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花祭り(4)

 ルトゥーム卿の分析結果は、喜ばしくないものとなった。他2鉢から毒が検出されたのだ。卿も言っていた通り、宮殿内に運ばれてから施された細工だという可能性が高くなった。

「ですが、内通者の目星もついてきた、ということになります。今後そのあたりの裏をとっていきます」

「協力は惜しまんぞ。うちの愚弟が世話になったお礼参りをしたい気分でな」

 いつもは軽いマグナム卿の、言葉の棘に凄まじい圧力を感じる。パルウはなんとか復調した。後遺症の類も無いようだが、そもそもが結果論で水に流せる事件ではない。

「はい、パルウム卿の自作自演や弟御を犠牲にしたマグナム卿の偽装工作など毛頭考えておりませんから、お二人も頼りに使わせていただきますよ」

 メリサから考えてもあり得ない話だが、いちおうその可能性を挙げてかつ潰したうえでの、ルトゥーム卿の指示が響いた。

「何よりも、やっていることが場当たり的すぎます。これはつまり、黒幕に辿り着けないルートの末端の小者にやらせている可能性が高いです。で、そういう者を動かす方法としては、見返りは金などの単純なもので取引していることが多く、つまりかなり差し迫った貧困に直面している者が怪しいです」


「……てことはつまり、突き詰めても収穫ゼロの可能性も高いってことかよ……」

「残念ながら。それでもやるしかありませんが。先方が本日の祭り騒ぎでそれ以上の尻尾を出してくれることを期待しましょうか」

 そう、今日は花祭りの最終日、最も盛り上がる時だ。総帥は騎士やフロースの巫女らとともに表通りを馬車で巡回する。ルトゥーム卿の指示は続く。

「率直に言います。表通りの観衆もですが、それに加えてフロースの巫女も危険と睨んでいます。身元の知れない者が多い上に、観衆よりも距離が近い状態になるかもしれない」

 同じ巫女でも、純潔を重んじ学問などの教養を高める月の女神ミナスが、上流階級の家から娘を預けられることが多いのに対し、恋愛の女神フロースの巫女はいわゆる娼婦、それ以外に生活の術を持たぬ者が成る。

 ちなみに河の女神達アデルフィアの場合は、その地域によるが、おもに主婦など生活に密着した者の信仰が強く、その中間を漂っているような感じだ。コルポスで言えばミセラティオ河の女神ということになるが、統一戦争の英雄譚で誕生時の総帥とアークスを助けたということで、近年ではその慈悲深さに重きをおいた神格とみなされることが多い。


「えー、それはつまり巫女の身体検査をしっかりやろうかということかなー……?」

「嬉しそうですね、マグナム卿。そういうわけですから、未婚の騎士の方々にお願いしましょうか?」

 いろいろあったが、身元がしっかりしていて信用のおける女官などの手を借りつつ、メリサもそれらの確認作業に参加した。

「それで、巡回中は当然騎士がなるべく総帥の傍を固めるとして、その面子の選抜だが」

「私からは、メリサ卿を推薦します。毒関連の対処に強いのは、私以外では彼でしょう」

 ルトゥーム卿が何の感情も籠っていないような声で自分の名前を挙げたことに、正直メリサは驚いたが、最近の一連の騒ぎに伴い、彼の一定の信頼を得ることができたのだと思うと少し嬉しく思えた。

「はい、命に代えてもお守り致します」

 マグナム卿と、総帥――に扮したアークスが微妙な顔をしている気がしたが、きっぱりと言い切った。

 他はマグナム卿、パルウ、ネブラ等で総帥の周囲を固めることになった。

「アルデア卿みたいな婚約済みの騎士は微妙だろうし――グレモスも、ね」

「? グレモス卿が、どうかされたのか?」

 ポツリと呟いたネブラの言葉が気になり、メリサは問い質した。


「うん……だから、話が纏まりそうってこと」

「え、そうなのか?! 誰と」

 メリサと同程度にその辺りの話には疎いパルウが、ネブラに尋ねる。

「うちの姉さん。この間の御前試合からそういう話で進んでる」

「あーなるほど、グレモス卿はネフェロディス王からも受けが良さそうだもんなぁ、めでたい話じゃん」

「父さんとしては彼か総帥かで迷ったみたいだけど、総帥がその気がなさそうなのと、ヴノの間での連携をしっかりしておきたいってのも大事だから、だってさ」

 やはりそういう政治絡みの事情も抜きにはできないらしい。メリサには縁のない――少なくとも騎士としてあり続ける限りは――話ではあるが、すこし心が和らいだ。実直なグレモス卿とネブラに似た美人の姉姫は、それはお似合いだろう。

