冬の終わり(3)
「し、失礼しま……」
「待て。少し聞きたいことがある」
ここに来た理由だったら深く追及されたくはないのだが。冷や汗ものでメリサは振り返り直った。
「会場はどうだった」
「それが、生憎とこの背の低さで、あまりお役に立てそうにないと思いまして。少々高い場所を探していたら、こんな処まで来てしまったことになりまして」
随分と卑屈な言い訳になってしまったが、そこに皮肉が返ってくるわけでもなく、二人してしばらく窓の両側で眼下の光景を見下ろしていた。
その時の対戦は、グレモス卿とルトゥーム卿という、なかなか見ない組み合わせであった。攻防のバランスがよくそう簡単に隙を見せないグレモス卿と、意外にも運動量が多く、その動きで相手方を翻弄するルトゥーム卿。なかなか見ごたえのある剣戟の応酬に、メリサは警備の目的そっちのけで見入ってしまった。
「エリモスの衣装は、こう言っては何だが少々厄介だな。顔が確認しづらいから、悪巧みを考える輩に悪用されると不利だぞ」
「……父ももう少し、開放的にすべきでは、と考えているようです。僅かずつではありますが、港町や交易都市は服装の規制が緩くなっておりますが、急にというのは、どうしても」
カランと、大きな音を立ててルトゥーム卿の剣が弾き飛ばされたところだった。拍手の渦、お互い一礼して場を降りるまでの過程を見届ける。
「……お前と妹御は、似ていないな」
「彼女とは……血が繋がっておりませんので」
パスハリツァはエフィメロプテロ王妃の連れ子で、父と双方の血を引いているのはその下の弟のリヴェルリだけだ。実はこの後妻の人選にもひと悶着あったのだが、父の「下手に初婚の者を選ぶより、お互い連れ子がいるほうが、気が合うだろう」という見解で一蹴された。
そうは言っても、ヴェールを着けた状態でそこまで言い切られてしまうのも、とちょっと思ってしまう。確かに瞳の色からして違うわけなのだが。
「他にもいないようだな。お前のような瞳の色の者は」
「そう……かもしれませんね」
母が生きていれば、そうでもなかったのに、とメリサは思う。幼い頃の記憶にしかないが、母は自分よりも澄んだ赤紫の瞳をしていた。赤茶色系の瞳の者は決して珍しくないし、ヴノやグラシエスなどではネブラのように青紫系の瞳の者もいると聞くのだが、確かになかなか見かけない色だ。
「――心当たりは、ないのか? そういう瞳の色の娘の」
何故そこまで、瞳の色にこだわるのか――聞き返そうと見上げた彼がじっとこちらを見つめていたことに気がつき、慌てて目を反らそうにも反らせなくなってしまった。
「俺は、ひとり知っている」
下の会場のほうから歓声が湧き上がっていた。
「以前、エリモスに視察に出ていた時に見かけた。立ち居振る舞いがとても庶民の出とは思えなかったので、それなりに裕福な家の娘だろうと思っていたが」
ゆっくりと視線を下に戻すと、次の対戦の組み合わせは、総帥とアルデアであった――どう考えても、観衆は総帥の勝利を期待しているに違いない。なかなか精神的に不利な戦に、少なからず友人に同情してしまう。
「その後年が明けて、お前を見た時に思い出した――髪の色も近い感じだと思った。だから、お前の親族なのかもしれないと思っていたんだが」
アルデアが果敢に総帥に挑みかかっている。アルデアは突き攻撃を主体とする剣技を得意とし、その鋭さで一目置かれている。メリサもその脅威は身に沁みていて、その際、瞬発的に発せられる殺気に怯んだことも少なくない。その突きを躱すことにまずは集中せねばならないのだ。総帥も、そこに充分注意を払いつつ反撃を繰り出している。
「申し訳ありませんが――生憎、私には、見当がつきません」
ゆっくりと首を振り、アークスを見返した。何故だか泣きたい気分になった。もしかしたら、目が潤んでいるのに気づかれたかもしれない。
下から再び歓声が湧き上がって来た。おそらく総帥が突きを躱した横から一撃を加えたのであろう、アルデアが剣を取り落とし膝をついていた。決め手の場面を見逃してしまったようだ。
「――そろそろ、下に戻ります」
メリサは一礼した後にその場を立ち去った。下に降りた時、控えの間でアルデアを出迎えた。
「お疲れ様。いい試合だったね」
アルデアは――もともとあまり大きく表情を動かさないほうなのだが――メリサが声をかけた時は、少し嬉しそうにしている気がする、と思った。
「うん。メリサがそう言ってくれると、出た甲斐があったと思えるよ」
そうなのだろうな、不本意な状況下で。誰かが見てくれているから、やり遂げられるのかもしれない。
私にとっての、誰かはいるのだろうか。父だろうか、ティグリス卿だろうか。それとも――
再び会場を見回った時、宮殿の上層を仰ぎ見た。彼がいたはずの窓を探し当て、じっと見据える。しかしそこにも、他の窓にも、暗い虚ろな空洞しか見いだせなかった。