第1話 出会い
唐突だけど僕の話を聞いてもらいたい。僕のおじいちゃんは「ヲシテ文献」を勉強していて、お守りの代わりになるからと言って次に書かれたものを、病院で病気しているおばあちゃんに届けて欲しいと頼まれたのだ。それにはこう書かれている。
ふきに
ふのきにのあらそう
とみのことわりおやわ
せはたみのふゆそき
にける
これはヲシテ文字、またの名をホツマ文字という文字で書かれているものだ。ひらがなのルビは振られていない。おばあちゃんは読めるのだろうか? ちなみに僕はおじいちゃんから教えてもらっていたのでそれが読める。
そしておじいちゃんは僕にもやるよと言って、二つくれた。
をつる
をにつるのまつりは
はなのかにのこりやむ
まつしさもをにやつ
くらん
あむく
あおむけとたかきの
ぞみのとどかぬもなる
かみはれてあむくな
るなり
これである。意味は僕は分からないが、文字数が、形がシンメトリーなので、美しくて好きだ。だが、これに本当にお守りの効果があるのかどうかはナゾだ。おばあちゃんは病院で暇をしているから、これを見て時間を潰せるのではないだろうか。まあ、おばあちゃんが興味を示すかはまた別の問題だ。
「雪音、そろそろ行くよ」
「はーい」
妹はランドセルを背負っていた。
「何でランドセル?」
「おばあちゃんに見せたいものがあって」
「そっか」
僕たちは戸締りをして病院へ向かった。
病院へ着くと妹はこう言った。
「お兄、ジュース飲みたい」
病院の一階には自販機がある。見るとそこには綺麗な同い年くらいの女の子と、その隣に成人していそうな男性が居た。見た感じ、家族だろうか。
そんなことより――
「ダメだよ。さっきお家でお茶を飲んだじゃないか。だからジュースはまた今度」
「ちぇー。次来た時だからね? 約束だよ」
「今度が次回じゃ早すぎます。お兄ちゃんはそんな約束しません」
「けっ。クソ兄貴」
大体妹が「お兄」などと言う時は甘えたい時だ。
自販機の件で時間を取ってしまった。僕は受付を済ませ、妹とエレベーターで5階へ向かった。この病院は7階まである。4階はスタッフルームだ。
コンコンとノックをして中に入る。
「おや、よく来たねぇ。あら珍しい。雪音ちゃん、こんにちは」
「こんにちは、おばあちゃん。ねえねえ、あたし、おばあちゃんに見せたいものがあるの」
そう言って雪音はランドセルから絵と作文を出した。
「上手く書けてるかな? 見て見て」
「うーん。どれどれ?」
おばあちゃんは雪音の描いた絵をまじまじと見た。
「うん。よくできてるね。雪音ちゃんらしいかわいい絵だ。――――ところで悟、お茶をよろしく」
「え、僕? まあ、いい。わかったよ、良子ばあちゃん」
「あ、ジュースもよろしくー!」
「お茶しか買って来ないからな」
妹のブーイングを背に、僕は一階の自販機に向かった。
驚くことに、まだ居た。でも男の人の方は見えない。女の子は一人で何やら背伸びをしている。何かあるんだろうか? 見てみると自販機の上に缶ジュースが置かれていた。僕は女の子に話しかけた。
「上のジュースが取りたいの? 手伝おうか?」
「うん? あなた誰? まあいい。よろしく。あれ取ってちょうだい」
僕は手を伸ばして自販機の上に置かれた缶ジュースを取って、彼女に手渡した。
「わお。さすが男の子だね」
「ありがとう。まあね」
身長を褒められたのは初めてだ。
「ところで、どうして自販機の上にジュースが?」
