冬至祭(1)
通りに立ち並ぶどの店も、色鮮やかな織物や葦の葉で編まれた細工物などで、常には見られない飾りつけが施されている。そこに留まり、あるいは行き交う人々の活気が、冷えた空気を掻き乱すように紛らわせていた。
メリサはその中を、するりと軽い身のこなしと静かな足取りで歩み進めていた。足元まで届く黒いヴェールが音もなく翻る。目元のみを露わにした黒一色のこの装いは、ここ砂漠の国、エリモスでは一般的な女性の外出着ではあるが、メリサにとってはそう何度も着る機会のないものだ。砂風や陽射し避けに合理的であるだけでなく、他者に顔を晒すことを免れる――その利点が、今のメリサには最も心強い。
王宮を抜け出して城下に紛れるという、子供の悪戯のような真似ができるのも、おそらく今回が最後。とうぶん次の機会は巡ってこないはずだ――何故なら年が明けた時に、自分はこの地にはいないのだから。
エリモスの王都ワースティタースは、冬至祭の真っ最中で賑わっていた。この慣れ親しんだ町並みの眺めを見納める、というだけが今回のメリサの外出の目的ではない。今はそのもうひとつの大事な目的の地に向かっているところだった。
華やかで騒がしい表通りから遠ざかるにつれ、その目的の地が近づいてきた。背後には変化に乏しい砂地しか見受けられない、人の腰ほどの高さの岩々の塊が並ぶ、無機質な広場。
エリモス人は、死者に対して未練を残さないよう、弔いの地を無駄に飾りつけることはしない。古代には権威を誇った王族が、自らの死後もその痕跡を残すため、巨大な墓地を建造したものだとメリサは聞いている。しかし近年はそのような振る舞いをする者は見られなくなり、そしてこの簡素な共同墓地に葬られているのだ――王族に輿入れしたはずの、メリサの母でさえも。
それでもほんの僅かではあるが、王族に連なる者の眠る霊廟はやや大きく造られており、それとすぐにわかるようになっている。メリサは迷わずその前まで赴き、瞳を閉じて祈りを捧げた。
――母様、暫しのお別れです。この地を離れるのは、やはり少し心細いです。
そのうえでメリサは瞼を開け、しっかりと廟を見据えた。
――でも、私が征く以外に道はありません。父様のためにも、リヴェルリのためにも。この国をその時まで預かり守り抜くこと、なんとかやり遂げてみせます……
病床の父王とまだ幼い異母弟の姿を脳裏に思い浮かべ、メリサは母の墓標に誓った。僅かにヴェールを揺らす微風が、足元の砂を軽く巻き上げつつ流れ去っていった。
「よぉ、お嬢さん」
踵を返して共同墓地の出入り口へと引き返そうとしたその時から、嫌な予感はしていたのだ。出入り口に3,4名ほどの人影がたむろしているのが見えていた。若く活気のありそうな――そしてやや荒っぽさの感じられる男たち。赤銅色の肌と分厚く暗い色調の外套から判断するに、南方の遊牧民か。祭りを楽しみに物見遊山でやってきたにしては、この場所は見当外れだ。
「……何か、御用でしょうか?」
黒いヴェールの下で護身用の短剣に手をかけながら、メリサは用心深く答えを返した。
エリモスでは、大っぴらに女性に乱暴を働くような輩はまず見かけない。そんな不埒な真似を目論んだが最後、親の家から手痛い報復を受けるのが目に見えているからだ。そう思って独りで気軽に出歩いてしまったのがまずかったのか。辺境の遊牧民には、その常識が通用しない可能性もある。
「ちょっと人を探してるんだけどさ、君みたいな歳くらいの女の子。――確認させてもらってもいい?」
言いながら、ヴェールに手をかけようと腕を伸ばしてくる。そんなふざけた言い訳があってたまるか、無礼どころの話ではない。半歩身を捻ってその手を躱すと、ヴェールの下で短剣を抜き身構えた。
