第168話 飢餓のリーモス②
櫻族を飢餓地獄から救うべく、ラヴィアは自ら生贄となった。そして彼女の元に巨大な怪物――リーモスが姿を現す。
その日の夜更け、場所は櫻族隔離区域の中心部にあたる。
そこはリーモスの住処の森である。森の中にある粗末な小屋の中で、生贄となる者が待機しておくのが習わしであった。この一帯はまだまだ草木も残っており、いくら飢えていても人々は恐れ慄き普段から近づかないことが伺えた(だからといって食糧に適した動植物はとんと見られない)。
虫や鳥の声も無い、玲瓏たる月夜の下で、突如大きな足音が聞こえ始める。明らかに人間ではない音……それも脚二本だけでは出せそうもない騒がしさであった。
――あばら家を見つめているのは、巨大な蜥蜴のような出で立ち。
しかし脚は三対、つまり六本存在し、頭部は人間の女性のような形をしていた。それは見目麗しさとは程遠く、年老いた醜女といった様相であった。島田髷のような髪型で、瞳は無く白目ばかりである。口は耳まで裂けている。
「おいで、今宵の生贄や……おいでやおいで」
不気味な声音が響く。ニタニタと笑っている。
このような化け物に見つめられている状況下では、常人では正気を保っていられないだろう。事実、これまでの生贄は皆この世の終わりのような表情で恐怖に竦みながら出て来るか、あるいはすべてを諦めた死んだような無表情であるのがお決まりであった。
そういった追い詰められた弱者をさらに痛ぶり、苦しみの悲鳴を聞くことがリーモスの何よりの楽しみであった。
ところが今宵は事情が違った。
あばら家の扉が何のけなしに開いたかと思うと、現れた黒髪の少女はとくに怯えた様子も無く、平然と挨拶を告げた。
「……どうも、生贄です」
「……」
怪物は明らかに面食らっていた。
まず櫻族は雪のように白い髪をしている。黒い髪の少女が生贄として出てきたことがそもそもおかしいのだが、それ以上にその少女が実に落ち着き払っていることがリーモスには意外であり、そして不快であった。
しかしひとまずは現状の謎を解き明かそうとする。
「……何だいアンタ?その夜の闇のように黒い髪、アンタ杏族だね?ここにゃ櫻族しかいないはずだけどいったい何処から入り込んだんだい?」
「……」
ラヴィアは答えない。答える義理などないからだ。
「大方迷い込んだ他部族を犠牲にして、自分たちは助かろうって魂胆かねえ。ひどい奴らだよ、まったく」
「……」
ラヴィアは何も答えない。
「どうしたいんだい、アンタ?ずっと黙って突っ立って。アタシが恐ろしくって、身が竦んじまってんのかい」
「…………目が腐ってるんですか?」
ラヴィアはようやく、それもドスの効いた声で返答をした。
「どこをどう見たら、私が怯え竦んでいるように見えるんですか?脳にウジでも沸いてるんでしょうか」
「何だい!アタシに向かって、その口の利き方は……」
「――――私は、怒っているんですよ?」
すわった眼でリーモスを睨み付ける。
目の前の人間、それも小柄な少女からこれほどの威圧感を感じるのは、リーモスにとってこの三百年間で初めての経験であった。むしろ自分の方が怯え竦んでいるような気になったが、錯覚だと言い聞かせる。
有るはずが無いのだ、目の前の非力そうな少女に対抗する力など。きっとただの強がり、虚勢であるはずだった。
「だったら何さ?まさかアンタ、このアタシを倒そうってんじゃないだろうね」
「いちいち言わないと状況が分かりませんか?私はアナタを討滅し、櫻族を解放しに来たんです。延々と続く飢餓で彼らを苦しませる――そんな悪しき所業は今宵でお終いです」
ラヴィアはそう言って、背負っていた白い棍を両手に構えた。
「集落を見てきましたよ。誰も彼も枯れ木のようにやせ細り、土や木の皮まで食べる始末。挙句の果てには共食いまで起きていました。よくも、よくもこんな地獄を創り出せたものですね……!」
「ハンッ、当然だろう。我らが主、エリス様は人間の負の感情をお望みなのさ。絶望、憎しみ、哀しみ、苦しみ……あの飢餓地獄から生まれる負の感情は実に良質だった。まあ文句はエリス様に言うんだね、アタシゃ知らないよ」
「他人事で言えたものですか!罪は贖われなくてはなりません、貴方には裁きを受けて頂きます……!この桃華帝国に悪を裁く存在が無いならば、この私が裁きます……!」
ラヴィアはかつてのマグナのようなことを言っていた。彼女はまさに今、正義の神の使徒として邪悪に相対峙していた。
リーモスは不愉快そうに顔を歪めた後、その巨体を勢いよく跳び上がらせた。
「やれるものならやってみな!身の程知らずの小娘がっ!」
少女の小柄な肉体が今に易々と引き裂かれる――リーモスはそんなビジョンを思い描いていた。
しかし現実は、そんな想定を何周も上回っていた。
ラヴィアは「玄武!」と叫んで持っていた棍を盾に変化させると、リーモスの攻撃を受け止めた。衝撃すらも吸収され、ラヴィアの体は吹き飛ばない。そして間髪入れずに「青龍!」と叫んで剣の形態に変えると、リーモスの左二本の脚を斬り落とした。
「ぐぎゃああっ!馬鹿な……!」
驚き叫ぶ怪物。しかし苦しみもがくのも束の間、リーモスは大きな口をあんぐりと開けると毒液を大量に吐き出し始めた。
滴り落ちた足元の草が、ジュウウという音を立てて溶解する。
しかしラヴィアは「朱雀!」と叫んで剣を扇に変えると、突風を起こして毒液を撥ね返した。
「ちいっ!何だい、これは!」
撥ね返って来た毒液と猛風に気を取られている間に、「白虎!」という声が聞えた。
風が止み視界が明けると、リーモスはラヴィアの姿を見失っていた。キョロキョロと視線を動かして少女の姿を捕捉しようと努める。
(……くそ、忌々しい!奴は何処だ!)
