第153話 ヴェネストリア解放戦⑫
ブネはフリーレの目的を看破するべく思考を巡らせる。そうしている内にフリーレは人質を引き連れてブネの前へと姿を現した。
フリーレとヴィーザルがストラータ城内に消え失せてから小一時間が経とうとしている。ブネは苛立ちを隠しきれない様子で、相変わらず会議室内をうろうろしていた。
(くそっ、兵どもに城中を捜索させてはいるが、まだ見つからないのかっ!)
親指の爪を噛みながら思考に耽る。
(しかし奴らは何が目的なのだ?城に乗り込んでおきながら私のことは意に介さず、城内の何処かへと消えていった。私ではなく別の何かが目的なのか?)
フリーレの突入から時間が経ち、ブネの胸中を席巻する思いは城に突入されたことへの驚きから、隊の司令塔という立場でありながら事態を分析し切れずにいることへの苛立ちに置き換えられていた。
敵の狙いを看破するべく、彼女は必死に思考を巡らせる。
(いや冷静に考えて、この私を倒す以上にストラータ城において優先すべき事柄はないはずだ。あのフリーレという敵将も私を倒す目的を持ってここに来ているはずだ)
窓際へと足を運ぶ。殊更気持ちを落ち着けるように努める。
(奴らの立場になって考えるのだ。奴らが最も優先していることは何だ?フォルネウスの打倒で間違いないだろう。兵の派兵すらもミスリードを誘う為の手段にして、フォルネウスの虚を突き、陸に引き揚げたのだ。奴らが最初から現在に至るまでずっと重視し続けているのは、やはりフォルネウスの打倒なのだ。そしてフリーレがこの城へ来たのも、私をフォルネウスの元へと行かせない為だろう。ここまでは道理だ。では何故奴はさっさと私を始末しようとしない?考えるのだ、私が早期に倒れた場合に、ラグナレーク側は何が困るのだ?)
窓ガラスに手を当てながら目を閉じる。しばしの熟考の後、ひらめいたように開いた。
(……考えられる可能性としては、私が早期に戦死した場合、それは他の三人にも即座に感覚で伝わるだろう。アロケルやアミーは平常心を崩さぬだろうが、フォルネウスは感情の起伏が激しい奴だ、まず間違いなく激昂するだろう。怒りで手がつけられなくなり、勝率が下がる可能性を忌避したが故の行動なのか?)
ブネは敵の真意を見たりといった気持ちになった。だが分かったところで、有効な打開策が思い浮かばない。
(では敵の狙いが推測通りであるとして、私はどうするべきだ?まさかフォルネウスに、私が死んだつもりになって、出し惜しみをせずに本気を出して戦ってくれとでも伝えるか?いや、そもそもアイツは部下の大半を葬られ既に怒り心頭だ。ハナから手加減などしていないはずだ。私が死んだことでアイツが陥るであろう暴走状態は、実際にそのような事情が発生しない限り起こり得ないだろう。言葉で理性というタガを外すことは難しい、伝えたところであまりに意味が薄いだろう。結局私がこの事態を解決する唯一の手段は、フリーレを始末することしかないか?それとも奴らの最優先事項がフォルネウス打倒だと分かっている以上、いっそフリーレのことなど捨て置いて、今すぐにでもフォルネウスの元に駆け付けるべきか?)
思慮に耽るブネは不意に足音が近づいて来るのを聞いた。ひどく落ち着いた音だ。兵士のものではない。では誰の足音であるかは明白であった。
その足音はまるで隠す気も無く近づいて来る。むしろ殊更に聞こえるようにしている節さえあった。ブネは驚きも苛立ちも通り越して、むしろ感心したような気持ちにさえなりながら、振り返って迫り来る音の主に相対しようとする。
「随分と考え事に耽っていたようだな。まあ大方こちらの狙いは読めたのだろう?」
姿が見えるよりも先に声が聞こえてくる。物騒な声音だ。
「察しの通り私はお前を倒すべくこの城までやって来たが、別段それを急いではいない。ある程度時間を稼いでから倒した方がこちらとしては都合が良いのだ。だがいいかげん、かくれんぼにも飽きてきたところだ。ここいらで一つ、別の戯びをしないか?」
そして声の主は会議室の入口へと姿を現した。金髪の厳めしい女。
左腕には何者かを拘束するように連れており、右手に持った槍の刃を突き付けて脅すような所作をしている。
「その為の玩具も今しがた手に入れたところだ」
「……マルファスっ!!」
ブネは驚きで声を上げた。フリーレは偵察部隊の将軍級、マルファスを人質にしながら姿を現していたのだ。
(何故マルファスが……?いや、そもそも私がマルファスとラウムに、地勢図の作成と敵勢力の調査を依頼していたのだったな。であれば報告の為にこの城へとやって来ることは必然か。私としたことが!状況の分析に躍起になるあまり、偵察部隊への情報連携と注意喚起を失念していた!)
