第169話 飢餓のリーモス③
リーモスを討滅し櫻族は解放された。大地の活力も復活し、ラヴィアは人々に播種を指示する。
集落へと帰還を果たしたラヴィアは、中心部の開けた場所にリーモスの首を晒す。篝火を焚いて目立つようにする。そしてできる限りの住民を呼び寄せ、事の顛末を喧伝する。
なんで杏族がこんなところに……
本当に黒い髪をしてるんだ
あれは、リーモスの首じゃないか!
俺たちはあの化け物から解放されたのか?
人々は混乱した様子で、事態の把握に努めている。そんな意思の迷走を収束させるべく、ラヴィアは毅然とした声音で伝える。
「皆さん、聞いてください!あなた方を苦しめていた元凶、リーモスは死にました!リーモスが奪っていた土地のエナジーが戻り、大地が息を吹き返しています!」
白い棍を片手に付きながら、彼女は指導者の如くに振る舞う。
「今こそ麦を、豆を、高粱を植えるのです!」
集落の中には一軒、他のあばら家に比べて少しばかり立派な建物がある。いわゆる権力者の邸宅だ。この集落には村長のような立場は存在しない。”恵みの刻”で最も多くの富(すなわち食糧)を確保することに成功した者がそのまま権力の座に収まれるのだ。この飢餓地獄では食糧こそが唯一無二の価値であり財産であった。
つまりこの場所にこそ、もっとも多くの穀物が貯蔵されている。
ラヴィアはこの邸宅に押し入ると、有無を言わさず麦や豆を収めた俵を運び出し始めた。他の者にも指示を出して、テキパキと動かせる。動けそうな人々に予め協力を依頼していた。
騒ぎを聞きつけて家主らしき男がやって来る。他の者より明らかに栄養状態は良好であった。
「なんだなんだ、いったい何の騒ぎだ!」
「貴方がここの家主ですね?リーモスは倒しました。大地がかつての活力を取り戻したのです。今こそ播種の時なのです」
ラヴィアは男に凄まれても揺るぎない。
「……!誰がそんな与太話を信じろと」
言われてみれば、土から活力を感じるような気がする。只事ではないことが起きていそうなことは、この男にも分かることであった。しかし自身の財産が否応なく持ち出されていることには我慢ならなかった。
「おい止めろ!俺様の食糧を勝手に持っていくんじゃねえ!」
「……別に構わないでしょう?」
ラヴィアは取り合わず、周囲に指示を出すことを止めない。
「私は既に聞き及んでいますよ。前回の”恵みの刻”で最も多くの食糧を奪取することに成功した者が、そのまま権力の座に収まれることを。要は力ずくで得た立場、私が力ずくで奪い去って何の問題があるのですか」
「ぐうっ……!てめぇ!」
無理矢理にでも制止しようかと思ったが、目の前の小柄な少女にはどうにも異論を挟ませない凄みがあった。男がたじろいでいると、少女は表情を少しだけ柔和に変じた。
「それに此処に有る穀物……今植えれば何倍にもなって返って来るでしょう。そして人々に気前よく分け与えれば、貴方も晴れて皆の人気者ですよ。ここでケチケチしていたら、一生疎んじられたままでしょう」
「……嘘だったら、承知しねえぞ」
「大丈夫ですよ、私を信じてください」
迷いの無い声で言う。この男に自分をどうこうできると思っていなかったのもあるが、それ以上にラヴィアは上手くゆくことに確信めいた念を抱いていた。
◇
夜を通してできる限りの播種と水撒きをした。
そして朝陽が昇り、光が溢れて幾ばくか経った頃、信じられない光景を見る。
種を蒔いた場所に一様に、麦が、豆が、高粱が実を付けていた。麦穂も豆の鞘もたわわに実っている。それは目を見張るばかりの豊作であった。
