第135話 エリゴスと第七部隊
時節は遡り、ビフレスト防衛戦から一週間後に戻る。敗北の将エリゴスはすっかりフリーレ率いる第七部隊に馴染んでいた。
ラグナレーク王国の南東にはビフレストという広大な荒原が広がっている。戦禍からの復興を条件に神聖ミハイル帝国から割譲された土地だったが、その実態は世界に覇を唱えるアレクサンドロス大帝国に攻め込まれまいとする為のリスクヘッジでしかなかった。彼らにとってビフレストは支配歴の浅い地域であり、切り捨てるのは苦渋の決断ではなかった。
攻められやすい荒原を押し付けられた格好のラグナレーク王国は案の定アレクサンドロス大帝国に攻め入られた。それもラグナレーク側から奇襲を受けたと大義名分を捏造した上でだ。
襲来したのはアレクサンドロスが誇る魔軍、第17師団”先遣部隊”。
ラグナレークの戦闘部隊エインヘリヤルは大きな犠牲も出すことなく、敵勢を撃退することに成功する。敵部隊の将であるデカラビア、キメリエス、フルカスは戦死。師団長であるエリゴスも敗北の末に皇帝に見限られ、ラグナレーク側に囚われの身となった。
ビフレスト防衛戦と呼ばれる最初の衝突は、ラグナレーク側の完全勝利で幕を閉じた。
しかし戦争は終わらない。アレクサンドロスから見れば小手調べ用の部隊が潰されたに過ぎないからだ。このまま手をこまねいていれば更に強力な軍団がビフレストを、そしてラグナレーク本国を蹂躙せんと押し寄せる……それは明白であった。
ビフレスト防衛戦が終結してから一週間後の良く晴れた朝方である。
市街地は今もなお復興途上であった。市街の片隅には兵舎が集まった区画があり、場面はエインヘリヤル第七部隊の兵舎へと移る。
この第七部隊は元ならず者や国を牛耳っていたフェグリナの手の者など、要は脛に傷の有るワケありがまとめられた新設の部隊であった。それでも先の戦いでは華々しい活躍を見せている。彼らをまとめるならず者の長、フリーレの影響が大きいだろう。
そのフリーレに敗北を喫した敵将、エリゴスは相変わらずラグナレーク側にその身を置いていたが、彼女は既に牢に繋がれていなかった。さも当然のように兵舎内を誰の連れも無く歩いている。
それもその筈、エリゴスは今ではれっきとした第七部隊の隊員であったのだ。
「ほらーお前たち!ご飯の時間だぞー!早く起きろー!」
エリゴスは鎧ではなく可愛らしいエプロンを部屋着の上から身に着けている。そしてフライパンとお玉をカンカンと鳴らしながら兵舎内を練り歩いていた。
「ようエリゴス、お早うさん」
「ああ、お早う」
「今日も可愛いな、エリゴス」
「う、うるさい!からかうな。早く飯を食ったら訓練に行け」
エリゴスはすっかり部隊に馴染んでいた。ワケありの多い部隊だからか良くも悪くも懐が広い。
それにエリゴスは実直な性格で、ラグナレーク側に与すると決めた以上色んな役割を率先してこなそうとした。性格もとっつきづらいわけではなく見てくれも良い、彼女はたちまち部隊の人気者となった。
しかし彼女がとくに部隊内で人気を博するようになったのは、決着から三日後のあの夜の出来事が大きいだろう――
◇
その日も兵士たちは市街の復興作業に勤しんだ後、疲れた体を浴場で癒していた。ビフレスト防衛戦は終始市街の外で行われた為、街が更なる破壊に見舞われることはなかった。それでも次なるアレクサンドロスとの戦に備える為、復興作業を早期に片付けるべく彼らは急いでいた。
「ふいー疲れた、疲れた」
「今日もよく働いたな」
浴槽では茶色のくせ毛の男ルードゥと、スキンヘッドの巨漢グスタフが壁にもたれた体勢でくつろいでいた。
浴場の扉が開く音と共に悠然とした足音が聞こえてくる。そこには一糸まとわぬ姿のフリーレがいた。その姿は彼女の取り巻きのみならず、もはやルードゥやグスタフにとっても見慣れた光景となっていた。
