第133話 愛は星明りの如く③
愛の物語はいよいよ佳境を迎えた。苦難の果ての輝きが舞台を彩る。
静かな夜、粗末な部屋で寝静まる二人。
そこに黒ずくめの男たちが侵入して騒然とした。
「なんだお前たちは!?放せっ!」
抵抗するが二人は難なく当身で気絶させられた。
つましく寄り添い合って暮らした日々は突如として終わりを迎えた。
舞台の上でレイザーは磔にされている。槍で武装した兵士たちが彼の周りを取り囲んでいる。それを見物する群衆の目は冷ややかだ。
あれがフィオーレ伯爵のご令嬢を誘拐した男?
エリシャの血筋か
神に見放され国を失った呪われし一族
やはり悪しき存在だったのだ
人々は思い思いの言葉を口にしている。
彼の命の安否を気にしている者など誰もいなかった。
皆、彼のような存在は等しく唾棄されるべきだと、そう考えていたのだ。
「……」
レイザーはもはや命を諦めていた。黙って目を閉じている。
思えば貧民で被差別民だった自分が、あろうことか貴族令嬢と恋仲になっていたのだ。あまつさえ夢のように甘い口づけまでした。彼は充分幸せだったと、そう自分に言い聞かせた。
――声が聞こえた。
必死に名を呼ぶ声がする。聞き慣れた声だ。群衆を掻き分けて近づいて来るその声の主はマリアベルだった。
「マリアベル、どうしてここへ?この場で俺の味方をすることがどういうことか、分かっているのか?」
「……」
彼女は答えず彼に近づくと、振り返り群衆の方へと視線を向けた。揺るぎない瞳だった。
「なにゆえ彼を貶めるのです?あなた方は私を高貴な者だと言い、彼を下賤の者だと蔑みますが、彼の心はきっと私と同じ色でしょう。彼が死ねば、私も自身の胸にナイフを突き立てます。そして互いの心臓を比べてみるがよいでしょう」
懐をまさぐり始める。取り出されたのは白銀のナイフ。
マリアベルは自分の胸にナイフをあてがった。血が滴り落ちる。
群衆の間ではさすがにどよめきが起こったが、彼女の手を止めるものがあった。
なんとか拘束を脱したレイザーの手であった。
「レイザー?」
「どこの世界に愛する女が死ぬことを望む男がいるというのだ。君と過ごしたひと時は仮初でも、俺は充分に満足だった。もう一緒に逃げてくれとは言わない。ただ生きてくれ。俺は今日死ぬのだろうが、お前だけは命を捨てないでくれ!」
彼を想い、胸にナイフをあてがったマリアベル。
彼女を想うあまり自身の命を諦めていたレイザー。
二人の想いはどこまでも相手を思いやってのものであった。互いに相手のことしか考えていないのだ。
それを見ていた群衆はたちどころに思った。自分たちはあれほどまでに他人のことを想えるだろうか?どうしても自分本位に生きて来た記憶ばかりが脳裏をよぎる。
二人は互いを想いやるあまり、自身の命さえもないがしろにしていた。しかしそれを良しとしないのか、突如として神聖な光が舞台を照らした。
――大掛かりな舞台装置の駆動音と共に何かが降り立った。
◇
それは神々しい衣装に身を包んだ美しい女性の出で立ちであった。
「……貴女は?」
「私は愛の女神、名をアフロディテーと申します。あなた方を祝福するべく降臨したのです」
神妙な声音であった。二人は夢を見ているような気分だった。
女神は指を鳴らすと瞬く間に夜となった。吊られた暗板の上に煌めく意匠が散りばめられ、星空を演出した。
「あなた方は星」
「……星?」
「星は深いの夜の闇でこそいっとう輝いて見えます。あなたたちは苦難に塗れても、くじけずに互いを想い続けた。それは星明かりの如くに神聖で尊いものだと思います」
女神はそう言って、今度は群衆へと向いた。
「私がここに降臨したのは、彼らの想いを無駄にしない為。そしてその尊さをあなたたちに伝える為です。人は弱いものです、争い傷つけあうこともあるでしょう。ですがこの二人の真実の愛を見たらば、あなたたちは嫌でも気づいたことでしょう。人を傷つけ侮蔑することの愚かしさ、人を信じて愛する素晴らしさを。嗚呼、かような愛がすべての人類に未来永劫宿らんことを!」
そう言って女神は両手を合わせて高らかに歌い始めた。
群衆は皆一様に感涙していた。やがて誰かが同じく歌い始めた。歌声は一人、また一人と連鎖してやがて大合唱へと変貌した。
歌声の中でレイザーはマリアベルの手を取って立ち上がった。不思議なことに彼女の胸の傷は癒えている。
「やったぞ、マリアベル!認められたんだ、俺たちの愛する気持ちが!」
「ええ、夢みたい!いいえ、きっと夢にしてはいけないんだわ」
「そうさ、愛することの素晴らしさを皆に伝えていこう。世界中を照らすのはいつも人の心の灯なんだと、俺は信じている!」
二人は歌う群衆の中で踊り出した。今までの軽快なダンスとは違う、たおやかな二人組での舞踏であった。つられたように群衆も一人、また一人と近場の人と手を取り踊り始める。女神も歌い続けながら回り始める。
流麗な夜想曲のような旋律が、やがて高らかな交響曲へと変わる!
