第113話 デウス・エクス・マキナ
頼みごとを突っぱねられて思案に暮れている中、トリエネは机に散らばっていた原稿用紙に注目する。そこにはレイザーの手によって、彼とマリアベルにまつわる物語が書き記されていた。
一行は沈黙する。多少邪険にされることは想定内であっても、これ程けんもほろろに突き放されてはどうしようもなかった。
相手にもメリットの有る提案ができれば頼みを聞いてくれるかもしれない。しかし時間を操作できる男が欲するものとは?金銭欲や物欲に沿ったものではあるまい。しかしそうでないなら、こちらでは提供できるかあやしいものばかりだろう。
思案に暮れる一行の中で、トリエネだけが興味深げに部屋を見回して、あるものが目に留まった。それは机の上に乱雑に散らばっていた原稿用紙の束である。手に取ってみると文字がびっしりと書き連ねてある。どうも物語が認められているようだった。
「何これ?物語?」
「ああ、それか。俺とマリアベルの出逢いを綴った聞くも涙、語るも涙のロマン溢るる冒険譚だ」
勝手に触れたことを怒るかとリピアーは思ったが、レイザーはとくに気に障った風もなく物語の概要をトリエネに伝えた。
「何それ、面白そう!読んでもいい?」
「ああ、いいぞ」
妙に気前がいい。せっかく書いたものが人目に触れないままでいたのを淋しく思っていたのだろうか。トリエネはわくわくした気持ちで物語を読み始める。
――物語のあらすじは以下の通りであった(ひたすら長いので端的にまとめた概略である)。
主人公・レイザーはエリシャ族の男であった。エリシャ族は亡国の民……依処無く生きる流浪の民族であった。どこの国でも余所者で、どこの国でも差別されてきた。人々の暮らしは貧しくつましかった。
しかしレイザーには神の資質があった。時の神クロノスより力を授かり、レイザーは人間を超越した存在となった。彼はエリシャ族を差別してきた他民族の国を滅ぼすと、獲得した土地でエリシャ族の為の国を興した。人々は諸手を挙げて彼を崇めた。その強大なる力、威厳に満ちた佇まいに敵対していた他民族も皆恭順した。
「偉大なる神、レイザーよ!其方を誠の神と讃えます。我らの恭順の証とし何か捧げものをさせてください。偉大なる神よ、其方は何を望むのか?」
「では貴様の娘を我が伴侶として捧げよ!マリアベルがこの私に尽くしている限り、貴様らが犯したエリシャ族への罪は濯がれる……全ての部族が手を取り合う対等な世界となるのだ!」
マリアベル。
彼女だけが、レイザーに親愛を以て接してくれた女性であった。
彼女はエリシャ族ではないが、レイザーに良くしてくれていた。
そのことがあったから、レイザーは他民族を滅ぼすことまではしなかったのだ。
こうしてマリアベルは神レイザーの伴侶となった。彼女は神の加護により不死の肉体を手に入れた。そして永遠の時の檻の中で、二人は今でも共に過ごしているという――
「どうだ?なかなかに面白かっただろう?」
得意げに語るレイザーに、トリエネはちょっぴり申し訳なさそうな声で「ゴメン……全然面白くない」と返した。
「そんな馬鹿な!渾身の力作だぞ!」
「なんか、とくに見せ場がないっていうか、その……」
言いにくそうに感想を述べるトリエネ。マグナたちも興味深げに彼女の持つ原稿用紙を覗き込む。そして読み始めた。
レイザーの物語はトリエネの言う通り、見せ場の無いものだった。何もない男がすべてを与えられる。ただそれを長ったらしく書いただけの物語だ。
「……読むのだりいな、これ」
「しかも頑張って読んでも、おお!ってなる場面がとくにないし、いつの間にか喜劇になって終わってるな。展開もいちいち都合が良すぎるというか」
「なるほど……デウス・エクス・マキナね」
リピアーの言葉が一同の耳目を集める。
「デウス……なんだそりゃ?」
「演劇の脚本等における演出手法の一つね。とくに脈絡もなく都合の良い出来事が発生して、物語が円満解決してしまうのよ。それこそ神の奇跡のようなね。一般的には批判される手法よ」
