第127話 カレーを求めて三千里⑪
カウバル城へと帰還したリドルディフィードご一行。ようやく完成させたカレー粉を用い、ついに念願のカレー作りに着手する。
森を流れる川の畔に、皇帝リドルディフィードと従者四人の姿があった。皇帝はフォカロルやシトリーに慰められることですっかり元の調子を取り戻していた。彼は今、河面に浮かぶバハムートの死骸を見下ろしている。
「ほう!これがイフリート盗賊団がアジトにしていた神獣か。空飛ぶ巨大魚の上に家屋が建っているとはな、奴らの住居兼移動手段だったというわけか」
「何ていう神獣なんだろうね、リド様」
「おそらくバハムートだろうな。盗賊団の名がイフリートなのを鑑みるに、中東辺りの文化圏出身なのが考えらえる。バハムートもイスラームの神話で語られる存在で元来は巨大魚であったはずだ。フハハハハハ!どこぞのRPGのせいで、竜のイメージの方が強いがな!」
皇帝は愉快そうに笑いながら、相変わらずワケの分からぬことを口走っている。グレモリーはいつものリド様だなあと思った。
「で、リド様、この死骸どうするのよ?」
フォカロルがいつも通りぶっきらぼうに皇帝に問う。先ほどまで皇帝に見せていた慈愛の情は既に鳴りを潜めていた。
「せっかくの神獣だ、何かしらの素材に使えるかもしれんしな。生産部隊のハーゲンティにでもくれてやるとしようか」
「ああ!ハーゲンティなら喜んでくれるかもね」
「では聖空部隊を呼んで運ばせるとしよう」
「これだけデカいとグラシャ=ラボラスでも呼ばないと運搬は難しそうね」
「フハハハハハ!そうであろうな。だが日中にアイツを呼んでは周囲が騒ぎになるだろう。必然運搬は真夜中になるな」
「グラシャはオツムが足りないから、指示役にフェニクスも呼びたいね」
「リド様、真夜中になるまではどうするのですか?」
リドルディフィードは河に背を向けると、問いかけるシトリーに背中越しに答える。
「フフフ、このヴェーダに何をしに来たか忘れたわけではあるまい。カレーだ!カレー粉を作るのだ!購入した香辛料で色々と調合を試すぞ!」
昨日購入した香辛料は宿屋に置いて来ていた。彼らは宿に戻るべく、その場を後にするのだった。
◇
轟々(ごうごう)と水音を立てて河は流れ往く。河面には青白い髪をした女性が浮かび、流木のそれと何ら変わらぬ様でたゆたっている。
流木に引っ掛かりながら流れ往く物がもう一つあった。それは黒を基調とした美しい鞘に納められた刀剣で、バハムートが墜落した衝撃で盗賊団のアジトから河に落ちてしまったものだった。
女性も刀剣も河の流れに身を任せて遠ざかり、やがて遠くの空と水の碧に溶けて見えなくなってしまった。
◇
こうしてリドルディフィードのヴェーダへの旅はひとまず終わりを迎えた。
彼は第13師団”聖空部隊”のフェニクス、グラシャ=ラボラスにバハムートの死骸を運搬させた。ひとまずはカウバル城の敷地内に置いているが、まもなく第11師団”生産部隊”のハーゲンティに引き取られる予定だ。
だがそれは彼にとっては些末なことでしかない。彼の現在の興味はもっぱら、完成させたカレー粉を試すことだけに向けられていた。
「フハハハハハ!ようやく完成したぞ!リドルディフィード特製オリジナルカレーだ!」
米に茶色の香り高いソースがかかった料理が、テーブルに五皿並べられていた。皇帝と妖艶部隊の四人の分である。
彼らは今、城内の食堂にいる。リドルディフィードは先ほどまでずっと調理場に入り浸っていた。城の料理番は基本的に妖艶部隊の兵士級によって担当されており、皇帝自らが調理場に入ることは初めてのことだった。
柄にも無く調理場に入って料理なぞ始めるものだから、妖艶部隊の四人はどんな珍妙な料理が出るのだろうかと身構えていた(シトリーを除く)。ところが実際に出てきたソレは見慣れないものでこそあったが、実に食欲をそそる香りを放っていた。
「何これ!すごい香ばしい香りがする!」
目を輝かせるグレモリー。
「ふーん、ホントにたくさん香辛料を使う料理なのね」
髪をいじりながら料理をジロジロと見定めるフォカロル。
「リド様の手料理……初体験」
テーブルに手を付き興味深げな視線を送るウェパル。
「リド様、何時間も調理場に籠って、何をされていたのですか?」
一人だけ料理よりも主様にべったりのシトリー。
「フハハ、カレー作りの主役は当然カレー粉だがな、カレー粉さえあればそれで完成に至るものではない。カレー粉だけでは香りや辛みは充分だが、圧倒的に甘味や塩味、旨味が足りないからな。他の材料も加えて煮込む必要がある」
皇帝は腕を組みながら、カレーに対する並々ならぬ思い入れを語る。
「まず必要不可欠と言ってよいのが塩だ。そしてタマネギやニンニク、ショウガといった香味野菜も重要だな。これらは中華や洋風のスープの素材としても多用されるし、実に良い甘味と旨味の供給源になってくれる。こいつら無しでカレーを作るのはもはや縛りプレイと言ってもよいだろう。また、甘味と旨味は盛ってもよい味覚だ。これだけでは飽き足らず、香味野菜と鶏から取ったチキンブイヨンも加えたぞ。そしてカレーというのは味覚の宝石箱とも言える料理でな、そのため様々な隠し味を受容する。今回は入れていないが、酸味を加える為にヨーグルトやトマトケチャップを加えたり、苦味を加える為にコーヒーやココアを加えることもある。最後に忘れてならないのがサラダオイルやバター等の油脂と小麦粉を加えて、ルゥにすることだな。元はインドの料理だったものが、イギリスに伝わる中でそうした調理法に改められていったと聞く。日本のカレーもその流れを受け継いでいるから、俺もさらさらしたカレーよりかはとろみのあるカレーの方が……」
