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紅菫〈ルベルヴィオラ〉の乙女  作者: 石崎 英


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灼熱の災厄(3)

 馬乳酒に、山羊の腹に貴重な野菜を詰め込んだ蒸し焼き。石のように固いチーズを薬草茶で溶かしながら、薄く焼いたパンに塗りつけて食べる。どれも遊牧民にしてみれば最大級のもてなしだ。

「俺が子供の頃には、馬乳酒だけで一日やり過ごしたこともあるぞ」

 他に聞こえないようにアークスが小声で呟いた。彼のほうがその辺の事情には詳しいだろうが、そうでなくてもメリサにもわかる待遇の良さだ。

「ヴァスターレ殿、感謝するが、病床の者は大丈夫なのか。どのような物を食べているのか」

「まあ、そこは気にするとこじゃない。病人の食い物の定番はコレだ」

 若長が馬乳酒の入った杯を軽く上げた。アークスも杯を干しながら、静かに頷いている。

「そういうことだ。病人では食えないものをこっちにまわしてるわけだから、本当に気にすることじゃない」

「ああ、そうか……では、有難く頂戴する」

 酸味とまろやかさを併せ持つ、白く濁った酒で喉を潤しながら、メリサはもてなしの品に手をつけた。


「メリサ王子は今年からコルポス宮殿に滞在していたと聞いているが、海の向こうというのはどういう感じなんだ」

「オリーヴァや葡萄だったり、海の幸だったり、それなりにいろいろ特産物はあるが、サナレ河の下流の農産物もなかなか引けを取らないぞ。だから、上流での問題解決にも協力的だ。この際だから、言っておきたいことはどんどん言って欲しい」

「それは心強い御言葉だ……そちらの御仁は、エリモスの者ではないのか?」

 いちおうメリサがアークスに目を向けると、彼から話を切り出した。

「ああ、コルポスでの協力態勢を整える連絡要員のつもりで来ている」

「ふむ、若い王子よりも随分と、物知りそうだな。先程の話などから、何か思いついたことがあれば言って欲しいが」

「そうだな……話が、デオス教の起こりにまで遡っていただろう。そこまで古い歴史であれば、やはりソフォステラの記録をあたり直す必要があると思う。他は……」

 アークスが考え込んでいる横で、不意にメリサが思いついた。

「そうだ。実は気になっていたんだが、医局でいくらか、ヴノやグラシエスでしか採れない薬草を見せてもらったことがある。エナの時代にはなかったものだろうだから、そういうものが効くかどうかも試みほうがいいかもしれない」

「なるほど。確かに、そこまで遠くとの交流はなかったからな。貴重すぎて金銭的な負担になるかもしれないが、そこを何とか、頼らせて貰うのも悪くはないか」


「ああ、そこは任せてくれ。すぐに結果は出ないかもしれないが、今後も頻繁に出入りさせてもらうかもしれない――よろしく、お願いする」

「ああ――そこは、気にしなくていい」

 気負いこんだメリサの言葉に対する、どこか冷ややかな族長の言葉。それを訝しむ間もなく、メリサは彼に急に肩を掴まれ押し倒された。持っていた馬乳酒の杯が、派手な音を立てて飛び散る。

「な……?!」

「メリサ!!」

 アークスは身を乗り出し立ち上がろうとしたが、両脇から屈強の男達に押さえ込まれた。そちらを気にすることすらできず、メリサは上からのしかかられたヴァスターレに喉元を押さえつけられ、一瞬息が詰まる。彼はメリサの上衣の襟元を力任せに広げた。プツッと何かの切れた音。少し遠くで何かが落ちた、軽い物音。銀の鎖がだらりとメリサの首元を伝わり、床に敷かれた絨毯の上を滑り落ちた。

 さらに胸に巻いた布を広げられ、緩んだことで暴かれた、メリサの秘密。

「――見つけたぞ。ロディアの末裔。贄の娘よ」

 メリサは伸しかかられた態勢のまま、茫然として周囲を見渡した――アークスを含め、視察に加わった他の衛士らも同様に取り押さえられている。いつの間にか、天幕の中には大勢の遊牧民の戦士らが入り込んで来ていた。


「どういうことだ!!」

 アークスが怒りを顕わに、ヴァスターレを激しく問いつめた。

「ああ、あんたらに用はない――俺達が用があるのは、これだけだ。この王子様――いや、王女様だな。金の髪に、紫の瞳の娘」

 春に垣間見た、あの不敵な笑みをまた浮かべ、ヴァスターレはメリサを見つめていた。

「な……ぜ? 氏族の縁者を探している、という、話では、なかったのか」

 喉を抑えられながらも、メリサは切れ切れに言葉を紡ぎ出した。

「間違ってはいない。エリモス前王妃ペタルダはオリナの商家の出だが、元を辿ればカルヴノ氏族に行きつく。その王妃が産んだ、女と見紛う容姿の王子の噂がどうにも、気になっていてな」

