第162話 生きる意味
まさかの深淵部隊の壊滅にとまどうリドルディフィード。そしてヴィーザルは独り、戦いの意義、生きるということの意味を思い悩む。
カウバル城の玉座の間で、皇帝リドルディフィードは戦の趨勢を見物していた。
此度の戦は終結した。その結果に動揺し、荒々しく傍らの卓を叩いた。載っていたワインボトルとグラスが音を立てて床に落ちた。ガシガシと髪を搔き乱す。
「クソッ!なんということだ、まさか深淵部隊が敗れるとは……」
【……】
こうなるのは目に見えていたのだから自分や精鋭部隊を動かせば良かったのに、バエルは胸中でそう思っていたが言葉に出すことは憚った。
そして皇帝は本気で悔しがっているが、であれば何故、自覚しながらもところどころで手を抜くようなことをしていたのか?エリゴスやウァラクの勝手を許したり、バエルたちを動かさなかった理由……
早い話が、それはゲーマー特有の病のようなものである。敵の手の内が見たかったり、せっかく育てた仲間のお披露目をしたいが故に、本気を出さずにダラダラと戦うような、そのような病であった。
彼は先遣部隊を返り討ちにしたラグナレーク王国の実力をもっと見極めたいと思っていたし、同時に此度の戦を手塩にかけて作り上げた深淵部隊を活躍させられるまたとない機会だと考えていた(今までの戦は一方的な蹂躙になるばかりで、見ていて面白いものではなかったのだ)。
彼は決して戦いに勝つつもりがなかったわけではない。
しかし上述したようなとにかく楽しむ癖が、深淵部隊の敗北という結果をもたらしてしまったのだ。
そしてこのような話を傍らに控えるバエルやストラスに話したところで理解は得られまい。
皇帝はただ苦悩げに床を見つめるばかりであった。
「お気に入りの部隊だったのに……おのれラグナレーク王国め!恨みと哀しみで、俺の心が破壊の衝動で満ち溢れそうだ……!」
玉座に座りながら歯噛みする。そして乱暴に卓を遠くに蹴り飛ばした。
「それにヴェネストリア州を失うということは、国土面積が世界二位に転落するということ!おまけにワインや生ハムもこれまでのようにタダ同然での調達ができなくなる!日々の楽しみである晩酌までも台無しにしてくれるとは!許せんっ!」
「……」
己の不手際、敵を舐めているとしか思えない姿勢、それによって戦死した仲間たち。しかし皇帝の言葉はそれらへの謝罪でも反省でも手向けの言葉でもなければ、己の不満と無念ばかりだった。
ストラスは色々言いたくなる気持ちを抑えつけて、ただただ皇帝の様子を伺っていた。
皇帝はひとしきり荒れていた。
やがてそれも収まって来た頃、バエルとストラスが今後の話について言及する。
【リドルディフィード様、コノ先ハドノヨウニイタシマショウ?既ニ偵察部隊ノ方カラ魔軍ノ全構成員ヘ、ヴェネストリア州カラノ撤退ヲ指示シテオリマスガ】
「ヴェネストリア州を奪われた以上、次に敵は北のビフレスト方面と西のヴェネストリア方面の二方向から攻めて来ることが考えられます。ダンタリオンの意見も伺った方が良いかと思いますが、手遅れにならない内に急ぎマッカドニア州にて戦闘準備を進めておくのがよいかと」
「……そうだな。まだマッカドニア州があるから、連中がすぐさまこのザイーブ州にまで来ることはないだろう。だが早い内に手を打っておかねばなるまい」
やがて皇帝は憂いの陰りを払拭すると、決意の言葉を力強く叫ぶ。
「ラグナレーク王国め、次こそは手抜かりなぞせん!もう余興を楽しむ姿勢も捨て去ることにしよう……全身全霊を以て、奴らを蹂躙してくれる!ラグナレークの名の通りに、奴らに滅びの末路を辿らせてやる!」
その表情は邪悪に、邪悪に歪んでいた。
◇
夜の帳に包まれ、戦士たちは疲労の中で深い眠りに落ちる。
周囲が泥のように眠る中で、ヴィーザルだけはなかなか眠りの淵に誘われずにいる。
篝火のパチパチと弾ける音だけが聞こえる。
「……」
彼は考えていた。生きるということの意味を。
人は何故に生きる?幸せになる為か?
清く正しく真面目に暮らしていれば、幸せは壊れない。
そう思っていたが、街が壊滅したあの日、家族が死んだあの日にそれは夢想だったと気づかされた。
そしてあるならず者曰く、人が死ぬのはごく当たり前のことであり、世界は決して人間の為に誂えられたものではなく、様々な艱難辛苦にえてして揉まれるものだということを教えられた。
雨が降れば雨に打たれ、風が吹けば風に巻かれる。
世界の正体がその通りであることは認識した。
では何故人は生きるのだろう?
これほど幸福がたやすく壊され、命が軽く踏みにじられるこの世界で。
生きること自体に意味があるとでもいうのだろうか?
しかしフレイは仲間を守る為に自ら死を選んだ。
自分が生きたいだけなら、あのレーヴァテインに乗って遠くへ、遠くへ、逃げ出してしまえばよい。
それをしなかったのは、自分よりも仲間を生かしたかったからだ。
仲間の為とはいえ、自身の命を捨てられるのなら、生きること自体に意味はないということ。
そして守られた仲間たちも、戦いを続ける以上、どこかで死ぬような目に遭うだろう。
分からなくなる。
生きたいのか?死にたいのか?
生きることを望みながら、なにゆえ誰しも死地へ向かう?
そして死線を乗り越え手にした幸福は余りに脆く、およそ執着に足るものでもなし。
人生の意味とは?命の価値とは?
戦いは誰が為に?
――幼い少年の心は深淵なる迷いの中にあったが、きっとこの世界の誰も、その苦悩を解き明かす真実を告げることはできない。
これにて第6章は終了です。戦いを通して、生きるということを見つめ直すようなテーマと相成りました。ラグナレーク王国VSアレクサンドロス大帝国の戦争は前編、中編、後編と分けていますが、後は後編を残すのみとなります。
次章からはラヴィア視点の物語が始まります。