第111話 太古の世界で⑤
太古の夜空の下、狭いベッドで隣り合って横たわるトリエネとマルロー。厭世観に塗れたトリエネにマルローは幸福の秘訣を伝授する。
天蓋に覆われた小さなベッドの上でミサキは眠りについている。
マルローとトリエネは別のベッドに二人で寝転がった。
――狭いベッドだった。
二人の体は密着と言ってよいほど、接近して隣り合っていた。
「……ねえ、マルロー」
「なんだい?トリエネさんや」
「このベッド、シングルサイズじゃない?」
「ああ、そうだが」
「どうして二人で寝るのにダブルサイズで作らなかったの?」
「そりゃお前、この方が体が密着するからに決まってんだろ。言わせんな、恥ずかしい」
どうということもない風に言うマルロー。その隣でトリエネは微妙そうに顔をしかめた。
「サイテー……ミサキちゃんだけ別のベッドにしたのもこういう状況にしたかったからなのね。マルローって絶対に脳みそ下半身に付いてるでしょ」
「へっ、そんな褒めんなって」
「マルローって何を言えば罵倒されてると認識してくれるの?」
そう言ってジトッと睨んだ後、トリエネはこれ以上追及するのを止める。意味がないことを理解したからだった。
「まあ嫌なら汚い地べたでも、虫だらけの草の上でも、冷たく固い岩の上でも、好きな場所で寝るがいいさ。温かく柔らかいベッドはここだけだぜ?おまけに最高の紳士も隣に付いてる」
マルローはドヤ顔で笑みを浮かべて見せる。
トリエネはうんざりしてベッドから外に……出るということもなく、大人しく彼の隣に体を横たえ続けている。
「おりょ?案外素直だな」
「まあ私、別に貴方のこと嫌いじゃないし」
トリエネは彼に背を向けているので、その表情を伺い知ることはできなかった。よって、マルローは実に己に都合よく状況を捉え始める。
「嫌いじゃない……つまり好きってことか。おいおい、参ったな。どうやら現代に戻れたら、レイザーの前に役所に向かわにゃならんようだ」
「ちょっと!何を曲解してるの?」
「婚姻届けってどう書くんだっけか?まあ役所の人に聞けば分かるか」
「だーかーらー!役所の前に、人の話を聞いてよ!」
抗議ついでに体の向きを変え、マルローの方を向いた。実に至近距離で目と目が合った。トリエネは顔を赤らめた。
「で、お前の言う”嫌いじゃない”が”好き”に変わるにはどうすればいいんだ?」
「……!何を言って……」
「俺には何が足りない?」
トリエネは彼から視線を外すようにして、いくらか暗い声に変わる。
「……足りないとかじゃないよ。マルローが素敵な人だってことも分かってる。お調子者だけどね」
「へへ、そいつはどうも」
「でも私と深い関係になっても、きっと不幸になるだけだよ。そう思うから、その……どっか気おくれしちゃうんだ」
トリエネはいつの間にか腹の底から本音を話したくなっていた。そしてマルローもそれを聞きたいと思っていた。
トリエネには何か闇がある――
それは初めて出会った時から薄々感じていたことだった。
「やっぱ、お前過去になんかあったのか?」
「……そう思う?」
「お前の明るさはどこか噓くせえ。心根が優しいのは本当なんだろう。いや、だからこそ、その嘘くさい明るさを作らにゃならなくなっている」
「……うん。だって、リピアーに心配かけたくなかったから。リピアーだけじゃない、おじいちゃんたちや、アーツにもアリーアにも心配させたくなかった」
トリエネは感情の発露と共にメランコリックな気持ちになっていた。マルローがさり気なく腕を回してくるが、不思議と嫌ではなかった。
――こうして深い夜の下で、トリエネはマルローにこれまでの自分のことを話した。
物心ついた頃から秘密組織”裏世界”に所属していたこと。
自分の出生の仔細をリピアーは教えてくれないこと。
裏社会の組織である為に、密偵や殺しといった仕事もしてきたこと。
そういった仕事をいつまでも受け入れることができなかったこと。
リピアーはそれを知りながらも、何故か自分を”裏世界”に縛り続けていること。
「なるほどなあ、周りを心配させまいとする演技がいつの間にか板に付いちゃった感じか。それにしても、リピアーはなんでお前を表社会に出したがらないんだろーな?」
