第176話 殺人のアンドロクタシア③
あくまで人間の愚かしさにこそ、この惨状の真因があると語るアンドロクタシア。ラヴィアは認めず、戦いの火蓋が切られるのだった。
反してラヴィアは敵愾心に満ちた眼差しを相手に向けている。
「何その目?まるでボクが原因でこの社会が乱れているのだと、そう言いたげな目だけど」
「……何が違うというのですか」
「まあ聞いてくれよ、はっきり言ってボクはたいしたことはしちゃいないんだよ」
アンドロクタシアは言いながら窓の外に目を向ける。
「君たちも知っての通り、梅族は十歳で”殺人能力”が発現する。それは言うまでもなくボクの仕業だ。でもね、ボクがしたことなんてたったそれだけなんだよ?」
「社会的弱者ほど強い能力が出るようですが」
「そりゃあねえ、その方が争いになりやすいでしょ?ボクはエリス様の為に人間の負の感情を集めているんだからさ、ドロドロに争ってもらわないと困るんだよ」
やがて視線を眼前の杏族の姫君に戻した。
「でもね、本当にそれ以上のことはしていない。ボクの名前なんて梅族の誰も知らなかっただろう?リーモスやディスノミアみたいにガチガチに彼らを追い込んでいないんだよ。そうせざるを得ないように仕向けていない。力を手に入れても使わない選択肢だって当然あったのに、彼らは喜んで血みどろの抗争を始めた」
そしてアンドロクタシアはただでさえ邪悪な表情を、ことさら歪めてみせた。
「強力な力を手に入れた者は他を殺し尽くし、もはや多様性もクソもない社会に成り果てた。同じような奴らばかりが席巻する状態だった。此処は元々はボクの趣味の人体実験用施設で、いろんな梅族の人間を捕らえていたんだけどさあ、いつの間にか社会調整用の施設にせざるをえなくなったんだよ。ボクのフォローがなければ、アイツらとっくの昔に同士討ちで滅んでるぜ?」
梅族に全滅されてしまえば、負の感情を集められなくなる。それはアンドロクタシアにしてみれば困ることであった。多様性のなくなった社会に少数派となった存在を補填することで、多様性を保全しつつ争いの火種が絶えないようにしていたのだろう。
現状は醜女が最上位の社会であり、美男子はおそらく最下位クラス――フォンインはそういった世相を鑑みて、この施設から送られた存在だったのだ。
「ちなみに今みたいな醜女が最上位の社会は通算六回目ってところかな?」
「六回目……?もしかして、下剋上によって強者と弱者の立場は、グルグルと入れ替わっているのでしょうか」
「そうだよ。このまま続けばやがて男、とくに容姿や能力の優れている男が強い力を発現させるようになるだろう。そうなれば再び社会は逆転する。ちなみにその変化は非常に緩やかだ。一気に様変わりさせるのはダメなんだ。圧倒的な差というものは、もはや一方的な虐殺になって短期に終わるのがオチだからね。ボクは永きに亘るドロドロの抗争を求めているんだよ。ちなみに社会的弱者ほど強い力を発現させるが、これはあくまで傾向であって絶対じゃない。その不確定さもまた下剋上要素としている」
アンドロクタシアは笑い始める。ラヴィアはそれを見てより表情を険しく変じた。
彼女の口ぶりは、確かに原因は自分にあるが、この社会の惨状は人間の愚かしさがもたらしたのだと、そう言っているように聞こえた。いや、実際にそういうつもりで言っているのだろう。
人の心は弱いものだ。大きすぎる力を手に入れれば、人はそれに囚われてしまう。ハレイケルも、フェグリナも、ミアネイラもそうだった。
アンドロクタシアは人の心の弱さを見抜き、付け込んで利用し、それでいて自分は悪くないのだとほざいているのだ。
「――なるほど、貴方が原因で梅族の社会が乱れているということがよく分かりました」
「話聞いてた?ボクは殺しの能力を与えただけなんだって。争うよう誘導は一切していない。それだのに飽きもせずに奴らは殺し合いを続けている。愚かで、馬鹿で、本当につくづく思うよ、こいつら生かしておく価値ねーなーって。負の感情を集めなきゃいけないから仕方なく全滅しないように計らってあげてたんだけどさ、もう充分集めたからそろそろ処分しようかなと思ってる」
そしてアンドロクタシアは殺気を向け始めた。その痩身から溢れんばかりの邪悪なオーラを感じる。ラヴィアは開戦の気配を感じて身構える。
「で、どうするの杏族の姫君?アイツら助けるの?救う価値なんてないように思うけどなあ」
「無論ですよ。この社会の惨状は他でも無い、貴方が人の心の弱さに付け込んで争うように仕向けた結果です。人はたしかに愚かかもしれませんが、それを利用した貴方は断罪されて然るべきでしょう――アンドロクタシア、私は貴方を討滅して彼らを解放します!」
