第146話 ヴェネストリア解放戦⑤
ラグナレーク兵はパラータ拠点から東への進軍を開始する。フォルネウス討伐に全力を傾注していると判断したブネは、深淵部隊各位に指示を展開するが……
ヴェネルーサの港町にて、ラグナレークと結託した市民がフォルネウス隊と衝突。その知らせは速やかにストラータ城のブネに報ぜられた。深淵部隊の司令塔である彼女の元には定期的に偵察兵が訪れ、逐次情報連携が行われている。
その時もブネは偵察部隊の映し出す映像を見て、状況の把握に努めていた。暗い闇夜の中での戦いであるので、映像はいかんせん不明瞭であった。
「ほう、ラグナレークの隊長勢が神獣の脚を使って先んじていたか。そして市民の避難と戦力化を既に済ませていたとはな」
「そしてパラータ平野に駐屯しているラグナレークの兵どもですが、その半数近くが東に向けて進軍を開始しました。レーヴァテインも随伴しております」
偵察兵が映像を切り替える。そこには夜空の下で土埃を上げながら行進するラグナレーク兵たちの姿、そして低速飛行で随伴する機動形態のレーヴァテインが映っていた。
「先に行かせた隊長二人とヴェネルーサ市民で以てフォルネウス兵を抑え込みつつ時間稼ぎ、そしてフォルネウスには本命のレーヴァテインを当てる算段か。どうやら本気でフォルネウスを真っ先に潰す気でいるようだ」
ブネは不敵にほくそ笑む。そして右のこめかみに指を当て、遠隔思念を飛ばし始める。
【アミー。お前も映像を見て承知しているだろうが、敵はまずフォルネウスを倒すことに全力を傾注している。隊長勢の二人が先手を打ってヴェネルーサの港町に到着しており、敵拠点からも大規模な進軍が開始された】
【ふむ。お前の考えていることは分かるぞい、ブネ。挟撃じゃろう?】
【そういうことだ。ハルファスが設置したストラータ――ヴェネルーサ間のゲートを使え。敵はそのポイントを通り過ぎて間もない。今なら挟み撃ちの状況に持ち込むこともたやすかろう】
【ククク、なるほど。前方には水、後方には炎の挟み撃ちが出来上がるのう】
アミーはそのしわがれた顔を邪悪に歪ませた。
ブネはアミーとの会話を終えると、今度はアロケルに思念を飛ばす。
【……とまあ、そのような状況だ。お前はすぐさま出兵し、パラータ平野のラグナレーク拠点を襲撃しろ。意図は分かるな?】
【敵はフォルネウスの打倒に夢中になっていて、西のアンドローナ方面に意識を向けていない。おまけに東へ半数近くを進軍させているから、拠点の兵力も極めて脆弱になっている。潰すなら今ってことだな】
【その通りだ。久方ぶりの戦場だろう。せいぜい暴れてこい、アロケル】
【言われるまでもないことだぜ!うおおおおおおおおおおおお!】
アロケルが豪快に雄叫びを上げた後、会話は終了した。
最後はフォルネウスへの伝達であった。
【……状況は理解したな?今のところ私が駆け付ける必要性は薄いと判断しているが、手助けは必要か?】
【いや必要ねえ。つーか手を貸すんじゃねえぞ、ブネ?】
フォルネウスの声音はどこか殺気立っている。
【俺は既に部下を何人も殺されている。あのラグナレーク兵どもも、生意気にも楯突いてきたヴェネルーサ市民もみんな許さねえ。絶対にこの俺の手でぶち殺してやる!】
【……お前の好きにするがいい、フォルネウス。だが戦況が不利と判断したら、お前の意思に関係なく私は駆け付けるからな】
そう言って通話を終了した。ブネはフォルネウスの強さを信頼している。唯一不安があるとすれば、彼が非常に感情に絆されやすい性格をしていることであった。
◇
フォルネウス兵が港町への上陸を開始してから、何時間も経過していた。もはや海際は矢に射られてこと切れたフォルネウス兵の亡骸で埋め尽くされていた。生き残っている兵たちも、これ以上街中を進んでいくのは危険であると尻込みしているばかりであった。
やがて遠く沖合のフォルネウスが凄まじい咆哮を上げた。遥か隔たった高台の市民たちにも、その猛烈な空気の振動がまざまざと感じられた。何かが起きる予感に一同は身構える思いに駆られた。
海が俄かに荒れ始める。この後何が起きるのか、直ちに見抜いたヘイムダルは周囲に向かって叫ぶ。
「皆さん!高波が来ます!攻撃を中断して、もっと高台へと上がってください!」
指示を受けた人々は弾かれたように駆け出すと、わらわらと壁をよじ登り始める。フォルネウスが海に干渉する力を持っていることは、エリゴスから聞いていた。高波を起こすくらいはワケないことだと。そのためこの展開は想定内であった。
