第156話 ヴェネストリア解放戦⑮
焼野原と化したラグナレーク拠点西でトールとアロケルが対峙する。一方ストラータ城では、ブネが城下町を丸ごと人質にしてフリーレに揺さぶりを掛けるが……
拠点の西側は文字通りに焼野原となっていた。そこかしこで炎と煙が空に立ち昇っている。押し寄せていた敵勢はほとんど全滅していた。
トールはミョルニルを肩に担ぎながら歩き回っている。後ろにはヘイムダルが同じくギャラルホルンを構えたまま追従し、周囲の様子を伺っている。
「いやー凄まじい威力だったな。ブリーシンガメンがあれほどの炎を炸裂させるところは初めて見たぜ」
「そうですね。そしてやはりと言うべきですか、兵士級の生き残りは見当たりません。仮に息があっても再起不能でしょう。少なくとも我らの拠点が数万規模の軍勢に否応なく蹂躙されることはなくなりました」
二人は何かを探すように視線を泳がせている。しばらくは、ただただ焼け焦げた死骸が目に映るばかりだった。
「アロケルについても、やられてくれてりゃ楽なんだがな」
「……まあ、あまり期待はしない方がよろしいかと」
話していると前方から、煙の立ち込める中を近づいて来る足音がする。噂をすれば影である。
深淵部隊アロケルが大剣を後ろ手に担いだ状態で姿を現していた。服は焼け焦げて彼の逞しい上半身が露わになっている。しかし戦闘不能には程遠い余裕を見せていた。
「ハハハッ!やるじゃないか!あれだろ?アミーの炎からマナを吸収してブチかましたんだろ?しかしこれはレーヴァテインの機動力なくしては実現し得ないことだった。フォルネウスを陸に追いやってから、アミー隊を足止めして、極めつけにはこの俺の隊を全滅させるとは!」
敵ながら大きな声で気持ちよく話す男であった。そして部下が全滅という状況に置かれながらもまるで狼狽えた様子がない。
これは自信から来るものか?はたまた……
「意外だな、笑っていられるとはよ。アンタの部下は全滅したんだぜ?もっと哀しんだらどうだ」
「哀しむ?笑止!死んだのは彼らが弱かったということでしかない。すべては結果が物語る……最後まで生き残っていたものこそが強者なのだ!」
そう言ってアロケルは剣を前方に構える。人間にとっては両手剣サイズであったが、彼は片手で軽々と振るっていた。対してトールもミョルニルを片手に戦闘態勢をとる。
「さあ始めようか!誰が勝者という誉れに与れるか?すべては結果で決まるのだ!お前の力をこの俺に見せてみろ!」
「いいぜ、アロケルさんよ。最近フリーレの奴ばかりが目立って、正直不満だったからな。誰がラグナレーク騎士団の団長か、ここでそれを思い知らせてやんぜっ!」
◇
そしてフリーレは、ヴィーザルと共に相変わらずストラータ城内を移動している。しかし違和感を感じて、彼女は通路上で脚を止める。
「どうしたの?」
「いや、どうにも兵士たちが我々を熱心に探すのを放棄し始めている気がしてな」
突入直後は狂ったように城内を駆けずり回っていたブネ隊の兵士級も、現在ではその様子が伺えなかった。遭遇する度にフリーレとヴィーザルで始末しているというのもあるが、それで欠員した兵士級数は全体のたかだか数パーセントにも満たないだろう。
その為フリーレ達を探す兵士が減ったのではなく、別な目的の為に兵士が捜索に注力しなくなったと考えるのが妥当であった。
「もうフリーレを倒すことは諦めて、フォルネウスの元に向かったとか?」
「有り得るな。だが気配はまだこの城内にある。まだ飛び立ってはいないはずだ。しかしいいかげんこのかくれんぼに敵もうんざりしている頃だろう。今度はこちらから様子を伺いに行ってみるか」
そうしてフリーレは再度会議室の方へと向かおうとする。その前に、ヴィーザルに忠告を入れた。
「ヴィーザル、いよいよブネと戦うタイミングが迫っているように思う。何度も言うが、私はお前の命には興味が無い。死にたいなら付いて来い。死にたくないなら一人で城内に隠れ潜んでいろ。お前の戦闘能力、警戒力は付け焼刃だが、それでも油断をしなければ一人でもなんとかなるだろう」
「分かったよ、フリーレ」
ヴィーザルは無駄に血気はやっているわけでも、怯え竦んだ風でもなく、淡々と極限状況下で優先すべきことを考えていた。
