第110話 太古の世界で④
視点はマグナとリピアーから、トリエネとマルロー、ミサキに移る。三人もまた、太古の世界で夜を明かそうとしているのだった。
木の枝に突き刺された魚が数匹ほど、焚き火に立てかけるように置かれてじんわりと焼かれている。その傍らで、男は塩の入った瓶を開けて魚に振りかける。
「よくお塩なんて持ってたね」
「俺のストレージは基本的に俺が能力で作成した物しか入れられねえんだが、少しコツがあってな。一部分でも俺の作成した物になっていれば収納できるんだよ。全部が俺製である必要はねえってこった」
「なるほど!じゃあこの入れ物がマルローの手作りだから、中のお塩ごとストレージに入れておけたんだね!」
「そういうこった。便利な能力だろー?」
焚き火の傍らで楽し気に語らう二人は、マルローとトリエネであった。ミサキも近くで座り込んで休んでいる。
三人もまた、マグナたちと同様に太古の世界へと飛ばされていた。初めはワケも分からず歩き回っていたのだが、今では植生や生物相の変化から周囲の時間軸が一定ではないことに気付いている。彼らもまた現代へと戻るべく、より未来に進む方角を探しつつ歩き続けてきた。
しかしこちらでもとっぷりと陽が暮れてしまった。夜空には星々が煌めいているとはいえ、それでも夜の森林を進むことは暗中模索もいいところだった。
三人は河べりで火を焚き、夜を明かすこととした。
晩御飯は河で捕まえた魚が数匹に、道すがら採集しておいた食べられそうな果実だった。魚は種類こそ不明だが鱗の有るよく見る川魚と変わらない外見、果実の方はどこかアケビに似ていた。
果実を齧ってみる。食べられなくはない、ただそれだけであった。特別甘いわけでも酸っぱいわけでもなく、とくに感慨に浸る要素はなかった。
今度は焼けた魚に手を伸ばす。こちらはそれなりに美味であった。しかしそれは塩があってこそのものだろう。
三人は食事を平らげた。食料にありつけること自体は良かったが、それでもトリエネはどこか不満そうな顔をしていた。公都ウィントラウムで食べたシュニッツェルやザッハトルテを思い出して、どうしてもそれと比較してしまっているのかもしれない。
「あー、甘いもの食べたいなぁ……エクレール・オ・ショコラがいいなぁ……」
「ねーよ、そんなモン」
「っ!そうだ、アレがあった!」
トリエネは素早く立ち上がると、服の懐から小さな紙箱を取り出した。中に入っているのは……キャラメルであった。
マルローはミサキに顔を寄せて、ひそひそ話のジェスチャーをする。
「おいおい、ミサキ見たか?アイツすごい手慣れたかんじで懐からキャラメル取り出したぞ。きっといつも持ち歩いてるんだろーな」
「ちょっと!うっさい!」
トリエネはそう言いつつ、まずキャラメルをミサキに差し出す。彼女はそれを受け取ると口に放り込む。無論ミサキは無表情なのだが、美味しそうにキャラメルを口の中で鳴らす音が聞こえた。表情を変じられるのなら、きっと顔をほころばせていただろう。先ほどの味気ない食事と比べて分かりやすく美味しいものであった。
もう一個、あともう一個とせがむ内にキャラメルはすっかりミサキに食べ尽くされてしまった。トリエネはしょんぼりとした表情で空になった箱に目を落とす。
「ああ!全部食べられちゃった!私も食べたかったのに……」
肩を落とすトリエネ。その肩にそっとマルローが手を添える。
「気にすんなよ。代わりに俺と甘い夜を過ごそうぜ」
「それで代わりになると思えるマルローってすごいよね」
「へへ、そんな褒めんなよ、照れるぜ」
褒めているワケではないと、それを伝えるようにジトッとした目で睨む。しかしマルローがまともに応えるはずもなかった。
しばらくしてマルローは立ち上がり、辺りを見回し始めた。
今夜の寝床を探しているのかと思い、トリエネも周囲の確認を始める。だが岩の上は寝にくそうだし、地べたでは汚れる、草むらでは虫にたかられることだろう。
何処も寝るのに不適格だとトリエネは思ったが、マルローはやがて土が露出した平らな地面の方へと歩を進めた。
「この辺とか丁度良さそうだな」
「えーっ!地べたで寝るの?」
嫌そうにするトリエネは余所に、マルローは空中に手を掲げた。黒い穴のようなものが出現する。マルローのストレージである。
彼はそこからガチャガチャと様々な色彩の金属、それから真っ白い糸のような繊維の束を大量に取り出した。素材が汚れないように敷物をした上に広げると、片手に魔法の槌を出現させて金属を叩き始めた。金属はまるで飴細工のように容易に変形してゆく。
「ねえマルロー、何してるの?」
「まあ、ちと待ってろや」
興味深げに見るトリエネに背を向けたまま、マルローはカンカンと槌を振るい続ける。金属はやがて四つ脚の付いた長方形の台のような形へと変わった。
再びストレージを開くと、今度は魔法の織機を出現させた。一気に糸を張り巡らし高速で布を織る。新たに綿のような素材をストレージから取り出すと、作った布でそれを包み込む。そして平べったく成型した後、先ほどの台の上にそれを載せた。その上からさらに羽を入れた大きな布を被せる。
そして彼は同じような工程を二回繰り返す。
トリエネは驚愕した。なんとそこには、二つのベッドが出来上がっていたのだ(片方は明らかに小さいのできっとミサキ用だろう)。
「す、すごい!ベッドができちゃった!」
「当然よ!俺は何を隠そう鍛冶の神なんだぜぇー」
マルローは鍛冶の神ヘーパイストスの能力で、特殊な金属や繊維を生み出せる。作り出した素材には様々な性質を持たせることができ、その自由度は彼の神力が高まっていけばより広がっていくであろう。
彼はあらかじめ様々な種類の金属素材と繊維素材を作り出しておき、それを自身のストレージに保管していた。これなら素材をその場で生成しないので神力の残量を気にしないで済むし、必要に迫られた時も速やかに鍛冶行為に着手することができる。
そして同じく彼が能力で生み出した槌と織機も実に高性能であった。槌はあらゆる金属素材を熱も無く飴細工のように加工してしまえるし、織機は糸を高速で張り巡らせて組みあげることができた。
彼の仕事はまさに神業であった。
トリエネは目を輝かせて、嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。
「すごいすごい!さすがは鍛冶の神だね!まさか太古の世界でベッドで寝られるとは思わなかったよー!」
「おっとまだだぜ、トリエネさんや。まだひと仕事残ってるんでな」
そう言って、今度は金属製の棒を長い物と短い物をそれぞれ四本ずつ作る。長い方を大きいベッドの四方に、短い方は小さいベッドの四方に突き刺す。棒の上には四角い枠のような物が設えられる。暗い色の布を編み上げるとそこに被せるように取り付けた。
これは天蓋であった。
「ええー!一気にお洒落感が!」
「いやいや、お洒落とかじゃないんだわ。虫とか寄ってきたら寝るとき嫌だろ?閉じれる仕組みにしたからよ、蚊帳代わりになればいいと思ってな」
「マルロー最高!すごいすごいすごい!」
トリエネはどちらかと言えば、マルローには軽蔑の眼差しを向けることが多かった。だがこの時ばかりは溢れんばかりの称賛と尊敬の視線であった。
能天気にはしゃぐ彼女を横目に、マルローは心の中でニッとほくそ笑んだ。