その時、上空に気配を感じる。
(もしや……!上かい!?)
見上げると月明りに照らされながら、白い棍に掴まって空に浮かぶラヴィアの姿があった。
しかし気づいた時には遅かった。少女は棍の推進力の発生を反対側の端に切り替えて、猛スピードで地上のリーモスに迫ると、力強く叫んだ。
「青龍!」
青白い刀剣を振るい、リーモスの体を横切りつつ、くるりと回って着地する。背後には胴体を真っ二つに切断された大蜥蜴の姿があった。
「ぎゃああああああああっ!!馬鹿な……そんな馬鹿な……!」
下半身から分断されて、首回りと右の前脚だけになったリーモスの頭部は、驚愕に目を見開いている。
ラヴィアは青龍形態の四聖剣を構えて向き直り、リーモスにとどめを刺そうとにじり寄る。
「何だい、アンタのその力……!このアタシが、こんな小娘にやられるはずが……いや、このクソ忌々しい聖なる気配、覚えがあるぞ……」
リーモスは思考に顔を歪めた後、ぎょっと目を見開く。
「……もしや聖獣の力かい!?しかし奴らは三百年前に、エリス様にビビリ散らして逃げ惑っていた四部族の王たちによって封印されたはず……王族の封印を解けるのは王族だけ……まさかお前は杏族の王家の血筋か……?」
「死に瀕しながらもよく喋りますね」
ラヴィアはリーモスの頭部の前に立つと、四聖剣を振り上げる。
「ククク、アタシを倒したくらいでいい気になるんじゃないよ。お前は他でもない、大いなる争いと不和の神エリス様に喧嘩を売ったんだ!きっと凄惨な末路を辿ることになるだろうね!エリス様に適うはずがないし、エリス様の眷属――我が同胞は他にも居る。李族を支配するディスノミア、梅族を支配するアンドロクタシア、杏族を支配するレーテー……アンタは、アンタはそのすべてを分不相応にも敵に回し……」
「うるさいです」
四聖剣をばっさりと振り下ろし、リーモスの首を切断する。「おの……れ……口惜し……や」と最期の言葉を残して、リーモスは絶命した。上半身も下半身も、ぐったりと動かなくなった。
「最期の最後で情報提供をありがとうございます。とりあえずディスノミアとアンドロクタシアと、レーテーというのを倒せばいいのですね」
そう言いながら、剣を振るって血を落とすと、四聖剣を白虎形態に戻して背負う。
この先どうしようかと考える。リーモスを討伐した証拠を櫻族の人々に示すべく死骸を運ぶことを考えたが、いかんせん丸ごと運ぶには大きすぎる。
(全身はとても運べないですね。倒した証に頭部だけでも持っていきますか。凶悪な人相だし、血も滴っているのでだいぶ気色悪いですが)
それでもお屋敷暮らしをしていた頃の自分ならば、このリーモスの死骸を見ただけでも腰を抜かしていたことだろう。それが平常心で以てこの惨憺たる死骸を眺めていられるばかりか、そもそも戦闘を自身独りで切り抜けたのだ。我ながら目を見張る程の成長であった。
だからと言って、慢心する気にはなれなかった。リーモスの弁の通り、エリスの眷属はまだまだ居るのだし、そのすべてを討滅しても更に強大であろう邪神エリスが待ち受けている。
ラヴィアは決着早々、心を新たに次に向かう覚悟を決めていく。
――そんな中で、ラヴィアは異変に気が付いた。大地からエナジーのようなものを感じる。反してリーモスの死骸からはみるみる生命力が弱まっていくようであった。
(これは……大地が息を吹き返している……?)
この櫻族隔離区域では作物がロクに実らず、獣や魚も異常に少ない。その根本的原因は、リーモスが土地のエナジーを吸い上げていたことにあった。この土地の産土神でもある白虎の肉体の力を悪用することで、それを可能としていた。
そして”恵みの刻”は、奪ったエナジーを少し戻してやることで実現していたのだろう。
リーモスが死んだ今、溜めに溜めたエナジーが一気に放出された。大地は生命力に溢れている。
(もしかして、今なら……)
ラヴィアは、リーモスの頭部を掴み上げると、そそくさとその場を後にした。




