第175話 殺人のアンドロクタシア②
梅族の男、フォンインに協力を仰ぐラヴィアたち。そして彼の記憶を頼りにアンドロクタシアの居所を探ろうとする。
その梅族の男は解放された後、服を着てラヴィアたちと落ち合った。空のように碧い髪を束に結わいて、体の前側に垂らしている。男性にしては長髪だった。
「やあやあ、どうもありがとう!アイツ加減ってものを知らないからさぁ、助かったよ」
「はあ、どういたしまして」
やけに飄々としている男であった。見聞した限り、この梅族隔離区域での男性の地位は異常に低い。これぐらいへこたれない精神でないとやっていけないのかもしれなかった。
「僕は楊風音だよ。君たちは何て言うの?ってか君たち見たことない顔だね、恰好も見慣れないし。それに女の子二人は醜女じゃないし」
ペラペラとよく喋る男を前に、三人は今一度身の振り方を考える。
「どうします?パンサンさん」
「俺は問題ないと思うぞ、悪い奴には見えん」
「そうですね、では彼に協力を仰ぐとしましょう。ユンファちゃんもそれでいいですか」
「はい、私も異論ございません」
「なになに?どうしたの君たち?」
内々のやり取りに興味を示すフォンイン。やがて応えるように、三人は頭の布を取り己の正体を明かした。
「……!黒い髪と白い髪に、紅い髪……!え、もしかして他部族!?嘘、ホントに!?」
驚き果てるというよりは、より興味を深めた瞳で三人を見つめる。
「こちらは杏族の姫君、ラヴィア・クローヴィア。聖獣の魂を復活させ、四部族を解放する旅をしている。既に櫻族と李族は解放された。そしてこちらの趙雲花と、この俺、夢伴桑が旅の同道に加わったのだ」
「聖獣……解放……それってホントの話?」
「ああ、俺たちは梅族を助けるべくこの隔離区域まで来た。だがいかんせん情報が足りない。ここの事情に詳しいだろうお前にも協力を仰ぎたいが為に、こうして正体を明かしたのだ」
「なるほどなるほど。まあお話する前に場所を変えよっか。ここは性欲強い女たちの溜まり場みたいなものだからさ。誰か来るかもしれないよ?」
フォンインの提案に三人は首肯し、その場を後にした。
◇
人気の無い海岸沿いに四人の姿がある。ユンファは波打ち際で、物珍しそうに海水をぱしゃぱしゃさせて戯れている。他は波から少し離れた位置で、手頃な岩に腰掛けていた。
「いやー、まさか他部族とはねえ。しかもどちゃくそに美人!杏族ってみんなそうなの?」
「いえ、私は国外から来た身なので、杏族の美的水準がどうかはよく分かりませんが」
「あーそうなんだ。でもこんな可愛い子がこの世にいるんだなあって、本気で驚いたよ。梅族は醜女ばっかりだからさぁ」
そしてフォンインは後頭部に両手を重ねるリラックスポーズで、今度は渚に佇むユンファの方を向く。
「そっちの櫻族の娘も可愛いよね。でもちょっと痩せすぎかな?」
それを聞いてユンファは、
「失敬ですねっ、私だって好きで痩せているんじゃありません!」
と本気には程遠いものの怒りを露わにして抗議の声を上げた。
「あっ、あー、そうか。なんかゴメンね」
事情を察したかどうかは定かでないが、フォンインはひとまず理解を示したように謝罪した。
「それでフォンイン、俺たちはこの梅族隔離区域で起きていることを把握したいと思っている。見たところこの地では女性の力が強く、それも醜女ばかりのようだが、どうしてこんな風になったんだ?」
「簡単な話だよ。梅族はみな十歳になると”殺人能力”が発現するんだ。しかもそれは社会的弱者であればある程より強力なものになっていく」
「……やはり、そういうことだったか」
眼鏡を上げ、納得といった声を漏らす。
かつては他の多くの国々と同じように、男性の方が立身出世しやすい男性優位社会であったのだろう。それが女性の方がより強力な武力を持ったが故に、逆転現象が起き女性優位社会となった。
今度はその女性たちの中で、容姿や知性に劣る者がより強力な力を持つようになり、こうして醜女優位社会が出来上がったのだ。
「つまり、お前に馬乗りになっていたあの女の能力は最強クラスということになるのか?」
「そうだよー、最強クラスだと、あんな風にバカでかい化け物になれたり、他にも全身から大砲みたいなのを出してぶっ放せる奴とか、体中を鋭利な刃物に変えて斬りまくれる奴とか見たことあるよ」
