第167話 飢餓のリーモス①
ラヴィアは櫻族の隔離区域に到着する。そして彼女は、櫻族の人々の凄惨な暮らしを目の当たりにする。
そこは山奥にしては不自然な光景だった。
まず木がまばらなのである。それに生えている木は葉が抜かれていたり、皮がところどころ剝がされている跡が目立った。
全体としてハゲ山のような印象を受ける場所だった。
「何でしょうここ……?木が少ないですし、それも葉や皮が剥かれたものばかりです」
【異様な光景だな】
【注意するのじゃ、姫よ】
地に降り立ち、そのハゲ山に近づいていく。景色が陽炎の如くに揺らぎ始める。
「これは……?」
【おそらく結界です。この地域は私の縄張りでしたので、私の肉体を媒介に櫻族を閉じ込める結界を作り上げているのでしょう】
【俺たちの力を悪用しやがって!気に入らねえぜ、邪神どもめ!】
聞いていて、確かに目の前の揺らぎからは奇妙な力を感じる。往く手を阻むような感覚だ。
【この結界のせいで外へ逃げることもできなければ、外から誰かに助けに来てもらうこともできなかったのじゃろう。じゃが姫よ、四聖獣の加護を受けたお主ならば中へと入って往けるはず。おそらく中では櫻族の者たちが凄惨な暮らしを送っていることじゃろう。心して往け】
「……はい」
そうしてラヴィアは意を決して歩を進めた。揺らぎは少女の体を阻むことなく、その侵入を許した。
◇
そこは例えるならば墓地を乱雑に掘り返したかのような場所だった。
ところどころに供養されることもなく骨と化した死骸が散らばっている。それも体の各部が分解されたように散乱していて、五体満足に繋がっている骨など、とんと見つからないのである。
散らばる骨がまるで道標のように連なっている。
ラヴィアは獣にでも喰い荒らされたのかと思ったが、初めに見たハゲ山の光景を思い出してもっと嫌な予感がした。進むのをためらう気持ちが募る。それでも足を止めるわけにはいかない。
遠くに集落のようなものが見え始める。いつの間にか夜になっている。しかし星明りもさほどではないというのに、集落は明かりが目立たなかった。
いよいよ生えている植物はまばらになり、かろうじて生えている木もごっそり葉が抜かれて皮が剝かれている。地面にはやたらめったら掘り返された跡が目立つ。
――そしてラヴィアはいよいよ見たくもないものを見てしまった。
瘦せこけた、まるで地獄に住まう餓鬼のような出で立ちをした人間が屈んで、何かを一心不乱に食べている。手脚はまるで枯れ木のように細く、腹だけは異様に出ている。
何を食べているのか、暗がりなのでよく伺えない。しかし人間の足のようなものが見えた気がした。
ラヴィアは顔をしかめてその場を通り過ぎた。
(この場所は……もしかして……)
やがて集落へと至った。
しかし明かりどころか、人の活気もあまりに乏しかった。家屋も荒れ果てている。
痩せこけた生気の無い人間がふらふらと行き交う姿が目に映る。町中でも当たり前のように人骨が散乱している。ラヴィアは亡者の世界に迷い込んだような気分になった。
【姫よ、櫻族は相当酷い目に遭わされているようじゃな】
「ええ、直視に堪えませんね」
ラヴィアが予想を上回る凄惨さに立ち尽くしているところ、背後から近づく足音を聞く。
「黒い髪……私たち櫻族とは違う……もしかして貴方は外から来たのではありませんか?」
振り返ると、雪のように白い髪をした少女の姿があった。年は十代半ばくらいだろうか。ひどく痩せているが周囲の大人たちよりかは幾分かマシに見えた。
「もしや……!もしや……!外へと出られるようになったのでしょうか!?」
少女は駆け寄りラヴィアの肩に手を置いて詰め寄る。しかし声も力もひどく弱々しい。
「いいえ、私は外から無理矢理入って来たのです。あなた方が外に出るには、この地に住まう怪物を倒す他にないでしょう」
ラヴィアはきっぱりと事実を伝える。
少女は、そうですか――、と肩を落としつつ零した。怪物が倒される未来なぞ欠片も期待していないようだった。
「私は杏族のラヴィア・クローヴィアという者です。聞かせてください、この地ではいったい何が起こっているのでしょうか」
「杏族……!他の民族の方を見るのは初めてです……!私は趙雲花と申します。この地はリーモスという化け物に支配されているのです」
その少女、ユンファはこの地で何が起きているのかを話してくれた。