「早く食べませんかー?」
グレモリーが痺れを切らしたように言った。冷めてしまってはせっかくの料理が勿体ないし、それに皇帝の解説には相変わらず意味の分からない単語が頻出していたので、聞いていられないというのもあった。
「フハハ!そうだな、冷めては元も子もない。では頂くとしようか!」
五人はテーブルに着くと、スプーンを使って料理を食べ始める。
ちなみに眷属が己の肉体を保持する手段には、主神から神力を供給してもらう方法と、他の生物と同じように食事をして栄養を摂取する方法の二通りがある。
リドルディフィードの場合は将軍級が七十二体に兵士級が百万超と極めて数が多いため、神力の供給は戦時のような限定的な場合に留めており(例外として第1師団”近衛部隊”は常に神力供給である。単なる食事ではエネルギーが補給し切れないからだ)、普段は人間と同様に食事をさせてエネルギー補給をさせていた。
グレモリーはおそるおそるカレーを掬ったスプーンを口に運ぶ。いくら良い匂いがしていても初体験の料理だ、若干の抵抗感があった。しかしカレーを口に含むと、グレモリーは驚きに目を丸くした。
「うそ、何コレ!すっごく美味しい!」
本心から称賛の言葉が飛び出ていた。
「スパイスと旨味成分で強烈な味わいね、何だか舌が疲れてきちゃったわ。でもまあ、悪くないかな」
フォカロルも満更ではなさそうであった。
「美味しい」
口数の少なさとは反比例して、スプーンを動かすウェパルの手は非常に機敏だ。
「ハァ……ハァ……リド様の作ってくださった料理が、私の血肉に変わっていきますぅ」
シトリーだけは味以外の部分で恍惚としていた。
ご覧の通り、妖艶部隊の四人の評判は上々であった。
ただ一人、リドルディフィード本人だけが、
「ぐ!おのれ、なんたることか……!」
と、不満げに顔を歪めていた。
「リド様、どうしたんですか?」
「残念ながら、この料理はまだ不合格のようだ」
「うそ!?こんなに美味しいのに?」
「カレールゥは喜ばしいことに及第点だ。これについてもまだ改良の余地があるだろうがな。だがルゥに気を取られるあまり、俺はカレーにおいて大切なもう一つの要素を見逃していた……」
「もう一つの要素?」
皇帝を皿に盛られた料理の、茶色ではない部分を指差しながら続ける。
「それは米だ!このザイーブは現実では中東辺りだろうから、インディカ米しか手に入らなかった!カレー粉作りにかまけたばかりに、俺はジャポニカ米を調達することをすっかり失念していたのだ!」
皇帝は無念そうに歯噛みする。グレモリーたちは米にも品種があるということ自体よく分かっておらず、一様に首をかしげる。
「このお米がダメってこと?美味しいのに?」
「いや、ダメではない。実際にインディカ米はカレーに合う米とされているし、そもそも世界の米生産の八割近くがインディカ米だ。これはな、俺の好みの問題なのだ。やはり日本人の俺からしたら、もちもちとして甘みの有るジャポニカ米の方が嬉しい」
「そのジャポニカ米ってのは何処に行けば手に入るのよ?」
「現実では日本や中国といった極東地域で食される品種だからな、この世界で言うと……桃華帝国辺りにでも行けば入手できるかもしれない」
桃華帝国、その名を聞いたグレモリーが難しい顔をした。
「でもでもリド様、たしかダンタリオンが言ってたよ。桃華帝国にはヤバい神がいるから迂闊には手を出すなって」
「そうね、一番ヤバいのは神聖ミハイル帝国だとも言っていたけど」
グレモリーの言葉にフォカロルが補足する。
「むう、確かそうだったな。アイツの言うことは頼りになるからな。残念だがジャポニカ米は、いつか桃華帝国を手中に収めるその時まで我慢するとしよう」
米については実際に心残りではあったが、信頼する参謀の忠告を無下にはできない。皇帝はひとまずのカレー探究はこれにて満足することとした。
カレーを口に運びながら周囲を見る。従者四人が会話をしながら、楽し気に食事を続けている。
「私はこのインディカ米?っていうのでも充分美味しいと思うよ」
「そうね、でもリド様があれだけ残念がっているくらいだし、ジャポニカ米ってのを手に入れればもっと美味しくなるのかもね」
「ピコーン!ウェパル良いこと思い付いた。ハーゲンティに頼んで、生産部隊でカレー粉を量産させよう。軍需物資として使えそう、商品に転用してもいいかも」
「それはイイですね、ウェパル!この料理を世界中に広めて、リド様の名声をさらに高めましょう!」
リドルディフィードは彼女らの食事風景を見て、実に幸福そうな笑みを浮かべていた。
もはやイロセシアのことなぞ、すっかり気にならなくなっていた。
美しき女性たちが楽し気に団らんする場にこうして自分も居る。かつての自分には考えられないことだった。彼は今、喜びを噛み締めていた。
(フフフ、やはりこの世界は素晴らしい!昨日はあんなことがあったが、きっと偶々だ。やはりこの世界は現実とは違う。俺の”思い通り”に動き、俺に幸せをもたらしてくれる素晴らしき世界なのだ!)
彼は天井を仰ぐと眼を閉じて、確かな幸福の感覚に浸っていた。