人々は驚き、そして狂喜して表へと駆け出した。昨日までは弱り切っていた者たちも、どこか軽快な足取りで進んでいく。そして石包丁や鎌で収穫を始めていく。
「これは奇跡でしょうか……まさか生きている内に、こんな光景が見られるなんて」
ユンファは感激に涙を流しながら、人々の収穫の様子を見ている。傍らのラヴィアが語り掛ける。
「作物が一日とかからずに実を付ける。この奇跡は、おそらくリーモスを倒した直後だからでしょう。リーモスが溜めに溜めていた膨大なエナジーが一気に大地に戻ったからこそ……」
そして踵を返しながら言葉を続ける。
「……次第に実を付けるのにも日数がかかるようになっていき、やがて普段通りに収穫までには数月を要するようになると思います。ですがもうここは作物のロクに実らぬ凶作の土地ではありません。実り豊かな豊穣の土地です」
やがて人々が穀物を収穫して、嬉しそうに戻って来る。辛抱堪らずそのまま食べ出しそうな者も見受けられたので、ラヴィアは大声で呼びかける。
「収穫した実はそのまま食べないでくださーい!消化に悪いです!粥にします!粥にしますので、向こうの建物に持って行ってくださーい!」
彼女は前もって、そこに竈の火を入れて、炊飯の準備をしていた。竈も釜も長らく使用していなかったのか、ひどく古びていたが急いで掃除した。そして動ける者に頼んで、集まった穀物を手分けして炊いていく。
出来上がった粥はすぐさま人々に振る舞われた。塩だけで調味した簡素な粥だった(この飢餓地獄でも水と塩には困っていなかった。水に関しては清水の流れる川があり、地下水も採れる。塩も小規模だが川と反対方向に岩塩鉱脈があった)。
実に粗末なものであったが、今までまともな食事に有り付けていなかった彼らには天の食物に等しかった。彼らは感激のあまり嗚咽のような声を上げながら、粥を口に運んでいった。
「かっこまないでくださーい!内臓が痙攣して死にますよー!ゆっくりとよく噛んで食べてくださーい!かっこまないでくださーい!」
ラヴィアは大声で注意喚起をしながら歩き回る。
彼女は杏族であり、見知らぬ余所者であるはずだった。しかし今この瞬間、彼女は紛れもなく彼らの指導者であった。
◇
そうして食事も終わってしばらくした頃、ラヴィアは櫻族の民たちを広場に集めた。彼らに向かって話を始める。
「皆さん、もうリーモスはいません。一日で作物が実るのは今日限りでしょうが、今後も作物はちゃんと実ることでしょう。山の木々が戻ればやがて獣や魚も戻って来るはずです。これからはどうか皆で力を合わせて生きてください。奪い合うことも、独占することもなく、皆で助け合って暮らしてゆくことを私は望みます」
その声にはカリスマがあった。正義によって為される社会を希求する力強さと慈愛があった。何より実際にリーモスを倒し、飢餓を終らせ、先ほどまでも卓越した指導者ぶりを発揮していた。
もはや彼女の振る舞いに異論を挟むものなど誰もおらず、皆一様に崇高な者を仰ぎ見るかのような視線を送っていた。
そして彼らは更に崇高なものを見る。突如大地に神聖なる煌めきが起こったかと思うと、それが大きな四足獣の形を成した。真っ白い毛皮に黒い虎模様が入っている。
それは復活した白虎であった。
【我が愛しき櫻族の民たちよ……よくぞ、よくぞ三百年の永きに亘る苦しみを耐え、今日まで生き残ってくれました】
穏やかな白虎の声音。人々はいよいよ感極まって、滂沱の涙を流し始めた。
あれは伝説に聞く我らの守り神、白虎様か!
なんと神々しきお姿か!
リーモスが倒されるばかりか、白虎様まで復活されるとは!
今日はなんてめでたい日なのでしょう!
