第139話 いつかの少年
作戦会議の後、エインヘリヤルは工事組と残留組に分かれた。市街に残って警備をしていたフリーレは、以前に叱った少年を再び目撃する。
作戦会議の翌日、エインヘリヤルは二手に分かれることとなった。
新生レーヴァテインを主体にビフレスト荒原とヴェネルーサ王国を繋ぐ大トンネルを工事する側と、ビフレスト市街地の復興と次なる戦争に備えて軍備を進める側だ。前者は第一、第二、第五部隊が当てがわれ、それぞれの部隊長であるトール、ヘイムダル、フレイが現地に赴いた。他の部隊は後者の役目として市街地に残留している。
工事組はその日の内に出立した。残留組は相変わらず復興作業に従事していたが、それもようやく完了の目途が立ってきた。市民生活には影響ない最低限度の復興をどうにか完了させることができそうであった。しかし食糧や軍馬、装備の再調達に新兵の訓練、作戦決行時の人員配置の検討等やることはむしろ増加していた。
トンネルが完成次第、エインヘリヤルはヴェネストリア州へと突入する想定であるが、ビフレストの防衛もある関係上エインヘリヤルの全部隊を動かすことはできない。二部隊ほどはビフレストに待機させる予定である。
しかし総勢三千名余りと、ただでさえ頭数の少ないエインヘリヤルの半数以下が残留したところで、もし真南のマッカドニア州から大規模に襲撃されればとても守り切れまい。城壁の補強は復興作業の中でも特に力を入れているが、正直気休めだろう。なけなしの策として彼らはツィシェンド王にビフレストに待機してもらおうと考えている。
ツィシェンド・ラグナル――ラグナレーク王国の現国王である彼はかつて魔人の改造手術を受けたことで、翼が生え飛翔することができる体となった。
もし作戦決行後にビフレストで異変があった場合には、彼にヴェネストリア州まで飛んでもらって情報伝達して頂くつもりなのだ。自国の王を伝令役にするのには抵抗感もあったが、他に代替案がないのが実情であった(フギンとムニンを片方だけ置いていく案もあったが、あちらはできれば二羽一緒での運用が望ましかった。フギンだけでは受け取った思念を保持できないし、ムニンだけではそもそも思念の伝達ができない)。
それにツィシェンド王の人柄ならばこのような役目でも快く引き受けて下さるだろう、という楽観もあった。
作戦会議から一週間(つまりビフレスト防衛戦から二週間)。
城壁近くに新たに造られた物見櫓にはフリーレとバルドルの姿があった。フリーレは高所から市街地の周辺を実に丁寧に見渡している。
第三部隊と第七部隊は工事組ではないので必然彼らも市街地に留まっているのだが、これにも理由があった。フリーレはその異常な視力のおかげで敵兵の姿が遠方に見えようものなら気付けるし、バルドルは神器ミストルティンの弓矢の形態で遠距離攻撃ができる。要は警戒の為であった。
工事組が市街地を出立する際は目立たないように段階的に街を離れたのだが、その際にも終始彼らが辺りを警戒していた。結局フリーレは一度も敵兵の姿を確認しておらず、現状こちらの動きはアレクサンドロス側に察知されていないものと思われる。
「どうだ、問題はなさそうか?」
「ああ、怪しい姿はない」
傍らのバルドルの問いにフリーレは簡潔に答える。
「今のところ敵が俺たちの動きを嗅ぎまわっている気配はないようだな。エリゴスの情報であったストラスという奴は周囲の認識を歪められるらしいが、そいつが紛れ込んでいる気配もなさそうか?」
「そうだな、決着からニ週間、この街で生活していてあの時のような違和感を感じたことはない。現状はストラスにも潜入されていないと判断してよいだろう」
ストラスが再びビフレストに潜り込んでいないか?
これは当然、作戦会議の段階から既にエインヘリヤル内で出ていた疑問である。その時分からフリーレの仕事は主に櫓に立っての周囲の警戒と市街地内の巡回となった。なにしろ彼女ほど目が効き、気配も鋭敏に察知できる人物は他にいないからだ。作戦成功は既に彼女の手にかかっていると言っても過言ではない。
そして今のところ、以前にストラスが潜入していた時のような違和感は感じていなかった。
何気なく目線を下にやる。
視界に入るのは兵舎の区画内を行き交う兵士たち。
その区画のすぐ外側に、中の様子を伺うようにしている不審な少年の姿を見つけた。藍色の少し長めの髪を後ろに束ねている。
(アイツは……)
フリーレはその少年に見覚えがあることに気が付いた。確かアレクサンドロスとの戦争が勃発する直前、自分たちがこのビフレストに来たばかりの頃だ。
ラグナレークと神聖ミハイルとの戦争で荒廃した市街地、家族を失い哀しみに満ちた瞳の少年、そして少年の八つ当たりを自分が実に物々しい言葉と口調で以て諫めたことを思い出した。
彼は懲りることなく、再び憎きラグナレーク兵にちょっかいを出そうとしているのだろうか?
「どうしたフリーレ?何かあったのか」
「いや、なんでもない」
フリーレは少年を見逃すことにした。
彼はたまたま通りがかったというわけでなく、明らかに何らかの意図を持って兵舎区画の中を注視していた。少年が何を思いそこにいたのか、とくに興味があるわけでもない。
ただ、すべてを失った寄る辺ない非力な子供が、この残酷な世界を必死に生きている。
それに気づいた時に、フリーレはどこかかつての自分の姿を少年に重ねていた。そうして生まれた一抹の同情が、彼女に見逃すという気まぐれな選択をさせたのだった。