そして彼は、兵士から奪った槍を携えて、やがてフリーレの道中からは逸れて姿を消した。
フリーレはそのことにどこか満足感を覚えながら、階段を登って行った。
会議室にはブネの姿も、マルファスの姿もない。兵士一人の姿すらなかった。
フリーレは割れた窓からテラスへと出る。思ったよりも広く前方へとせり出した造りになっている。そこから注意深く周囲を見渡して、城の外郭部にブネの姿を見出した。城を囲う城壁の一番外側にその姿がある。
目が合った。
何故だかブネは城下町に背を向けて、こちら側(つまり城側)に体を向けている。
フリーレはそのことに違和感を感じながらも、臆することなく屋根伝いにブネの元へと近づいていく。
「どうした?フォルネウスの元に向かわないのか?」
城壁の上に降りながら声を掛ける。
「フフ、それも考えたのだがな。やはり貴様のような危険分子を城に放置した状態で離れるのは気が引ける。煮え湯を飲まされたままで済ますのも趣味ではない。フリーレよ、これは意趣返しだ、貴様には後悔の中で死んでもらおう」
ブネはちらっと背後の城下町に目配せする。フリーレがそれを目で追ってみると、なんとブネの腰から生えた黒い鱗で覆われた龍の首が、城下町に向かって伸びていた。龍は城下町の上空で大きな口を開き、今に何かを吐き出そうとしているように見えた。
「フリーレ、そこから動くなよ。動けば市街に猛毒の霧を散布する。即効性かつ超強力な毒だ、人間なぞものの数秒でお陀仏だろうな」
得意げに笑う。
眼下の街中には異変に気が付き、慌てふためく人々の姿がある。
「貴様も分かっていることだろうが、ストラータ王国は、いやヴェネストリア連邦自体がユクイラト大陸の南方に存在する故、平均気温が高い。よって家屋は全体的に風通し良く造られているのだ。例え家に閉じこもったところで毒の霧を完全に防ぐことは不可能だ。そして比重が空気よりも重い故、街を覆うように降下してゆく」
話を聞いていて、フリーレは背後に気配を感じていた。振り向くこともなしに彼女はその正体を看破する。ブネの体から生えた龍の一つが、足元の城壁を縫うように移動して、背後に回って来ているのだ。
城下町に向かって伸びている龍は見たところ二体であるし、フリーレの突入直後にブネは体から龍を出現させて戦闘態勢を取っていたが、その際は三体の龍が生えていた。
視界にいない最後の龍はおそらく、背後の死角からフリーレに毒の霧を吹き掛けようと準備しているに違いなかった。
ところがフリーレは表情を焦燥に彩るどころか、失望を湛えたような顔をするのであった。
「どうした?何だその顔は」
「いや、お前は先ほどまで一体何を見ていたのかと思ってな。ブネよ、私はお前のことをもう少し頭の良い奴だと思っていたのだがな」
フリーレの語り口には嘆息のようなものが織り交ぜられている。この期に及んでそのような態度に出られることがブネには信じられなかった。
「貴様、今の状況を理解しているか?動けば街は全滅、動かなければ貴様が死ぬという瀬戸際に立たされているのだぞ?」
「……?街が全滅、それが私にどう不利益になるんだ?」
フリーレの声音にはまったく空とぼけている様子がなく、本気で言っていることが伺えた。
「貴様分かっているのか?ここで市民が全滅すれば、頼みの綱のヴェネストリアの戦力も落ち込む。それどころか貴様らの勝手な侵攻のせいで大虐殺が発生したと流布され、関係性に亀裂が走るのだぞ。最悪ヴェネストリアに今後の助力を頼むということ自体が難しくもなり得る」
「だから、それが”私”にどう不利益になるというんだ?」
話していて、ブネはフリーレがどういう奴なのかを、ここでようやく理解し始めた。
彼女は己の生存こそ最優先に考えていて、それ以外のすべてが二の次なのである。ラグナレーク騎士団に所属しているのもその方が便宜があるからというだけであり、平和な社会の実現だとか、国家の持続性ある発展だとか、おそらくそんなものは真剣に考えていないだろう。
先ほどヴィーザルという少年を助けたのは、彼女が自身の生存以外のこともしっかりと気にしている証左とも考えられたが、なんてことはなくただ単純にブネがフリーレを追いつめられていないだけなのである。