リーモスという化け物の力で、ここいらの土地はロクに作物も実らず、魚や動物も採れないのだという。結界が有るため外に逃れることも叶わず、少ない動植物を奪い合って生きているのだそうだ。
最初に見たあのハゲ山の光景こそが、事態の凄惨さを物語っていた。
しかし作物がまったく取れないワケではないらしく、幾ばくかの麦や豆は貯蔵されているのだという。そしてその少ない穀物を細々と減らして食い繋いでいくのだが、それが満足にできるのは権力者のみであるらしい。立場の低い者は既に見たように、死骸を貪るか、山をハゲさせてゆくしかないのだろう。
二人が話していると、遠くで力尽きて倒れる人を見る。それを見つけた周囲の人がワラワラと群がり始める。
「あれは……」
「……見ない方がいいですよ」
ユンファは親切心からか、ラヴィアの視界を遮ろうとする。
ラヴィアは当初助けるのかと思ったが、考えが甘かった。群がる一人が石を両手で抱え上げると、その倒れた人の頭部に叩き付けた。絶命させると共に、頭蓋を割っているのである。そして割れたことを確認すると、人々は我先にと頭部に殺到した。
「……!!」
ラヴィアの心を、ひたすら哀しい気持ちと、沸々と沸き上がる怒りが席巻する。
――大飢饉。
櫻族を苦しめるものの正体がそれだ。
「一度力尽きたらもう助かる見込みはありません。なにせ栄養も摂れないですし、薬も無いんです。だからああなってしまうんです。仕方がないんです、他に食べる物が無いのですから……」
「……」
ラヴィアは一つ疑問に思う。
ここまで凄惨な飢餓状態で、三百年も絶滅することなくいられるのだろうか。
何かワケがありそうな気がしていると、ユンファの口からその答えを聞かされる。
「でも、月に一度だけ”恵みの刻”が来るんです」
「”恵みの刻”?」
「毎月一日だけ、食糧が豊富に採れる日があるんです。たくさん作物が実る場合もあれば、兎や鶉の群れが迷い込んで来ることも、川に魚の群れが現れることもあります。ですが、私はあまり”恵みの刻”が好きではありません。その日は決まって、食糧を巡って殺し合いが起きますから……」
「……」
何故”恵みの刻”などというものがあるのか、ラヴィアには合点がいった。
邪神は負の感情を糧にしていると、四聖獣から聞かされている。全滅されては困るのだ。苦しめはしても、死に切らないように図っているのであろう。これもまたラヴィアに怒りを感じさせた。
「それに”恵みの刻”はただでは起きません。毎月一人、生贄を捧げる必要があるんです」
「生贄……!?」
ラヴィアは頓狂な声を上げた。リーモスという怪物はどこまで彼らを苦しめるつもりなのか。
「生贄は誰でもよいワケではありません。元々死にそうな人を捧げても、かえってリーモスの怒りを買うだけです。そうなると作物は更に減ってしまいます。生贄は若く、ある程度健康状態が良い者が喜ばれるのです」
聞いていてぎょっとした。
不思議に思っていたのだ。何故ユンファは、周囲の人たちに比べて多少栄養状態が良さそうに見えるのか。権力者、という風でもないのに。
そう思っていると、ユンファが答え合わせのように、
「……今月の生贄は私。今宵、私は生贄として捧げられるのです」
と諦観に満ちた眼差しで呟いた。
人生を諦めた目、未来に何一つ期待などしていない目である。
「貴方はそれで良いのですか?」
「……いいんです。私にはもう家族はいませんし、こんな思いをしてまでもう生きていたくないんです。私が死ぬことで、他の皆がお腹を満たせるのなら、それで」
「良くないです」
ラヴィアはきっぱりと言った。どうしようもなく、むかっ腹が立っていた。
そして白い棍を背負いながら、彼女は集落の奥に進もうとする。
「……どちらへ?」
「ユンファさん、貴方が死ぬ必要はありませんよ。生贄なら私がなります」
それを聞いて、ユンファの目が見開く。
「駄目です!ラヴィア様は杏族でしょう、これは私たち櫻族の問題なのです。余所の方にご迷惑はかけられません。それに他部族を犠牲にしたとあれば、リーモスにどんな酷い目に遭わされるか……」
ユンファは駆け寄ってラヴィアを止めようとする。しかしラヴィアはそんな彼女の痩せこけた頬に両手を添えると、瞳を覗き込みながらこう言った。
「いいですから、私に任せてください。望んでもいない未来に固執するのはもう止めましょう。大丈夫です、私が必ず取り戻します。貴方が一度諦めた、素敵な未来を――」




