第159話 ヴェネストリア解放戦⑱
トールとアロケルは、どちらも戦いを楽しむタイプの武人肌だった。やがてブネ、フォルネウスの死を知り、アロケルは本気の姿を披露する。
筋肉の躍動。滴る汗。ぶつかり合う重い金属音。
ラグナレーク拠点の西側ではアロケルとトールが激しくせめぎ合う。
豪快に振り回されるアロケルの大剣とトールの大槌ミョルニルが、凄まじい迫力でもって火花を散らし合う。
「ハハハ!やるなあ、ラグナレークの団長さんよ!」
「そういうお前こそ!」
大柄な男二人が、大柄な得物を振るいながら愉快そうに戦っている。
(楽しそうですね……お二人とも)
ヘイムダルは離れたところに避難しつつ、その様子を若干の怪訝の目で見つめている。
戦いを楽しいと思える感覚がヘイムダルには分からなかった。ともすればあっさりと自分の命が、人生が終わってしまうものを楽しいと思えるわけがない。そんな最悪を回避する為に全身全霊で頭を回し、やれるだけのことをする。それがヘイムダルにとっての戦であり、要は厄介ごとのオンパレード、楽しいとは対極のものであった(ちなみにフリーレに関しても、戦いが楽しいという感情は持ち合わせていない。彼女の強さは生きたいという想いが成したものであり、瀬戸際を楽しむような嗜好によって得られたものではない。すべてが生きる為であったのだ)。
ところがトールやアロケルにしてみれば事情が違うようであった。彼らは死の恐怖に怯えてなどいない。むしろ死ぬかもしれないという状況の中で、死力を尽くして戦うことを楽しんでいた。
これこそがトールが長年戦場を生き抜いてこられた秘訣であり、団長たる器の持ち主であることの証左でもある。彼は戦いで深刻にストレスを溜めるということがないのだ。
(久しぶりに本気でミョルニルを振り回して戦えるのが嬉しいようですね。やれやれ、やはり貴方こそが団長ですよ……戦いなど元来大嫌いで、ストレスしか感じていない私には一生辿り着けそうもない境地ですね)
ヘイムダルはトールの相変わらずの武人ぶりに感心しながらも、相手のアロケルも同種の存在であることに一抹の不安を感じていた。
相手がトールのような戦闘狂でないなら、勝負は一方的に決まるだろう。しかし今回は相手も同じような狂戦士ぶりであり、互いの根競べのような様相を呈している。
部下がみな焼き殺されて全滅した時も、炎の中でアロケルは余裕の笑みを見せていた。
ヘイムダルは当初その笑みは自信から来るものだと思っていたが、それよりもよほど恐ろしい、戦いそのものを楽しんでいる笑みであったのだ。自分をこれほどまでに追い詰めた相手ならば、きっと心震える戦いができるに違いない……そう期待したが故の笑みだった。
つまり自信に根差したものではないので、心を折るということができない。追い詰めれば追い詰めるほど、きっと楽しそうに調子を上げてくるタイプであろう。
であれば最終的には完全に底力の勝負となり、その場合ただの人間であるトールに不利なことは自明の理であった。
(トール……どうやらアロケルも貴方と同じタイプのようですよ。ですが私は貴方に賭けます。人間の底力を……貴方のホンモノの実力を存分に発揮してください)
トールの振るうミョルニルがアロケルを吹き飛ばす。
アロケルは後ずさりながらも余裕そうにしていたが、どういうわけか呻き声と共に額を押さえ始めた。
「……ウウッ!」
「……なんだ?」
トールも動きを止めて様子を伺う。
「……これは、ブネが死んだ……?それにまさか、フォルネウスまで……?」
強者であるはずの同胞の死。それもフォルネウスは深淵部隊最強の存在であった。それが敗れたというのだから、さしものアロケルも驚きの表情を浮かべていた。
トールとヘイムダルはその様子から、フリーレやエリゴスたちが上手くやってくれたことを悟り、内心でガッツポーズを決めた。
トールは若干煽るような調子で声をかける。
