第100話 邂逅
マグナとマルローはポルッカ公国の鉄道都市メルクラットにたどり着く。そこではトリエネが大道芸を披露して路銀を稼いでいた。
辺境都市ヴァートへの旅程はニ日がかりであった。到着した頃は夜半であり、二人は翌日の始発列車に乗り込むことにした。
酒場で軽い食事と酒を摂る。その中でマルローは受信機を取り出してマグナに見せる。
「見てくれよ、嬢ちゃんの位置がピエロービカから西の方角へと移動していただろ?それがいつの間にか止まっているぜ」
「これは……どの辺りだ?」
「ポルッカ公国の都市メルクラットだな。ちょうど鉄道が通っている都市だ」
少女の居所を示す光る点は、当初は神聖ミハイル帝国の聖都ピエロービカにあった。ところが二人がヴァートへと向かっている最中、光る点は西の方角へと移動を始めていたのだ。それがいつの間にか一所に留まっている。
「点の移動は速く、それも直線的だった。そして今はメルクラットで点が止まっている」
「間違いなく鉄道に乗って移動しているな。アイツ脱出でもできたのか?しかし金なんて持ってないだろうし、アイツが自力で帰ろうとしているならメルクラットで途中下車しているのはどうにも変だ。そもそも子供独りで国家間の通行をパスできるとも思えないしな」
マグナは考え込む。光る点が移動している以上、少女の居所が移動していること自体は間違いない。しかしその実情には何やらワケがありそうであった。
「とにかく、俺たちもメルクラットに向かってみよう」
「そうだな。始発列車までまだ時間がある、飯食い終わったら、どっかで仮眠でもとろうぜ」
◇
明くる日の早朝、二人はヴァート発ピエロービカ行の始発列車へと乗り込む。そして三時間ほど列車に揺られて、ポルッカ公国メルクラットへと到着した。光る点はあれきりほとんど移動していなかった。
メルクラット。
鉄道が通るポルッカ公国の玄関口のような街である。この国は内陸国であり、北はラグナレーク王国、西は果てしなき荒野とフランチャイカ王国、南はアレクサンドロス大帝国ヴェネストリア州とマッカドニア州に接している。東はビフレスト荒原であり、今でこそラグナレーク領だがかつては神聖ミハイル帝国と直接隣り合っていたことになる。
そう、海運の利用できない立地であり、鉄道という足はこの国にとってとりわけ重要なものであった。鉄道の通るメルクラットは公都ウィントラウムに次いで二番目の人口を誇る街であった。
二人は光る点の位置から、居場所におおよその検討をつけて少女を探す。
見つけた。
それなりに人通りの多い、駅からも程近い場所であった。少女が誰かに連れられているであろうことは想像できていたのだが、少女を連れた謎のブロンドベージュの髪の女性は大衆の面前で何やら大道芸らしきことをしていたので二人は驚いた。いくつもの球をひょいひょいと器用にジャグリングしながら、小刻みにステップも踏んでいる。観衆が続々と増えていく。
「ふふふ♪まだまだこんなもんじゃないよー、ここからが本番!」
そう言って女性は懐をゴソゴソまさぐると、四本の短剣を取り出した。それを空中に放り投げてジャグリングし始める。短剣の刃が手に当たらないように計らいながら、実に巧みな手つきでそれを行うものだから観衆はみな、マグナもマルローも思わず見入ってしまった。
やがてジャグリングが終わると、周囲からは拍手が沸き起こった。
女性は満面の笑みで、見てくれたことに対してお礼を述べると、薄汚れた金属製のバケツを持って観衆の前を廻り始める。
「さあさあ、お気持ちをお金に変えてここに放り込んでくださいませませ♪お腹が空いては芸はできないのです!」
観衆の一部がなけなしの金銭をバケツの中へと放り込んでいく。観衆が立ち去る頃には、バケツの中にはそれなりの金額が溜まっていた。バケツを抱え、黒髪の少女の元へと駆け寄る。
「やったよ、ミサキちゃん!お金そこそこ溜まったよ!これでお昼ご飯と晩ご飯が食べられるし、今夜はあったかいベッドで寝られるよー」
満面の笑みではしゃぐように、無表情な少女に語りかけていた。
ミサキ……それがアイツの名前なのか、とマグナは思った。
どうやったかは知らないが裏世界は少女の名前を突き止めていたのだ。そしてマグナは若干の警戒を以てはしゃぐ女性を見ていたのだが、ミサキと女性との間には何か親しみのようなものがあるように感じられた。
無表情でコミュニケーションが取れなくても、ひと月以上寝食を共にしたのだ、何を考えているかどう感じているかぐらいはマグナにもマルローにも分かる。そのミサキがまるで嫌そうにしていないものだから、二人の警戒心もすっかり肩透かしを食らってしまったのだ。
「あー、そこのあんた、ちょっといいか」
「なになに、どったの?」
マグナが声をかけると女性は明るく応対する。いきなり誰とも知らぬ男が声をかけてきた割には彼女の反応は快活であったが、きっと金銭を恵んでくれると思ったからであろう。
やはりというか、女性は何も言わずにバケツを掲げて見せてきた。マグナはいくらかの銀貨をバケツに入れると話を続ける。
「実は俺たちはそこにいる少女……ミサキの保護者なんだ。秘密組織”裏世界”にミサキを連れ去らわれてしまい、行方を捜していたんだ」