「……やれやれ、気が変わらないか。まあ懐柔されると思ってくっちゃべっていたわけでもなし。いいだろう、来なよ。”殺人”の名に違わず、お前たちを凄惨な骸へと変えてあげよう……!」
◇
粋がるアンドロクタシアの動きを待たず、ラヴィアは一気に駆け出すと四聖剣を青龍形態に変化、彼女の胴を真っ二つに切断した。
分かたれた上半身と下半身が、べしゃっと床に横たわる。
「あれ、お、終わったのでしょうか……?」
「いや、そんなはずないでしょ……」
「ああ、そうだな。おそらくアレはわざと斬られた……」
後方の三人が口々に言っている。
しばらく沈黙が通り過ぎたが、突如として上半身の切断部が蠢いたかと思えば、そこから虫のような巨大な胴体がせり出して来た。足は四対の計八本、そして長くていかつい先端の尖った尾が付いている。
アンドロクタシアの上半身は、蠍のような胴体の上部にだらしなく垂れ下がっている。人間と虫を雑にくっつけ合わせたかのようなビジュアルだった。
「……!」
「これは……!」
「き、気持ち悪いです……!」
一同が驚いている内に、蠍の尾が翻ったかと思えば力強く振るわれ、眼前のラヴィアを吹き飛ばした。咄嗟に武器でガードし、吹き飛んだ後も受け身を取ったので致命傷はない。しかし大きく距離を空けられてしまった。
その間に蠍の尾は、今度はユンファたち三人を薙ぎ払おうとする。鞭の如くに力強く放たれる尾を、パンサンはなんとか槍で防いでユンファとフォンインを守った。
「大丈夫か?お前たち!」
「ありがとうございます、パンサンさん!」
「助かったよ」
その隙にラヴィアが戻り、未だ垂れ下がっているアンドロクタシアの上半身――その頸部を切断する。しかし戦いは終わらなかった。再び蠍の胴体が蠢いたかと思うと、今度は蠍の頭部と鋏の付いた一対の腕が出現した。腕は素早く振り払われ、ラヴィアとパンサンを大きく弾き飛ばす。
「ぐうっ……!」
ラヴィアは問題なかったが、パンサンは今ので槍が壊れてしまった。早くに勝負を決めねばいけない。ラヴィアは敵の攻撃後の隙が終わり切らぬ内に駆け出すと、蠍の頭部と鋏、そして尾を次々と四聖剣で切断した。
蠍は力なく倒れ伏した。四人は様子を伺う。
「やったのでしょうか……?」
【いやラヴィア、まだ我の肉体が解放されておらぬ。まだアンドロクタシアは滅んでいない……!】
四聖剣から青龍の声が聞える。
「ラヴィア、最初に見た人間の肉体の首を切断してもなんともなかっただろう?この蠍の姿もおそらくそうなんだ。どちらも奴の本体ではない……!」
パンサンの分析の正解音のように、突如外で大きな地響きが聞えた。一行は急いで建物の外に出る。
――そこにはまるで龍のように長く巨大な、百足の姿があった。
この森の何処かの地中から体を天に向かって伸ばし、空中に長い体を揺蕩わせている。
「もしやあれが本体か……!」
「まさか、あんな化け物とはね……」
「で、でもあんなに巨大で、頭部も空中にあるのに戦えるのでしょうか?」
うろたえる三人を余所に、ラヴィアは闘志を崩していない。
虚空に向けて「朱雀!」と力強く叫ぶ。大きな紅い聖鳥が姿を現す。
【ひゃっはあー!俺の出番だな!乗りな嬢ちゃん、空中戦の始まりだぜ!】
ラヴィアは颯爽と朱雀の背に乗ると、夕闇迫る空へと駆け出す。
おおぞらに戦う。人生で初めての経験であったが、不思議と恐怖は無く高揚感の方が勝った。ラヴィアは没入するタイプであった。彼女は今、勝利の為に戦闘に没入している。
慣れない空中戦も己が得た経験と度胸、そして聖獣の力を駆使すればこなせるはずであった(そして余談ではあるが、奇しくも近い時期にフリーレもブネを相手に、人生で初めての空中戦を経験している。ラヴィアはいつの間にか、彼女と同じことをするまでに成長したのだ)。
空を駆り百足の頭部に迫る。百足の体は海中に揺蕩う海藻のように不規則に揺れているのでなかなか辿り着けない。その間に背後から気配を感じる――尾だ!頭部とは別々に尾が動き、朱雀を攻撃せんと狙っていた。
咄嗟に四聖剣で弾き返す。しかし尾は追走を止めなかった。朱雀は追われながらも追う形で、百足の頭部を目指して空中を駆け巡る。ラヴィアは落ちまいと彼にしがみつく。
やがて頭部へと辿り着いた。百足は待ち受けていたように、口から毒の霧を吐き出して彼らを迎え撃つ。しかしこれで不覚を取るラヴィアではなかった。四聖剣を朱雀形態に変えると、猛風を巻き起こして毒の霧を吹き飛ばす。間髪入れずに爆炎も起こすと、百足の体に叩きつけて怯ませた。
――今だ!
