第129話 開演までのあれこれ②
公演準備の進むマグナたちの演劇に突如人権団体からクレームを受ける。かつて実在した差別の描写があることを問題視しているようだったが…
その突如現れた客人は裕福そうな身なりをしていた。年齢は四、五十代ほどの女性。同じくらいの年齢の恰幅のいい男性も一緒だ。
二人は客間に通され、マルクスが応対した。
「それで、どちら様でしょうか?」
「アンタがこの劇団の責任者?」
女性の話し方は横柄だった。
「……私はこの劇団の責任者ではありませんが、関係者ではあります。マルクス・ボルクス・ファムエルトという者です。失礼ですが、貴方がたはどちら様でしょうか?」
「これは失礼しました、マルクスさん。我々は”リーベ人権保護機構”の者です。私はボズバイドといいます。こちらはレーム」
男性の方はやや礼儀正しかった。レームと紹介された女性は無愛想に会釈する。
「これはどうもボズバイドさん、レームさん。それで、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「単刀直入に言います!えーと、愛は……何でしたっけ?」
「”愛は星明りの如く”だよ、レーム」
「そう、それです!その劇の公演を中止として頂きたいのです!」
突如求められた公演中止の要請……
部屋の外ではマグナたち四人が耳をそばだてて話を聞いている。
「中止だあ?何言ってやがる、あのおばさん」
マルローは不愉快そうに顔を歪める。
「あまりいい話は聞けそうにないな」
「それにしても中止ってどういうこと?」
「まだ事情が分からないわ、もっと詳しく話を聞いてみましょう」
マグナたちが聞き耳を立てる中、話は続けられる。
「中止、ですか?それは何故でしょう?」
「劇のあらすじを拝見させて頂きました。なんでもエリシャ族の男性が差別と貧困に苦しみながらも、真実の愛に生きる……そんな話だとか」
「はい、確かにそのような脚本になっております」
マルクスは穏やかに言葉を続ける。
「エリシャ族がポルッカ公国に帰化するようになって二百年が経ちます。彼らが差別されていたのはもはや過去の出来事です。しかしこのような劇を公演すれば、エリシャ差別の風潮が再び生まれかねません!」
「脚本を変えることはできませんかな?冒頭の差別的な扱いや侮辱を受けるシーンを無くすだとかね」
聞けば彼らは人権団体を名乗っていた。この演劇を機に、すっかり過去の出来事となっているエリシャの血筋への差別が再び発生することを恐れているのだろうか?
主張だけを聞けば、なんと他人想いの優しき方々だと思うかもしれない。しかし目の前で喚く二人は、とても人の良さそうな人物には見えなかった。
「申し訳ありませんが開演は来週に迫っております。今から脚本を変えるというのも難しい」
「ほう、まるで他人事のようですな。ウィントラウムにはエリシャの血筋も多い。彼らが観劇することになれば、きっと胸を痛めることでしょう」
「この劇がきっかけで、忘れられていたエリシャへの差別や迫害が再び始まったら、貴方は責任を取れるのですか!」
マルクスは落ち着いた声音で、あくまで低姿勢で受け答えを続ける。しばらく押し問答が続いたが、客人の二人は同じようなことを繰り返し宣うばかりで、文字通り話にならない状況であった。
マルクスの態度はとても冷静だ。反して、盗み聞きをしている四人の方が苛々してきた。
(面倒だな……)
(メンドくせえ……)
(面倒ね……)
(メンドくさいなぁ……)
四人は一様に同じ感想を胸中で呟いた。
「アイツらは何が目的なんだ?この劇にケチを付けることがそんなに大切なことなのか?」
「彼らはリーベ人権保護機構を名乗っていたわね。アリーアから聞いたことがあるわ。確か、表向きは貧困者や社会的弱者を支援する慈善団体なのだけれども、裏では政治家と癒着している組織よ」
マグナの疑問にリピアーが答えた。何やら不穏な団体のようだった。
「癒着?」
「政治家から多額の資金を受け取っているのよ。言うまでもなく公金ね。そして彼らは炊き出しや職業斡旋、差別や迫害への抗議活動を通して弱者に近づき、その人たちを政治家のシンパへと変えていくのよ」
「つまり、聞こえの良い正義と体の良さを利用して、汚職を助長している団体ってことか……しかし俺たちの劇にケチを付けるメリットは何だ?」
「おそらく彼らが食い物にしている人々の中にいるんでしょ、エリシャ族の血筋が何人も。その人たちの心証を良くする為の行為、要はパフォーマンスね」
リピアーの分析にマグナは得心のいった顔をした。
