第104話 グルメレポ、公都ウィントラウムにて
公都ウィントラウムにて調査前の腹ごしらえをする一行。食すは名物のシュニッツェル、そしてチョコレートケーキの王様ザッハトルテ。
公都ウィントラウム。
ポルッカ公国で最大の人口を擁する都市であり、芸術分野に秀でた街であった。精緻な建物が街並みを文化的に美しく彩っている。
ウィントラウムに一行が到着する頃には既に夕刻であった。早めの夕食を摂るために一軒のレストランに足を運ぶ。調査前の腹ごしらえである。
そこは店内だけでなく、外にもいくつかのテーブルと椅子が用意されている店だった。店内は既に満員だったが、屋外には五人が一度に座れるほどのテーブルはない。その為マグナとリピアー、トリエネとマルローにミサキと二手に分かれて着席した。
テーブル同士は隣り合っているので、五人交えての会話も問題なかった。
「そういえばポルッカ公国って、どんな料理が有名なんだ?」
「そうね、著名なのはこのシュニッツェルかしら」
リピアーがメニューの料理名を指さす。しかし絵や写真が載っているわけでも、解説文があるわけでもないので、どのような料理かは伝わってこない。
「シュニ……どんな料理なんだ?」
「まあ肉料理ね。主に仔牛肉を使うのだけれど、パン粉を付けてバターやラードでソテーするのよ」
「美味そうだな」
結局、全員同じ料理を注文するのだった。
しばらく待つとパンと共にシュニッツェルが運ばれてくる。こんがりきつね色に染まった生地はバターの風味が芳醇に薫る。黒胡椒とパセリが鮮やかに散りばめられ、軽くレモンも絞られているようだった。傍らにはコケモモのジャムが添えられていた。
腹を空かしているのか、トリエネは目を爛々と輝かせている。
「美味しそー!あれ?でもなんか、既視感が。あの料理に似ているような」
「待てトリエネ、多分俺も同じ料理を連想した。どうせならいっせーのせっで言おうぜ」
「そうだね!いっせーのせっ……」
「「コートレット!!」」
コートレットはフランチャイカ王国の肉料理である(マルローはフランチャイカの出身であり、トリエネも生まれこそ違うが幼少期を長らくフランチャイカ南部のオーアで過ごした)。
こちらも衣を付けた畜肉を油でソテーするものであり、なるほど確かに関連のありそうな料理であった。
そしてトリエネは待っていられないとばかりに、ナイフとフォークを手に取るとシュニッツェルを切り分けて口へと運ぶ。
「美味しーい!そのままでもバターとレモンの風味が効いてて美味しいけど、このコケモモジャムの甘酸っぱさもいいかんじ!」
「美味そうに食うなあ、お前」
「だって、美味しいんだもーん♪」
トリエネとマルローは楽しく談笑しながら食事を始める。ミサキも相変わらず無口、無表情であったが、ばくばくとシュニッツェルを食べ始めたのでその食味を気に入ったらしいことは分かった。しかしナイフとフォークを使って食べることには慣れていないのか、どこかたどたどしかった。
そんな隣テーブルの楽し気な食事風景を見ながら、マグナとリピアーも自分たちの料理に手を着け始める。
「美味いな、これ」
「そうね。この国には何度も来ているけれども、食べるのは初めてね」
「そうなのか」
この際マグナは気づかなかったが、これにはリピアーが不死の肉体であり、そもそも食事を必要としていないからという理由があった(食事ができないわけではない)。
リピアーはこの死にたくても死ねない体に大層悩まされながら生きてきたのだが、今のマグナにはまだ知る由もない。
◇
「ふっふっふ!私はスイーツの神様である!美味しいケーキを出さないと、世界中の人間を困らせちゃうぞー!」
「くっ、なんてことだ!このままじゃ世界が……ミサキ、お前だけが頼りだ!その手に持った美味しーいケーキでスイーツ大魔人を満足させるんだ!」
