52 狂気
オレはヘルガの肩に手を置いた。
「ヘルガ、ザイフリートとオレに少しだけ話をさせてくれ」
「うん。リクが言うなら」
ヘルガは剣を収めてオレの傍らに立った。
「オレは、奴隷制度が嫌いだ。
だから、つぶそうと思う。
ザイフリートここで侯爵からの許可状を渡せば命だけは助けてやる」
「……わ、私を誰だと思っていますか!
侯爵家から古くから許可状を得ている由緒正しき御用商人ですよ?
グラフ侯爵家に楯突く気ですか?
とても正気とは思えない」
オレの胸の中にモヤモヤとしたものが広がっていく。
「じゃあ、お前は正気なのか。
獣人たちを有無を言わさず攫ってきて、隷属紋を焼き付け奴隷にするお前たちが正気なのかと聞いているんだ」
「正気に決まっているでしょう。
法律に基づいてその中で一番稼げる方法にまい進する……
それが商人というものですよ」
ザイフリートはまっすぐにオレを見返してきたが、その目に曇りがないことにオレは絶望してしまった。
「斬られると痛いし、隷属紋を発動させられると背中が焼け付くように感じて思わず体が悲鳴を上げてしまうんだ」
ヘルガが剣を抜き、ザイフリートに剣を突き付けた。
「ヒ、ヒィイイイイイイ!」
「身体を傷つけられたら理解するのか?
きっとお前はそれでも理解しないのだろうな。
傷つけたオレたちをうらみ、同じように獣人奴隷の商いを続けるだけなのだろう。
お前が正気でオレがおかしいのなら……オレはおかしいままで居続けてやる」
オレの言葉に頷いたヘルガがザイフリートの足に剣を突き立てた。
ヘルガはすぐに剣を抜き、ザイフリート目掛けてついた血を払った。
「血、私の血が……イヤアアア!」
ザイフリートは痛みに体を震わせていた。
お前たちが痛めつけた獣人たちはもっと痛かったはずだ。
ふと、周りを見ると仮面舞踏会で使うような蝶の仮面をつけた人々がオレたちを幾重にも取り囲んでいた。
「……お兄ちゃんを返せ!」
ザイフリートに石が投げつけられた。
キットやトビー達より小さな子が仮面をかぶり体を震わせていた。
堰を切ったように石や花瓶がザイフリートに投げつけられる。
「ヒ、ヒ……」
うずくまったザイフリートに途切れることなく投石が続いている。
「男たちよ、お前らの正義はその小石のように小さなものか!」
オレは精一杯叫んだ。
「力を失ったザイフリートに石を投げつけるしかできないのか。
今、奴隷市場に奴隷が集まっている。
志あるものはついて来い。
お前たちの怒りは今生きている奴隷たちを解放するために使え!
獣人奴隷をこの町から解放するぞ!」
少しの静寂の後、群衆は叫び声をあげてオレの後についてきた。
オレは、群衆の先頭に立ち奴隷市場を目指す。
傍らにはヘルガがいる。
マリーが慌てて駆けつけてきた。
「奴隷市場を解放するなんて聞いてませんよ!」
「ハハハハ、良く言うよ。
マリー、冒険者に仮面を渡して暴徒へと変貌させたのはお前だろ」
「フフフ、これでギルドは真っ向からザイフリートに楯突いたことになっちゃたね」
ヘルガは嬉しそうにオレの腕を取りぴったりとオレに寄り添った。
ちょっと歩きづらいけどオレはヘルガに甘いのでしたいようにさせてやるぞ。
「私は、ギルドの依頼を受けた冒険者たちに迷惑をかけたくなくてありったけの蝶の仮面を用意しました。
仮面があれば彼ら一人一人に罪が及ぶことはないだろうと思って……
そのせいで、彼らが暴徒化するなんて思っていませんでした。
まさか、リク様……ここまで計算されていたんですか?」
マリーは驚いたようにオレの顔を覗き込んでいた。
「アレ? マリー今頃気づいたの?」
ヘルガはとても嬉しそうにマリーへ話し続ける。
「リクは結構策士だよ。
私と戦った時だってそう。
