳アリマセン…………エリス様……アーテー(ネエ)様……】


(アーテー?)


 聞き慣れない名であった。


 レーテーはそれっきり何も話すことはなく、炎と共にその体を散らしていった。

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