花祭り(5)
マグナは巫女全員から、彼女の素性を調査するよう指示を出している。別方向から狙撃してきた曲者の足取りは掴めず、ルトゥームとメリサで飛来してきた毒針を調べている。
目ぼしい収穫は今のところなし、民衆は不安にさせるわで、アークスの機嫌は決してよくはなかった。
「仕方がないよ。向こうがそう簡単に尻尾を出すとも思えないしね――君が無事で良かった」
常に囮の覚悟で挑んでいる自分に、兄は常にそう言う。それでは意味がないと言っても、それよりも大事だと、彼は聞く耳持たず取り合わない。
仕方ないか、とアークスはひとつ溜息をつく。自分が逆の立場だったら、やはりそう思うからだ。父の存在も知らず、母の面影も覚えていない。リヴァディの大草原でマグナの家族とともに育った想い出も、もはや過去のものだ。養父とも言えるウェーナートル王は、エクェスがコルポス王として即位して以来、意図的に距離を置いているように思える。
親父なりのけじめのつけ方なんだろうよ、とマグナは言った。成人して以降は、変な貸し借りをつくりたくないらしい。外戚関係で他国を掌握する気がないらしい、頑固な人柄であるかの王の考えはわからなくもない。だが、だからこそ自分達は孤独だ。遠縁にあたるはずのフレトゥムを頼る気にもなれない。僭王の支配下にあってすら疎遠であったものを、今更あてにする気などない。
だからこそ、お互いに相手が死ぬことを考えたくないのだ。ミナスの神託は、どちらかさえ生きていればいい、と告げているようにもとれる。それは確かにそうだろう。双方の存在を明示しているよりも、いらぬ諍いの種を伏せることができる。そして伏せられた存在が自分のほうであっても、別段不自由は感じない。
ただ、まだまだ自分達は子供ではないのか、と思えなくもない。片割れと離れることに、どうしても不安を感じてしまうのだ。特にここに来て――縁談の話が来るたびにそう思う。確実に別の方向へと分かたれようとしているのだと思うと、臆病になってしまっている自分を感じる。
それを振り切ろうと思えたのは、砂漠の国でのある少女との出会いだった。もし仮に『独り』になったとして。どんな人に傍にいて欲しいのか――今まで漠然としていたものが、形を伴って現れたような気がした。こう言っては何だが、他国の王女など面倒極まりない、としか思えない。だがやはり親に恵まれず孤独に生きてきた、そしてそれを感じさせない春の陽だまりのような娘と一緒にいられたら。自分はそれで充分だろうと。
勿論これは厄介事をさらに兄に押し付けることになり――多少の引け目を感じたが、お互いに兄弟離れするのにいい機会では、と無理やり思うことにした。どちらかというと自分よりも重症に思える兄を突き放すのも弟としての大事な役目だ、と思うことにする。後はなるようになるだろう、早い者勝ちだ。
そんな自分の行動を後付けで正当化しようと、自室でいらぬ物思いにふけっていたアークスだったが、つい先刻に冒してしまったであろう失態に気がついた。――首飾りが、ない。あの少女に貰った、金の葡萄の葉の護符が。
つい舌打ちをしてしまったが、心当たりはすぐに思いついた。先刻行ってきた個人風呂の脱衣場の可能性が高い。何故ならその時に鎖を外したことはしっかり覚えているからだ。うっかり自分が出歩くと、傍目にはエクェスが二人いるように思われてしまうため、片割れがしっかり私室にいるのを見届けてから、部屋を出ることにした。
「すまん、忘れ物をしたらしい。ちょっと外に出てくる」
「ああ、行っておいで」
念のため来た道を同じように戻り、道々それらしき物を見かけないか気にしつつ大浴場の隣の個人浴場まで辿り着く。つい反射的に扉をすぐに開けてしまったが、何かバサッと響く物音がして、その後に先客がいることに気がついた。
「は……はい?!」
金褐色の髪がくるくると揺れている、小柄な人影は――今しがた湯を使おうとしていたのだろう、脱ぎかけた服を慌ててかき抱くように着直していた。