人権団体がなにゆえ難癖を付けてくるのかが不思議だったが、疑問は氷解した。
「なるほど、本気で社会的弱者の権利や生活の為にやっているとかそういわけではないってことか。そうだよな、もし本当にそう思ってるんなら、もっといい手があるとちょっと考えれば分かるはずだ」
「あの二人は善意ではなく、打算のみで発言しているのでしょうね。どう贔屓目に見ても、良い人そうには見えなかったもの」
隣を見れば、マルローとトリエネも腹が立って仕方がないといった様子であった。
「もう何よ、アレ!全部言いがかりじゃない!許せないよ」
「流石にイライラしてきたな……トリエネ、ちょっとエクレール・オ・ショコラ投げ付けてこいよ」
「……マルロー知ってる?エクレール・オ・ショコラは食べ物なんだよ?」
マルローは彼女の愛刀を指して発言したのだが、絶妙に嚙み合っていなかった。
四人はやきもきして仕方がなかったが、結局心配は無用だった。
自称人権団体の二人からすれば、相手が悪かった。二人は知らなかったが彼は世界最高の商人なのだ。
「いい加減にして頂きたいっ!」
マルクスがぴしゃりと言い放った。
それまで相手が下手に出ていたのをいいことに、喧々諤々と捲し立てていた二人は驚いた。
「貴方がたと同じく、私もエリシャの人々には差別も迫害も無く生きて頂きたい、そう思っております」
「だったら……!」
「しかし歴史に蓋をすることに何の意味があるというのです?むしろそれは、状況に応じて解釈を歪曲したり殊更に無視してもよいという前例を生むだけであり、ゆくゆくは自分の首を絞めることになりかねない、愚行の極み以外の何物でもないでしょう」
「愚行ですって」
「差別や迫害があったのは厳然たる歴史的事実です。なれば我らは目を背けるべきでも隠し通すべきでもない、むしろ正面からしっかりと見据えるべきなのです。人は過ちを犯すものですが、犯した過ちから逃げてはいけません。一人が再び間違えないようにするだけなら日記にでも付ければ済むことでしょう。しかし人類全体が間違えないようにするには、歴史として語り継いでいく必要があります」
マルクスは語気を高めながらも理路整然に言い返していく。
自称人権団体の二人はいよいよ、目の前の男を言い包めるのは至難の業であることを理解し始めた。
「歴史として語り継ぐのにただ歴史書に記されているだけでは、味気ないでしょう。お子様も興味を示しにくい。なれば演劇ではどうでしょうか?楽しみつつも、歴史上起きた出来事を知ることができます」
「……ううむ、確かに」
「今回の劇には確かにエリシャ族への差別や迫害のシーンがあります。しかし本作のテーマは愛なのです。最終的には人々は、我欲に走り生きてきた己の姿を愚かしく思い反省します。夜の寒さを知っているからこそ陽の温もりに感謝するように、過ちの経験があったからこそ、なおさら誰かを思いやることの尊さが意味を持つのです」
「……」
ボズバイドはすっかり押し黙ってしまった。相手は手強く、味方も諦観の念に囚われているのを見て、レームもその喧しい口を閉ざした。
「本劇を以て伝えたい気持ちは演者ともども同じでございます。どうか当日は是非当劇場に足をお運びください。あなた方が願ってやまない、愛の有る社会の到来……その一助になれるものと僭越ながら自負しております」
「フンッ、帰るぞレーム」
「邪魔したわね、マルクスさん」
「本日はありがとうございました。当日はご来訪を心待ちにしております」
捨て台詞を吐いて立ち去る二人。
それをマルクスは深々とお辞儀をして見送った。
「すごい……!流石、マルクスお爺ちゃん!」
目をキラキラさせて感激しているトリエネ。
「世界最高の商人ってのは伊達じゃねえな。俺にゃあんな執り成し方はぜってぇ無理だな……」
マルローもひどく感心したような顔つきをする。
「相手を説き伏せるだけでなく、ちゃっかり劇の紹介や宣伝もするなんて流石はマルクスね。あら?どうしたの、マグナ?」
リピアーはマグナの様子の変化に気が付いた。
マルクスの弁を聞き、彼は考え込んでしまっていた。
人は過ちを犯すもの。
そして犯した過ちからは逃げてはならない。
見据えていかなければいけない。
(俺はフランチャイカの失敗の後、ずっと塞ぎ込んでいた……時がすべてを流し去ってくれるのをただひたすらに待っていたんだ。なんて卑怯な男だろう。これが正義の神か?)
しかし凍てつく夜の闇を知ればこそ、いっそう太陽の尊さを知る。
ともすれば彼の大いなる失敗は、輝ける成功の為の布石となり得るかもしれなかった。