「うちは兄貴が早くしろって親父にせっつかれてるけどな。メリサはそういう話はないのか?」

「ああ――私は、たぶん結婚しないと思う」

「え?!」

 目を丸くしているネブラの他、その場にいた他の者も注目気味になり、メリサは少々気まずい思いを味わった。


「だから――ちょっと、ね。あんまり身体が強くないから、医者には無理かもって言われているんだ。言ってるだろ、私は弟が即位するまでの繋ぎだって」

 各々がどのあたりまで想像しているのかは定かではなかったが、そこで一旦話は落ち着き、警備の配置につくことになった。

「――だから、自分の命は軽いと思っているのか」

 傍についていたアークスが呟いた。総帥の振りをしている時らしからぬ、不機嫌そうな声だった。

「……そこまで、投げ槍になっているというわけでもありませんよ……弟もまだ、幼いですからね。まだまだ死ぬ気はありませんが」

 適当に言葉を濁したが、病弱だというのを真に受けられているのだとしたら、かなり気まずい。そんな嘘に他の人の気を遣わせているのはやりきれない。それが彼であれば、尚更だ。

「どこにもいるな。弟に後を押し付けようとする兄というのは」

 誰のことを言っているのかわかって、メリサは少し可笑しくなり微笑んだ。

「そんなに、どこにもいるとは思いませんが」

 普通はそのはずだ。財産は長子相続が一般的で、それを妬み画策する弟のほうが多い筈なのだが。


「総帥がご結婚なさらないのは、また事情が違うように思えますが、何か心当たりはございますか?」

「いくつか、な……俺に遠慮しているところがあるのか、とも思っている。ミナスの予言だかに振り回されている状態だからな。以前も言っていたが、俺に子供ができたらそっちに継承権を譲る気でいる、というのは、かなり本気で考えていそうだ」

 実子に恵まれない場合、甥を後継者に指名するというのは、決して珍しい話ではない。そして、確かに総帥ならそうしかねない、とメリサは思ってしまった。

「――実は、俺にそういう話が出ている」

 思わず彼のほうを仰ぎ見た。彼は感情の読み取りにくい声で話を続けた。

「マグナやルトゥームも交えての意見が出たが、パスハリツァ姫を貰い受けてはどうか、という話だった」

 ぐらりと、視界が揺らいだ気がした。思いもがけない内容に、メリサは言葉が震えた。

「あ……れは、まだ、子供です」

 ひとまわり以上も違うのだ。政略結婚では許容範囲とはいえ、自分の想像していなかった組み合わせに、メリサはひどく動揺した。


「俺もそこには、少々抵抗がある。だが、ルトゥームらの思惑としては、エリモスとの同盟を強めることでフレトゥムを挟み牽制できるのではないか、というところにあるようだった」

「……」

 言葉が出ない。エリモスにとっては、決して悪い話ではないはずなのに。

「だが、サヴラ王にお聞かせするには負担が高い気がしていてな。王妃の一存で決めていい話でもなし、先にお前に話しておきたかったのだが、どう思う?」

 パスハリツァは直接の王族ではないが、弟の血縁となるため、弟が即位した際の代まで考えれば、悪い影響にはならない……はずなのだが。

 何故。説明できない感情に押し流されて、まともな思考ができそうにない。

「なにぶん、急な話ですので……すぐには、答えを出せそうにないかと」

「ああ……済まんな、余計な話をした。今日の祭事に集中しよう」

 これで終いとしたかったのだが、最後にアークスはこうも言っていた。

「当たり前のことだが、この話を断ったからと言って、エリモスとの関係が悪くなるとは思わないでくれ――そこに関しては、リヴァディやヴノも同じだ。どちらの王も、そんな狭量な方々ではない」