「それがちっとも分からないのよ。聞いても全然答えてくれないし。他のメンバーに聞いてみても、誰も知っている人はいなかった。でも、何か事情があるんだろうって」
「そうだな。アイツは理由もなくそんなことをする奴じゃあないと思うぜ?」
「うん、リピアーは意味のないことなんてしない。私を表社会に出しちゃいけない、ちゃんとした理由があるはずなのよ」
マルローは寝返りを打って、仰向けになりつつ両手を後頭部に添えて枕にする。
「で?それが、どう俺が不幸になることに繋がるんだ?」
「だ、だって私、リピアーが危険視して表に出さないような、そういう事情があるんだよ?きっと、いつか周りの人を不幸にしちゃうんだよ……」
「俺はお前みたいな美人と一緒に居られるだけで幸せだが?」
マルローは歯の浮くような言葉を力強い響きで言い切った。トリエネはちょっぴり呆れながらも、どこか嬉しかった。
「そんな単純なものなのかな……」
「勿論さ。極論、世界が壊滅したって人は幸福を得ることはできる。俺は知ってるんだよ、幸福になる為の秘訣ってモンをよ」
「幸福になる為の秘訣?」
トリエネは興味深げな様子だった。目の前の男は、良くも悪くも人生経験が豊富である。そんな彼の人生観より導き出される秘訣なら、もしかすると自分の灰色に見える世界を色鮮やかに変えてくれるかもしれない。
そんな期待を込めて、彼女は耳を傾けるのだが――
「食う、寝る、ヤるだ」
マルローは実に真面目な顔つきと口調で、そのようなことを宣うのであった。
トリエネの表情は先ほどまでの神妙な面持ちから、一気に微妙な冷笑へと引き戻されてしまった。
「……馬鹿なの?」
「ああそっか、確かにおかしいな。順番的には食う、ヤる、寝るだよな。いや……ヤる、食う、寝るでもアリだな」
「もう!そういうのはどうでもいいんだって!」
思わず馬鹿らしくなって声を上げる。しかし、それも不思議と嫌ではなかった。
「いいかトリエネ、お前さんだけじゃねえ。マグナもそうだが、みんな難しく考えすぎなのさ。人間なんてのは、三大欲求を適度に満たしていれば勝手に幸せになるようにできているんだよ」
彼はふざけているようで、ちっともふざけていなかった。あくまで自分の思いの丈を大真面目に語っているに過ぎない。こんなに馬鹿らしいことでも、これほど真面目に語られると心に響くような気がした。
いつの間にかトリエネのメランコリックな気持ちも何処へやら、
「ふふふ……アハハハハ!馬鹿みたい!」
「そうだよな、馬鹿みたいだよなー、でもその方が気楽なモンだろ?」
「……うん、そうだね。なんかありがと、マルロー」
トリエネは泣き顔から解放されたかのように微笑む。今まで自分を悩ませ続けてきたものが、独りでに随分と小さくなってしまったように感じた。
そして隣のロベール・マルローという男に対する見方も変わってきた。
トリエネは当初彼を思慮浅薄なだけの、物事を真面目に考えられない人間だと思っていた。しかしそれはどうやら勘違いだったことが分かった。マルローという男は心根は実に誠実であり、普段のお調子者な振る舞いも彼なりに大真面目に考えて導き出されたものに違いなかった。
マルロー……彼が革命騒動に関わるようになったいきさつは既に聞いているし、彼もまた様々な艱難辛苦に揉まれて生きてきたはずだ。それでいて、自分のような厭世観に囚われることはなく、むしろ人生の幸福論などという御大層なものを導き出してみせた。トリエネは彼から、見方を変えるだけでも世界は変わるのだと、そう教えられたような気さえした。
ベッド上での会話の多くはふざけた内容だったはずだが、トリエネの中でマルローの株は不思議と上昇していた。
と、気づけば彼が上半身の服をはだけ始める。
「さて、納得してもらえたことだし、さっそく欲求を満たしていくとしますかね。飯は食ったし、寝るのは最後でいい。つまりこれからすべきは……さあ来なトリエネ、俺は準備万端だぜ」
「おやすみなさーい」
寝返りを打って背を向けつつ、やはり評価を改めるべきかと思った。