「え!?それって本当なの?」
女性はミサキの方を見る。少女には突如現れた男二人を警戒する様子がなく、それどころか自ら二人に近づいていった。軽快な小走りであった。マグナは口元を微笑ませながら、ミサキの頭をそっと撫でた。
「どうやら嘘じゃなさそうね。じゃあ貴方たちは……」
「俺の名はマグナ・カルタ、正義の神だ。こっちのロン毛タトゥーはロベール・マルロー、火と鍛冶の神だ」
ミサキは、元々正義の神と鍛冶の神が保護していたとリピアーは言っていた。聞いていた話とも矛盾していない。
三人は駅前からほどほどに離れた路地裏まで移ると会話を始める。
マグナはこれまでのいきさつを彼女に説明した。ミサキはフランチャイカ王国の元賤民であったこと、何か込み入った事情を抱えていそうであり保護していたこと、三日前に裏世界を名乗るリピアー・クライナッズェに連れ去らわれたこと。
そして女性の名がトリエネ・トスカーナであり、彼女も裏世界のメンバーであることと、ミサキが虐待を受けていた現状に耐え兼ねミサキを連れて組織を抜け出した事情も聞いた。
「そうか、そんなことが」
「うん、ミサキちゃんは貴方たちの元に返すべきだとは思うけど、それは裏世界最強の神ドゥーマと敵対することを意味するわ。アイツはアタナシアに執着しているから」
「アタナシア……それがリピアーが言っていた聖域とやらか。アタナシアとはいったい何なんだ?どうしてミサキがその情報源になる?」
「えーと、それは、うーん……何から話せばいいのかな……」
トリエネは思案気に首をひねる。
そこに三人とも聞き覚えのある声が聞こえてくる。とくにトリエネにとっては馴染みの深い声だった。
「心配要らないわ、トリエネ。私が彼らに説明するから」
現れたのはリピアーであった。マグナたちが最後に見た時はフリル飾りの付いたワンピースドレスであったが、今の服装は男物のコートにハンチング帽のスタイルに戻っている。
トリエネは驚愕の表情を浮かべた。
「リピアー!?もうここが分かったの?」
「……貴女ねえ、駅前で大道芸なんて目立つことをしていたら、アリーアの監視に即引っ掛かるに決まっているでしょう」
「わわっ、そっか!」
トリエネは慌てていた表情を引き締めると、ミサキを守るようにリピアーの前に立ちはだかった。
「リピアー、どうせミサキちゃんと私を連れ戻すように言われているんでしょ?」
「そうね、確かに言われているわね」
「だったらダメ!いくらリピアーの頼みでもミサキちゃんは渡せない!またアジトに戻したってロクな目に遭わないもの!」
「……安心しなさいトリエネ、言われているだけよ」
そう言ってリピアーはそっとトリエネの頭に手を置いた。母親のような優しい所作だった。
「へ?」
「私自身にはそのつもりはないわ。第一、私にはもう組織にこだわる理由がないもの」
「え、なんで」
「なんでって、私は貴女を裏世界に所属させておくために私自身もそこにいたのよ。その貴女が離反した以上、私にも組織に身を置く積極的な理由がないのよ。だからトリエネ、共に行きましょう。大丈夫よ、貴女を独りになんてさせないから」
リピアーの優しい言葉を聞いて、トリエネはすっかり感極まっていた。体を震わせて涙を流し始める。組織を勝手に抜け出し今生の別れも覚悟していたものだから、リピアーの言葉は大層嬉しかった。飛びつくようにリピアーに抱き着いて、わんわん泣き始めた。
「ちょっと、どうしたの、トリエネ?」
「だ、だって、私勝手に離反しちゃったし、もう二度とリピアーに会えないかもって思ってたからぁ……」
「まったく、反動で甘えんぼがひどくなっていないかしら、貴女」
トリエネを抱き返して頭を撫でる。
それがしばらく続いた後、トリエネはリピアーの顔を見上げるようにして問う。
「ねえ、リピアーは私をずっと裏世界に閉じこめて、表社会には出さないようにしてきたよね。それってどうして?」
「悪いけど、それについては答えられないわね」
目を閉じてリピアーは言った。このことについて彼女に尋ねるのは初めてではなかった。そして決まって彼女は何も答えない。
「どうして?」
「それも答えられないわね。黙秘すると決めた以上、それを徹底するべきだと思っただけ。結局、人の口に戸は立てられないのだからね」
「……うん、分かってる。リピアーは意味のないことなんてしない、リピアーのすることには必ず事情があるはずだもん。私にはそれが分かっているから、もう何も聞かないでおくね」
「ありがとう、トリエネ。気を使わせてしまって御免なさい。一つ言えるのは、これは貴女を信用していないからだとか、そういうわけではないわ。ただ知らないでいてくれた方が私も貴女も幸せなことなのよ」
再びトリエネの頭を撫でる。そのままトリエネはリピアーの体に顔を埋めて引っ付いたまま離れなくなってしまった。リピアーはその状態のままマグナたちの方に視線を向ける。
「御免なさい、待たせてしまったわね」
「いや」
「正義の神と鍛冶の神、三日ぶりかしらね。事情は聞いたと思うけれど、私とトリエネは今組織を離反している状況にある。私たちは味方を必要としているの。もし協力してくれるのであれば、アタナシアやミサキについて、私の知る限りの情報を貴方たちに共有するわ」




