第106話 神隠し
時の神レイザーを調査中のマグナたち。彼らは神隠し事件の話を知り、公都ウィントラウムより北西のバージェス山脈に向かう。
ミサキを寝かし付ける為、マグナとリピアーは宿で一足先に落ち着くこととした。夜更け過ぎにはトリエネとマルローも宿へとやって来た(どの宿で部屋を取っておいたかはアリーア経由で知らせていた)。
結局その日は何の進展も無しに終わったのだが、翌日に話は動き出す。
五人が宿近くのカフェで朝食を摂っている中、リピアーが唐突に口を開く。
「そういえば、今朝アリーアから連絡があったわ。なんでもマルローが”眼”にした人物の中に、興味深い情報を話す輩がいたって」
「本当か!?さっすが俺様だな」
「……それと急に猥褻な映像が大量に流れ込んでくるようになったと、アリーアは愚痴を言っていたわね」
リピアーは顔をしかめるがマルローは動じない。
マルローは昨晩いかがわしい店を何件も梯子して、店の従業員や嬢、客を片っ端からアリーアの”眼”に変えていた。そういうアングラな領域の人間の方が事情通であることが多い、それに期待してのことだった。
結果それは功を奏したようだったが、引き換えに見たくもない映像が大量にアリーアの元へと流れていってしまったのだ(それがどのような映像であるかはわざわざ説明するまでもないだろう)。
「マルロー、貴方、昨日はどんな調査をしていたの?まあ大方想像はついているのだけれど」
「へへ、お察しの通りムフフなお店を梯子しておりました!」
悪びれもせずに言うマルローだが、別にリピアーには彼を咎める気は毛頭なかった。そもそも調査なのだからそういった界隈に出入りすることも必要なことであろうし、マルローに対してはその界隈での活躍を期待すらしていた。そして彼は見事に目ぼしい情報の獲得に至ったのだ。
「……まあレイザーに関する情報が得られれば、貴方がどんなハチャメチャなお店に出入りしていようが目を瞑ることにするわ。ただトリエネがどうにも疲れ切っているように見えるのだけれど、そのことは貴方がしていた調査に関連していたりするのかしら?」
見ればトリエネはどこか消沈した様子で、無機的な動きで朝食を食べている。
「大丈夫かしら?トリエネ」
「……」
「リピアー、すげえんだぞトリエネ。店の嬢でもないのに、とあるお店の人気ナンバーワンになっちまってヨ」
「はあ?」
リピアーは柄にも無く素っ頓狂な声を上げる。
「いや、俺がノリでトリエネに脱げー踊れーって言ったらさ、周りの客も悪ノリしてそう言いだして。したらコイツさ、マジで薄着になって踊り始めてよ、ついには酒も指名もトリエネに入りまくって、店の姉ちゃんたち差し置いてその日の人気ナンバーワンよ。で、仲良く店からつまみ出されたワケ」
「……」
「……」
マグナとリピアーは一様に残念なモノを見る目をマルローに向ける。彼は相変わらず悪びれもなく愉快そうに笑っている。
視線をトリエネに移す。彼女は俯いたまま押し黙っていた。いや時折、なんであんなことしちゃったんだろ、私のばかばかばか、といった言葉が消え落ちそうな声音で聞こえてくるのだった。
「……話を戻すとして、アリーアから聞かされた情報を伝えるわ。聞いて頂戴」
アリーアが取得した情報というのは、マルローと同じくいかがわしい店に客として来ていた男のもので、男がその日の晩に仲間内で酒を飲みながらしていた世間話の中で話されていたことであった。
――それは神隠しについての話だった。
公都ウィントラウムより北西の山中に一軒の廃屋があるそうなのだが、そこを訪れた者は行方をくらませてしまうのだという。街の不良たちの間では、そこは定番の肝試しスポットになっているらしかった。
「神隠しねえ、人が消えちまうってことか?」
「それって信用できる情報なの?リピアー」
「残念ながら行ってみないことには分からないわね」
「まあ火のない所に煙は立たないとも言うし、いっぺん行ってみるのはどうだ?」
マグナの呼びかけに全員が首肯した。
◇
公都より北西に連なる山々、バージェス山脈の中に目的の廃屋があるらしかった。けれども本当にあるのかは実際に行ってみるまで分からない。アリーアがポルッカ公国内のすべての”眼”から取得した情報を再確認したが、噂話の域を出るほどの確たる情報は得られなかった。
バージェス山脈は公都からは距離にして百キロメートルも離れていない。しかし整備された街道から大きく外れた方向にある為、道なき道を往く必要があった。舗装されていないばかりか所々傾斜も激しく、普通の馬車ではまず向かえない程の悪路であった。
無論マルローの自動車も例外ではない。ただしそれはノーマルタイヤの場合の話だ。
「俺様をなめてもらっちゃあ困るな。何を隠そう鍛冶の神だぜぇ?」
ミサキを含む五人はマルローの自動車に乗っている。マルローは運転席でマグナが助手席。女性陣は三人とも後部座席。
自動車のボディーはいつも通りの銀色のメタリックであった。しかしタイヤが違う。普段の豪快な回転とは打って変わって力強くかつ穏やかに輪転しており、タイヤの外側にはベルトのような帯が前後輪をまるごと抱き込むように巻き付いていて、タイヤの回転に連動して帯も回っていた。
これは無限軌道と呼ばれる悪路走破用の足である。回転する駆動輪が外側の履帯を動かし、整地されていない土地でも走行を可能とする。
タイヤを無限軌道に切り替えて、でこぼこ山道をひたすら進んでいく。たしかに順調に進めてはいる。しかしひどい揺れであった。
「……うっぷ」
「大丈夫?トリエネ」
顔色の悪いトリエネにリピアーが声をかける。
「まあ、なんとか大丈夫かな……リピアーは平気?」
「私が体調を崩さないことは知っているでしょう。ミサキは……案外大丈夫そうね。マグナは平気かしら?」
「ああ、大丈夫だ」
いつの間にか呼び方が、正義の神からマグナに変わっていることに気が付いた。彼は妙な興奮を覚えた。
自動車に文字通りに揺られること数時間。突如マルローが運転席から声を上げた。
「お!見えてきたぜ、アレじゃあねえか!?」
やがて自動車は山中のやたら開けた場所に到達して、一行はそこに降り立った。山合いは広葉樹の木々が鬱蒼と生い茂っているのだが、この一帯だけはまばらで見晴らしも良く、そして視線の先にはぽつんと一軒の小屋が建っていた。その小屋を見てリピアーは違和感を覚える。
「アレが噂の廃屋?しかし綺麗すぎるわね」
ちょっとした丘の上に小屋は建っている。山の木々で作られたらしい、どこか真新しさの感じさせる小屋であった。
一行は小屋に近づいてみようとするが、その時実に奇妙なことが起きた。突如視界が歪み始める。何もかもが見えなくなり分からなくなる。マグナは他の四人の姿が急に認識できなくなり、彼らが神隠しに遭ったかと思った。それとも遭っているのは自分?
答えはもしかすると後者かもしれないと思った。気づいた時には視線の先の小屋が丘ごと消えていた。それどころかシダのような植物が繁茂していて、周囲の植生も明らかに変化していた。
マグナは何処とも知れぬ場所に、独り立ち尽くしていた。