今更どぎまぎすることなど、少なくとも彼女に惚れているわけではないルードゥにはなかったが、この日は違った。
――フリーレの背後に誰か居る。
そしてそれが誰であるかを理解した時、二人はいつかと同じように叫んでしまった。
「ハアアアアアアアアアアアアアアア!?」
「ウオオオオオオオオオオオオオオオ!!」
そこには同じように一糸まとわぬ姿となったエリゴスの姿があった。兜も鎧も脱いでいるので、角の生えた頭と長い緑髪、褐色の美しい裸体が露わになっている。
「お、お頭、さすがに恥ずかしいぞ……」
エリゴスは右手で乳房を、左手で秘所を隠しながらもたつくように歩いている。対してフリーレはあまりにも堂々としていた。
ところが周囲の視線はまるで隠す気のないフリーレよりも、体を隠しながら恥ずかしそうに歩くエリゴスにばかり注がれていた。
フリーレの方は既に見慣れてしまったというのもあるだろう。だがそれ以上に、彼女なら決してしないであろうその実に女性らしい仕草に男たちは心奪われてしまったのだ。
「ヌオオオ!いかん、いかんぞ!俺は隊長一筋だ!」
グスタフはバンバンと自分の頬を両手で叩いた。
「いやいやいや!何当然のように連れて来てるんだよ、隊長!」
ルードゥはいつかの時と同様に抗議の声を上げる。
「なに、コイツを何日も風呂に入れていないことに気が付いたのでな、連れて来たまでだ」
「いやいや人の気持ちってモンを考えよーぜ?全員がアンタと同じように感覚がぶっ壊れてるワケじゃねーんだからな?めっちゃ恥ずかしそうにしてんじゃねーか!」
フリーレは背後のエリゴスに目線を向ける。そこには初めに対峙した時のような威厳は既にない。ただ一人の乙女であった。
「どうしたエリゴス?何か問題でもあるのか?」
「いえ、お頭……そ、その」
エリゴスが口ごもっているところを、
「お頭!お忘れでしょうが、普通風呂に入る時は男と女は分かれて入るモンなんですぜ!」
と遠くからディルクがフリーレに言って聞かせた。
「ふむ」
フリーレは顎に手を当て、しばし考えると再度エリゴスの方を向く。
「そういえばそうだったな。ではお前は後で独りで入るか?」
「お頭は、みんなと一緒に入るのか?」
「当然だろう。我々は仲間だ。ならば風呂も寝食も共にするべきではないのか?」
「……」
エリゴスは少し考え込むような仕草をした。
そしてフリーレが「お前は後で風呂に入るといい」と言って、エリゴスを浴場から連れ出そうとするのだが、彼女はそれを拒むようにフリーレにしがみついて、ただ一言。
「……お、お頭と一緒がいい」
苦し紛れに呟くように、ただそう言った。
「そうか。では一緒に来い」
人の感情の機微に疎いフリーレは、エリゴスの言葉にとくに感慨もなかった。負かした相手が尻尾を振って来るのも初めてのことではなかった。
しかしその様子を遠巻きに見ていた男たちは、エリゴスの中に確かに生まれていたフリーレへの憧憬や尊崇の念に気付いていた。そして風呂場で野郎勢に裸体を晒すという羞恥に耐えながらも、フリーレと共に入浴することを選んだエリゴスの姿を見て、男たちは皆胸がときめくように感じた。
エリゴスに対する敵意や不審のようなものは取り払われ、それどころか彼女の真摯な気持ちに対する好感や、同じ人物をお頭と呼んで慕うことへの共感に置き換えられていった。
この時を機に、エリゴスはもはやフリーレだけでなく、部隊内全員にとってすっかり仲間であった。
「ふう、やはり湯に浸かるのは気持ち良いな」
(や、やっぱり恥ずかしい……)
しかし向けられる好奇の目に慣れるのには、今しばらく時間がかかりそうであった。