「ああ、私の兄がいじわるで置いて行っちゃったのよね。『俺がトイレ行ってる間にさっき言ったこと、頭冷やして反省しろ。取れないジュースを目の前にしてな』なんて言って。ひどいでしょ?」
「何て言ったの?」
「何でもないわ。もう見舞いに来なくてもいいわとは言ったけど」
「何で? ふーん。まあ、いいけど。自販機いいかな? お茶が買いたいんだ」
「ああ、ごめんね。ねえ、今度、私の部屋来てよ。このお礼したげるから。ちなみに301号室の雪峰ね」
僕は3人分のお茶を買って、彼女に告げる。
「別にお礼なんていいよ。でもまあ、ヒマな時に行ってみるね」
「うん、ぜひおいでませ。待ってるわ」
「じゃ」
僕は雪峰さんに別れの挨拶をして、おばあちゃんの病室に戻った。
残された雪峰はちびちびとジュースを飲んでいた。
「あはっ! おばあちゃん、おっかしいー」
「えへっ。いいでしょ? 魔法の言葉」
「――ただいま。お茶買ってきたよ。飲む?」
僕はお茶のペットボトルを机に置いた。
「ああ。ありがとうね、悟。あんたも雪音ちゃんの作文、読んであげな。よくできてるから」
「うん、わかった。読むよ。――――どれどれ?」
雪音の作文には新しくできた友達との話、普段の授業の話、好きな小説の話などが書かれていた。
「――ふーん。何とはなしに、面白く書けてるじゃないか」
「えへへー」
「ところで、さっき言ってた『魔法の言葉』ってなんだい?」
「えへへー。それはね、二人だけの秘密なの」
「そうかい。教えてもらえないか。そいつは残念だ」
僕は心にもないことを言った。魔法の言葉なんかには興味も無い。だって、本当の魔法を知っているから……。
「悟。最近、学校の方はどうだい? 彼女でもできたかい?」
「んー。別に。特に変わったことはないよ。彼女も今のところ、居ないよ」
「そうかい。早くひ孫の顔が見たいよ。生きてるうちにね」
「うーん。そのうちね」
「何々? お兄ちゃん、子ども作るの?」
「いや、まだだよ」
「何言ってんだい。早く作りな」
「そうだよ。赤ちゃん作ってよー。あたし、見たいなー」
「いやーよ。二人そろってハラスメントだぞ。僕は独身の予定だ」
「つまんなーい」
「ねー! つまんないお兄ちゃんだねー?」
僕は二人のやっかみを聞きながら、お茶を飲み干した。
そんなこんなでいつも通り雑談をしていると、看護士の人が入ってきた。どうやら、これから定期検査のようだ。
「二人とも、今日もありがとうね。また来てね」
おばあちゃんはそう言って、僕たちも返事をして、看護士の人に一礼して、部屋を出た。
「――雪音。もう一件、行く気はないかい?」
「へ? どこに?」
「さっき知り合った女の子。何かもらえるかもよ」
「ふーん。まあいいよ。行こう?」
僕たちは手を取り合って、スロープから301号室へ向かった。
301号室には「雪峰沙織」とあった。一人部屋だった。ノックすると中から元気な声が上がった。
「はーい! どうぞ~」
声を聞いて中へ入る。妹が戸を閉めた。
「あら、さっきの男の子! そう言えば名前なんだっけ?」
「僕は直井悟。こっちは妹の雪音。よろしく」
「お姉さん、だあれ?」
「あは! 私は雪峰沙織。キミと同じ、雪の名を冠する者だゾー!」
雪峰さんは両手を上にしてワシャワシャと指を動かしている。妹は一瞬たじろぐが、気を取り直してこう言った。
「じゃあ、お姉さんとあたしで『ユキユキ』だね」
何じゃ、そのネーミング?