「どうした?流石に同格のお仲間が死んだのは悲しいか?」
「……」
アロケルは静かに面を上げた。その表情はフォルネウスとは対極に怒りは見られない。いっそ清々しささえ感じられた。
「……もちろん悲しいさ。もう五年も一緒に戦いここまで来た仲だ。だが……かつてないほどまでに追い詰められ、心昂っている俺がいることもまた事実……!」
その瀬戸際を心底楽しんでいそうな表情に、トールも心動かされる。
「へっ、そうかよ。正直俺、お前のこと嫌いになれねえや。どうせなら別な出会い方をしたかったもんだ」
その言葉を聞いてアロケルは豪快に笑う。
「ハハハハハッ!そうだなっ!だが敵として相対峙しなければ、お互いここまで昂らなかっただろう!」
「……それもそうか」
ミョルニルを構え直す。このまま戦いが再開されるかに思えたが、アロケルは全身に力を込めて唸り始める。
「ムウウウウウウウウウッ……!」
戦いながら敵はまだまだ余力を残しているとトールは感じていた。油断は禁物だと判断したアロケルは、ようやくここで本気を出そうとしているようだった。
やがてアロケルのただでさえ大柄な肉体が更に巨大化すると共に、下半身がすさまじい変貌を遂げる。人間のそれと変わらないものであったはずが、四足獣のような前脚と後脚が出現する。それどころか牙を剥いた犬のような顔が下半身の前側に二つも付いている。まるで人間の上半身と、二つ首の犬オルトロスを雑にくっつけ合わせたかのような歪な姿であった。
二つ首の犬の頭が獰猛な唸りを上げる。トールはその異様さに初めは面食らっていたが、頭が冷静になり始めてからこれがとんでもない形態変化であることに気が付いた。
巨大化による力の増強、四足獣の脚になったことでの機動力の上昇、そして二つ首の犬の頭が付くことで手数までもが増えているのだ。
「ふううううううっ!この姿で戦うのも久方ぶりだな!覚悟しろ、トール!」
アロケルは左手(大剣を握っていない方)で犬の首にまとわりついていた鎖を解いて、手元に引き寄せていく。先端には棘付きの鉄球が付いている。あろうことかそれはフレイルであったのだ。遠心力で以てブンブンと振り回し始める。
トールは敵の攻撃を防ぐべく、すぐさま地を蹴って駆け出すが、獰猛な犬の牙に弾き飛ばされてしまう。
「ぐうっ……!」
距離が開けたところを見計らって、アロケルは振り回していたフレイルをトール目掛けて叩き込んだ。トールはすんでのところでミョルニルで弾き返すと、飛び退きつつ体勢を整え直す。しかしその虚を突いて、アロケルは猛烈な速度で接近し、右手の大剣を力任せに振り下ろした。
「ハァッ……!ハァッ……!アブねえ、ちきしょう!」
間一髪のところで攻撃を防ぎつつ、再度距離を取って難を逃れる。
アロケルは四足の脚で悠然と迫りつつ、再び左手でフレイルを振り回し始める。
「どうした?お前もまだ本気を見せていないんだろう?見せてくれよ」
揺さぶるような口調で言う。彼の言う通り、トールもまた全力を出してはいなかった。
「……全力か、あんまりやりたかねえんだがな」
「ほう、何故だ?」
「何せこちとら神器三つだ。ミョルニルだけでも結構疲れんのに、残り二つも本気で稼働させたらしばらく起き上がれなくなっちまうからよぉ」
そう言ってトールは、腰回りのベルトに触れるとスイッチのようなものを入れた。そして戦闘時にいつも付けている大きな籠手も嵌め直して調整する。
ベルトと籠手……実はこれらもトールの身体能力を強化するための神器であり、ベルトの方はメギンギョルズ、籠手の方はヤーレングレイプルといった。この二つを本気で解放すれば常識を超えた身体能力を発揮することができ、それはすなわちミョルニルを全力で振るえるようになることを意味する。
しかし神器三つの全力解放である為、身体的精神的負担も計り知れない。疲れ果てるどころか、寿命が幾ばくか縮まるかもしれない。
それでも眼前の敵はそこまでしなければ勝てない相手であろうことをトールは確信していた。