ブネは歯噛みしつつフリーレを睨み据える。フリーレには下卑た表情など欠片も無く、まるで狩りで得た獲物を淡々と解体している時のような無表情である。彼女はマルファスを痛ぶりたいわけでも、ブネに屈辱を感じさせたいわけでもなく、純粋に時間稼ぎの為の手段としてこれを実行していた。
マルファスという偵察部隊の将軍級については事前にエリゴスから聞き及んでいたが、フリーレは現在人質に取っているのがそうであることにまでは気づいていなかった。ただ一目見て一介の兵士とは違う存在だと見抜き、利用しているに過ぎなかった。
「コイツは何か特別な力を持った存在なのだろう?ブネよ、そこから少しでも動いてみろ。動けばこの小娘の命はないぞ」
「ブ、ブネ、助けてぇ!この人すっごい怖いよぉ!!」
マルファスは涙目になりながら悲鳴に似た声を上げていた。フリーレは一切表情を変じぬまま、マルファスの喉をやんわりと握り、「黙れ。次に喋ったら喉を潰すぞ」と実に剣呑な響きを湛えた声音で囁いた。
次から次へと頭を悩ます事態が湧いて起きるものだから、ブネは頭を抱えたくなってきた。またしても必死に考え込む。
(どうすればいい?これが兵士級ならば見捨てる決断は容易いし、将軍級でも例えば先遣部隊のような奴らなら捨て置いて問題ない。だがマルファスは重要な偵察部隊の将軍級だし、何よりリドルディフィード様のお気に入りだ。私の一存で見殺しにはできん……!)
ブネは眉間に皺を寄せて、冷や汗をかきながらただ黙って考え込んでいる。話は一方的にフリーレが繰り広げていた。
「その様子だとコイツにはやはり簡単に見捨てられないような何かがあるようだな。私の見立ては正しかったわけだ。安心しろ、コイツの始末までは私の目的には入っていない。私がこのストラータ城に来た理由は三つ。お前をフォルネウスの元へと行かせないこと、ゆくゆくはお前を倒すこと、お前は倒すまでになるべく時間を稼ぐこと」
そう言ってフリーレは、マルファスを抱き寄せるように自身の体に密着させると共に、グングニールの刃をさらに近づける。マルファスは恐怖で肩をすくませる。
「目的は理解したか?さあ、分かったら互いに存分に時間を浪費し合おうではないか」
「……お前は本当に騎士か?」
苦し紛れの一言。フリーレは、かつてエリゴスの口からもその言葉が出たことを思い出す。
「以前にも同じようなことを言われたな。そして同じ言葉を返そう……私はならず者だ」
話が済むとフリーレはマルファスを人質に取ったまま、会議室のテーブルに座してくつろぎ始めた。くつろいではいても逃げおおせそうな隙などなく、マルファスはただ隣でぶるぶる震えるばかりであった。
「ブネ、お前は動くなよ。身じろぎ程度なら許すが、移動や攻撃に繋がる動作の一切を禁じる。会話も不要だ。破れば速やかにコイツを始末するからな」
ブネもただ言われた通りに立ち尽くすしかなかった。剣呑な会議室に、不釣り合いな静寂がしばらくの間通り過ぎた。
フリーレは卓上にワインボトルがあるのを見つけると、マルファスに目配せしながら「注げ」とぶっきらぼうに言った。マルファスは恐怖にすくんだ様子のまま震える手つきでグラスにワインを注ぐ。フリーレはグラスを持ち上げて傾ける。美味そうにワインを口に流し込み、彼女にしては珍しく恍惚とした笑みを浮かべた。
この時マルファスは、フリーレの体に密着した状態からは離れていた。しかし逃げられるとも思えないので彼女の言う通りにするしかない。それはブネも同じであった。酒に舌鼓を打つ敵将を呆然と見守るだけの、時間ばかりが無為に過ぎ去って往くひと時であった。
フリーレはグラスのワインを飲み干すと、お代わりを要求しつつマルファスに問う。
「お前も飲むか?」
「い、要らないよ……」
「誰が喋っていいと言った?」
再び喉を掴まれ、マルファスは声にならない悲鳴を上げた。
敵にいいように翻弄されている中で、ブネはマルファスへの申し訳なさと、この状況を打開できない己の至らなさとで、憔悴しつつあった。そしてラグナレーク側をナメていたのだと、身をもって痛感していた。敵の城でここまで好き勝手に振る舞えるような蛮族紛いの騎士……先遣部隊の戦いもなるほど惨敗を喫したわけだと納得がいく程であった。
そのままフリーレの酒盛りをただ見守るだけの時間が続いたが、ある時ブネの頭に部下からの伝令が舞い込んで来る。ブネは悟られぬように表情を綻ばせた。
