隠された遺産(3)
「……その唄なんだが、『娘が兵士から火串をもらった』という概要からいって、聖ロディアが聖ソリトゥスから槍を預かったというのは、おそらく間違いない。ルトゥームに見せてもらった処刑時の記録からしても、槍は『熱砂の王』の呪いにかかっていたようだ。それを指して”火串”と言わしめたのだろう」
ワースティタースへの行程を辿りながら、アークスはキニスに自分の考えを伝える。
「そして、聖ソリトゥスのいた付近の河の精霊――おそらくクレメンス河の女神だと思うのだが――それが『熱すぎる』と言って槍を拒んだ。女神クレメンスでは槍の呪いに勝てなかったということになる」
「へぇ……つまり、他の河ってことですかい」
「そうだ。そして『別のもっと大きな河』では、槍を受け入れた。ソフォステラのクレメンス河より大きい河など、カルディヤ海沿岸でも五指に満たない。それが聖ロディアの足跡がエリモス・オリナに限られるとしたら、尚の事」
「……そうですね。そりゃあ、いちばん大きくて力の強い河の女神様がいいと思うでしょう。俺でもそう思いますよ」
カルディヤ海沿岸に流れる河で最大の規模を誇る、河の女神達アデルフィアの長姉。偉大なる女神サナレ――その加護を受ける都、ワースティタースに二人は辿り着いていた。
水瓶からほとばしる水流。それがアデルフィアの基本的な象徴だ。その他、各地方の女神により多少その紋様の意匠は異なる。女神サナレの場合は、水蓮の花が添えられている。
コルポスのミセラティオ神殿と比べても遥かに規模の大きい、サナレの神殿は、サナレ河からやや離れた高台に位置していた。時折起こるサナレ河の氾濫を見越した場所に設立されたのだ。
「――しっかし、こりゃ盲点でしたねぇ。デオス教徒が旧い神を頼るってのも。それじゃ見つからんわけですわ」
「あとはサナレ神殿のどこに置かれているか、という話と、それに近づけるコネがあればという話なんだが」
「サヴラ王に頼るってのは勘弁ですぜ。それはまずいって言われてます」
「何故だ?」
「……俺は族長の命令通りにしか動いてませんぜ。それ以上のことは知りやせん」
「最悪、無理やり強奪という選択肢が出て来たな」
「もうちょっと場所を絞り込めたら、俺一人でやっても構いませんぜ? 旦那はお役御免ということで」
「馬鹿を言うな」
真の目的は槍ではない、メリサの救出なのだ。ここで降りても意味がない。ひとまず一般の参拝者として神殿を来訪して、その内部を把握した。
水流と水蓮の装飾が飾る大理石の神殿内を眺めながら、アークスはまだ何か、見逃しているものがあるような気がしていた。あと他に、唄に示されていたものは――
「神官殿、申し訳ないが”葦の家”という言葉に、聞き覚えはないだろうか」
お布施と称して銀貨5~6枚ほどの塊を握らせると、神官は躊躇いがちにこう告げた。
「……女神サナレの名に誓って、神殿を汚すようなことは起こさないと仰って頂けますか?」
アークスとキニスは、顔を見合わせた。キニスが懐からデオス教徒の聖印を取り出し、それを見せながら告げる。
「いいですとも。さらに”これ”にも誓います。その両方に敬意を払ってお願いしやす」
神官は安堵した顔を見せた。どうやら、正解だったようである。
神殿の一角より地下階段を降り、松明を掲げた神官の後に続いて狭い地下回廊を渡り歩く。
女神サナレの象徴に、さらに添えられた”心の葉”の紋様が描かれた扉を開き、人が2~30人ほどは集まれそうな広場に辿り着いた。最奥中央に設えられた祭壇は、デオス教形式のものだ。
「”葦の家”……今はほとんど使われておりませんが、デオス教徒の方の身柄を一時預かる必要ができた時に、作られたと聞いております。ですからここでの流血沙汰は固く戒められておりますので、どうかそれを肝に銘じてくださいまし」
「うむ……いや、捜しているのは人ではないんだ」
アークスが言う傍から、キニスは辺りを物色し始めていた。とはいっても、祭壇以外に何があるというわけでもない。自然とその付近を調べることになる。
「……これか!」
