第132話 愛は星明りの如く②
劇の中で幸せなひと時を過ごす二人。しかし彼らの運命は政略結婚を企図した刺客に振り回される。
再び暗幕が上がると、舞台は貴族の邸宅内に様変わりしていた。
底意地の悪そうな男の元に執事が訪れる。
「御主人様、マリアベルお嬢様の居所がようやく分かりました」
「本当か、何処にいるというのだ?」
「それがなんでも貧民街に出入りしているようでして……」
「何だと!?何故そのようなところに」
「そして、お嬢様が怪しげな男と逢っているところを目撃した者がいるようです」
男は報告を聞くと、腹立たしそうに部屋の調度品を蹴り飛ばした。
「マリアベルに悪い虫が付いているというのか!?貧民風情が我が娘を……許せぬ!」
「ですが御主人様、お嬢様に嫌がるような素振りはなく、それどころかその男との逢瀬を楽しんでいる様子であったと聞きます」
男は窓の外を眺めながら、背中越しに命ずる。
「こうなればウカウカしておれんか。侯爵令息との縁談の件、一刻も早く進めるのだ!」
舞台が貧民街に戻ると共に、レイザーとマリアベルが仲睦まじく歓談しながら姿を現す。
そこに怪しい黒ずくめの男たちが立ちはだかる。
「マリアベルお嬢様……申し訳ないですが戻って頂きましょう。なに、大人しく従えば手荒な真似は致しません」
(おそらくお父様の手の者だわ)
(分かった、俺はここいらの地理に詳しい。なんとか巻いてみせよう)
そこから緊迫感とともにどこか軽快さの有る伴奏と共に、舞台の上で目まぐるしい逃走劇が繰り広げられる。
「逃げろ♪逃げろ♪奴らは奪うつもりなのサ、俺たちから束の間の幸せすらも♪」
「逃がさぬ♪逃がさぬ♪その女はお前には不釣り合いだよ、お嬢を置いて立ち去れ♪立ち去れ♪」
物陰に隠れ、追手をやり過ごす二人。通り過ぎたのを見計らって姿を現す。
ほっとするのも束の間、背後から近づく影に二人は気が付かなかった。追手は二手に分かれていたのだ。
追手の男が握りしめていた短剣が、レイザーの脇腹に突き刺さった。
「ぐあ!」
「レイザー!」
地べたに倒れ伏すレイザー。マリアベルは驚いている内に、戻って来た追手に羽交い絞めにされてしまった。
「放して、放してよ」
「駄目でございますお嬢様、あのような不届き者と懇ろにしていても不幸になるだけです。さあさ我らと戻りましょう、貴女様に相応しい結婚相手が待っている」
「何が幸福か不幸か、これはワタクシの人生、決めるのは私です」
「何をおっしゃいますか、貴女様はご自身の身分をまるで分かっていない」
そうしてマリアベルは舞台上から姿を消した。
もう一人の追手も立ち去ろうとするが、レイザーは地面に倒れ伏したまま男の服の裾を掴んで引き留める。
「待て、アンタらはマリアベルを不幸にしようとしている。見過ごせないぜ、それは」
「不幸だと?ではなんだ、お前ならばお嬢様を幸福にできるとでもいうのか?」
「お前たちは知らないだろう、あの娘が心から笑った時の顔を。とにかく可愛いんだぜ」
レイザーは血を流しながらも、笑みを浮かべて食い下がる。追手は腹立ちついでに彼を蹴り飛ばすと、そのまま何回も何回も踏み付けて、彼がグッタリするのを見るやその場を後にした。
悲愴感漂う音楽と共に、暗幕が降りた。
(現実なんていつもそうよ。甘い思いをさせた上で、それを奪い去っていくの。その方が絶望が何倍にも膨れ上がるから……)
◇
舞台には豪華な装飾とシャンデリア、豪勢な料理の並ぶ幾つものテーブル、そして絢爛たる衣装に身を包む紳士淑女たち。
マリアベルも煌びやかなドレスを身に纏い、そこに居る。彼女の元へ一人の男が近づいて来る。
「これはこれは、貴女がマリアベル・フィオーレですね?私はフィルデ侯爵の息子、アレイスターという者です」
「……どうも」
アレイスターはこのパーティーを主催する侯爵家の次期当主にあたる男であった。
しかしこの男はとにかく馴れ馴れしかった。彼はマリアベルが評判通りの美貌であると見るや、グイグイと距離を縮めて、彼女の腰に手を回した。
「嗚呼、私はきっと世界一の幸せ者だ。君のような美しい女性を妻として迎えることができるだなんて。さあさ今宵は共に踊りましょう、私は貴方に永遠の愛を誓おう!」
(なんて馴れ馴れしくて、キザったらしい男なの!?それに比べてレイザーは無意味にカッコつけたりはしない。いつでもあるがままの心で生き、私に語りかけてくれていた……)
アレイスターは彼女の手を引いて、舞台の中央へと歩を進める。
――その時だった。
会場に突如汚らしい身なりの男が現れた。
衣服はただでさえ粗末だったものが、血と泥で盛大に汚れていた。ぼろ布を纏うその男自体も、ひどく汚らわしく見苦しく映った。
賓客たちがどよめく中で、マリアベルだけが彼が何者であるかを知っていた。
(レイザー……!)