「……」
街中で何度も通り過ぎた醜女たち、そのすべてがそのような能力を持っている。とんでもない社会だな、とラヴィアは思った。そして見てくれや器量の良い女性たちの能力は弱く、男性は更に脆弱な能力となるのだろう。
「逆に男だとしょぼい能力ばかりなんだよねぇ。とくに美男子だともう最低レベル。アイツらに対抗なんてできやしないんだよ、僕だってこんな豆鉄砲を出せるだけだし」
そう言ってフォンインは、近場の樹木へと右手を掲げた。右腕が鉄砲のような形に変貌する。しかし炸裂する砲声はなんとも可愛らしく、射出された玉は枝一本をやんわりと折り曲げるだけだった。
「ね、ヘボいにも程があるよねえ」
「これで対抗するのはなんとも無理のある話だな……」
パンサンが同情するように答えた。
「フォンインさん、情報ではこの梅族隔離区域はアンドロクタシアという怪物に支配されているはずです。私たちはソイツを倒しに来たんです、何か知りませんか」
今度はラヴィアが切り出した。
しかしフォンインは考え込むような仕草をする。
「アンドロクタシア……?聞いたことがないなぁ」
「聞いたことがない?」
予想外の返答であった。リーモスもディスノミアも、その存在は当たり前のように民衆に知られていた。しかし今回は事情が違うようである。
「お前が知らないだけじゃないのか?」
「いやいや、多分他の人に聞いてもみんな知らないとしか言わないと思うよ?」
「どうやら今度の敵は存在自体を秘匿しているみたいですね……フォンインさん、本当に今まで一度も見たことも聞いたこともないのでしょうか?」
「うん、あー、でもそもそもねぇ――」
そういえば言っていなかった、とばかりにフォンインは言葉を続けると、
「――僕、十歳より昔の記憶が全然ないんだよねぇ」
と驚くべき事実を言ってのけた。
「十歳より昔の記憶がない?それは梅族みんながそうなのか?」
「いや違うんだよねぇ。でも僕以外にも、同じような人を何人も見たことがある。しかもみんな美男美女なんだ」
「それは不思議ですね……」
しかしこの奇妙な事情にこそ、アンドロクタシアに迫る秘密がありそうに感じた。
「フォンインさん、できるだけ昔の記憶について教えて頂きたいです」
「うーん、といってもたいしたことは。一番最初の記憶は十歳の頃、大通り沿いの商家で小間使いの仕事を教わった時の記憶さ。少しでも気に入らなければ殴ってくる、理不尽極まりない場所だったよ」
「いえ、もっと昔の、そうですね……できれば生まれた頃の記憶とか。どうにもその辺りに秘密がありそうで」
「でもなー、ホントに全然覚えてないんだよね……ああ、でも、すごい朧気だけど、なんとなくここで生まれたんだなーって場所の記憶はあるかも」
「ホントですか?」
ラヴィアは食い気味に尋ねる。フォンインはしばし目を閉じて、記憶を呼び覚まそうと努める。
「たしか木々に囲まれた古びた建物……かな?」
「どんな外観の建物ですか」
「うーん、蔦とかで覆われていた……かも?」
「なるほど、ありがとうございます」
そう言ってラヴィアは立ち上がった。
「お話をまとめると海からは遠い場所のような気がします。絞り込みとしてはひとまず充分でしょう。みなさん、とりあえず丘の上まで行ってみましょう!」
潮風に吹かれながら、彼女は高らかに宣言した。
◇
一行は海とは反対方向の丘をずいずい登って往く。それは奇しくも市街からも離れる形である為、より人知れない建物の存在を匂わせた。
「でもさ、杏族の姫様、丘の上の森っても大分広いよ?どう探すのさ」
「そうですね、迷う危険を考慮して、”私たち”は固まって行動しましょうか。後は……」
そして虚空に向かって、
「白虎!朱雀!」
と叫んだ。
白い聖獣白虎と、紅い聖鳥朱雀が姿を現す。
「おおっ!これが櫻族と李族の守り神?すごいね!」
「なるほど、白虎様なら素早く野を駆け移動できますし……」
「……朱雀様なら空から目的地を探せる。しかも四聖剣を通して、簡単にラヴィアの居場所まで戻って来られるということか」
驚きで目を見開くフォンイン。そしてユンファとパンサンは頼もし気な視線を、自分たちの守り神に送っている。
「白虎さん、朱雀さん、古びた怪しい建物がないか捜索をお願いいたします。あ、朱雀さんはあまり目立つといけないので、できるだけ低空飛行でお願いしますね」
