第151話 ヴェネストリア解放戦⑩
パラータ平原のラグナレーク拠点では、西からアロケル隊が襲来する。一方、ヴェネルーサ近郊ではエリゴスがフォルネウスの前に立ちはだかっていた。
パラータ平原のラグナレーク拠点ではどよめきが起きている。遠く西の方角から多大な軍勢が姿を見せたからだ。深淵部隊アロケル隊である。ざっと見たところ数万規模、ビフレスト防衛戦にて襲来した先遣部隊デカラビア隊と同じくらいの頭数はありそうだった。
そして深淵部隊の兵士級は、先遣部隊のそれよりもずっと強いと聞く。対してラグナレーク拠点に現存する戦力は千にも満たない有様であった。というのも半数以上が東に向けて進軍を開始していたからだ。それについては敵のミスリードを誘う為の戦術であり、役目を終えた兵士たちは現在引き返している最中なのだが、拠点に戻れるまでにはまだ半日以上はかかりそうであった。
つまり今アロケル隊に攻め入られればひとたまりもないのだが、兵士たちはどよめきはしていても、絶望も混乱もしていなかった。アロケル隊の襲来自体は予想通りのことだった。予想よりも幾ばくか早かったというだけのことだ。東への大規模な進軍は、フォルネウス打倒に躍起になっているように敵側に見せかける意図があったが、同時にアロケルをこちらへおびき出せればよいという思惑もあった。それが見事に功を奏していただけなのだ。
やがて巨大な駿馬スレイプニルにまたがって、トールとヘイムダルが一足先に拠点へと舞い戻って来る。
「トール団長!ヘイムダル隊長!」
兵士たちは喜色に富んだ声音で彼らを迎える。
「おうおうすげえ数だな。アロケル隊め、アンドローナ王国の拠点からもうここまで来やがったか!」
「それにフギンとムニンの情報では、アミー隊もハルファスの”ゲート”を利用してこの近辺にまで来ているようです。敵は我々を挟撃から一網打尽にしようとしているのでしょうが……」
そう言って二人は敵勢ではなく、振り返って遥か遠く東の空をじっと見つめる。
「間に合えばいいけどな、アイツら……」
祈るような響きを込めてトールは呟いた。
いくら歴戦の二人がいても、間違いなく強敵であろうアロケルも含めて、あの規模の軍勢を相手に戦うのは無謀が過ぎることだった。この状況を打開するアテに、彼らは想いを馳せていた――
◇
連邦の東方、ヴェネルーサの港町から十数キロメートルほど内陸に向かった地点に、フォルネウスは墜落していた。とくに建物が並んでいるわけでも樹木が生い茂っているわけでもない、開けた平原部であった。呻くような声を上げながら、震動と共にその巨体を起こす。ダメージは受けているが、まだまだ戦闘不能には程遠いようであった。
(上から突然攻撃を受けた……誰だ……?)
フォルネウスは周囲を伺うように視線を泳がせる。自分をレーヴァテインから墜落させた者の正体を探ろうとしているのである。
やがてその正体は武骨なハルバードを引っ提げ、臆することなく正面に歩み出て来た。
「フォルネウスよ、ここからは私が相手になろう」
ラグナレーク騎士団エインヘリヤル第七部隊員、エリゴスがかつての同胞の前に立ちはだかっていた。彼女の背後には同じように魔軍を出奔した仲間であるウァラクの姿もある。
自分たちを裏切り、敵勢についた者たちが立ちはだかっているこの状況に、フォルネウスは心底不快そうに表情を歪めた。
「エリゴス!それにウァラクも!お前ら、主様に歯向かうなんざ眷属として恥ずかしくねえのか!?」
「何を言うか、そもそもその主様が私を見限ったのだ!」
エリゴスは眼前の巨大な存在に、気圧されそうになりながらもぴしゃりと言い放った。
「大体何のつもりだ、お前ら?こうして俺の前に立ちはだかっているこの状況……まるで俺を倒そうとしているように見えるが?」
「……そのつもりだが?」
エリゴスの言葉を聞いて、フォルネウスはゲラゲラと笑い始める。
「ギャハハハハハハ!本気で言っているのか?お前ごときが、この俺を?」
「フォルネウス、確かにお前は私よりずっと強い。だがお前は既にレーヴァテインとの戦いで消耗している。海からも今や十数キロは隔たっている。私でも充分やり合える状況のはずだ」
陳述を聞いて彼は猶も笑い続ける。それが止まると、今度は馬鹿にされたことに腹を立てているような、不愉快そうな声音に様変わりした。
「……馬鹿にしてんのかァ?その程度の条件で勝てると思われるなんて、俺も甘く見られたもんだな。お前も知っての通り、七十二体の将軍級は決して同格じゃねえ。近衛部隊の四人は別格だし、俺も上から数えるのが早いぐらいの上位の存在だ。ところがお前はどうだ?下から数えるのが圧倒的に早い程の下位!先遣部隊なんていう余り物の寄せ集め部隊にいたのが何よりの証拠だ」
フォルネウスは巨大な牙を剥き、爪を振り上げて見せて、威嚇のような姿勢を取った。エリゴスはそれでも臆しない。億するわけにはいかなかった。
……内心ではフリーレに追い詰められ、殺される寸前だったあの時と同程度には恐怖していた。
かつての自分では、あのフォルネウスに挑むことになるとはつゆとも思わなかった。彼の暴力的な強さはずっと耳にしていた。味方としては頼もしくとも、敵として相対峙する時の恐怖は、元来想像を絶する程に耐えがたいものであるはずだった。
しかし彼女は誓ったのだ。今度こそ死線を乗り越えてみせると。今度こそは無様な醜態を晒さずに勝利を掴み取ってみせると――
なまじっか強い程度の相手では、死線と呼ぶには不十分であろう。ところがあのフォルネウスであればどうだ?これ以上ない、死線と呼ぶにはお誂え向きの存在であった。
しかし死線とは、ともすればあっさりと死の運命がもたらされるからこそ”死線”なのだ。エリゴスは必ず勝って生き抜くという決意とも、この先待ち受ける死を受け入れた覚悟とも取れる険しい表情を浮かべて、眼前で愚弄を続けるフォルネウスに毅然と言い放った。
「だからどうした?敵は強大、己は矮小、そうでなくては死線とは呼べぬ。お頭……見ていてください。私は今日この日、必ずや死線を越えてみせます!」
ハルバードを振り回しながら臨戦態勢を取る。吹きしく風に長い緑髪が華麗に揺れる。
「覚悟しろフォルネウス!私は越えるのだ、お前という死線を!」