第174話 殺人のアンドロクタシア①
新たにパンサンを仲間に加え、梅族の隔離区域にやって来たラヴィア。そこでもまた変事が起きているようであったが…
麻婆豆腐を食い尽くした後、ラヴィアとユンファはさっそく出発の準備に取り掛かった。
そこへパンサンが声を掛ける。
「ラヴィア、もう出立するのか」
「はい、次の目的地は東の海沿い――梅族の隔離区域です。エリスも他の眷属も、リーモスやディスノミアの気配がなくなったことに気付いているでしょうし、あまり時間を与えたくありません」
「そうか」
そう呟いて眼鏡を直した後、神妙な面持ちで
「……無理を承知で頼むが、俺も連れて行ってはくれないか?」
と言った。
ラヴィアもユンファもとくに意外な気持ちはなかった。なんとなくこうなる気がしていたからだ。
「構いませんよ」
「本当か」
「ですが一応聞かせてください。怪物と戦う危険な旅になるのです、何故付いて行きたいのでしょうか?」
「そうだな……強いて言うなら、俺は運命を感じている」
「運命?」
首をかしげるラヴィア。パンサンは話を続ける。
「三百年の永きに亘る邪神の支配が、桃華帝国の有り様が少しずつ変わり始めているのだ。そして奇しくも俺は、その中心人物であるお前と関係を持った。ここで最後まで行く末を見ずに終わるのはどうにも勿体ない気がしてな。それにまだ他の部族が苦しんでいるというのに、自分だけ安全圏に引きこもっているのも癪だしな」
「死ぬかもしれませんよ」
「死なん、俺は全力で生き抜いてみせる。生きて、なんとしてでも見届けてやるのだ、邪神から解放され立ち直ったこの国の姿を!安心しろ、お前も知っての通り、俺はヤワな育てられ方をしていない」
「……分かりました。これからよろしくお願いします、パンサンさん」
二人は固い握手を交わした。そしてユンファも彼と握手をし、よろしくお願いしますね!――、と微笑みかけた。
そして三人は旅支度を終えると、李族隔離区域を後にする。パンサンもまた、旅に向いた一張羅に着替え、背中には槍を背負っている。三人とも頭には布を巻いて、髪色を目立たなくしている。
彼らは李族の方々に見送られながら街を離れた。既に結界はどこにもなくなっていた。
「さて、三人だと白虎さんの背では少々手狭ですね。朱雀さん、乗せてもらっても構いませんか?」
【お安い御用だぜ、嬢ちゃん!】
上空に神聖なる煌めきと共に、朱雀が肉体を顕現させる。地面に降り立って姿勢を低くする。ラヴィアは颯爽と彼の背に跨った。
「ラヴィア様、まさか私たち空を飛べるんですかっ!」
「まさか朱雀様に乗れる日が来ようとはな……」
ユンファもパンサンも若干興奮気味に、ラヴィアの後ろに乗り込む。
【準備はできたな!そいじゃ、東の海沿いに向かうぜ、しっかり掴まってな!】
「あ、朱雀さん、あまり目立ちたくないので梅族隔離区域に直接降りるのではなく、その少し手前ぐらいで降ろして頂けると助かります」
【あいよ、了解、了解!】
そうして明るい声が響いた後、三人を乗せた紅い聖鳥は華麗に上空に舞い上がると、翼をはためかせて水平線の向こうへと消えていった。
◇
遥か遠くに蒼い水面が、陽光に照らされながら揺れている景色が視界いっぱいに広がる。ユンファもパンサンも思わず涙腺が緩くなりながら、それを見つめていた。
無理もない、人生で初めて見る、海であった。
「あれが海か……ハハハ、なんとも広大な……」
「あ、あれが全部塩水って本当ですか、ラヴィア様!」
「本当ですよ」
ラヴィアは二人ほど感動していない。ブリスタル王国というさほど広くない半島の国出身だったので、彼女にとって海は珍しい光景ではなかった。それでも、空の上で風を感じながら見る海原はまた格別だった。
波に心も揺らされながら、しばらく三人はその絶景に見惚れていた。
やがて街並みが見えてくる。梅族の隔離区域も一見すると櫻族ほど荒れ果ててはいないようだった。海沿いだからか木造建築に加えて、石造りの建造物も目立った。
三人は街に辿り着く手前で朱雀に降ろしてもらうと、陸路を辿って目的地に向かう。そしていつものように陽炎の揺らぎが現れるのだが、四聖獣の加護を持つ彼らは拒まれることなく歩を進める。
市街に到着すると、三人は梅族隔離区域の調査を開始した。
といっても最初は辺りを見回しながら歩き回るだけだった。空のように碧い髪を持つ民族――梅族の人々が行き交っている。街の空気はやはりどこか陰惨としている。そして彼らは次第に違和感を覚え始めた。
まず損壊している建物が妙に多いのが気になった。扉がひしゃげていたり、壁が抉れたりしている。人間の力でできるとも思えないので自然災害の可能性を考えたが、その割には壊れた家屋は固まって位置しておらず、街中の各所にバラバラに点在しているようだった。
それに街を往く人々にも奇妙なところがあった。まず圧倒的に女性が多いのである。男性も見かけたが、何故だか使用人や奴隷のような腰の低い振る舞いをしている者ばかりであった。女性ばかりがふんぞりがえって、街を歩いている。それもなぜか醜女ばかりであった。見た目の良い女性もいないことはなかったが、前述した男性のように不当に低い扱いを受けているように見えた。
「妙だな、街中は女性ばかりだ」
「そうですね、それに男の人はなんだか立場が低いように見受けられます」
パンサンとユンファが言葉を交わす。
「それと気になるんだが、さっきから街を歩いている女性たちは、どうにも……」
「ええ、不細工ばかりですね」
見目麗しい黒髪の少女が、とくに歯に衣着せずに言った。
三人はある程度街中を調査したあと、人気の無いところで腰を落ち着けた。というのもゆっくり話し合うには周囲の視線が気になったからだ。武器を持ち髪を隠した少女二人と男一人の組み合わせ、それも少女二人は見てくれが整っているのがことさら奇異の視線を集めたのだ。
「……なんとなくだが、この梅族隔離区域において何が起こっているのか分かった気がする」
「私もなんとなくですが」
口火を切ったパンサンに、ラヴィアが同調する。
「私はさっぱりです。いったい何が起こってるんでしょうか、パンサンさん」
と首を傾げるユンファ。
「おそらくだが、此処では社会的強者と社会的弱者が逆転する現象が起きている」
「世界では男性優位の社会の方が多いようですが、此処では女性の方が上。そしてその女性たちの中でも、容姿が悪かったり、振る舞いに知性や品性を感じなかったり、まともな社会では高い立場になれそうもない人ばかりが偉そうにしています」
強弱の逆転――それが梅族隔離区域で起きていることらしかった。しかしそれを引き起こしている直接の原因とは?