頭部を切断せんと、急速に向かっていく。しかし彼女が斬り払う前に、百足の胴体がせわしく蠢いたかと思うと何かを吐き出した。吐き出すと共に、百足は力を失い轟音と共に地に倒れ伏した。
吐き出されたそれは翅で宙に浮いている。最初に見た人間の姿に似ていたが、全身が蛾のような白っぽい体色で毛に覆われ、同じく蛾のような触角と翅を生やしている。黄昏のトワイライトカラーの中で、その姿はどこか幻想的だった。
ラヴィアはこれこそがアンドロクタシアの本体だと思った。本体は百足の肉体と共にあっただけで、百足自体は本体ではなかったのだ。
「随分と粘るねえ、杏族の姫君……」
アンドロクタシアは猶も余裕そうであった。しかし敵に弱みを見せないことに長けているだけかもしれない。着実に、着実に追い詰めているはずだった。
「そこまで頑張るほどアイツらに救う価値なんてあるのかなあ?断言するけど、ボクがいなくなったってアイツらは争うぜ?ボクはただのきっかけに過ぎず、すべての原因はアイツらの愚かしさと浅ましさにこそあるのだから」
「……確かにそうかもしれません」
ラヴィアは揺るぎない瞳を向ける。
「私も色んな人を見て来ました。人間には愚かしい一面が確かにあるでしょう。でもそれだけではないはずです!美しい面だってたくさんありました!それだのに、貴方は人の心の弱さを利用して、愚かしさばかりが顕在化するように仕向けてきた……!梅族の皆さんがことさら争いにかまけ、見苦しく見えるのは貴方が原因でしょう……!」
「そっかそっか、あくまでボクが悪いということにしておきたいんだね。そうやって真実に目を背け続けているがいいさ……!」
翅を羽ばたかせ、ラヴィアに高速の一撃を繰り出す。ラヴィアはそれを防ぎつつ、朱雀で距離を取る。隙を見つけて今度はこちらから接近して斬りかかるが、すんでのところで躱される。
そうした一進一退の攻防が繰り広げられた。
しばらくは膠着していたが、徐々にラヴィアが押し始める。敵の動き、行動の癖が掴めてきたからだ。師匠に叩き込まれた”視る”という習慣がここでも役に立っていた。
――そして翅の一枚に斬撃を与え、斬り払うことにようやくラヴィアは成功した。
目まぐるしく空中を駆けながら、敵の攻撃を防ぎ、隙を見つけて斬りこんでいく。凄まじい集中力が為せるわざだった。
「くっ……!」
(今だっ……!)
崩したバランスを見逃さない。
朱雀と共にアンドロクタシアに迫り往くと、青龍形態の四聖剣を振るい、いよいよ本体をばっさりと切断するに至った。
「……あーあ、まあいいさ、そうやって紛いものの美しさに、現実離れした理想にしがみついて、無知蒙昧な人間どもを美化しているといいよ。どうせ苦しむのは君たちなんだからね。バイバーイ!ボクは一足先にこの腐れた世界からご退場させていただくよ!さよならさよなら……!」
斜に構えて煽るような最期の言葉と共に、切断されたアンドロクタシアの肉体は地へと落ちていった。
ラヴィアの表情はなにごとかを考えている風であり、勝利の余韻に浸る爽快さはどこにもなかった。