リクは本気出したらすぐに私だって倒せるのにわざと怒らせて、貴族だったころの話までさせてさ、魔族化するっていう私の秘密までさらけ出させて……ひと試合しただけでリクのことを好きにさせられちゃったんだもん」
「わざとじゃないんだけどなあ。
でも、オレ一目会った時からヘルガのこと欲しかったんだ」
ヘルガの我流の剣はとても美しく、力を持ったものだけれど危なっかしくて淀んでいたように感じていたんだ。
感情を無理やり抑えたヘルガはこのままだと自分を傷つけてしまいそうだったから。
オレはヘルガを正しく導いてやりたかったんだ。
力を持った剣士をより高みへ登らせるため、オレの手元に欲しかった。
オレの一門のモノにしたかった。
「ヘルガのことをオレのモノにしたかった。
嫌がったら無理やりにでもモノにするつもりだった。
手取り足取りいろんなことを二人でやって……
だから、ヘルガと一緒に入れて嬉しい。
お前のこと、たくさん育てるからな」
「道の真ん中でリク様、あなたは頭おかしいんですか!」
マリーは顔を真っ赤にして怒っているし、ヘルガは同じく顔を真っ赤にしているけどオレの胸に顔を押し当てて「リク、リク」と呟き続けている。
「オレ何か変なこと言ったか?」
「さっきから変なことしか言ってないでしょうが!
『ヘルガ様が欲しい』とか『モノにする』とか『無理やりモノにする』とか『手取り足取りいろんなことをヤる』とか『ヘルガ様の子をたくさん育てる』とか、そんなことは今じゃなくて、ベッドで二人の時に言ってくださいよ!」
マリーはなんだか怒っている。オレはヘルガを武人として鍛えると言っているだけなんだが。
「リク……ありがとう」
ヘルガは恥ずかしいのかオレの胸に顔をうずめながら話してくる。
吐息が胸にあたるのはちょっと困るんだが。
「私もね初めて会った時からリクのことカッコいいなあって思ってたよ。
それにね。
わ、私もね、リクのこと……欲しいし。
もちろん、リクが求めてきたら嫌がったりしないよ。
でも、私そういうことあまり知らないから手取り足取り教えてね」
ヘルガはオレの顔を覗き込むように上目遣いをしている。
「可愛いぞ、ヘルガ」
上目遣いのヘルガがたまらなく愛おしくなってオレはヘルガの髪を撫でた。
「うん。
リクが子ども好きって言うのは私さっき知ったんだけど、リクは子どもをたくさん育てたいんだね。
私も子ども好きだから嬉しいよ。
孤児院の子たちもかわいいけど、きっと私とリクの子どももとっても可愛いよね。
子ども、たくさん育てようね。
ねえ、リク。
私、いろんなこと頑張るから子どもたくさん作るために、そ、その……私のことをたくさん可愛がってね」
ん? オレ子どもたくさん育てたいって言ったっけな。
まあ、知力が低いから少し前の記憶すら怪しいんだよなあ。
ヘルガは安心したようにオレに頭を預けてオレの顔を覗き込んだ。
「リク、髪が頬についているよ」
ヘルガがオレの頬についた髪を取ると、ヘルガの顔がオレの顔のすぐ近くにあった。
「リク……」
オレたちはどちらからともなく唇を重ねた。
100を超える群衆の先頭に立ち、歩きながらのキスだったが、オレもヘルガもこの唇を放したくはなかった。
「……頼みますからベッドでやってください、何分キスしてるんですか!
っていうか良く歩きながらキスが出来ますね!」
我に返ったヘルガは群衆の方を振り向いた。みんなオレたちの方を見ていた。
「い、いやあああ!」
ヘルガは顔から湯気を出し、恥ずかしいのかオレの胸に顔をうずめた。
「マリー、そうヘルガを責めるなよ」
「あなたを責めてるんです!
純情なヘルガ様を昼間から発情させるようなことはやめてください!
頭おかしいんですか!」
「ザイフリートがしたことが正気で、オレがおかしいって言うんなら、オレはずっと頭がおかしいままで居続けてやる。
なあ、ヘルガ」
オレは胸の中にいるヘルガの髪を撫でていた。