キニスが声を上げたので、そちらに近寄った。祭壇と奥の壁の間、敷石が何か所か浮きがちになっている。キニスが慎重な手つきでそれを取り除けると、敷石は思っていたほどの厚みはなく、蓋のように下の空間を覆う構造になっていた。中に、ボロボロに朽ちた布に包まれたものが入っている様子だが、その場所だけというわけでもなさそうだ――それはそうだろう、もし例の物だとしたら、それを収めるにはもっと細長い空間が必要だ。見当をつけたキニスが次々に敷石を剥いでいくと、予想していたのに近い、細長い空間の全容が露わになった。
「――それを取り出すことは、叶いませぬぞ」
不意にかけられた言葉に二人が振り返ると、案内を申し出た神官の後ろから、より年かさの壮年の神官が歩み寄って来た。長衣の装飾からして、より上位の神官のようだ。
「こちらの神官長を務めております。それを預かった際の経緯を伝え聞いておりまする」
神官長は深々と頭を下げた。いちおう二人も礼を返す。
「過去にも、それを持ち出そうと試みた輩が幾人かいたと、伝えられております。しかし――”持てなかった”とのこと。敬虔なデオス教徒でも、この神殿の高位の神官でも、動かすこと叶わなかったそうです」
「そいつはどうも……では、その言葉が本当かどうか、確認させてもらいやす」
キニスがそっと、朽ちかけた布に包まれたそれに触れようとした。両手でなるべく両端を掴んで握り締め、持ち上げようとしているようだが、それ以上持ち上がる気配はなかった。アークスがキニスの顔色を窺うと、彼は顔を顰め、必死に力を込めているのだろうと推察できた。
暫しの沈黙の後、キニスはそれを手から放してふうと長い溜息をついた。無言で首を横に振る。
アークスも試してみた。感じられるのは鉛のような重さと――よくわからない胸騒ぎ。キニスより僅かに上に持ち上がった気もしたが、やはり途中で断念した。
その時、アークスは僅かな耳鳴りのようなものを聴き取った。同時に首元に、やはりごく僅かな振動のようなものを感じる。気になったアークスは、衣服の下から”それ”を引っ張り出した。メリサの、金の『トゥレラの瞳』だ。
――デオス教徒でも、サナレの神官でも力が及ばない。だが、僅かに神の加護が呼応している気がする。ということは、もしや……?
「キニス、聖印を貸してくれ」
「へぇ……これですかい?」
怪訝そうな顔をしながらも、キニスは木彫り細工の”心の葉”をアークスに手渡した。アークスはトゥレラの瞳とデオス教の聖印を重ねて手に持ち、再度それを手に取ろうと試みた。
最初に感じる強い抵抗感を、気力でもって振り払い、ゆっくりとそれを持ち上げる。同程度の長さの槍と比較すると遥かに重いものの、なんとか持ち歩くことができそうだ、とアークスには思えた。
「おぉ……」
キニスをはじめ、居合わせた神官も神官長も、感嘆の溜息を漏らす。アークスは彼らに向かって静かに語りかけた。
「……これを預けた方の血筋と思われる方から、ある場所まで持ってくるよう頼まれています。この護符はその縁あって頂いた物なので、”認められた”と勝手ながら、思っております。どうか、持ち出すことをお許しいただきたい」
メリサの『トゥレラの瞳』を見せながら、アークスは神官長らを見据えて言い切った。
「――その御方のご意思に任せましょう。サナレの御心は、それを拒んではおりませぬ」
神官長は胸のサナレの聖印を握り締め、祈りの文句とともに頭を垂れた。
「いや、ほんと旦那がいてくだすって助かりましたよ。俺達だけじゃお手上げだったってことですしね」
神殿を出るころにはもう日が暮れかかっていた。二人は宿をとるために『朱椰子亭』へと向かう。
「そういうわけだから、この槍は俺が持つぞ。メリサを解放するまで渡す気はない」
「へいへい、そこは族長と直接かけあってください――にしても、『朱椰子亭』って一級どころの隊商宿っすね。俺は別にそのへんの安宿でも構わないんですが」
「とりあえず一息つきたいんだ。今日くらい、少しゆっくりできる場所にさせてくれ」
適当な口実でキニスを誤魔化しながら、ワースティタースでも随一の隊商宿に誘導する。宿の一階、酒場の片隅に座っていた、場違いに凛とした雰囲気を持つ栗色の髪の青年。その琥珀色の瞳と目が合ったところでキニスもようやくどういう事態なのか、察したらしい。
「ちょっ……」
首筋に手刀を一撃、お見舞いした。崩れそうになったキニスの身体を支え、近寄って来たルトゥームに無造作に押しつける。
「先に部屋をとってあります。詳しい話はそちらで伺いましょうか」




