第172話 不法のディスノミア③
ディスノミアを見つけるべく強行手段に出るラヴィア。そして李族の未来を掛けた戦いが幕を開ける。
「しかしディスノミア討伐にあたって、一つ問題がある。李族の誰も奴の居所を知らないんだ」
パンサンが神妙な声音で言った。
「パンサンさんも一度も見たことがないのですか?」
「ああ、皆ディスノミアという存在を認識はしていても、誰もその姿を見たことがない。俺も目撃したことは一度もないし、見たという話を聞いたことすらもない」
ユンファの問いに彼は答える。
この辺りが堂々と中心部の森を住処とし、生贄を捧げさせていたリーモスとは事情が違うようだった。
「……そうですか、でもなんとなく居所は分かるような気がします」
ラヴィアがぽつりと言った。
「善悪を逆転させるなんて社会の有り様に大きく干渉している以上、遠く隔たった地に居るとは考えにくいです。それに奴らは人間の負の感情を得ることを目的に行動しています」
「では、この李族隔離区域で現在もっとも人々を脅かしている存在といえば……”哈瓦那組”か!」
「あの大通りで男性に暴力を働いていた人たち……ですよね」
「誰も見たことがない以上、ディスノミアは人間に化けて社会の中に溶け込んでいる可能性が考えられます。その線で予測するなら、やはり哈瓦那組が怪しいかと。パンサンさん、彼らのアジトに案内してもらえないでしょうか」
「ああ、心得た」
そして三人は哈瓦那組のアジトを目指して歩を進める。
◇
李族隔離区域の北端には壮麗な建物が存在する。黒灰色の甍の屋根と、真紅の外壁に絢爛たる装飾が目を引く。屋根の両端にはおそらく朱雀を模したであろう金色の像が鎮座している。
此処にはかつて李族の王家が住んでいたと考えられるが、ディスノミアによる支配が始まって以来、幅を利かせた悪党どもが使うねぐらに成り下がっていた。
入り口には武器を構えた屈強な男たちが仁王立ちしていて、常人にはとても押し入れそうな様子ではない。四聖剣を持ち、荒事にも慣れているラヴィアであればそれも可能そうではあったが、彼女にはその気がないようだ。
今彼らはこの建物の後方、ちょっとした高台まで登って来ている。
「何をする気だ、ラヴィア?」
「文字通り燻し出します」
何のけなしに言うのであった。パンサンは、はっとした。
「あの暴行していた男は、今日は宴があるといっていました。全員かは分かりませんが、哈瓦那組構成員の大多数があの建物の中にいることでしょう」
そして背中の白い棍を下ろしつつ紅い扇に変化させると、それを眼前の建物に突きつける。
「さてやりましょうか、まあ相手は悪逆非道の限りを尽くしてきた連中です。ちょっぴりひどい目に遭ってもらいましょう。そもそも此処では”放火”は犯罪にはならないでしょうし」
「……たいした姫様だな」
パンサンは眼鏡を上げながら感心半分、驚嘆半分といった声を漏らす。別に哈瓦那組にくれてやる同情はなかった。奴らの横暴ぶりには随分と悩まされてきたし、堪忍袋の緒も限界であった。それ以上に、この杏族の姫君の豪胆さと気丈さに、どこか恐れ多い気持ちになっていたのだ。
ラヴィアは朱雀形態の扇を大きく仰ぐ。
――爆炎が巻き起こったかと思えば、それは建物を飲み込み大火災を引き起こした。
弾けるような、けたたましい音を立てて炎は建物を覆うように広がってゆく。空気が熱で陽炎の如くに揺らぎ、空は仄赤く染まった。やがて巣を損壊させた時の蜂のように、建物からはワラワラと人が飛び出して来た。みな押し合いへし合いしながら、我先にと外へ駆け出しているようであった。
「やはりとんでもない騒ぎになりましたね、ラヴィア様」
「……」
ユンファの声に応答せず、ラヴィアは黙って眼下のガラの悪い連中を観察している。
連中は一様に燃える建物を見ながら、わめき散らしている。その中にはひと際体格の大きなスキンヘッドの男がいた。
「ラヴィア、アレが哈瓦那組のボスである胡愛但だ」
「そうですか」
興味無げに返した。ラヴィアは一目見てあの男はディスノミアではないだろうと思った。立ち振る舞いは洗練さには程遠く隙だらけ。言動もやれ誰の仕業か調べやがれだの、やれ門番は何をしていただの、やれ犯人を血祭りに上げてやるだの、小者と言う他なかった。
そもそも隠れ潜んでいるなら、わざわざ権威的な立場の人物に成り済ますだろうか?