「なるほどな、合点がいったぜ。何も乗り越えていないんだ、この主人公は。辛い境遇が最初の方に申し訳程度に書いてあるがそれだけ。後は淡々と神の力で異民族を成敗し、地位と女を手にしているだけだ」
文字が読めないミサキを除く四人の感想は、つまらないという一点で共通していた。とくに、物語として読者を楽しませる演出上の工夫がまるで見られないのが気になった。
「レイザー、一応聞くけど、この物語の内容は事実なの?」
腑に落ちぬ顔でリピアーが尋ねる。
「無論創作だ。マリアベルとの間に何かドラマティックな設定があればいいなと思い、書いてみたまでだ。実際のマリアベルは三百年前に、人形の神ピッグマリオンに作ってもらった自動人形に過ぎんのだからな」
(自動人形……なるほど道理で彼女から人間味を感じないわけだわ。それに人間でないなら、レイザーと共に永遠の時の中を生きていけるのにも納得ね)
「ただ何もかもが創作なわけではない。エリシャ族は実在している民族だし、俺もその出身で差別されながら生きてきた経験がある。誰からも冷たくされてきた俺は、優しく一途で従順な存在を求めたのだ!」
「なるほどね、しっかり根差したバックボーンがあるじゃない。それならやりよう次第で貴方の物語をもっと面白くすることはできるはずよ」
いつの間にかリピアーは思考のポイントが、如何にレイザーに頼みごとを聞かせるかよりも、如何にこの駄文を面白い物語に変えられるかに変わっていた。
しかしこの物語にも彼なりの思い入れはちゃんとあるようで、そこを活かして演出を工夫していけばいくらでもやりようはあるように思えた。
そんなことを考えていると、トリエネが次のように言う。
「でも異民族を派手に成敗するシーンとか、神様が降臨するシーンとか、媒体を変えちゃえば面白いのかもね。例えば演劇にしちゃうとか!」
彼女にとっては思い付きの発言でしかなかったのだろう。
だが、確かにレイザーが反応したのだ。ほう、という一言と共に、それまでの取り付く島もない冷淡な瞳とは違った、興味と情熱で彩られた瞳をリピアーは見逃さなかった。
このレイザーという男は、時間の神に選ばれたり、もらった自動人形に設定付けする為に物語を書く等、かなり自分の世界にこだわりを持つ男であろうことが伺えた。ともすれば、自身の創作を演劇にするという話題に興味を示すというのは、別段おかしなこともないごく自然なことだ。
リピアーはここだ、と思った。
「良い案ね、トリエネ。演劇にするという発想、悪くないわ」
「えへへ、そうでしょー♪」
マルローとマグナは、話がよく分からない方向に向かい始めたな、といった顔をした。
「おいおいリピアーさんや、それホントに劇にするつもりなのか?」
「というか可能なのか?そんなこと」
「可能よ。裏世界の長老勢の一人に、マルクスという男がいる。彼はポルッカ公国出身の世界的な大商人。公都ウィントラウムの劇場にも当然のようにコネがあるわ」
「そっか!マルクスお爺ちゃんにお願いすればできちゃうね!」
「もっとも、劇として公演するのならこのままのシナリオではよろしくないから、私がある程度監修に入ることになるでしょうけどね」
そうしてひとしきり話し終えたのち、再度レイザーの方を向いた。
「どうかしら?貴方にとって悪くない話のはずよ。貴方は己の世界というものにこだわりを持つ人。そして長い歴史の中で孤立した貴方には特別なコネクションは無く、せいぜい文字に認めるくらいしか己の世界を表現する術がなかった。貴方の世界を演劇という形で表現する機会を提供してあげる。その代わりにこちらの頼みを一つ聞いて頂けないかしら?」
レイザーはここで明らかに逡巡の様子を見せた。先ほどまでの冷淡に突き放す態度は既にどこにもなかった。そして自分の原稿を見直したり、マリアベルの体をじろじろ眺めたりして、ようやく口を開く。
「……いいだろう。確かに魅力的な提案だ。だが一つ確認させてもらうぞ」
「何かしら?」
「お前は先ほど俺の物語を監修すると言ったな。お前にそれほどの文才があるのか?納得できるほどの才覚でなければ、俺は貴様の指図なぞ受けんからな!」