「おう。ユキユキだぞー!」
そこはノるんだね、雪峰さん。
「――あー、それで、何で来たかなんだけど、さっきお礼してくれるって言ってたよね。妹に何かくれるとありがたいんだけど……」
「わかった! うーん、どれにしようかな。――これだ」
雪峰さんは山積みになったお菓子の箱の内の一つを雪音にくれた。
「えっ。お姉さん、本当にいいの? こんな高そうなの」
「えっへん。いいのだ。――私はいわゆる『名家のお嬢様』って奴でね。色々といらないものまでお見舞いでもらうんだ。……一人では消化しきれないから、あげる。――悟くんにも、これあげる」
「ありがとう」
そうしてもらったのはビターチョコレートと電車のプラモデルだ。
「何で電車?」
「わかんなーい。私、女の子なのにねー? まあプラモデルは病人の暇つぶしには丁度良いんじゃないの?」
「そうかもね」
「――ねえねえ、お兄ちゃん。ここで食べてってもいいかな?」
「夕飯前だよ? でも……。――いいかな、雪峰さん?」
「全然いいよー。何ならおかわりも有るよ」
「やった!」
妹は両手をあげて喜んだ。
「もぐもぐもぐ。――もぐもぐ」
妹はリスのようにお菓子を食んでいる。
「かわいいわね」
「そうでしょ。自慢の妹なんだ」
「私は兄しか居ないから、羨ましいわ」
「そっか。でも、良いお兄さんなんでしょう? 今日、お見舞いに来てくれてたんじゃない?」
「ええ、そうなんだけど。ちょっと心配性でね。会社を早退してまで来る始末なの」
「そっか。それだけ心配なんだよ。それだけ大切なんだよ」
「――病気なんて、生きるか死ぬかだけなのにね。そんなの健康な人と変わらないのにね」
「確かにその二択で言えば変わらないけども……」
「――お兄、喉乾いた。ジュース欲しいな?」
「さっきお茶やっただろう? お茶はどうした?」
「もう飲みきっちゃった」
「そうか。なら仕方が無いな。お水でガマンだ。――雪峰さん、お水もらえるかな?」
「ジュース? ジュースなら沢山あるけど……」
冷蔵庫を開いて示す雪峰さん。
「うわー! いっぱい! いいの?」
「うん。ぜんぜんいいよ」
「……あまりうちの妹を餌付けしないでくれるかな」
「あはは。ごめんね」
そう言いつつも、妹にジュースをあげる雪峰さん。
「もぐもぐ。ごくごく」
「ねえ。良かったら、今日でお終いじゃなくて、また今度来てよ。――あ、土日はダメね。私の両親が来るから。ちょっと会わせたくないかも」
「来る来るー!」
「うん、わかった。また来るよ」
そう約束して雪峰さんの病室を出た。
「あ。雪音。俺、おばあちゃんに渡しそびれた物があったんだ。いいかな?」
「うん!」
そうして僕たちは再びおばあちゃんの病室へ向かった。
「――――おや、あんたたち、帰ったんじゃないのかい?」
「ああ、それがね、おばあちゃんに渡しそびれた物があって。これなんだけど……」
僕はカバンからホツマ文字で書かれた「ふきに」のカードを出した。
「何だいこれは? 何て書いてあるんだい?」
「これはおじいちゃんからのプレゼントでお守り。フキニって言うんだけど……」
「ふーん。何語だい? 全然読めないんだけど」
「日本語だよ。ほら、おじいちゃん、趣味でヲシテ文献を学んでいたでしょう?」
「――ああ、あれね。また、わけのわからんものを」
「おばあちゃん、読めないよね。ふりがな振ってあげようか? おじいちゃん曰く、眺めているだけでも良いって言うんだけど」
「ああ、ぜひふりがなが欲しいね。ちょうだい」
おばあちゃんは近くからえんぴつを取り出した。
僕は音読しながらルビを振っていく。
「これはね、こう書かれているんだ。――フキニ、フノキニノアラソウトミノコトワリオヤワセハタミノフユソキニケル。――おじいちゃんから聞いた話によると、フキニのフには邪悪なものを吹き飛ばして祓い清めるエネルギーがあって、フキニのキニには身体の苦痛をやわらげてくれるヒーリング効果があるんだって」
「ふーん。そうねえ。迷信じゃないの? まあ、あの人がくれたものだから、枕に敷いておくことにするよ」
「うん。おじいちゃんにもそう伝えとくね」
「――お兄ちゃん、もう用事はいい? あたし、おトイレ行きたくなっちゃった」
「うん、もういいよ。じゃあ雪音、そろそろ行こうか。――おばあちゃん、じゃあね」
僕は妹をトイレに連れて行き、それから帰路に着いた。