「スイーツの神様だってば!」
隣のテーブルでは何やら三人が悪ふざけをしていた。
いや、おそらくミサキは巻き込まれているだけだった。トリエネは椅子から立ち上がって、両腕を振り上げたよく分からないポーズで威圧感を出すことに努めているし、マルローはおどけながら慌てているような演技をしていた。
ミサキはマルローの傍らで、チョコレートケーキの乗った皿を両手で持っている。それは何気なくメニューのデザート欄を見ていたトリエネが見つけて、即注文したものであった。
「さあミサキ!そのチョコレートケーキの王様、ザッハトルテをスイーツ星人に献上するんだ!そうすればきっと満足して、大人しく帰ってくれるに違いない!」
「スイーツの神様だってば!」
ミサキはおずおずと歩を進めて、トリエネにザッハトルテを手渡す。ケーキが運ばれて来てから突如始まった寸劇に少女は当惑していた。
これはミサキをあやしているというわけでもなく、ただ二人が諧謔を求めて戯け合っているにすぎない。むしろミサキは付き合わされている側なのだ。
「何をやっているのかしら、あの娘……」
食事を終えたリピアーとマグナは、半ば呆れた目で二人を見ていた。
「マルローはよく悪ノリはするが、自分からはそれほどふざけない。あのおかしな寸劇の発端はきっとトリエネだな」
「御免なさいね、変な娘で」
リピアーは呆れた顔をしながらも心はどこか満足げに見えた。
「……ちょっと嬉しそうだな」
「当然ね。トリエネのあの自然な笑顔、あれは組織とか関係なしに心置きなく話せる相手を見つけられたからこその笑顔だわ。最近はあまり見られず、そして私が見たいと切望していたトリエネの顔……」
そう感慨深げに語るリピアーはまさしく母親の表情。そしてマグナに向き直る。
「ありがとう正義の神、そして鍛冶の神もそうね。私たちに協力してくれるのみならず、あの娘にあんな笑顔まで戻してくれた。感謝してもしきれないわ」
「……いや、俺たちは何もしちゃいないが」
「貴方はとても優しくて温かい人だと思うし、マルローもとても思いやりと明るさのある素敵な人だと思うわ。本人に言ったら、きっと調子に乗るでしょうけど」
「違いないな」
リピアーがマグナたちに感謝しているように、マグナもまたリピアーには感謝していた。他でもなく彼の心を真っすぐに、真摯に見つめて鼓舞してくれた。とても救われる思いだった。
やがて隣からはトリエネの嬌声が聞こえてくる。
「美味しーい♪さすがザッハトルテ!食べたことなかったけど、最高ね!まろやかで芳醇なチョコレートとアプリコットジャムの酸味が織りなすハーモニー!私の冬寒の心が一瞬でプランタンになったよー♪」
「良かったなミサキ、スイーツ怪獣満足したってよ。これで世界は救われるぜ!やっぱすげえなあ、お前は、よしよしよし……」
立ち上がった姿勢のまま、喜色満面にチョコレートケーキを食べるトリエネ。体は踊っているかのようにゆらゆら揺れている。その傍らでマルローはミサキの頭を過剰に撫でていた。
寸劇が済んだトリエネは皿とフォークを持ったまま、リピアーの元へと近づく。
そして「リピアー決めた!私、ザッハトルテさん家の子になる!」と、またしてもワケの分からぬことを口走った。
「何を言っているのかしら、この娘……」
「御免なさい……エクレール・オ・ショコラさん。でも気が向いたらまた戻って来るから、待っててね!」
「……トリエネ、それじゃただのちょっとした家出よ」
虚空を仰ぎながら謎の存在に語りかけるスイーツ娘に、母親もまた慣れたように反応するのだった。
そんな母と娘を見つつ、きっとこんな他愛のないやり取りが今まで幾度もあったのだろうと思い、マグナは微笑ましく思った。そしてこれが壊されるのは嫌だな、とも思った。