「くくく、フリーレ。いい気になっていられるのも今の内だぞ」
ブネがそう言うや否や、会議室にブネ隊の兵士がやって来る。兵士はヴィーザルに槍を突き付けて人質にしていた。
「私の部下がコイツが資料室に隠れているのを見つけたのだよ。足手まといだと思い、身を隠させていたのだろうが運がなかったな。何を思いこんな小僧を連れて来たのか知らんが、ともかくこれで形成逆転だ。マルファスを解放しろ、言う通りにしなければこの小僧の命はない」
ブネは勝ち誇った笑みを浮かべている。このような敵地にわざわざ連れてきているのだから、この少年には何か重要な意味があるはずだとブネは考えていた。しかしフリーレの行動を常識で計ること自体が間違いであり、彼女にとってはすべてが気まぐれの産物であった。
フリーレはとくに動じた様子もなく、それどころか若干ブネに対して失望したかのような眼をする。
「お前は勘違いをしているな。まずその少年は身を隠させていたわけではない。土壇場だが実戦は経験させたからな、後は自分で考えて行動しろと言って別れただけだ。そしてその少年はそもそも連れて来たわけではなく、勝手に付いて来たという方が実情に適っている。私がそれを拒まなかっただけだ。つまりその少年に人質の価値はない」
フリーレが話したことはすべて真実である。しかし敵が真実をすべて話すわけがないとブネは思っているので、揺さぶりを止めない。
「ほう、本当にそうか?であればこの小僧は殺してしまうぞ?」
ブネはフリーレの出方を伺っていたが、驚くことにフリーレはマルファスを掴み上げながらテーブルの上に屹立した。
「き、貴様、何のつもりだ?」
「どうした?殺さないのか?」
この期に及んで物見面で様子を見ている。緊迫感の欠片も感じさせない表情だ。ブネには信じられなかった。
「ブネよ、お前は司令官気質の存在だと聞いている。色々とよく考えてから行動に移すタイプのようだ。直感に従うことの多い私とは対極だな。それは美点ともとれるが、何事においても後手に回りがちだという悪点ともとれる。さっさと始末すればよいものを未だにそれをしないのがいい証拠だ」
「何を言って……!」
フリーレの言う通り、ブネは慎重になっていた。あの少年がラグナレーク側にとって重要人物である可能性を未だに捨てきれないでいる。人質とは生きていてこそ意味があるので、少年に利用価値を見出したいブネはなかなか始末への踏ん切りがつかずにいたのだ。
「そして更に勘違いしているようだから言っておこう。お前と違い、私にとってこの人質はさして重要な存在ではない。私は時間さえ稼げればそれでよいのだからな。その為の手段なら他にもあるし、この人質については偶々見つけたから使っているにすぎない。あまり執着する理由がないんだ。だから返してやる」
そしてフリーレは、マルファスを高く掲げた。ブネは嫌な予感がした。
「しっかり受け止めろっ!!」
フリーレは一切容赦の無い力加減でマルファスを投げ飛ばした。
軌道が高くこのままでは壁に激突すると判断したブネは、咄嗟に翼を広げて飛び上がりマルファスを抱き止める。しかし勢いを殺しきれず、二人はもろともに壁にぶつかった。
「ぐぅっ!」
呻きながら、床に墜落する。終始かばうようにしていたのでマルファスは無傷だった。苦し気な表情でブネは起き上がる。
辺りを見回す。フリーレとあの少年の姿は既にどこにもなくなっていた。兵士は昏倒している。マルファスを受け止めていたあの一瞬の間に、随分と仕事の早いことだとブネは舌打ちをした。
傍ではマルファスが、ようやく解放されたことによる緊張感の途切れと、ブネに対する申し訳なさから堰を切ったように涙を流していた。
「ブネ……ご、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「……」
泣きじゃくるマルファス。ブネは思いやりを感じさせる所作で頭を撫でると、穏やかな声で言う。
「お前のせいではない。気にするな、マルファス。ともかく偵察部隊にはしばらくストラータ城には来ないように通達しておいてくれ。我々をここまでコケにしてくれたあのならず者を、私が必ずや始末してみせる」
気を取り直すように努めながら立ち上がる。ブネの胸中は雪辱の炎に燃えていた。




