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最初の試練(3)

 陽射しは高く、いまだ冷たい澄んだ空気も、いくぶんその刺々しさを和らげている。ただ馬を駆るたびに巻き起こるその流れは、やはり時おり、肌を刺す冴え冴えしさをもたらすこともある。

 それはそうと、メリサは今のこの現状に納得ができていない。副団長たるマグナム卿から「ちょっと付き合えよ」と、ほんの気楽な一言で連れ出された遠乗りは、畏れ多くはあるが気さくな卿の人柄もあって、特に抵抗はなかった。リヴァディの民に面と向かって自慢できるほど不遜ではないが、メリサも乗馬はそれなりに自信があり――おそらく乗馬の技量を試そうとしているのだろうという卿の思惑も、いちおう推測できる。


 だが、それに付き合うもう一人の参加者がなぜ彼なのかが、やはり理解できない。灰色の髪をなびかせるその人が、馬上で二人を待ち受けていたのを見た時は、メリサは幾度も瞬きして自分の目を疑った。

「行くぞ」

 そして彼がコルポス人でありながら、15の歳までリヴァディで育った経歴の持ち主であることも思い出し――おそらく本当に本格的な『試験』なのだろうと、遅まきながら悟り身を引き締めた。


 二人についていくこと自体は、さほど難しくはない。速さを競うだけなら身の軽い自分のほうが有利なくらいだ。そしてメリサはいちおうエリモスで用いられる、馬上戦でも使える比較的長めの、やや反身の刀剣を腰に帯びていた。二人もやはり似たような、リヴァディのものを帯刀していたが、そのうえでさらに弓と矢筒を背負っている。

 それに気が付いた時は思わず唾を飲み込んだ。リヴァディに伝わる馬上弓の技術は、そのままリヴァディの騎馬戦士の脅威の象徴とも言える。馬上弓はエリモスでもそこそこ用いられるものの、矢の飛距離がリヴァディのものは桁違いで、製法は秘されているがおそらくとてつもない強弓なのだ。メリサが引ける弓なぞ、玩具のようにしか思われないだろう。逆に持っていなくて安堵してしまったくらいだ。


「撃ってみるか?」

「……ご冗談を」

 マグナム卿にかけられた言葉にも、力なく首を振るしかなかった。的に当てる精度はそれなりでも、彼の持つ、木や革の素材を幾種か組み合わせられた弓は、一見しただけでその重みが伝わってきそうなくらいに頑丈で、僅かにも引き絞れる期待すら持てない。

 相手が格上であっても、そうそう弱気なところを見せるものではない、と父から常々言い渡されてはいるものの。大勢が集っての訓練中ならともかく、この場で無様な姿を晒す気にはなれなかった。失望されてしまっただろうか――近くにいながら遠い、自分よりはるか遠く広くを見渡しているであろうその人の傍で、メリサは何ともやり切れない想いを味わっていた。


 コルポスの丘陵地帯はゆるやかな起伏で、時折目印のように単独で立つ樹木があるほかは見通しが良く、緑色の波の上を渡っているような感覚すら覚える。ほぼ砂しか見えない広大すぎるエリモスの大砂漠に比べれば、変化に富んだ、充分広くはあるが箱庭のようなほどよい手狭感がある――こんな言い方は失礼極まりないので口に出す気はないが、決して悪気があっての感想ではない。

「やはり緑があるというのはいいですね。リヴァディの地とはどう違うのでしょうか」

「ん、まあ、たまーにある草を目がけて家畜を追いやるのの繰り返しだな。ある程度緑色が減ったなって思ったら次に移る。そんだけだ。エリモスも南部はそんなもんじゃないのか?」

「そうですね、その緑色を見つけるのが多分もっと大変なだけですかね」

 エリモスもリヴァディも、カルディヤ海に面する沿岸部だけは商取引の地として定住者が住んでいるが、そこから離れるほど遊牧民の領域となる。エリモスの王都ワースティタースはカルディヤ海と大河サナレに接する商業都市でもあるため、王族であるルベル氏族も基本的には定住者、商人の感覚だ。


 だがリヴァディは遊牧民氏族の中から筆頭氏族を選び、その長が王となるためコリス・プラティア――『会合の地』という意味を持つ中央草原にたびたび集まるのだという。いくらかそういった知識はあるものの、未知の領域すぎてメリサの想像が追いつかない。世界は広いものだと、つくづく思う。

「親父も俺がいるからって、面倒くさがってこの間の新年の席にも来なかったからな。あっちはあっちで忙しいんじゃねぇのとは思うが――」

 そこでマグナム卿の言葉が途切れた時の緊張は、言いようのない悪寒を伴ってメリサにも伝わった。数少ない木陰の合間から空を切って飛来してきたもの、メリサは手綱を繰りその前に反射的に踊り出て、それを刀剣で叩き斬った。

 斬り払われ、地に落ちたそれは晴天時には視認しづらい白い矢羽の矢。狙われていたのは、今メリサが前に出てその軌道を遮った、灰色の髪の持ち主であることが広く知られている人物だ。