「私は、あなた方のような知り合いは存じ上げません。どうか、お引き取りを」
剣の腕に自信がないわけではないが、多勢に無勢すぎる。半端に生かしておくと逆に危うい、殺してしまうかもしれない――覚悟を決めたその時だった。
「女一人にこの人数は感心しないな。もう少しスマートに口説けないのか」
揶揄を含んだ低めの声がその場に響き渡った。男達が一斉にその方向を振り向く。つられてメリサもそちらに目を向けると、遊牧民の男達より頭一つぶんほど背の高い人影が、そこにあった。
顔立ちは彫りが深く、やや北方系の血筋かと思われた。暗い灰色の髪を後ろで無造作に束ねている。身に纏っている紺色のマントは膝丈で、やや短めの、動きやすさを重視した軽装の旅姿だ。瞳は深い青緑色で――メリサは何故か、その色に既視感を覚えた。その感覚の出どころまでには思い至れない。
「あんたはお呼びじゃねぇんだよ」
男達のうちの二人が、その長身の男に向き直った。残りの二人は相変わらずメリサに狙いを定めたままだ。だが、だいぶ楽になった――そう思った直後、長身の男に遊牧民の男の一人が掴みかかろうとする。
無駄のない動きでそれを躱した灰色の髪の男は、相手の腕を掴み難なく捻り上げた。腕をとられた男が苦悶の呻き声を上げる。遅れてもう一人が男の腹部あたりに狙いをつけて殴りかかろうとするものの、それは長身の男の蹴りによって脚を払われ、無様に砂地に這いつくばることになった。
なかなかの身のこなしだ、とメリサが感心して見ていられる余裕はなかった。こちらに迫ってくる男の手を逃れたかと思いきや、紙一重でヴェールの端を掴まれた。普段着慣れない衣服での体捌きが、思うようにいかずに苛立つ。しかしその下で抜き身の短剣を閃かせ、ヴェールを切り裂いて男の手から逃れた。
――が、もう一人の男に腕を掴まれ、ヴェールの破れ目からさらにそれを盛大に引き裂かれる。メリサの波打つ金褐色の髪が、その隙間からこぼれて陽の光に煌めいた。
「……!」
それを見た男が目を見開き、さらにメリサの胸倉を掴もうとする。髪や首飾りもろとも引き寄せられようとする感触に顔をしかめつつも、メリサは男の手に短剣を思い切って突き出した。
「ぅぐあっ!!」
力の緩んだ男の手から逃れ、メリサはさらに後ろへと退いた。今の強引な力で首飾りの鎖が千切れたらしく、それが落ちる小さな音が響く。だが、今はそちらに目を向けている暇はない。
「そのくらいにしておいたらどうだ。本当に、命の保証はできないぞ」
見ると、片腕で一人を抑え、片脚でもう一人の動きを封じた長身の男が、抜き身の剣を片手に、メリサのほうに身構えている男達にその剣先を向けていた。長剣というにはやや小ぶりの、接近戦に適した剣――その形状にメリサは見覚えがあった。海の向こうに拠点を構える、連合王国の正規軍に支給されるものだ。
この男、軍人上がりか……道理で場慣れしていると思った。それを男達も察したのだろうか、メリサ側に向いていた二人が渋々といった体で立ち去ろうとする。それを見届けた後、男がその手と脚を放すと、押さえ込まれていた残りの二人も、仲間の後を追い砂煙を散らしながら駆け去っていった。
しばし茫然とその光景を見送っていたが、場に留まっていた長身の男が数歩近寄り、とある場所で身を屈め、落ちていたものを拾い上げた――メリサの千切れた首飾り。葡萄の葉を模した金の透かし彫りの細工の中央に、紫水晶が象嵌されている。邪視を免れるとされる護符、『トゥレラの瞳』だ。
彼はそれについた砂埃を軽く払うと、ヴェールを引き裂かれてあまり見目のよくない様を晒してしまっているメリサの手をとり、掌にそっと乗せた。
メリサが顔を上げると、灰色の髪の男は穏やかな眼差しで微笑んだ――その瞳の色にはやはり何故か、懐かしさのようなものが感じられた。