ラヴィアは飛び出して来た人物をつぶさに見極めていく。そして気になる存在があった。
少し離れたところに避難した女性たちが集まっているのだが、一人だけやけに落ち着いて見える女性がいた。端正な顔立ちで、少しウェーブのかかった紅く長い髪をしている。
女性は一見すると、他と同じように慌てふためいているような表情と仕草をしていたが、どうにも他に比べて隙が乏しいように感じた。表面上は慌てているだけで、内心はどこか落ち着いているように見えた。
「……アレかもしれませんね」
「見つけたのか?」
「九分九厘間違いないでしょうが、もう一つダメ押しをしてみるとしましょう。白虎、頼めますか?」
【承知致しました】
丁寧で紳士然とした声が聞えたかと思うと、聖獣白虎が肉体を顕現させた。話には聞いていても実際に見るのは初めてだったので、パンサンは思わず目を見開いて驚いた。
そして白虎は高台から颯爽と駆け出すと、ラヴィアが狙いを付けた女性たちの辺りにまでやって来る。そして鋭く眼光を光らせ、牙を剥き、獰猛な唸りを上げた。
「ひぃぃっ!」
「何、何、白い虎っ!?」
「だ、誰か、助けてぇ!」
「……」
やはりその女性だけは取り乱さなかった。
しかし驚きで目を丸くしてはいた。封印されているはずの聖獣が急に現れたのだから、無理もない反応だった。そしてその恐怖というより、意外による驚きの表情が、なおのこと彼女の正体を裏打ちしたのだ。
ラヴィアは四聖剣を白虎形態にすると、一気に空を駆けて急速に女性の元へと近づいた。そして悠然とした足取りで女性に相対峙する。
「――貴方がディスノミアですね?」
「……」
しばらく沈黙が通り過ぎた。
やがてファイダンが叫ぶように口火を切る。
「ディスノミアだって!?何馬鹿なことを言ってやがる!なあ、小蘭!」
「……」
ファイダンが女性に近づく。しかし突如、女性の脚が巨大な猛禽類の脚のように変貌したかと思えば、強烈な勢いで彼を蹴り飛ばした。
「ぐあああっ!!」
一切の容赦が見られない、完全に殺すつもりの蹴りであった。
もはや内臓も潰れているかもしれない。血を吐きながら倒れ伏し、信じられないといった目で女性を見上げる。
女性の髪はくすんだ山吹色に変じ、両脚は猛禽類のように、両手も巨大な翼に変わっていた。顔立ちは整っているが、人相は険しく気性の荒さを感じさせる。
「嘘……だろ……シャオラン、言ってくれたじゃねえか……腹に俺の子がいるって……俺に襲われて……俺の女に成れて、嬉しかったって……」
そんな虫の息のファイダンの頭部を、女性は荒々しく踏みつぶして絶命させた。
燃え盛る炎を背景に、皆凍ったように引きつった表情を浮かべる。
「ふん、所詮は人間という下等生物の真似事をして遊んでいただけ。実にくだらないひと時だった」
そう吐き捨てると、周囲が慌てふためくよりも先に、威圧するように高らかに宣言した。
「我が名はディスノミア!この李族隔離区域の主である!今まで隠れ潜みながら人間の負の感情を集めていたが、それももはや充分だろう……これよりお前たちの処刑を実行するとしよう!」
そして眼前の、自身の正体を暴いてくれた黒髪の少女に視線を送る。
「だがその前にお前の始末が先だ。その夜の闇のように黒い髪、そして聖獣を復活させていることから鑑みるに、杏族の姫君だな?なるほど、リーモスの気配が消えたのでおかしいとは思っていたが、お前の仕業だったか」
「その通りですよ。悪事ばかりを許容させ、社会的な営みをもれなく阻害する……人間の発展を妨げるだけのこの歪んだ社会は、私が叩き直します!」
白い棍を構え、ラヴィアは己の決意を述べる。
「ほざけよ!脆弱で矮小な人間風情がっ!」
ディスノミアは翼をはためかせ、急速な勢いで接近して蹴りをお見舞いしてきたが、ラヴィアは咄嗟に棍でガードした。ディスノミアはその反応速度が人知を超越しているような気がして、距離を取る。当然だ、ラヴィアは腕の力だけで棍を動かしたのではないのだから。
白虎形態の四聖剣は白い棍の形状であり、それ自体が推進力を発生させる。両端の好きな方から発生させることができ、どの方向に向かって発生させるかも自由自在だ。推進力を発生させた棍は飛行手段として使えるだけでなく、振り回して戦う際には推進力のオンオフを駆使することで異常な緩急を付けられる。
推進力の補助を受けつつ棍を素早く動かして、ディスノミアの蹴りを防いだのだ。
そしてラヴィアは敵が驚いている隙を見逃さず、一気呵成に距離を詰めると、目にも止まらぬ速度で棍を振り回す。体中に重い打撃を叩き込まれ、ディスノミアはたまらず空に退避した。
「くっ、リーモスを倒しただけはあるか……いいだろう、アタイの本気を見せてやるよ」
