第147話 ヴェネストリア解放戦⑥
フォルネウスとの戦闘から突如退却を始めたラグナレークに、深淵部隊の面々は当惑していた。そして作戦遂行の為にフギンに乗って飛び立とうとするフリーレの前に、一人の少年が現れる。
トールとヘイムダル、そしてヴェネルーサ市民が一目散に港町から遠ざかって戦線を離脱した旨は、深淵部隊の面々に少なからず動揺を与えていた。現在ブネはフォルネウスと遠隔思念で会話をしている。
【今現在、偵察兵からの映像を見ている。確かにラグナレークの隊長二人は既に港町にはいないようだ。港から西の方向へ高速で陸路を突き進んでいる。ヴェネルーサ市民も山中に逃げ惑っているので、もはや港町はゴーストタウン状態というわけか】
【クソが!アイツら、俺が港を水没させてやる前に恐れをなして逃げやがった!】
フォルネウスは憤るが、ブネは彼の弁は見当違いだと感じている。落ち着いた声で状況分析を続ける。
【いや……どうも動きが計画的だ。土壇場で臆して退散したという風でもない。それに今しがた入って来た情報だが、パラータ平野の拠点から東に向けて進軍していたラグナレーク兵が、突如回れ右をして西に進軍方向を転じたそうだ】
【なんだとっ!?】
【偵察部隊が言うには、空を飛行していたレーヴァテインも急遽西に方向転換したらしい。現状ヴェネルーサの港町に向かっているラグナレークの戦力はまったく存在しないことになる】
【……どういうことだ?奴ら、何を考えてやがる?】
フォルネウスの心中を、肩透かしを喰らったようなやるせなさと状況を理解できない気持ち悪さとが席巻していた。あれほど己に執着し、是が非でも倒そうと意気込んでいたではないか。それが何故?フォルネウスは柄にもなく当惑していた。
【フォルネウス、もしかしたら奴らは最初からお前と戦うことなど考えていなかったのかもしれない】
【何?】
【あくまで推測だが、連中はお前の脅威を前もって充分に聞かされているだろう。そしてお前は用心深く、簡単には陸に揚がらない。君子危うきに近寄らず……つまり奴らは海にさえ近づかなければ脅威はないと考えているのかもしれん】
【あん?】
フォルネウスの声音に不機嫌そうな響きが滲む。
【まず奴らが優先したのはお前の撃破ではない。危険な位置にいるヴェネルーサ市民の避難と、お前よりは自由に動けるフォルネウス兵の殲滅こそ優先事項としていたのだ。それが済んだから撤退を始めた。お前に関しては海に近づかなければそれでよく、後でヴェネストリア全土を味方に付けてからでもゆっくり退治すればいい。ラグナレーク側がそう考えていても不思議ではあるまい。ひとしきりの目的を達成した奴らは、今度はお前よりは与し易しと判断したアロケルの方に向かったのだろう】
ブネの分析を聞き終えたフォルネウスは、ひとしきり経ってから憤怒に満ちた声を捻り出す。
【ってことはアレか?海にさえ近づかなければ、俺は恐るるに足らないと、海の中でしかイキれない奴だと、アイツらはそう思ってるってコトか?】
【あくまで推測だがな】
【ふざっけんじゃぁねぇえ!!!】
フォルネウスの激昂がブネの頭に響く。慣れている彼女はとくに表情を変じることもない。
【ナメやがって!俺が海の中でしか戦えないとでも思ってんのか?上等だ!アロケルやアミーには手を出すなと伝えろ!俺が直々にアイツらを殴殺してやる!】
【そう熱くなるな、フォルネウス。これがお前を陸に誘い出す罠だったらどうするつもりだ?】
【お前まで、俺が陸では雑魚だって言うのかよ!?】
【お前の強さは信頼しているさ。だが陸では海の中ほど実力を発揮できないのも事実だ。わざわざ敵の勝率を上げてやる必要もあるまい】
そしてブネはフォルネウスを宥めつつ、別の仲間に遠隔思念を飛ばす準備を始める。
【フォルネウス、お前はひとまず海で待機しておけ。今後どう動くかは私から指示を送る。既にアロケル隊が敵拠点を潰すべく、パラータ平野に向けて進軍を始めているし、アミー隊もストラータ――ヴェネルーサ間地点に転送を済ませてしまっている。ひとまず彼らにラグナレーク兵の対処を任せよう】
そうして通信が切れた。フォルネウスは海中で強く歯ぎしりをした。
◇
ブネはフォルネウスとの会話を終えると、今度はアロケルに情報伝達を開始する。
【……というワケで敵の今度の狙いはおそらくお前だろう。やがて引き返してきた大軍が、今度はお前と事を構えようと西進し始めるだろう。心得ておけ】
【了解だぜ!ブネ!】
アロケルは通話を終えると、背後の部下たちに檄を飛ばし始める。彼は将でありながら、巨大な馬に騎乗して隊の先頭を進んでいた。背後には同じくイカツい馬に乗った狂戦士たちが武骨な武器を背負って武者震いに身悶えするように笑っている。
「野郎ども!久方ぶりの戦だ!いつもの反乱鎮圧とかじゃあねえ、正真正銘の戦場よ!」
アロケルの大声に、部下たちも耳鳴りのするような鬨の声で返す。
「全力を尽くして戦え!無傷で帰ろうなどと思うなよ!真の戦士ならば、血を流せ……!」
アロケルが士気を上げている中、ブネはアミーと対話を始める。
【……といった状況に我々は置かれている】
【ふむ、となると儂らが挟み撃ちにするのはフォルネウス隊とではない、アロケル隊とになるワケじゃな】
