第121話 カレーを求めて三千里⑤
イロセスは皇帝リドルディフィードとの邂逅を果たす。彼女の目から見たリドルディフィードは、もはや昔とは別人であった。
柔らかな朝の光が木漏れ日となって降り注ぐ。
眠るイロセスに斑に陰が落ちている。
イロセスは寝ぼけ眼をこすりながら目を覚ました。
傍らには昨晩と同じように、アリク・ハルジャが座って居た。
「よう、今日はお寝坊さんだな、イロセス」
「……ちっ、もうこんな時間か」
「昨晩はうなされてたからな。明け方近くになって、ようやくちゃんと眠りに落ちれたってかんじか?」
「どうだかな」
ごまかしたがアリクの言う通りであった。忌まわしきあの日の記憶は、見るたびに決まってイロセスから安眠を奪う。燃える屋敷と血を流して倒れる両親、嗚咽を漏らしながら逃げ惑う自分の姿……
(くそ!朝から最悪の気分だぜ、ちくしょう!)
ふと周りを見る。乱雑に散らばった酒樽や肉を食べた後の骨、夜通し騒いで散らかし放題した祭りの後であった。そこかしこでだらしなく眠る男たちから耳障りないびきが聞こえてくる。寝過ごしているのはなにもイロセスだけではなかった。
ラヴィアはまだ戻って来ていないようだった。
であれば出発はもう少し後か……イロセスがそう思った時のことだった。
あの男は姿を現した。
「フハハハハハ!お初にお目にかかる、イフリート盗賊団の諸君!」
突如やかましい声が聞こえてきたので、その場の全員が仰天した表情をしていた。眠っていた男たちも飛び起きた。声のする方を見る。どこか高貴そうな旅装束に身を包んだ男、そしてその周囲には美しい四人の女性が侍っていた。
イロセスは我が目を疑った。そんなことがあるものかと思った。端正な顔立ち、葡萄色の髪。その姿は幼き日の記憶に残る少年をそのまま大人にしたかのようだった。
「ちょっと、リド様!いきなり正面から行くの?」
「当然だ。策を弄せど、最終的には真正面からのぶつかり合いになるのが戦いの常というものよ」
幼き日は二人秘密の花園で遊んでいた。まだ幸せでいられたあの頃。
その男はかつては幸福の象徴だった。今ではすべてを奪った忌まわしき存在に成り果てていた。
「リドルディフィード……!」
イロセスは思わず男の名前を呟いていた。
◇
彼女の発言を聞いて、皇帝リドルディフィードは視線を向けて来る。
「ほう!一目見て俺が誰であるかを見抜くとはな。フハハハハハ!大帝国の皇帝というのも存外有名になったものだな」
彼の言葉の後、周囲はたちどころにどよめき始めた。
「リドルディフィード……ってまさか、あのアレクサンドロス大帝国の皇帝!?」
「なんでそんな奴がここに!」
「ちっ!流石皇帝陛下だ、めちゃくちゃ良い女を四人も連れてやがるぜ!」
動揺する男たちの中で、唯一アリクだけが冷静にイロセスに声をかける。
「イロセス、よく一目見てアイツが皇帝リドルディフィードだと分かったな。こんな場所に皇帝陛下がいるなんざ普通は思わねえし、あまり皇帝らしい威厳も感じないってのによ」
「……いや、その」
「そういやお前はマッカドニア王国の出身だったな」
「……」
「アイツのことで過去になにかあったのか?」
イロセスの様子が只事ではないことをアリクは鋭敏に感じ取っていた。イロセスが何も答えないのを見るや、彼はそれ以上の追及を止めた。
しかし皇帝はどこ吹く風と、イロセスに近寄ってジロジロと舐めるように見定め始める。
「ほうほう、お前なかなかに良い見てくれをしているな。いや、待てよ……何処かで……」
リドルディフィードは記憶を辿り始める。彼にもイロセスの姿には心当たりがあった。
風そよぐ花園、麗らかな日和、優しく微笑む青白い髪の可愛らしい少女。
記憶の中のその青白い髪が、目の前の女性の髪色と同一であることに気づくと、彼は声を荒らげて歓喜に打ち震えた。
「う、うおおおおおおおおお!!お前は記憶で見たあの……!よもや!よもやこんな場所で再び巡り逢おうとは!!」
皇帝の絶叫を聞いて、盗賊団の男たちは更に動揺し始める。なんとも!イロセスが皇帝陛下と顔見知り?その動揺は彼らだけのものではなく、皇帝の取り巻きたちにとっても同じことであった。
「リド様!何、その娘?知り合いなの?」
「アンタのことだから、昔ちょっかい出した女とかじゃないの?」
「……盗賊団にリド様のお知り合い。驚愕の事実」
「リ、リド様!何なんですか、その女は?リド様の一番はこの私ですよね!?」
皇帝は騒ぐ取り巻きを意に介さず、引き寄せられるようにイロセスに迫った。
「ようやく逢えたな!おお……記憶の中の美しき少女をそのまま大人にしたかのようだ!」
皇帝は弾けるように輝く笑顔を浮かべている。
反してイロセスの顔は深い闇を塗りたくられたようだ。
「……は?」
「どこか汚らしくなったが、気品も美しさも健在だ!こうして巡り逢うとはこれぞ運命……!」
皇帝はイロセスの手を取る。したり顔で微笑みかけてみせる。
「俺は今や世界一の大帝国の皇帝だ!お前を世界一の幸せ者にすることもたやすい。さあ、俺と共に来い!お前をアレクサンドロス大帝国の妃として迎え入れてやろう!」
「……誰だ?てめえ」
イロセスの声音は、信じられないといったふうだった。彼女の形相は怒りと失望で満ちている。
やがて手を払いのけると、目の前の不遜な男をキッと睨み据えた。
「そうかそうか、やっぱてめえ”アイツ”じゃあねえな。アタシの知ってるリドルディフィードじゃねえ」
「……何を言っている?」
「やっぱそうだよな、”アイツ”ならあんなことするはずがねえ。あの日の時点で”アイツ”はどこにもいなくなっちまっていたんだな」
「どうした照れているのか?フハハハハハ!いきなり世界の帝王たる男に求婚されているのだからな、動揺するのも無理はない」
「うるせえ!!”アイツ”のフリすんじゃねえ!!」
イロセスは涙を溜めていた。目の前の男は、記憶の中の少年とは別人だと悟った。であれば、目の前の男に向けられる感情はもはや憎しみしかない。
グレモリーが痺れを切らして、皇帝に駆け寄り尋ねる。
「リド様いい加減教えて!この女は誰なの?」
「おお、そうだな説明を忘れていた。この女の名はイロセシア・ノクトロス。マッカドニア王国にかつて存在したノクトロス公爵家の娘だ」
イロセスが公爵令嬢……?
その事実にアリクや盗賊団の仲間たちは、声を上げて驚いた。