すると空に浮かぶ彼女の頭上に、幾つもの光の槍が生成された。
パンサンは、ディスノミアの裁きでもっとも重いものは光の槍で貫かれることだと言った。今空中に浮かんでいるのがそれだろう。
「死に浚せ!!」
次々と光の槍を地上に降らせるが、ラヴィアは推進力を発生させた棍に掴まりながら縦横無尽に空を駆け、そのすべてを躱しつつ上昇、ディスノミアが浮かんでいるポイントよりも更に高い位置へと躍り出た。
「なんだとっ!?」
敵が驚いている内にラヴィアは推進力の発生を逆向きにすると、一気に地上に向かって降下しつつ、
「玄武!」
と叫んで巨大な盾に変化。
真下のディスノミアに激突し、巻き込みながらもろともに地上へと墜落した。盾に下敷きにされ、血を噴き出している。
「があああああっ!クソが、離れろ!」
蹴っても蹴ってもビクともしない盾である。
ディスノミアは蹴破ることを諦めて、光の槍を降らせてラヴィアを倒そうとするが、危機を察知したラヴィアはそれより数段早く白虎形態に戻すと、後方に飛び退きつつそれを躱す。
その隙にディスノミアは距離を取ろうとするが、飛び立ち始めたところで、進行ルート上に白い獣が立ちはだかった。牙を剥き、唸りを上げる白虎である。
【往かせませんよ!】
「くっ、邪魔だ!」
蹴り飛ばそうとするが、聖獣を人間と同じように一撃で叩き伏せられるはずもなかった。
そうして生まれた大きな付け入る隙――
ラヴィアは逃すまいと白い棍を片手に飛び、一気に距離を詰め、
「青龍!」
と叫んで青白い刀剣でディスノミアの首を斬り飛ばした。
「馬鹿な……こんなことがある……はずがない……エリス様、お許しを……」
そう言ってディスノミアはこと切れた。頭部を失った体も、血を流しながらぐったりと脱力して動かなくなった。
ディスノミアが死んだ――
それはすなわち、逆秩序の終焉を意味する。皆それが理屈では理解できても、実感を以て理解できなかった。ただただ茫然と、転がるディスノミアの死骸と、悠然と佇む杏族の姫君を見つめている。
やがてユンファとパンサンも追いついてきた。いつの間にかアジトに放っていた炎も鎮火していた。
そして騒ぎを聞き付けて、隔離区域中の人々がこの場所に続々と集まり始めた。
ディスノミアが死んだ?
もう悪が栄える社会じゃなくなったのか?
俺たちはもう暴力に怯えながら暮らさなくていいのか!?
ディスノミアの死、逆秩序の崩壊――それはすなわち哈瓦那組の権勢の失墜を意味する。
周囲の喜色に富んだ様子が勘に障ったか、構成員の一人が殴りかかる。そしてそれを周囲の人々が制止する。そこに光の槍が降らなかったのを見て、残された構成員たちはいよいよ取り乱し始めた。
「クソが、なんだよこれ、なんで邪魔が入らねえっ!暴力こそが正しい世の中じゃなかったのか!?野生のそれと同じように、弱い奴らを踏みにじれる素晴らしい社会じゃなかったのか!?」
虚空を仰ぎ、虚しく叫び続ける。後ろから近づく杏族の姫君が諭すように言う。
「貴方は野生を勘違いしていますね。たしかに弱肉強食という面はあるでしょう。ですがあなた方のようにいぎたなく誰かを傷つけ、いじめ抜くような醜悪さはありませんよ」
ラヴィアはならず者フリーレを通して、野生社会の何たるかを知っていた。かつての仲間から感じ取っていたものを言って聞かせたのだ。
「ちくしょう、ちくしょう、俺たちゃこの先どうしたら……」
「やり直せばいいじゃないですか」
項垂れる男にラヴィアはきっぱりと言った。
「……やり直す?」
「人は過ちを犯すものです。ですから誰しもが軽はずみに将来を取り上げられたりせず、やり直す機会を得られるべきだと私は思います。何より今はもう、皆で協力して支え合ってゆける社会になったのですから」
これもまた正義の神の受け売りであった。
【そこの杏族の姫君――ラヴィアの言う通りだぜ!】
突如声が聞えた。皆が空を仰ぎ見ると、神聖な光の中で羽ばたく紅い聖鳥――朱雀が復活を果たしていた。
いよいよ混乱していた哈瓦那組の構成員たちも、敬虔な信徒のような純粋な瞳をして、上空の聖なる存在にひれ伏していく。
それ以外の人々も涙を流しながら、朱雀様、朱雀様、と感動に打ち震えた声を漏らしながら一様に跪いた。
【李族のみんな、すまねえな。俺が不甲斐ないばかりに、お前たちには随分と苦しい想いをさせちまった。だがな、どんな状況であれ、人の生命を尊厳を踏みにじるのだけはあっちゃならねえ!ディスノミアはそれを許容する歪な社会を作っていたが、それも今日で終いよ。これからは皆で力を合わせて明るい未来を作っていこうぜ!】
朱雀の明るい声音が伝播したかのように、皆の顔も喜びに輝いた。