【承知しました!】
【りょーかい、行ってくるぜ!】
そうしてニ柱の聖獣は軽やかに繰り出し、捜索活動が始まった。
「ところでラヴィア、どうしてその建物があやしいと思うんだ?」
パンサンが尋ねる。
「記憶がないのが美男美女ばかりというのが気になって。この社会的弱者ばかりが力を持つ世界で、争いを放置していればやがてどうなると思います?」
「そうだな、美男美女や才有る者は死に絶え、愚物ばかりが生き残る…………そうか!」
「おそらく多様性もなにもない社会になってしまうのではないでしょうか。そうすれば争いは鈍化する……争いが激しく続いていく為には、”違う者”同士が存在していることが肝要です。もしかしたら、フォンインさんが生まれた場所というのが……」
「……その調整の為の施設かもしれないということか」
やがて白虎と朱雀が戻って来る。既に陽は傾きだしている。
【嬢ちゃん、ビンゴだ!向こうの方に蔦だらけの古くせえ建物を見つけたぜ!】
「本当ですか!」
【付いてきてください。ここからは私が案内致します】
そして朱雀は戻り、白虎の先導の元で四人はその建物へと辿り着いた。蔦に覆われた石造りの、たしかに年季の入った建造物である。
「……!間違いない、此処だよ!」
フォンインが興奮気味に声を発した。
そして四人は中へ入ってみようと画策するのだが、入り口は正面の扉しかなく、そこには鍵がかかっていた。扉は金属製であり無理に打ち破るのは難しい。
「さてどうしたものかな。ラヴィアの四聖剣や聖獣様の力で無理に開けることもできなくはないだろうが……」
「その必要はありませんよ、パンサンさん」
ラヴィアはずいっと前に出ると、懐から針金のような物を取り出す。それを適度に曲げた後、鍵穴に差し込んで弄り始めた。
鍵の開く音がしたので、パンサンたちは驚いた。ラヴィアが扉を押すと、重い金属音を立てて軋むように扉が開いた。
「すごいねー、鍵をこじ開けたの?それ」
「ラヴィア様、さすがです!」
「まあ鍵開けは盗賊の基本スキルですからね。単純な構造の鍵ならだいたいいけますよ」
何のけなしに言うラヴィア。パンサンだけが、
(何故姫君が盗賊の技能なんてものを持っているんだ……?)
と若干腑に落ちないような顔をしていた。
四人はおそるおそる中へと踏み入る。内部は非常に薄暗かった。
しかし斜陽がもたらす仄かな明かりが、それとなく内部の事情を知らせる。どうやらところどころに巨大なガラス製の入れ物が安置されているようであった。それが管のようなものを通して、機械のような装置へと繋がっている。
四人が驚いたのは、その入れ物には不可思議な色彩の液体と共に、人間が入れられていたことであった。年齢は幼くみえる。皆一様に、眠っているように目を閉じている。男も女も、見目麗しいのも、醜いのも、分け隔てなくいた。
それは非常に不気味な光景であった。
「な、なんですかこれ、怖い……」
「どうやらラヴィアの予想通りのようだな」
「……僕は、ここで生まれたんだね、きっと」
恐怖するユンファに、ただただ驚き果てるパンサン、己の出生の秘密を目の当たりにして呆然としているフォンイン。
ただ一人、ラヴィアだけが鋭敏に感じ取っていた。
奥の方の部屋から何者かが近づいて来ていた。かすかな足音と共に、不気味な影がやって来る。
「ヒヒヒヒヒ……」
ラヴィアは咄嗟に三人をかばうように、棍を構えて戦闘態勢を取る。気づいたパンサンも槍を持つと、警戒の念を以て構える。
ユンファは縮こまり、フォンインは様子を伺うように身を固くしていた。
――眼前に現れたそれは、背が低く眼鏡を掛けたボサボサの髪の女性といった様相。そして丈の長い白衣を羽織っている。裾は床にスレスレで、袖も余っていた。
まるで病気のように顔色は悪く、目はぎょろぎょろとしている。
「ヒヒヒヒヒ、まさかこんなところにまで来ちゃうなんてねぇ。招かれざるお客様、四名様ご案内~」
女は不気味な声色で、せせら笑うような響きで言う。
ラヴィアは物怖じせず、相変わらず毅然と向かい立った。
「――貴方がアンドロクタシアですね?」
「そうだよー?正直嬉しいねえ、こんな魅力的な実験素材が自分たちから来てくれたんだからさぁ」
アンドロクタシアは、まるで実験動物を見定めるようなねっとりとした視線を彼らに送った。