今日この日、ブネはずっとフリーレに翻弄され続けていたが、フリーレに関しては完全に逆なのだ。突入からずっと、どうでもいい少年の面倒を見るという気まぐれを起こすまでに、彼女にしてみればここは死地と呼ぶには程遠かった。
街まるごとを人質にとっての脅しもまさに暖簾に腕押しといった様相で、ブネはすっかり押し黙ってしまった。代わりにフリーレが嘆息しつつ話を続ける。
「私は先ほど言ったはずだぞ。私がこの城に来た理由は三つだと。お前をフォルネウスの元に行かせないこと、ゆくゆくはお前を倒すこと、お前を倒すまでになるべく時間を稼ぐこと。ストラータ市民の救済が目的でここにいるわけではない」
「正気か?私がその気になれば、すぐにでも城下町は阿鼻叫喚の巷と化すのだぞ?死屍累々の凄惨な光景がすぐにでも出来上がる」
「だからどうした。何故私が彼らの命の心配をせねばならない?彼らがお前たちに支配され、こうした憂き目に遭っているのも、偏に彼らが戦いに負けたからに他ならない。そんな彼らを脅かすお前たちと戦っている私が、称賛こそされても非難される謂れなどどこにもないだろう。いつから私は彼らの命の保護者になったのだ?」
フリーレの弁説は、自分の命すらも守れぬ弱小者ならば、いっそここで死んでしまえと言っているようにさえ聞こえた。
ブネは背筋が凍る思いがした。今まで見てきた人間とは明らかに異質な、まるで生への執着そのものを擬人化したかのような存在だった。
彼女に対して人質を取るという行為は何ら意味を為さず、ただ徒に隙を晒すだけの愚行であった。ブネは完全に揺さぶりを掛ける相手を見誤っていたのだ。
「……まあいい。お前がこの期に及んで私に人質が通用するなどと思い、人質を手にかけるという愚行に手を染め、盛大に隙を晒してくれるのならこれほど助かることもない。お前と遊ぶのも飽きてきたことだし、そろそろ始末を考えていたところだったからな。どうした?毒の霧を吐くのだろう?吐くならさっさとしろ、その隙にその首を叩き斬ってやる」
「……」
もはやブネは観念していた。
お互いに何も話さず、幾ばくか時間が過ぎた。
やがて近くを小鳥がさえずりと共に通り過ぎたタイミングで、唐突にフリーレは床を蹴って駆け出した。
グングニールを思い切り振るう。
ブネは街に毒の霧を放つことも、背後からフリーレを攻撃することも、すべてを放棄して仰け反るようにして城壁から飛び出した。そして伸ばしていた龍の首を引き戻しつつ、翼をはためかせて浮き上がるとストラータ城から離れていってしまった。
「街を毒に晒すことも私を攻撃することも諦めて、全力で空に逃亡したか。賢明な判断だな」
空を見上げながら言う。既にブネの姿は彼方に消えている。
「……追うか。時間も充分稼いだし、フォルネウスの元に行かれてはすべてが台無しだ。ブネよ、今度はお前が追われる番だ」
そして彼女は高らかに指笛を鳴らした。
(くそ、フリーレめ!奴に関してはしばらく捨て置くしかないだろう。後で態勢を整えてから対策を講じるとしよう。ひとまずはフォルネウスの助力に向かわねば!)
ブネは逸る気持ちを抑え、空を駆け抜けていく。
しかし突如前方から、大きな黒い鳥が立ちはだかるように飛んで来た。どこかで見覚えのある鳥だった。色こそ違うが、フリーレが城への突入時に騎乗していた白い鳥と似ていると思った。
もしやこれもフリーレの差し金?
そう考えている内に後方から空を切る音が聞こえて来る。
振り返ればフリーレが、まさにその白い鳥に乗ってブネに追い縋っていた。手にしたグングニールの刃を陽光にギラつかせて、逃がすまいという視線をブネに送った。
この時のブネには焦燥の思いは無く、内心はとても嬉しかった。
あの憎きフリーレが、凄惨に殺してやりたい程に憎らしく思っていたフリーレが、自ら空という人間には不利な場所までやって来てくれたのだから。
龍の牙とグングニールの刃が交差する。
一度互いに距離を取りながら、ブネは喜色に富んだ声を上げた。
「ハハハ!地上だけでイキり倒していればいいものを、わざわざ私の領域である空まで追い縋って来るとはな!愚行に手を染めているのは貴様の方だ、フリーレ!」