レイザーはマリアベルに近づくと、彼女の手を取った。
そして強引にアレイスターから引き剥がすと、そのまま走り去って行方を眩ませてしまった。
「誘拐だー!誘拐事件だぞ!」
「マリアベルお嬢様が攫われた!」
◇
見知らぬ夜の街を、二人は互いを支え合うように歩いている。
レイザーは腹に包帯を巻き、別の服に着替えている。これもまた粗末であった。
マリアベルもあの夜の豪華なドレスは脱ぎ捨てて、彼と同じような粗末な服を身に纏っていた。
二人には金も、行く宛ても無かった。
レイザーは日雇いの労働を、マリアベルは野で集めた花を売って生計を立て始めた。
少ない金でひもじくつましく暮らす様子が、しばらくずっと続けられた。
或る夜、レイザーはマリアベルが空に浮かぶ月を仰いでいるのを見て、やはり彼女は今の暮らしを嘆いているのではないかと、そう思った。
「マリアベル、俺は君を不幸にしただけだったんだな」
「どうしてそう思うの?」
彼女は振り返らず、ただ夜空を見上げている。
「俺と共にいなければ、こんな暮らしをする必要もなかった。貴族令嬢として何不自由ない暮らしを送れていたはずだ……」
レイザーの声は後悔に滲んでいる。ところがマリアベルの声には静かな力強さがあった。
「私は信じているわ。貴方はとても真っすぐで、優しい人だもの。この世界に本当に神様がおわすのであれば、貴方が報われないことなんてきっと有り得ない。だから私はこうして神に、毎夜祈りを捧げているの」
マリアベルの優しい言葉が、かえって今のレイザーには辛かった。
彼の中で押し留められていた想いが、堰を切って溢れ出す。
「マリアベル、俺は君のことを愛している。この気持ちを抑えることができなかった。気が付けばパーティ会場に乗り込んで君を攫っていた」
窓辺の彼女に近づき、背後から抱き締めた。
「こんな賤しい俺と一緒にいるんだ、きっと君の名誉にも傷を付けてしまった。こうしてこそこそ隠れながら貧しく暮らすのも不本意だっただろう。俺は君に取り返しのつかないことをしてしまった」
「いいえ、後悔なんてないわ」
その言葉に後ろめたさはない。
「あのままではきっと私は望まぬ結婚をしていたでしょう。けれども自分から逃げ出す勇気がなかった」
そして彼女は振り向くと、彼の頬に手を当てて、顔を近づける。
「だからねレイザー、私はとても嬉しかったの。貴方が私を連れ出してくれたこと、何より貴方が勇気を振り絞ってくれたことを」
「し、しかし……俺の我儘で、君を不幸にしてしまったかもしれない」
悲し気に顔を歪める男。
しかし女は温かさと強かさが同居した表情で彼を見つめる。
「いいのよ。私ね、気づいたの。どのような道でもこの世界は、人生は”思い通り”になんていかない。貴方は私を不幸にしたのだと、そう思っているのでしょうけれども、あのまま貴族として暮らしていたって何もかもが幸せなまま推移することなんてなかったでしょう。だから私は、自分の歩きたい道を選ぶの」
「これが君の歩きたかった道……?」
「貴方の行く先が私の歩きたい道。ねえ聞かせてくれる?貴方の本当の気持ちを……」
そう言って彼女は目を閉じた。
そしてマグナは、あの日の夜と同じように、リピアーにキスをした。
(なんだろうこの二人。目の肥えた私には分かる、ベテランほどの演技力も歌唱力もない。でも何故これほどまでに引き込まれるの?まるで二人が本当に人生の苦難を乗り越えようとしているような……)