第134話 再び声を紡ぐ口
ついにミサキの声を聞くことに成功するマグナたち。次なる目的地も判明し、彼らはポルッカ公国を後にする。
あれから一週間が経ち劇の公演期間が終わると、マグナたちは再びバージェス山脈のレイザーの山小屋を訪れていた。彼は初日の公演こそ見物していたが、それ以降はすぐにウィントラウムを後にして相変わらず山小屋に時を停めて引きこもっていた。
「なかなか良かったぞ、お前たちの劇。まあもっとも、俺の原題からはだいぶ離れた物語になってしまっていたが」
「不満かしら?」
「いや、そうではない。結局俺が初めに書いたものは、ただの自己満足の羅列でしかなかったからな。それにお前からは物語づくりの妙を教えられた。今度は自分で納得のいくエピソードを作ってみようと思う」
レイザーの表情は変化に乏しかったが、どこか微笑んでくれたようにリピアーには感じられた。
「劇で公演したエピソードも気に入っている。仔細は変わっていようが、俺が望んでいた大筋の顛末には変わりないのだからな。今度ピッグマリオンに逢った時には、あのエピソードをマリアベルに追加してもらおう。今のままでも良いのだが、いかんせん人間的な設定が無さすぎるからな」
そう呟くレイザーの言葉を聞いて、リピアーはあることに気が付いた。
「……私の推測では、貴方は人間というものを忌避していた。だから機械的な存在であるマリアベルを溺愛していた。けれどもそんな彼女に人間的な設定を求めるなんて、貴方は心のどこかで人との関わりを望んでいたのね」
「……」
レイザーは何も答えず、ただ窓の外を見やった。
「レイザー、私たちはもはや仲間、決して浅い間柄ではなくなったわ。今回私たちが貴方を頼ったように、今後は貴方にも私たちがいることを忘れないで」
「……有難う、リピアー」
初めて、彼に名前を呼ばれた気がした。
◇
「そうだ、約束だったな。そこのミサキという少女の時を戻す、ということでよかったのだな?」
「ええ、彼女が意思疎通不可の呪いがかけられる以前の状態にまで戻してほしいの。ただ彼女がいつからこのようになったのかはよく分かっていないわ」
「ふむ、ならば一年単位ごとに時を戻してみようか」
レイザーは時を戻すべくミサキの元へと近づくが、トリエネが待ったの言葉を掛ける。
「ちょっと待って!ふと思ったんだけど、時を戻したらミサキちゃんの記憶もその分失われて、私たちのこと忘れちゃうんじゃないかな?」
「確かに、それだとたとえ喋れるようになっても俺たちにちゃんと話をしてくれるかもあやしくなるな」
「うん、それに淋しいよ。せっかくミサキちゃんと積み重ねてきた日々の記憶が、ごっそりなくなっちゃうなんて」
トリエネの悲しげな顔にマグナとマルローも同じ気持ちになった。ミサキとの付き合いは彼らの方が長い。未だミサキとは一度も言葉を交わしていなかったが、もはや決して浅からぬ関係であった。
いくら時を戻せても、これを喪失するのには並々ならぬ抵抗が……
「心配要らないわ。これを使うつもりだから」
そう言ってリピアーは懐から菱形の造りの付いたペンダントを取り出した。見覚えのある形だった。
「それは……ピッグマリオンの秘石ってやつか?しかし光の色が翠玉色じゃないな。リピアー以外の能力が保存されている?」
「これにはミアネイラの能力が入っているわ。裏世界のNo.13、記憶の神ムネモシュネーの能力を持つ彼女のね。この能力でミサキの記憶を読み取ることはできなかったけれども、現状の記憶を保存しておくことは可能なはず」
「なるほど!それで時を戻した後で、保存した記憶をミサキちゃんに流し込めば……」
「ええ、私たちのことを知る喋れるミサキの完成よ」
リピアーの提案に、一同は胸を撫で下ろしたように微笑む。ともかくこれで不安はなくなった。
「今ピッグマリオンと言ったな?お前たち知り合いなのか?」
「いえ、この神器は闇市場で出回っている量産型の神器なのよ。私たちが直接ピッグマリオンの能力者に作ってもらったわけではないわ」
「そうか、探す手間が省けると思ったのだがな。なにしろ俺が知っているピッグマリオンの能力者は三百年前の男だ。現代ではさすがに別人になっているだろうからな」
レイザーとの会話が終わると、リピアーをペンダントを首に下げ、ミサキの頭に触れてムネモシュネーの能力を行使した。記憶の保存が完了すると、いよいよミサキの時戻しが開始された。
――まず一年、時を戻した。
レイザーが時戻しを終えると、ミサキは突如その場から弾けるように駆け出した。しかしドアの前にはマグナが立ち塞がっていたので出口はなく、しばし右往左往した後、部屋の片隅で縮こまってしまった。動きこそ慌てていたが表情に変化はなく、声の一つも発していない。
