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春の芽吹き(1)

「そろそろ、皆の出入りが激しくなる頃だね」

 アルデアの言う通り、農繁期に入ったため、騎士たちは自領の手伝いに戻されることが多くなる。その順番は、南から――理由は至って単純で、暖かくなるのが早いからだ。国で言えばエリモスとソフォステラ、その後コルポス、ヴノ、グラシエスと続く。リヴァディは南北の位置的にはコルポスと変わらないのだが、農作業とは無縁の遊牧生活のため、随時人手の足り具合を見ながら適当な時期に自領を行き来するそうだ。

「なんだか、やっとこちらに慣れたばかりだと言うのに、落ち着かないな」

「そうだね、戻ってくる頃は僕が行く頃だし……暫くの間、行き違いになっちゃうね」

 なんだか残念そうなアルデアには悪いが、一人で部屋を使えるということは、いろいろ気遣いの苦労が減るということでもある。彼が気に入らないわけではないが、年中一緒で気を張り詰めているわけではないというのはなかなか、大事な気分転換になる。

「メリサ卿、総帥がお呼びです――今回の帰郷に関してだそうです」

 気を抜けると思った直後に気の抜けない人物から声をかけられた。ルトゥーム卿も同時期に帰郷する組だからか、ともに執務室まで赴くことになった。


 部屋にはマグナム卿と、総帥――ではない、彼が執務机の前に座っていた。こう言いきるのも何だが、最初に見せる顔が穏やかな笑顔だと総帥の可能性が高く、固く真面目な態度を崩さないのは彼の可能性が高い。

「実はエリモスに関しては、去年から内々に視察をしていたんだがな。今回はお前もいることだし、それに合わせて視察に行こうと思っている。何か支援が必要であれば、それを見極めねばならんしな」

「はい……」

「だが、視察に派遣する者は公にする必要のない者だから、あまり同行者に関しては触れまわらないように。もっともサヴラ王やティグリス卿は知っている者だから、話の取次ぎは頼むことになると思うが」

「あ……またいらっしゃる、のですか?」

 彼が少々不機嫌そうに押し黙った。

「……そうだ、前の視察と同じ者が行く。前は王にはお目通りしなかったからな、今回はきちんと話を通しておこうと思ってな」

 必死に総帥としての顔を取り繕うとしている彼と、それを意に介さないやりとりをしてしまっているメリサの様子がおかしいのであろう、マグナム卿が笑いを噛み殺していた。


「……頼むから、他の目があるところでは気づいていない振りをしてくれないか」

「も、申し訳ありません」

 いつかも見たような旅の傭兵姿のアークスとともに、メリサもあまり多くない荷物をまとめたうえでコルポスの港から、ワースティタースまでの直行船の手配所まで赴いた。アークスは髪を束ねてマントのフードを被っている状態なので、一見ではそうと注目はされまい。海を渡ってしまえば尚更気にはされないだろう。

「――ああ、いや、この姿の時は逆にはっきり別人だとわかる扱いをしてくれて構わないがな。……何だか、調子を狂わされるな、お前には」

 そんなの、私の所為にされたって。こっちだって何となく落ち着かないのだ。嬉しいのか、傍に居づらいのか、よくわからない気分になるのに。

「その、サヴラ王に関してだが……直接お会いできそうな状態なのか?」

「日によって、容態に差がありますので。戻ってみないことには何とも――他に視る場所を決めておられるようでしたら、先に伺っておきたいのですが」

「まあ、外せないのはサナレ下流の農耕地帯なんだがな、他は……」


 確かにどう考えても、連合王国としての最重要事項はサナレ河流域に広がる農耕地の確認であろう。大砂漠に囲まれた中、生命の象徴のように広がる大河の恩恵を受けた穀倉地帯はエリモスのみならず、他の各国にも輸出され行き渡るほどに肥沃な大地として知れ渡っているのだ。環境が良いように見えて意外に穀物の育ちが悪いコルポスなど、エリモスとの交流がなければ大打撃だ。

「……フレトゥムの動きを探るとなると、ティグリス卿の領地に行くことになるかもしれんがな。だが、やはりサヴラ王の話を聞くのが一番だな。ティグリス卿は呼ぶこともできるが、それができない御仁の都合を優先するのが一番だ」

 潮風に吹かれながら、船上より対岸を見渡すと、椰子の木がまばらに立ち並ぶ日干し煉瓦の街並みの、さらに向こうに見慣れた砂の色が広がっている。コルポスからはこう見えるのか――振り返ると、背後は灰色がかったオリーヴァの木々の茂みが丘を覆っているように見えた。壮大な大理石の宮殿が、徐々に遠ざかってゆく。

 それらの世界がこの紺碧の海を介して、繋がっている。やはりこの海の色が、メリサはいちばん好きだ。誰に告げるとでもなく、メリサはそう思っていた。


「そなたが来たということは、双子の狼は揃って健在ということか」

 王の寝室の、床に半身を起こした状態での父王との面会になった。今のところ、看病をしている者に病が伝染したという話は聞いていないため、直接会話しても問題ないだろうという判断に至ったのだが。時折熱が高くなる波があるという話だ。