◇
ひとしきり歌と舞踏が続いた後、暗幕に閉じられた。
程なくして再びそれが開くと、舞台は真っ暗であった。
いや正確には群青色の背景ばかりであった。他に装飾物や舞台装置は一切ない。
舞台袖の左からレイザーが、右からはマリアベルが現れた。二人はスパンコールのような、煌めく衣装に身を包んでいた。これは星空の喩えなのだと、誰もが見て取れた。
女神の声が、今度はナレーションとして聞こえてくる。
『こうしてこの国は幸福となりました。皆が愛することを、誰かを思いやることを知り、それが星明かりの如くに暗い闇夜を照らしたのです』
女神の声が紡がれる下で、二人は近づき手を取り合う。
静かにたおやかに踊り始めた。
『星は遠いもの、その光はすぐには届いてくれません。けれどもいつかは必ず届くのです。暗い闇夜を突き抜け、地上を照らす星のように、あなたの想いも斯くあるのだとしたら、きっといつかは報われます』
踊り続ける。踊り続ける。
『寂しくて、独りきりだと思うこともあるでしょう。ですが一寸先は闇、それが人生。先は誰にも分からないのです。だから自ら照らして進んで往きましょう。己の望んだ未来の為に……』
踊り続ける。踊り続ける。
止まらない。止めるわけにはいかない。
それは、人生と同じであった。
◇
やがて舞台の緞帳が静かに降りていった。
観客がこれで劇も終いかと思っていると、今度は壮大な演奏と共に再び緞帳が上がった。
出演者たちが舞台袖から次々と飛び出して、定位置に着くなりお辞儀をする。
始めは酒場の客や群衆といった端役、その後は二人を追い回した黒ずくめの男たち、マリアベルの父親であるフィオーレ伯爵、侯爵令息アレイスター、愛の女神アフロディテー……
最後にレイザーとマリアベルが、それぞれ互い違いの舞台袖から出て来ると、舞台の中央に立ってお辞儀をした。
ここで一旦演奏が止んだ。レイザー、いやマグナは口を開いた。
「みなさん本日は有難うございました。私はこの劇で皆さんにどうしても伝えたかったのです。苦難に塗れても、いつかは報われる時が来ると。そしてそれを実現しうるのは他でもない、人の優しさや思いやりだということを。本劇が皆さんの輝かしい明日の、その一助になれれば幸いです。では有難う、本日はこれにて、また逢いましょう!」
いつもの彼には似つかわしくない、挨拶文染みた演説。しかし本心であった。
彼は今、戦い以外の手段で正義の神として役割を果たしているのだと、そう確信していた。こんなアプローチもあるのかと思いながら、このきっかけをくれたリピアーとトリエネには感謝したい気持ちだった。
やがて一同は再度深いお辞儀をした。観客たちの拍手が聞こえてくる。
面を上げて出演者一同は皆隣同士に手を繋ぎ合う。その状態で再度お辞儀をする。拍手は鳴り止まない。それが数回繰り返された後、舞台の幕は完全に下ろされた。
観客たちが一人、また一人と退室を始める。
メリアはぽつりと隣の祖母に囁いた。
「ねえお婆様」
「何かしら?メリア」
「……私、やっぱり学校もう一度行ってみようと思うわ。友達はいなくなっちゃったけど、また作らなくちゃね」
それを聞いて、祖母の顔は星のように輝いた。