「何が原因でこうなっているのかが気になるな。俺たち李族の隔離区域は、善行に対して罰が下されることで善悪が逆転した社会になっていたが」
「何によって、強弱の逆転現象が起きているかですね……あと私が気になったのは、半壊した家屋がやけに多いことです」
「そうだな、俺も気になっていた。少し調べてみるとしようか」
「じゃあお二人とも、あの辺の海沿いとかどうでしょうか?壊れた家屋が何軒かありますよ」
ユンファが指差す海岸沿いのエリアにも、確かに壊れた家屋が目立っていた。
三人は海沿いを目指して進む。
途中で道路工事中の場所があった。そこでも男たちは汗水たらして働き、鞭を振るって指示しているのは女性であった。三人は目立たないようにして通り過ぎる。
目的地に辿り着き、壊れた家屋に立ち入ってみる。壁がひどく崩れていて、内部は風雨に晒されている。三人は人はいないものと思い込んでいたが、何やら不審な音が奥の方から聞こえてきた。
「……?妙な音がしますね」
「パンッパンッと、何かがぶつかり合うような音だな」
奥には部屋があるようであった。そこは扉も壁も壊れていない。扉は開けっぱなしだ。おそるおそる近づいて中を覗き見る。
――そこには裸の男に馬乗りになって腰を振っている女の姿があった。
その女も裸であり、そして醜かった。男は鎖で壁際に拘束されている。
三人はうげっと顔を歪める。そして退散しようかと思ったが、ユンファが床に蹴っ躓いて音を立ててしまった。
「……!誰だいっ!」
女は行為を止めると、裸のまま通路に出て来た。ユンファが後ろに下がり、ラヴィアとパンサンが対峙する。
「なんだいアンタら?見ない顔だね」
「……」
ラヴィアもパンサンもどうしたものかと固まっている。相手は明らかに敵意を見せている。戦うべきか、それとも情報収集に努めるべきか。
しかし悩んでいる内に、相手の方から事態を動かし始めた。
「まあいいさ、アタシはお楽しみを邪魔されてむかっ腹が立ってるんだ。お前たちにはむごたらしく死んでもらおうかね……!」
驚愕した。女の体がまるで羆のような巨大な姿になり、鋭利な牙と爪を生やしたのだ。そして腕を振るうと、家屋の壁が脆くもひしゃげた。
半壊の理由が分かると共に、彼女がこの地を支配する怪物かとも考えたが思い直した。リーモスやディスノミアと対峙した後だから分かる、この女はエリスの眷属でもなんでもないただの人間だろう。人間が化け物に変貌する能力を持ってしまっているのだ。
「もはや読めたぞっ!この地で何が起こっているのかを!」
「私もです、パンサンさん!ひとまずこの人を大人しくさせますよ!」
女がまたしてもその強靭な腕を振るう。パンサンはユンファをかばいつつ、槍で爪撃を弾き返す。腕は壁にぶち当たり、またしても崩壊させた。
その隙にラヴィアは女の背後を取っていた。殺すつもりはないので青龍形態は使わない。四聖剣を白虎形態のままで振り回すと、女の延髄に思い切り棍の一撃を喰らわせた。女は呻いて倒れると共に肉体が元の姿へと戻っていった。
「なんとかなりましたね」
「び、びっくりしました……」
「しかしこれで分かったぞ。おそらくこの地では社会的弱者ほど強い力を……」
そこへ、やあやあやあ!、と底抜けに軽い調子の声が聞えて来て、パンサンの解説を封じた。
見れば崩れた壁の向こう、鎖に繋がれた碧い髪の男が声を掛けていた。壁が崩れたので部屋の中の様子は丸見えになっていた。男は全裸で壁際に拘束されている。かなり端正な顔立ちをした若い男だった。そして先ほどまで女と繋がっていたからか、その男の一物は雄々しく天を向いていた。
「すごいね君たち!力自慢のアイツをあっさり倒しちゃうなんてサ!」
「……!!」
ラヴィアとユンファはとっさに顔を背ける。顔が耳まで赤くなっているような気がした。
「……俺があの男を解放してくる。お前たちは向こうに行っていろ」
パンサンがそう言いながら部屋の奥へと向かって行った。二人は部屋の中が見えない位置まで退避した。
「ラ、ラヴィア様、男の人のって、あんな風になるんですね……」
「記憶抹消中なので話しかけないでください」
どこか鬼気迫る声音であった。