「どうやらまだのようだな」
「そうね、少なくとも一年前の時点では既にミサキに意思疎通不可の呪いがあったようね」
目の前のミサキは今までと何ら変わりない、ただマグナたちのことを忘れただけのミサキだった。
「レイザー、もう一度お願いできるかしら?」
「承知した」
――さらに一年、時を戻した。
出会った頃のミサキは十歳程度の年齢であろうと見ているので、現状は八歳ほどであろうか。
部屋の隅で怯え続けているのは相変わらずであった。しかし明らかな変化があった。
「ここはどこ……?パパーー!ママーー!」
「!!!!」
ミサキは明らかな恐怖の表情を浮かべ、悲痛な声で叫んでいた。彼らは初めてミサキの声を聞いた。
「リピアー!ミサキちゃん喋ったよ!」
「ええ、それに言動から察するにこの時点だとまだ両親は健在のようね」
リピアーはミサキに近づくと再び頭に触れた。そして保存しておいた記憶を流し込む。それが終わるとミサキは途端に落ち着いた。すべてを思い出したのだ。
「……マグナさん……マルローさん」
ミサキは可愛らしい声で、自分を保護してくれていた者たちの名を呼んでいた。二人は思わず感極まりそうになった。
「ミサキ、俺が分かるのか?」
「はい、ありがとうマグナさん。いつも私に良くしてくれて」
「俺は分かるよな?ミサキ」
「マルローさんもいつもありがとう」
初めてのミサキとの言葉のやり取り。喋れなかったミサキと彼らは二か月以上の時を過ごしている。嬉しくないわけがなかった。
「私は!?私は分かる!?ミサキちゃん!」
「トリエネさん、あの時はありがとう。私を逃がしてくれて。あそこはすごく怖い場所だったけど、トリエネさんがいてくれてよかった」
「うんうん!大丈夫だよ、ミサキちゃん。あなたを虐待する人なんてもういないからね!」
トリエネはミサキに駆け寄り、ひっしと抱き締めた。
「成功したようね。年齢は二歳若返ってしまったけど、これであなたは何不自由なく話せるはずよ」
「リピアーさん」
「私とあなたのファーストコンタクトは、あなたを誘拐する場面だったわね。やっぱり私のことは苦手かしら?」
「そんなことないです。仕方なかったんですよね?リピアーさんがすごい優しい人だってこと、私は知ってます」
「……ありがとう、ミサキ」
ミサキの言葉に、リピアーも救われたような気がした。
「それでミサキ、さっそくで悪いのだけど話を聞かせて。アタナシアについて、あなたが知っていることを話してほしいの。私たちは何としてもドゥーマより先にそこに到達しなくてはならないの」
真剣な表情でミサキを見つめる。しかし彼女は困ったような表情を浮かべた。
「ごめんねリピアーさん。私、そのアタナシア?っていうの全然何も分からなくて」
「そう。あなたの父親、ハルトの故郷について詳しく知りたいのよ」
「故郷……パパは昔は”ヒノモト”で暮らしていたって聞いたことあるよ」
ヒノモト。
マグナたちには初めて聞く名であったが、リピアーには聞き覚えがあった。
「ヒノモト……確かアリーアが調査した記録にあったわね。なんでも大陸の東方では、アタナシアをそう呼ぶとか」
「ならそのヒノモト?について詳しくわかりゃいいんだな?ミサキ、何か知らねえか?」
「ごめんなさいマルローさん、ヒノモトがどこにあるのかとか何も知らなくて」
「ミサキ、嫌な記憶を思い出させるようで申し訳ないけれど、あなたの父親と母親に何があったのかを教えてもらえる?」
ミサキはしばし悲しげな表情をした後で、両親の死について語り始めた。
「あの日、すっごく怖い女の人が入って来て、ママを殺したの。その後パパも殺そうとして……」
「女……あなたはその人が誰だか知ってるの?」
「ううん知らない人。パパは、確かヤクモ様って呼んでた。その人はパパにも剣を突き刺して、それで……」
それきりミサキはしばらく口をつぐんでしまった。やはり思い出すのも辛い情景だったのだろう。ヤクモについては何も分からないが、ヤクモとやらがヒノモト出身であろうこと、ミサキの弁の通り彼女の両親を手にかけたこと、そしてミサキについては殺さずに意思疎通ができない呪いを掛けて放置したであろうことが推察された。
ミサキが落ち着きを取り戻したのを見計らって、リピアーは質問を続ける。
「ミサキ、ごめんなさい、もう少し情報がほしいわ。そのヤクモについては分からなくても、他に何か情報はないかしら?直接ヒノモトやヤクモに関わる記憶でなくてもいいわ。たとえば、当時のあなたの生活はどうだったのかしら?」