 ロディアの末裔。彼はそう言った。確かに母の氏族名と同じ……

「だから、メリサ君には暫くご逗留いただく。この集落から出る必要はないということさ」

「一体……何を、考えて、いる?」

「前にも言っただろう――年寄りの戯言に付き合って貰うんだ。ひと月かふた月か、そのくらいになるだろうかな」


 ヴァスターレの指示で、アークスらを含めた視察団の衛士らが、別の天幕へと引き連れられていく。

「……待て、アークス卿はエリモスの者ではない! 先程も言ったはず、コルポスが後ろ盾になっているんだ。彼だけは開放しろ。でなければ、連合王国の報復を受けることになるぞ」

「ふむ、それは確かにまずいな。だが、逃がして状況を知られてもまずい。彼にもとりあえず数日はご逗留いただく。その間に対処を検討しよう」

 無情に響くヴァスターレの言葉が、晩餐を中断された天幕の内に残された。他に遺っていたものは――透かし彫りの銀細工がところどころ途切れ、中央の石がいずこかへ飛んで無くなった、欠けた葡萄の葉の護符であった。


 以後メリサは、基本的にひとつの天幕の柱に、布の紐で緩やかに束縛されていた――着替えも女物が用意された。男物より身動きがしづらくなるのを狙ってのことだろうか、そうでなくても、死の砂漠に取り巻かれたこの集落を、抜け出すような愚行は考えまいに。

 メリサの身の回りの世話を任されていたのは、黒髪に緑眼の遊牧民の女性だった。二十歳過ぎほどに見えるが、身のこなしからいって狩りやその他の荒事にも耐えられるのではなかろうか、という印象を受けた。確かに、それなりに剣技にも秀でているという評判もあるメリサの監視役としては、そのくらいの体力や察しの良さがなければ務まらないだろう。

 そこまで手荒な待遇ではなかったが、別の天幕に引き離されたアークス達が気がかりだった。

「他の者は、どうしているか――教えては、くれないだろうか」

「ああ、大人しくしているよ。あんたの部下だろう、その命がかかっているんだから、下手なことは考えないように、ちゃんと族長が言い聞かせている」

 世話係の女性は、決してメリサを蔑んだ様子はなく、丁寧に世話をしてくれたし天幕の外の状況も教えてくれた。彼女は、名をカテナと言った。


「本当に、アークス卿――灰色の髪の騎士だけは、何とかできないものだろうか。コルポス王に申し訳が立たないのだが」

 メリサの懇願に、カテナは緑の瞳を曇らせて告げる。

「いちおう伝えておくけど……族長も、何かしら考えているようなんだけどね。あたしにも、あいつの考えていることが全部、わかっている訳じゃないんだよ」

 その晩、ヴァスターレが天幕に訪れた。手を拘束された状態のアークスを伴っていた。

「少し思いついたことがあってな。この御仁に少々手伝って貰いたいことができてな。あんたからも口添えしてくれないだろうか」

「……一体、何を?」

「ソフォステラにあったと言われる『ソリトゥスの槍』を探してきて欲しい、という頼みだ」

「ソリトゥスの、槍……」

 何故そんな物を。メリサには彼の意図がわからずとも、不吉なものを感じていた。


「つい最近、盗まれたという話を聞いている。とても見つかるとは思えないが」

「そんな紛い物の話ではない、本物を、だ。この御仁はそういった伝説に詳しそうだから、多少なりとも手伝って貰えるのを期待しているんだが」

「……もし、見つからなかったら、どうするんだ?」

「そうだな……期日は、おおよそ1~2ヵ月をみている。それを過ぎたら彼だけ解放してもいい、ということにしておこうか?」

「解った。協力してやってください、アークス卿」

「メリサ!!」

 アークスが怒ってこちらを睨んでいる。自分の真意がわかっているのだろう。そんな過去の遺物が見つかる可能性など、無きに等しい。彼の自由が保障されるのと同じだ。

「お願いします」

 潤みがちになる瞳でアークスを見つめた。もしかしたら、これが最後の別れになるかもしれない。

「……わかった。だがその前に、メリサと話をさせてくれ」

「俺の見ている前でよければ、構わんが」


 アークスは見張りに伴われながら、ゆっくりとこちらに近づいてきて、メリサの前で跪いた。

「必ず戻ってくるから。それまで、これを預かっていてくれ」

 メリサの掌にアークスの掌が重ねられ、小さな固いものが押しつけられた。ゆっくり立ち上がって遠ざかるアークスを前に、メリサは掌を開いてそれを確認し……驚きのあまり声も出ず、茫然としたまま彼の後ろ姿を見送った。

 ヴァスターレも出ていった後に、メリサはカテナに向かって頼みごとを口にした。

「首にかけられるくらいの長さの鎖か、丈夫な革紐はないだろうか」

 察しのいいカテナは何も聞かずに、帯に繋げていた革を編み上げた飾り紐のひとつを外しメリサに差し出した。メリサはそれを受け取り、アークスから貰った品をその革紐に通して、自分の首の後ろで結んだ――青金石の嵌まった、白金の指輪を。

「……大きすぎて、私の指には嵌まらないのに。こんな大事なもの、無くしてしまったら大変じゃないか……」

 指輪を握り締めたまま、メリサは独り言をつぶやいた。閉じた瞼から涙が一筋、すうっと頬を伝っていった。

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