実りの時(1)
「父様……」
「おかげ様でな、なかなか具合よくなってきた頃だ」
床から起き上がるまでに復調した父王が、わざわざメリサの寝所まで出向いて来た。彼とは反対に床から出してもらえないメリサにとっては、その訪れ自体が最もわかりやすい朗報であった。
「傷の具合は」
「まだ時おり、痛みがありますが……大丈夫です」
「そうか。実は次の豊穣祭でな、お前に一席仕切って貰いたいのだが、それくらいの気力は持ちそうかな」
「豊穣祭……ですか……」
秋の豊穣祭はメリサの誕生祝いを兼ねることが多く、例年何かしらの催し物があるものだが。今年は一体どうなるのだろう。
「ミナスの巫女姫をお呼びして、そなたを公式に王女として認知してもらう」
メリサははっとして父王を仰ぎ見た。
「この期がいちばん、適切であろう。ミナスの予言あっての今までの伏せ事、逃したら民の不信を買う」
「そう……ですね……」
宿命から解放される時。待ち望んでいたはずなのに、素直に喜べない。
「あの……連合王国騎士団のほうは」
「儂が参内した折に、騎士団の風紀を乱す振る舞いをさせたことを、お許しいただくよう願い出る」
「そう、なりますか……」
「大丈夫だ。お前が心配することは、何もない」
穏やかに微笑む父の赤褐色の瞳が、かえってメリサを落ち着かなくさせる。
――そうだ。私はもう、騎士としてコルポス宮殿に赴くことは許されないのだ……
パルウやネブラは怒ってはいないだろうが、同期の仲間が一人減ることになる。ようやく信用を得られるまで近づけたと思ったルトゥーム卿とは、また距離が離れてしまったようだ。それに何より、同室でありながら全く事情を知らせていなかったアルデアには、どんな顔を向けられよう。いや、もしかしたら、もう顔を合わせる機会すらないかもしれない。それに……
思わず枕元の小卓の上に置かれた、寄せ木細工の宝石箱を横目に眺める。その中に忍ばせてある青金石の指輪が気にかかった。
負傷後の慌ただしさに紛れて返しそびれていた。手当の際に不特定多数の女官らに見られるのが嫌で身に着けてはいなかったが、無いと心もとないのでこうしてすぐ手に取れる場所に置いてある。
その視線の先に気づいているのか否か、定かではない父王の笑みがメリサの意識をそちらに引き戻した。
「豊穣祭の来賓は、例年よりも多くなるだろう。なるべく多くの者に姿を見せられるよう、養生しておけ」
去り際の父の後姿を眺めつつも、メリサの心はまた別のほうへと彷徨いがちに乱れた。
「どうも。ご機嫌麗しゅう、姫様」
「キニスか」
ようやく起き上がれるようになったかという頃であった。カルヴノ氏族の族長代行として立ちまわっているはずの痩身の青年と、顔を合わせる機会があった。
「その後はどうなっている」
「損害賠償の件でいろいろ掛けあっていたんですがね。こちらも余裕ってわけじゃありやせんから、治水や土木工事やらの労役と引き換えに、お国に支払って貰おうって話になってます」
「そうか……大変だな」
暫し沈黙が流れた後、メリサは気になっていたことを尋ねた。
「……キニス、カテナは部族の中では、どんな位置にいたんだ」
一瞬、キニスが何とも言えない顔をして砂色の瞳を歪めた。
「若手の女どもを取りまとめていましたよ。誰もが相応しいと思ってました……族長の嫁に」
「やはり、そういうことだったのか……」
メリサが思わず目を瞑り天を仰ぐと、キニスは対照的に、視線を落としがちに呟いた。
「幼馴染だったんです、俺らは。ガキの頃は何でか、いつも三人一緒でした」
「……聞かせてくれて、ありがとう」
「いや、こんなもんでよければ、いつでも構いませんよ――俺はしばらく、傭兵部隊での兵役に就くことになると思いますから、また気が向いた時にでも、お声がけくだせぇ」
深々と一礼し去っていった痩身の男の足取りは、軽いのか重いのかメリサにも判別できなかった。
今年初めて造られた葡萄酒が献上され、それらを味わいながら舞や戯曲などの演目が披露される。大地母神ジェンマへの感謝を表すとともに、その末子である実りと芸術の神、トゥレラを讃える秋の祭典。
日々の糧が満たされなければ堪能できない、美しい感性に浸れる時。遊牧民の間で広まっていた熱病は、鎮静状態に落ち着きつつあった。父王のように復調してきている者も、徐々に増えはじめてきているという。
昨年は父の容態が悪くなる一方の中、国民を不安にさせまいと公の場では気丈に振る舞っていた。今年は何も心配することはない、ただ……
よくわからない寂しさと心細さが、メリサの心を苛んでいた。気を紛らわせようと、メリサはしばし中央庭園を訪れ、こまめに薬草を摘んでは乾燥させる一連の作業を無心にこなしていた。エリモスの長く厳しい夏を乗りきったそれらは、この期に再び勢いを取り戻し、短い冬を前にまた若々しい芽や枝葉をつける。その様子をみて採取しながら剪定し、庭園全体の形状を整えていく。
秋に収穫したそれらは、早春のものほどの清冽な香りは持たないが、それでもメリサの心を穏やかな境地へ誘った。