 泣きそうになるのを堪えて、メリサは無言で頷いた。


 薔薇にヒナギク、菫にヒュアキントス。フロースの恵みを受けた、男女の縁を結ぶ美しい贈り物。

 花を贈られた娘は、そのお礼に自分の髪を組み入れた飾り紐を作る。女神フロースの髪の房は、意中の男を繋ぎ止める魔力を秘めていると言われ、それに倣って娘は自分だけの魔力の籠った紐を編み上げて贈るのだ。そうして婚約が成立する。

 ――アークスは、パスハリツァに花を贈るのだろうか。彼女は飾り紐を編み上げるのだろうか。今は想像できない。考えたくもない。

 自分が明らかに気落ちしているのが伝わってしまったのだろうか、隣にいたマグナム卿が観衆にひとしきり愛想を振りまいた後、こう呟いた。

「本当のことを言うとだな、アークスは、もっと身分が下の娘でいいって言ってたんだ。ただその娘がどうも、エリモス王妃の縁故になるみたいだから、それなら似たような条件になる姫を貰うって考えもありなんじゃないか、ってエクェスやルトゥームは考えたみたいだ」

 いちおうマグナム卿の言葉が頭の中に入ってくるものの、うまく内容を咀嚼できていない気がする。

「俺から見ると、そういう問題じゃないように思えるんだがな。どっちかっていうとアークスは、その娘個人が気に入ったみたいに見えて――」


 不意に、後方からざわついた気配を感じた。絹を裂くような女性の悲鳴。

 後方の行列が乱れている。花籠を持ったフロースの巫女らの固まっている場所だ。両脇の衛士らでは抑えきれなかったらしい、酔った若衆らが押し寄せてきたようで、衛士も巫女ももみくちゃにされている。

 完全に取り押さえるには、もう少々人手が必要そうだ。だが、そうするとこちらの警備が薄くなる。嫌な状況だが――

「戻ろう」

 アークスの判断は速かった。自らも含めて後方の騒動を抑える役を買って出たのだ。嫌な予感がするが、多少の危険を考慮しても、放っておくわけにはいかない。警備の手を分断するより、そこに集中させてしまったほうがかえって隙が少なくなる。

 メリサの嫌な予感は、衛士の動きにあった。どうにも鈍い気がする。町の若衆相手に、そこまで遅れをとるはずがないと思うのだが。幾人か躓き地に伏し、踏み殺されかねない勢いだ。その隙間に時折垣間見える、妙に背を屈めた人影――その不審な動きに気づいたのは、メリサだけではなかったようだ。横から盛大な舌打ちの音が聞こえた。


「俺が行く。この場の守りは任せる!」

 マグナム卿が突進し、脇目も降らず問題の人影に掴みかかり、その手首を捻り上げた。薄紅色の衣を纏った、やや年かさのフロースの巫女。結い上げていた茶色の髪が乱れて振りほどかれているようだが――その原因は、この暴動ではなかろう。彼女の髪を留めていた飾りピンは、その右手にあった。マグナム卿に抵抗する振りをしてピンを彼の脇腹に突き刺そうとする動作も、彼に難なく防がれ、ピンを持ったほうの手も押さえ込まれる。

 暴動の発端が巫女にあると周知され、観衆は動揺するもその動きは鎮まろうとしていた。だが、あえて別方向に神経を尖らせていたメリサは、本来の進行方向の斜め前に振り返る。

 放り投げられた花籠、散る色とりどりの花びら。その合間を縫って突き刺すように飛来してきた何条かの光の筋。

 全ては躱せない。メリサはとっさに自分のマントを外し、その方向に投げ広げた。そのうえでアークスの前に出るように立ち塞がる。マントは不自然な勢いに押されながらもその動きを和らげ、メリサの眼前で地に落ちた。


「あれを追え!」

 マグナム卿の指示が衛士らに響き渡るも、その距離を推し測っていたメリサは駄目だろう、と諦観していた。遠すぎる。自分らは離れるわけにはいかないし、衛士だけに追わせても逃げられてしまうだろう。

 そして振り返り、マグナム卿の首を振る姿を見てさらに落胆した――彼が取り押さえた花の巫女は、口から静かに血を吐き出し、だらりと身体を折り曲げて膝を地に着け、動かなくなっていた。血の筋が薄紅色の衣を、赤黒く染め上げていた。

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