「こちらで力になれることがあれば、何なりと仰ってください」

 アークスの言葉を受け、父は赤褐色の瞳を僅かにメリサのほうに向けたのち、こう告げた。

「どうか、メリサを――未熟者ではあるが、よろしく頼み申す。これは下の息子が立つまでの中継ぎと、周囲にも広く知らせてはおりますが、その間に何かが起きる、そういう嫌な予感がしてならんのです。これもミナスの予言に縛られた者です。神託の告げるところでは『南天の凶相』が消え去るまで、これを脅かす何かがある、と踏んでおります。自分で言うのも何だが、儂の勘は時折妙に当たるものでしてな。予言の根拠には思い至らぬのですが、決してそれを軽く見てはおらぬゆえ、重ねてお願い申し上げる」

 ひとしきり、長く言葉を紡いだのが身体にこたえたのか、サヴラ王の顔が辛そうに歪んだ。これ以上無理をさせてはいけないと思えたので、二人とも、早々に部屋を辞すことにした。


「――随分、やつれておいでだったな。俺が最後に見た時より」

 アークスが無念そうに呟いた。徐々に弱っていく様子を見ていたメリサよりも、ショックが大きいのかもしれない。

「ミナスの予言……『南天の凶相』か……南部に何か問題があるのかもな。そのあたりは何処まで情勢が把握できているんだ?」

「実は……2~3年ほど前から、遊牧民の間で徐々に熱病患者が増えている、という話が出ています。その件で視察に行った父も、あの通りの状態でして……発病者の条件にも規則性が見つかっていないので、単純に空気感染などとも言い切れる状態ではありません。一応、現地の医師にはなるべく詳細な記録を残すよう、指示を出したということですので、そちらの記録の分析も大事ではありますが、長期的な話になりそうです」

「そうか。無策のまま現地に赴いても、いたずらに身の危険を冒すだけということにもなりかねんのか。医学に関してはソフォステラが最も進んでいるだろうから、そちらとの協力体制も整えんといかんな――わかった、こちらはこちらで広範囲で協力が得られるように働きかけるよう、陳情しておこう」


 その他、城下の視察などは明日執り行うこととして、アークスはエリモス宮殿の一室に泊まることとなった。

「コルポスほどではありませんが、エリモスの大浴場もそこそこの眺めですよ。どうかゆっくりお寛ぎください」

「ああ……お前は、こちらでも個人風呂なのか?」

「ええ、まあ」

 微妙に何か言いたげな瞳を、あえて無視して別れた。久々の慣れ親しんだ南の空気を満喫する。春先に咲く木蓮の香油を混ぜた個人用の浴槽に浸りながら、メリサはささやかな至福の時を堪能した。

 白い薄絹の夜着の上から、洗い髪の僅かに残る水気を吸うように毛織のショールで髪から肩までを覆う。濃い赤い布地に春の花々が織り上げられたショールを纏い、メリサは月明りが蒼く照らし出す中央庭園に辿り着いた。浴用の香料とは違う爽やかな芳香が、この園の全体を包み込んでいる。

 ――メリサの母の遺産。小さな薬草を取り扱う商家の出であったとされるペタルダ前王妃が手ずから管理していた、王宮内の薬草園。母の死後はおもにメリサが管理していたが、目の行き届かない時は乳母や侍女らの手も借りていた。コルポスに赴くことになって以降は、ほぼ彼女らに任せきりにしていた状態だ。


 中央に位置する大きな棕櫚の植えられた、日干し煉瓦の花壇の縁に腰を下ろし、比較的高さのある月桂樹やオリーヴァの木々を眺める。その下にレヴァンダや迷迭香などの低木が見え、さらにその下の地面をサルヴァレやカミツレ、麝香草などが覆っている。別に鉢植えにしてあるのは薄荷だ。あまりに繁殖力が強すぎて、地植えすると他の草が負けてしまうのだ。

 冬に弱っていたこれらが勢いを取り戻し、その香りも強まっていくこの時期。母もとても嬉しそうにしていた。


 ――道に迷って困っていた花売りの娘は、戦を終えた帰り道の兵隊さんに会った。

 兵隊さんは道を教えた。「この河を下っていくといい」

 兵隊さんは火串をくれた。「何かの役に立つかもしれないよ」

 娘が河を下っていくと、火串を河に落としてしまった……


 ガサリと、茂みが揺れる音が響いた。なかば微睡みの内に浸っていたメリサは、その音で一瞬にして現実に引き戻された。侍女や小間使いなどではない、明らかに大きな背丈の人影。

 外套や上衣などを纏っていない、夜着代わりの短衣のみを身に着けたその男性は――中央の花壇に座る自分の姿を認めたのであろう、立ち止まってこちらを凝視している。

 月明りでは詳細な表情までは窺い知れない。だが、おそらくは驚いているのだろう。彼は――アークスは、ゆっくりと手を伸ばし、さらに一歩、こちらへと歩みを進めた。

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