【そこにおわします杏族の姫君……ラヴィア様のおっしゃる通りです。これまでは極限状況下で仕方のない面もあったでしょう。ですがあなた方は誇り高き民族です。今後は皆で助け合い、支え合って暮らしてゆけるはずです。我が加護は常に共に在ります、栄え有る未来が来たることを信じています】
人々は守り神の言葉を拝聴しながら、ただただ歓喜に打ち震えるばかりだった。
それから程なくして、かつての櫻族隔離区域の辺境にラヴィアの姿があった。
「さてと、次に近いのは南の李族の隔離区域ですかね」
【ああ、その通りだぜ!】
「リーモスの話では、李族はディスノミアという怪物に支配されているようです。油断せずにいきましょう」
彼女が今に歩き出そうとしていた頃、背後から駆け寄って来る足音があった。
それは昨晩生贄にされるはずだった少女――趙雲花であった。
「ラヴィア様、往かれるのですね……」
「はい。今度は南の盆地に赴き、李族を解放します」
振り向き応答するラヴィア。
ユンファは少したじろいだ様子の後、意を決したように力強い声で言う。
「――お願いしますラヴィア様、私も連れて行ってはくださらないでしょうか?」
その声音は、初めて出会った頃の弱々しさを払拭していた。
しかし危険な旅である、二つ返事で了承はできない。
「……私は苦しんでいる他部族を解放する為に旅に出るのです。それは必ずリーモスのような化け物との戦いになります。確実に危険な旅になるでしょう、それでも付いて来たいのですか?」
「構いません、私はどうせ昨夜死ぬ予定でした。それに私には家族も残されておりません。せっかく救って頂いた命、粗末にするようで申し訳ないですが、私はどうしても見たいのです。貴方様が辿るその旅路の果てを――」
目を覗き込む。揺るぎない瞳だ。目の前の痩せた少女の瞳に、揺るぎなく力強い光が宿っているのを見た。
「それともお役に立てることとかないでしょうし、やっぱりダメでしょうか……?」
「……」
ラヴィアは断る気にはなれなかった。何より、力無き身で危険を承知で旅への同道を願い出る、これはまさにかつてラヴィアが正義の神に対してしたことであった。
(思い出すなあ、私がマグナさんの旅に無理矢理付いていった時のことを。まだ半年も経っていないはずなのに随分と昔の出来事のように感じられます)
非力な身で旅への同道を懇願していた自分が、今や逆の立場になっている。ラヴィアは奇妙な感覚に陥りながらも、不思議と悪い気はしなかった。
「構いませんよ、私もかつては力無き身で旅に出るという無茶をしていました。貴方の強い決意を否定するつもりは私にはありません。共に往きましょう、ユンファさん」
「……!ラヴィア様、ありがとうございます……!」
ユンファは深々とお辞儀をした。
ラヴィアは「白虎!」と虚空に語り掛ける。程なくして肉体を取り戻した白虎が姿を現す。
【お呼びでしょうか、ラヴィア様】
「頭数が二人になったので、四聖剣での移動が難しくなりました。背中に乗せてもらってもよいでしょうか」
【ええ、構いませんよ。存分にお掛けになってください】
そう言って白虎は屈んで、乗りやすい姿勢をとる。ラヴィアは白い棍を背負ったまま、颯爽と白虎の背に乗る。そしてユンファに向かって手を伸ばした。
「さあ、乗ってください」
ユンファは救い主であるラヴィアの手を掴むことや、聖獣である白虎に乗ることに恐れ多い気持ちを抱きつつも、決意の眼差しで以てラヴィアの手を取った。
そして引っ張り上げられ、ラヴィアの後方に乗る。
「落ちないようにしっかり掴まっていてくださいね」
「……はい!」
ユンファは喜色に富んだ声でラヴィアの体に腕を回す。あの生気の無い顔をしていた少女がここまでの笑顔を取り戻せたことを、ラヴィアは嬉しく思った。
「では参りましょう!目指すは南の盆地、李族の隔離区域です!」
高らかな掛け声の後、二人の少女を乗せた白い聖獣は軽やかに山野を駆け出していった。