 舌打ちしつつもその方向に馬を繰り出したマグナム卿が、馬上で弓を構え、木陰を目がけて一矢放った。一拍遅れて総帥もそれに続いたため、メリサもその後を追う。先程までとうって変わって、弓を持ってきていないことが悔やまれた――曲者を追い詰める役割を、マグナム卿はともかく総帥にさせるわけにはいかない。かといって自分が前に出てしまったら、卿も総帥も弓を打てない状況になる。自分にできることは何か、冷静に見極めなくては――

 木陰に潜んでいた緑褐色の外套を着た人影が、さらに背後の木々や薮へと駆け込もうとしているのが見えた。其方に踏み込まれたら、馬での追跡はできない。なるべくならその前に――と思う間もなく、マグナム卿の豪速の矢が、その曲者の背中を外套越しに貫いた。続けて放たれた総帥の矢がその片脚を射抜き、その男は膝からくずおれ、うつ伏せに倒れる。


「捕らえよ。できれば殺さずに」

 総帥の冷静な言葉が響き終わる前にメリサは馬を降り、刀剣を構えたまま近づく。屈み込んで男の様子を窺おうと、その顔を覗き込もうとした時、また悪寒を伴う殺気を感じて一歩退いた。男の繰り出した小剣――コルポスではよく見かける、ありふれた形状のその刃を刀で受け、男のぎらついた双眸を直視したメリサは、その異様な雰囲気に呑まれがちになりながらも状況を確認する。

 相手の小剣の刃が、濁った光を放っている。この状況下では毒を塗布されている可能性が高い。これに触れずに武器を叩き落とすことができれば最善の手なのだが、意外に小さめの武器というのはそれを成し遂げづらい。上手くできるだろうか――その躊躇いを見透かされてしまったのか、いったん刀を弾かれ、懐に入り込まれるような態勢になってしまった。これはまずい――!!


 不意に、腰のあたりから後ろに引かれる感触を味わった。同時に紺色のマントが目の前で翻る様を見せつけられる。敵の小剣はそのマントの一部を切り裂いた。

「おい?!」

 マグナム卿の驚愕の声と駆け寄るさまよりも速く、メリサの前に出ていた彼は手刀で敵の小剣を叩き落とし、さらに拳で相手の腹部を抉った。男は再び地に膝をつき倒れる。それをマグナム卿が取り押さえる様子を、メリサは茫然と眺めていた――紺色のマントの、総帥の後ろ姿越しに。

 意味がわからない。いつの間に、彼が馬から降りていたのか。なぜ、メリサより前に出たのか。彼がそんな行動に出た理由がわからない。狙われていたのは彼だ。命を賭しても彼を守らなくてはならなかったのは自分だ。それをなぜ、自らが毒刃を受ける危険を背負ってまで――


 そこまで思い至って、はっと我に返り総帥の姿を改めて確認した。先程その刃に切り裂かれた部分は、右肘よりやや下部だ。

「失礼します! お怪我の具合を」

 彼の右腕に噛りつかんばかりに飛びつき、その切り裂き口を確認した。大量にではないが血が滲んでいる。メリサはその袖の裂け目を両手で引っ張り、裂け目を広げてその傷を確認する。マントと上衣の層のおかげで然程の深手ではなかったようだが、何せやられた武器が武器だ。

「水……早く、どこかで洗い流さないと」

「俺の鞍に水袋がある、使え!」

 曲者をねじ伏せたままの状態のマグナム卿の声に従い、彼の馬の鞍に提げられていた革の水袋をひったくるように手に取り、総帥を座らせて傷口にその水を流し落とす。ある程度流された後に、傷口付近を強めに掴み、血を絞り出すようにしながらさらに血を水で洗い流す。その行程を何度か続けた後、メリサは水袋を総帥に渡した。


「杯1~2杯ぶんくらい、飲んでください。身体の中から毒を薄めます」

 総帥が何も言わずにその言葉に従っている間、メリサは短剣で自分の袖を引き裂き、彼の傷口を縛った。心臓に近い場所、肘上をやや強めに――この方法は血の巡りを止めることになるわけで、長時間やると危険なのだが、今からすぐに宮殿に戻り手当を受けるまでの短い間であれば問題はない。

 マグナム卿が曲者に猿轡を噛ませ、自分の馬に括りつけ、メリサが手当をしている間、総帥は終始無言だった。とても顔を見る勇気がなくて、メリサは下を向いたままずっと傷口を見ていた。

 無傷なほうの左手、中指に嵌まる青金石の指輪が見えた――六条の星と、細かい波の紋様の施された白金の輝き。いつかネブラが話してくれた、ヴノの王の手による逸品。こんな事態でなければ、その美しさを間近に見て、感嘆する心の余裕もあっただろう。今はただ、その輝きが消えないで欲しい――メリサの頭の中には、それしか思い浮かばなかった。

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