【そういうことだ。そして、敵にも情報収集に秀でた存在がいるようだ。二羽の神鳥のようだが、お前がパラータ平野にまで転移していることに気付いている可能性が高い。くれぐれも用心して行動しろ】
【了解したぞい】
通信を終えて、アミーは部下たちに向き直る。彼の周囲には紅い装束を身に纏った多数の炎魔術師が控えている。
「ククク、水と炎の挟撃が、鉄と炎の挟撃に変わったようじゃ。まあ儂らがすることには変わりはない。我らが魔力で以て、敵兵どもを焼き尽くしてやるのじゃ」
アミーは手に燃え盛る火炎を出現させながら、その皺の寄った顔をさらに歪ませてせせら笑った。
◇
パラータ平野のラグナレーク拠点には、隊長勢は現時点ではフリーレしかいなかった。トールとヘイムダルはヴェネルーサの港町からスレイプニルに乗って拠点に引き返している最中であるし、フレイとフレイヤは共にレーヴァテインに搭乗している。フギンとムニンに乗っていたフリーレだけが一足先に舞い戻って来ていた恰好だった。
フリーレはまばらに並ぶテントや、アロケル隊を迎え撃つ為に準備に追われる兵たちを何とはなしに眺めている(ちなみに拠点にいる部隊は第二、第六、第七部隊である。第一部隊と第五部隊は東に向かって進軍を開始していたが、現在は踵を返して拠点へ戻る道中である)。
彼女は座りながら水を飲み、体を伸ばして凝りをほぐすとグングニールを手に立ち上がった。止まり木で休んでいるフギンとムニンの元へと赴く。この二羽とフリーレにはまだ仕事が残っている。それも今回の作戦成功の是非を握る重要な役目であった。
「……そろそろか」
フリーレがそう呟いた時だった。お頭!と叫ぶ声が聞こえた。見ればディルクが走って来る。彼の前には全力で疾駆する小柄な何者かの姿があった。ディルクはそれを追いながら、こちらに向かって来ているのだった。
その小柄な存在はフリーレには実に見覚えがあった。あの少年だ。兵舎区画を不審な様子で眺めていた藍色の髪の少年。自分がかつて叱った哀しい目をした少年。後ろに束ねた髪を揺らしてこちらに駆け寄って来る。
そして少年はあろうことか、フギンに飛び乗ろうとした。フギンは驚いて、振り落とそうと暴れる素振りを見せたがフリーレが制止した。少年はフギンに乗っかったままだ。やがてディルクが追い付いて来る。
「すまねえお頭、その坊主荷物に紛れ込んでたんですぜ!多分ビフレストの市民でさぁ」
「そうだな、何度か顔を見たことがあるから覚えている」
「こら坊主!何でこんなところにまで来た?ここはガキの遊び場じゃあねえんだよ!」
立腹するディルク。しかし少年はその形相に怯むことも無く、力のある声で言い放つ。
「分かってるよ。遊びじゃないから来たんだ」
「何?」
ディルクは不服そうにしているが、少年は構わずにフリーレの方を見据えた。彼女は腕を組んでその視線を受け止める。
「アンタ、あの時俺に言ったよな?世界は人間の為に誂えられたものじゃない。生きる上で艱難辛苦が襲い来るのは当たり前だって。人が死ぬのは巷に雨の降る如くに当たり前のことだって」
「ああ、確かにそのようなことを言ったな」
フリーレの声音に戸惑いはない。少年の目を見て、何故ここに来たのかが彼女には分かっていた。
「俺、思ったんだよ。確かにあのまま腐り続けていても、自分に明るい未来なんて訪れない。それは自分の力で掴み取らなくちゃいけないんだって。でも俺には力が無い。どうせ父さんも母さんも、もうこの世にはいない。だから、だから決めたんだ。たとえ死ぬような目に遭っても、艱難辛苦に挑んでみようって……」
そして少年はフリーレの険しい目つきから決して視線を逸らすことなく、揺るぎない覚悟と信念で次のように宣った。
「だから俺は此処に来た。フリーレ、俺を戦場に連れて行ってくれ!俺を地獄に連れて行ってくれ!」
ディルクはいい加減我慢ならなくなり、無理矢理に少年をフギンから引きずり下ろすとポカリと殴りつけた。
「このガキ!何ふざけたこと言ってやがる!そんなこと認められるワケが……「いいぞ」」
フリーレのまさかの返答にディルクは驚愕を禁じ得なかった。
「お頭、正気ですか?」
「まあ他の隊長勢なら間違いなく駄目だと言うだろう。少年よ、それが何故か分かるか?」
「……アンタほど豪快な性格じゃないから?」
「彼らが優しいからだ。だからお前の生命を案じ、同行することを許可しないだろう。だが私にとってお前の命は至極どうでもいい。血を分けた家族でも、共に戦い抜いた仲間でもないのだからな。そして付いて来たところで、お前風情が私の脚を引っ張れるとも思えん。故に私にはお前の同行を頑なに拒むだけの理由がなく、これはそういう意味でのいいぞなのだ」
フリーレの弁説は少年の命をまったく軽んずるものであった。しかし少年の眼の光は消えない。少年にもフリーレがどういう奴かなど既に分かり切っていることだった。
「付いて来たいなら勝手にしろ。お前が生きようが死のうが私は知らん。好きにするがいい」
「それでいいさ」
やり取りが終わると、フリーレはフギンに騎乗した。その背後に当然のように少年が乗り込んで、彼女の背にもたれるようにしがみついた。ディルクは少しムッとした。
「少年、お前の名は?」
「……ヴィーザル」
「そうか。ヴィーザル、お前は少し昔の私に似ているな」
そうして二人を乗せたフギンは、ムニンと共に大空に高く舞い上がった。