「ああ――すまん、ちょっと忘れ物をしたんだ」
「は……こちらを、お使いで?!」
そう言えばメリサは長老の指示で、薬湯を入れるためになるべく最後の時刻に個人風呂を使っているという話だった。すっかり忘れていたが、それで自分は今年からできれば少し早めに湯に入るように、と言われていたのだ。
「そりゃあ、俺が大浴場に行ったら、エクェスが一日に二度風呂に入っていると思われるだろ」
「あ……なるほど、そういうことでしたか……」
どことなく顔を赤らめがちにして応えるメリサの様子に、何だか変な気分を味わったが、それには構わずアークスは辺りを物色し始めた。
「あの、お忘れ物というのは……?」
こちらの様子を伺うメリサに、どう答えようかアークスはしばし逡巡した。エリモスではよく見かけるであろう物だからこそ、言いづらい。
「金の、葡萄の葉の首飾りだ――真ん中に紫水晶が嵌まっている」
「……あ、『トゥレラの瞳』……ですか?」
メリサの顔がさらに赤くなったような気がする。どこで手に入れた、とか詮索されたくない気分だ。
「いや、お前は気にするな、風呂に入ってろ」
「い、いえ、そういうわけには……私も、お捜し致します」
変に気遣いさせてしまって居心地が悪いのだが、とりあえず手伝ってもらって辺りをざっと見渡した。
「ないとすると、風呂の出入り口のあたりか……? メリサ、お前入って見てきてくれるか。その間俺はこっちをもう少し丁寧に見てみる」
「いえいえいえ! もう少し、見てみましょう」
そこまで無理して手伝わなくてもいいんだが、と思ったところで、メリサが声を上げた。
「あ! この隙間……これかもしれない!」
脱衣棚と大理石の壁の隙間にメリサが屈み込み、その華奢な腕を精一杯伸ばして、そこに落ちていたものを掴み取ったようだった。
「これですよね、見つかってよかった」
自分に確認するまでもなく言い切って、見つけた金細工のついた鎖を手渡ししようとするメリサに違和感を覚える暇はなかった。アークスはもっと別のものに気をとられていた。
メリサの乱れた着衣の隙間から、銀の鎖が覗いていた。その腕を伸ばした仕草とともに、先端の飾りが揺れて着衣の外に出る。アークスにも見覚えのある、銀の葡萄の葉。中央に嵌まっている石は、わざわざ白葡萄らしくない青みがかった緑のものを選んだ。確かそれは、彼女が好きだと言っていた色だったから。
自分が凝視していることに気づいたのであろう、その視線の先を辿ったメリサは、己の襟元に目を落とし……それを慌てて、着衣の間に押し込んだ。
「待て、それを見せろ!!」
「い、いえ! お見せするほどの物ではありませ」
問答無用で金の『トゥレラの瞳』を持っているほうの手を捻り上げ、さらに問題の品を隠したほうの手も押しのけようとしたところで、勢い余って水気の多い床に足を滑らせかけた。アークスがメリサを押し伏せるような形で、二人して大理石の床に倒れ込む。派手な物音が湯気のこもる室内に響き渡った。
「っつ……」
「す、済まん」
自分は手をついて軽く膝を打った程度だが、メリサは背中や腰を強打した様子だ。苦痛に顔を歪め、なりふり構っていられず倒れたままの彼の――いや、彼女の隠していたものを、アークスは今やはっきりと目の当たりにした。
首にかけられていた、見間違えようのない細工の自分が渡した銀の護符。はだけた着衣の胸元は、布を巻いていたようだが、それが緩んで柔らかな膨らみが露わになっていた。
茫然と、だかしかしどこか冷静にそれを見つめている自分に気がついた。新年の最初に、玉座の裏からエリモスの王子を見かけた時に感じた既視感。月夜の庭園で、恥じらいつつも触れることを許した少女の手の感触。その他様々な記憶がすべて、ひとつに繋がった感覚がした。
「う……」
まだ痛みを堪えながらも、ようやく見開いた褐色がかった紫の瞳は――今のアークスにはまだ幼さの残る少年騎士ではなく、蕾が綻びかけた花のような乙女にしか、見えなかった。