ヘイムダルが陣取っていた高台は埠頭が良く見え海沿いが狙いやすい立ち位置だったが、攻撃の利便性のみによって場所を選定したわけではない。背後には更なる高台が広がっているのでいざ波に晒されようとも逃げおおせるし(しかし現在地よりさらに高所に言ってしまうと今度は弓での狙撃難度が上がってしまう。その為波に晒されそうになってから登る必要があった。ちなみに女子供は既にその高台にまで避難させている)、その更に先には林が広がっているので木に登って避難することもできた。攻撃のみならず防御も視野に入れた位置取りであったのだ。
そしてフォルネウスは考え無しに夜の時間帯に港町を訪れ攻撃を開始していたが、夜の闇の中で灯りを消されていることもあり、敵勢が街のどのあたりに陣取っているかを正確に把握できていなかった。あまり接近することは危険を伴う故、偵察部隊もそこまで詳細な状況把握はできていなかった。
その為、彼は沖合から特段の工夫もなく高波を起こして街を水害に晒したのだが、市民たちが避難している高台までもを水没させることはできなかった。
高波は三度訪れた。それは埠頭に浮かぶ船舶を叩き潰し、海沿いの家々の中に潜り込んではことごとく蹂躙して飲み込んでいった。しかし市民誰一人の命をも脅かすには至らなかった。
フォルネウスをその歪な牙を歯ぎしりのように動かす。沖合の安全圏からの攻撃ではこれが限界かと思った。しかしあまり陸地に接近しようとも思わなかった。彼は警戒しているのだ。敵は己を倒す為に精一杯の下準備をして臨んでいる。己は海の中でこそ実力を最大に発揮でき、陸上ではやはり幾許かの弱体化を避けられぬ。本気で己を潰そうとしている連中が、馬鹿正直に海の中で相対峙しようなどと思っているはずもなく、陸地に上がってくるタイミングを虎視眈々と待っているに違いなかった。
【チッ!めんどくせえ奴らだ。まあいいさ、ならお望み通りにこっちからそこまで行ってやるよ。そこを海に変えた上でな……!】
またもや不気味な咆哮が空に響いた。街中を晒し続ける波の音と合わさり、不協和音の如くに耳に届く。海の様子が更に変化し始めたことが、いっそう不安を増長させた。
「おいおいヘイムダル!これ、海面が上がって来てやしねえか?」
「まあ、馬鹿正直に上陸してくれるワケがありませんよね。フォルネウスはこの街一帯を水没させた上でここまで来るつもりなのでしょう」
「アイツ、高潮まで起こせるってのか!このままじゃみんな溺れちまうぞ!」
「大丈夫ですよ、トール。今のところ全て想定内です。深淵部隊最強と呼ばれる存在ならこのくらいやってのけるでしょうし、これほど大規模な力の行使はすぐにはやらないだろうということも予測していました。戦いが始まってから、既に六時間以上は経過しているでしょうか。その間に他方では随分と進展があったようですよ」
ヘイムダルが西の空を仰ぎ見る。トールもつられて同じ方角を見上げた。空は白み始めており、夜は過ぎかけていた。
そんな空模様の中を西の方角から、僅かに覗かせた朝陽に向かって飛来する二つの影があった。フギンとムニンであった。フギンの上にはフリーレも乗っていて、道中彼らの安全を保障していた。
彼らの姿を一目見て、ヘイムダルは事態が動いたことを看破していた。そしてフギンが伝えたメッセージを聞いて、ポーカーフェイスのその顔を珍しくほくそ笑ませた。
「……背後にはアミー隊、更にアロケル隊も我らの拠点を討つべく動き始めましたか。いいですね、想定通りです」
ヘイムダルはトールに目配せする。作戦が進行タイミングに差し掛かった――それを理解したトールは周囲に向かって力一杯に叫んだ。その内容は既に避難している市民たちに前もって共有されていることだった。
「お前ら!アンドローナやリゼロッタの方の敵兵も動き出したようだぜ!俺たちはそちらの対処にこれから向かう!お前たちはできるだけ海から遠ざかり、とにかくフォルネウスの脅威に晒されないことだけを考えるんだ!とにかく丘を登って行け!」
そう言って、彼はスレイプニルに颯爽と跨った。その後ろにヘイムダルが騎乗する。スレイプニルがいななきながら立ち去る間際に、トールは再び叫んだ。
「じゃあなお前たち!お互い絶対に生き残ろうぜ!生きて再会したら、美味い酒をたらふく飲もう!」
そして二人を乗せたスレイプニルの姿はあっという間に遠ざかり見えなくなってしまった。
男たちはトールの言葉に力強く頷くと、女子供を気遣いながら、海とは反対側の林の広がる丘の中へと消えていった。
ラグナレーク勢の突然の退却、その情報は程なくして偵察部隊経由で深淵部隊の四人に伝えられた。
【ハァッ!?逃げやがったのか、アイツら!】
フォルネウスは苛立ちに満ちた声音で叫んだ。