「うおおおおおおおおおおっ!」
全力稼働のメギンギョルズとヤーレングレイプル……これによりトールの身体能力は飛躍的に向上していた。そして待ってましたとばかりにミョルニルを巨大化させていく。ビフレスト防衛戦のあの時にキメリエス隊をまとめて粉砕した時と同じくらいのサイズであった。
あの時は全力解放でなかったので、あのサイズのミョルニルを振るうのは一度が限界であった。しかし今回はこれを何回も何回も振るうつもりでいる。それくらいでなければアロケルには敵わない。
「ハハハハッ!やるじゃないかっ!それがミョルニルの全力かっ!」
アロケルはようやく見られた敵の本気に、恐れ慄くどころか目を輝かせてみせた。喜色満面でフレイルを投擲する。
トールはそれを躱すとそのまま一気に近づいて、その巨大なミョルニルで、巨大なアロケルの体を思い切り吹き飛ばした。
しかし当然これで終わるわけもなかった。アロケルは再度体勢を整えると、今度はフレイルをちぎって捨て距離を詰めていく。大剣と二つ首の犬の牙、三手で怒涛の攻勢をみせる。トールは一度ミョルニルを元のサイズにまで縮めると、それを目まぐるしく振り回してすべていなしていく。
「楽しい……!楽しいぞ!こんなに心躍る戦いは初めてだっ!」
「そうかいそうかい!喜んでもらえて何よりだぜ……!」
トールも言いながら、全力を尽くして戦うこの状況にどこか陶酔している自分を感じていた。
烈しい攻防を続ける両者の顔に憎しみはない。ただここにある命のせめぎ合い、その瀬戸際に酔いしれている姿であった。
「お互い死力を尽くしての戦い……!どちらが死ぬかは誰にも分からぬっ!戦いとはこうでなくてはな!」
再び大剣を振り上げる。
「さあっ!もっと俺とやり合おうっ!血沸き肉躍る戦いをしよう!」
振り下ろされる大剣をミョルニルで受け止める。
「魂を震わせて戦おうっ!」
そこに体当たりを入れられてトールは吹き飛ぶ。
「血と汗と涙を流せ……!!」
トールは起き上がる。そして決意の眼差しで以て、眼前のアロケルを睨み据えた。神器三つの全力解放は長くは続かない。ここで勝負を決めるつもりだった。
猛然と駆け出してアロケルに迫る。彼は迎え撃とうと剣を構えるが、トールは接近した直後にすぐさまミョルニルを巨大化させてアロケルを弾き飛ばす。そして更に近づいていき、体勢を整えられる前に追撃を加えていく。隙を見せたところで下方向から打撃を喰らわせて、アロケルを宙に打ち上げた。
「……何だとっ!」
そしてそのアロケルの高度よりも高く、トールは宙に飛び上がる。巨大化したミョルニルを構えたまま人間離れした跳躍をみせていた。これも全力解放した神器の賜物であった。
トールは眼下のアロケルに狙いを定めると、渾身の力で巨大なミョルニルを打ち降ろした。
「どっせええええええええええええええいっ!!」
「……!!!!」
まるで空を駆ける流星のように、アロケルの肉体は力強く地面へと叩き降ろされた。巨大なクレータのような窪みの中に傷つき果てたアロケルの姿がある。もはや虫の息であった。
トールは着地しつつ神器の全力解放を終える。彼は全力疾走をした直後のように疲れ切り、滝のような汗を流しながら、ぜえぜえと息を切らしていた。覚束ない足取りでクレーターに近づいていく。
「……見事だトール……最期に……お前と全力で戦えて……俺は嬉しいぞ……」
先ほどとは打って変わって消え入りそうな声音で、勝者を讃える言葉を紡ぐ。トールはどこか感極まりそうになりながらそれを聞いている。
「……もし生まれ変わる……ことがあったなら…………またお前のような強者と……出会いたいものだ……」
「へっ、いいゼ。その時はまた戦ってやるよ」
そこには戦場とは思えぬ奇妙な雰囲気があった。
トールは強敵を打ち倒した喜びに、親友を失った時のような憐憫の情を添えて、目の前で息絶える孤高なる戦士を見送った。