優しく語りかけるリピアー。ミサキはしばらく考え込むが、やがて口を開く。
「パパとママの喧嘩が多くなって、ママは家を出ていることが多かったの。パパはたくさんお酒を飲むようになって。ヒノモトに戻るわけにもいかないし、マルティアもなくなっちゃったからどうしようってよく言ってたの」
「……!」
リピアーがはっとした表情をした。
マルティアという地名にはマグナも聞き覚えがあった。たしかヴェネストリア連邦の北西部、アンドローナ王国にかつて存在した町。正体不明の疫病で壊滅したリピアーとトリエネの生まれ故郷。
「…………そう、パパは以前はマルティアの町に住んでいたのね」
「うん、ごめんねリピアーさん、もう知ってることないや……」
「いいえ、充分だわ。ありがとうミサキ」
神妙な面持ちのリピアー。マグナがそっと語り掛ける。
「なあリピアー、マルティアって……」
「…………」
それきりマグナは口を閉ざした。
マルティアでの出来事はトリエネの出自にも関わっている。そしてそのことは意図的に黙秘されてきたことを彼は知っている。
「よく分かんねーけどよ、そのマルティアって町に行けばなんか手掛かりがあんのかもな」
「そうだね、行ってみようよリピアー!」
マルローとトリエネ、事情を知らない二人は何のけなしに声を上げる。
いよいよ話すべき時が来たか、とリピアーは思った。
「リピアー、大丈夫か?」
「心配要らないわ、マグナ。ついに真実を告げる時が来たというだけ。あの町を訪れる以上、何があったのかを話さないわけにはいかないわ。私は大丈夫だから……」
そう言ってリピアーはトリエネに近づいた。トリエネもリピアーがいつになく真剣な表情を浮かべていることに気が付き、少々身構えた。
「リピアー?」
「トリエネ、ついに話す時が来たわ。私が何故貴女を組織に縛り続けてきたのか、何故決して表社会に出そうとして来なかったのか、その理由を」
「それって……!」
今まで幾ら尋ねても、リピアーはこの件についてはまったく答えを返してくれなかった。待望だったその真意を聞けるタイミングはまったく唐突に訪れた。
「ただトリエネ、貴女にとってはショックな情報になると思うわ。私はただ貴女の幸せを願っていた。このことは知らないでいてくれていた方が良かったのよ。それでも聞いてくれる?」
「……大丈夫だよリピアー。ありがとう、いつもわたしのことを大切に思ってくれて。リピアーが育ててくれたから、私は強くなれた。たとえどんなに残酷な真実でも、私は向き合うよ」
「そう。本当に、本当に強くて真っすぐな娘に育ったわね……」
リピアーはトリエネを抱き締める。トリエネも全身で母の優しさを堪能する。
やがてリピアーは体を離すとトリエネの両肩に手を置いて、真剣な表情で顔を見合わせた。
「トリエネ、今こそ真実を話すわ。実は貴女の中にはね…………」
◇
一行はバージェス山脈を後にする。
一か月以上の時を過ごしたポルッカ公国ともこれでおさらばである。
五人は黙って歩き、停めていたマルローの自動車へと向かう。道中でマルローがトリエネに話しかける。
「史上最悪の疫病か……」
「……うん、それが私の中に。今はリピアーの能力で抑え込んでるけど、私に何かあったら町ごと滅ぼしちゃうかもしれないんだね」
神妙な面持ちのトリエネ。その肩をマルローはポンッと叩いた。
「気にすんなよ。リピアーの見立てではその疫病はアタナシアから来たんだろ?つまりそこに行けば、なんとかする手筈があるかもしれないだろ?俺も協力するぜ」
「……ありがとっ、マルロー」
こんな時でも変わらぬマルローのくだけた調子が、彼女には嬉しかった。
一行は自動車へと乗り込む。エンジンが唸りを上げる。
「それじゃ、いよいよポルッカ公国ともお別れね」
「ああ、目指すはマルティアの町。アタナシアへの手がかりを何としても見つけ出そう……!」
マグナの言葉が終わる頃、自動車は山道を走り始めた。
こうしてミサキの記憶をめぐるポルッカ公国での旅は終了した。
ようやく話せるようになったミサキがもたらした情報は、彼女の父親がかつてはマルティアの町に暮らしていたことだった。そこはリピアーとトリエネの生まれ故郷であり、二十年前に謎の疫病で壊滅した町であった。
アタナシアへの手がかりを求めて、ヴェネストリア連邦アンドローナ王国故マルティアの町へ――
マグナたちの旅は続く――
これにて第5章終了です。マグナの立ち直りの章という位置づけになりました。次章は再びフリーレたちの戦いの続きとなります。