35 こんな私でも慕ってくれる?
オレとヘルガ、マリーはヘルガの執務室に入った。
ヘルガが扉をマリーに開けさせ、礼もせず通過した後、ヘルガが代わりに扉を開け、恭しくオレの入室を歓迎してくれた。
「じゃーん、私の執務室だよ」
最低限必要なものしか置いてない。
部屋はその所有者の人となりを表すという。
いままでは着飾るなど、頓着してなかったヘルガらしい。
「何もないところだけど、ゆっくりしていってね」
ヘルガは先ほどまで鬼みたいな顔をしてマリーの乳房を掴みねじっていたのを忘れたかのような純真可憐な笑顔をオレに向けてくれる。
切り替えが早くて、すばらしいな。
さすがオレのヨメだな。
「何もないな」
「私、剣の修行ばかりしてて、女の子っぽくなかったから……リクのため、いろいろ覚えるから、いろんなことを躾けてね。
……リク、私を女の子にしてね」
ヘルガは、オレの手を握りうるうるとした目で見つめていた。
「捨てられた子犬みたいな顔をするなよ、そのままのヘルガだって好きだし、女らしくなりたいならなればいいぞ。
泣きそうな顔をしてるけど、抱きしめてあげるからおいで」
オレはそんなヘルガが愛しくて抱きしめた。
「リク……」
「ヘルガ……」
二人の顔は近づいていく。
マリーがバケツに水を汲んでこちらへ向かってきていた。
「マリー、バケツに水を汲んできてどうしたの?」
「いえ、興奮した魔犬がいましたから、水をかけて引き離してしまおうかと思いまして」
「犬なんかいないだろ」
オレはあたりを見回してマリーに告げる。
「あ、私犬好きなんだー」
ヘルガは割と犬っぽいからな。犬好きが似合うな。
ヘルガはあたりをキョロキョロしているが、犬はいない。
「マリー、犬なんていないよ?」
「はあ……もういいです」
マリーは、バケツを抱えて座り込んだ。
「リク、マリーに犬が見える幻術でも使ったの?」
「ヘルガ、まだオレを魔族だと思っているのか?
幻術なんて使えないぞ」
「うーん、リクが人間なら安心だし、魔族だったら……私と同じだから嬉しいな。
でも、人間を食べたりいじめたりしたらだめだよ?」
ヘルガは真剣な顔で訴えているから、魔族の疑いは解けていないみたいだな。
でも、なんだかオレが魔族でもいいみたいだな。
「ヘルガはオレが魔族でも気にしないのか?」
「え? 私は気にしないけど……うーん、私魔族いっぱい倒してるから、リクに迷惑かけちゃうかも」
怖さより、オレへの気遣いが勝つのか。
いいヨメだな。大事にしよう。
「あ、リクのど乾いたよね。
私、紅茶入れるね」
ヘルガは小走りでお茶を準備しに行った。
「あ、ヘルガ様、紅茶なら私が……」
マリーはヘルガの代わりに作ると主張したが、睨まれてすごすごと退散していた。
オレとマリーは応接テーブルに座っていた。
「お茶ぐらい、私が作りますのに」
マリーがぼやいている。
「はい、リクできたよ」
テーブルに人数分のカップを音を立てずに置くヘルガ。
ヘルガの所作は貴族的というわけではないが、気遣いを感じて美しい。
「おいしいよ」
「良かった。
リクはこのお茶が好きなんだよね。
コリンナに好みを聞いておいたんだよ」
「そうか、ヘルガが入れてくれるお茶もうまいぞ」
「良かった。
メイドさんもいるけど、リクが飲むお茶はなるべく私が入れてあげたいからね」
とてもまぶしい笑顔。
「マリーも、飲んで。
ね」
「は、はい。
いただきます」
どことなく緊張しているヘルガ。
応接テーブルの向かいにマリー。お茶を入れ終わったヘルガはオレの隣に座る。
「じゃあ、マリー。
私の質問に正直に答えてね。
どうしてギルドマスター権限を乱用してまで、リクの昇格試験を行ったの?
ヴァルキュリアは模擬戦用じゃない真剣を使っていたよ。
リクを殺そうとしたの?」
ヘルガは優しく問い詰めた。
「……ヘルガ様は変わられてしまいました。
ギルドのメンバーはみな、そう話しておりました。
凛として気高い白百合のようなヘルガ様。
我々を叱咤し、激励するときの黒バラのような美しさ。
男に負けるどころか、男どもを押しのけ、実力でSランクとなったヘルガ様を、我々ヴァルキュリアはお慕いしております」
マリーの瞳には熱がこもっている。
「うん。
マリー達はよく頑張ってくれてるよ」
マリーのカップを握る手に力がこもっているのがわかる。
「ですが、リク様との決闘の後からヘルガ様は変わられまったのです!」
マリーはテーブルから勢いよく立ち上がる。
「我々のミスを一つも見逃さないような怜悧なヘルガ様の目は、もうありませんでした。
少女のように笑い、優しく我々を見つめるヘルガ様……うう、その気丈な心持を思うと、私は辛くて仕方なかったのです」
は? 途中まではわかるけど、ヘルガが笑顔になったならそれでいいだろ。
「私が聞くところによりますと、決闘に敗れたヘルガ様の身柄はリク様に奪われてしまったとのことです。
そして、決闘の後にギルドにおいでにならなかった……ぅぅ」
マリーは泣いてしまった。
「気丈なヘルガさまが丸一日寝込んでしまうほど、リク様の責めは苛烈を極めたのでしょう」
おいこら。
そもそも決闘のあとはすぐ寝たんだよ。
オレもヘルガも疲れてたからな。
「清廉で高潔なヘルガ様には、酷なことでございました。
魔族殺しのヘルガ様が、魔族の手に落ちてしまった。
そうなれば苛烈な報復が待っているのでございましょう。
……ヘルガ様は以前のような女傑ではなく、ただの女にされてしまわれたのだと、魔族の恨みのすべてをその身に受けて、以前と同じではいられなくなってしまったのだと……」
マリーは涙をこぼし、体を震わせながら話し続けた。
「ヒック、ヒック」
マリーは子どものように泣いているけど、あのな。
オレはヘルガに恨みなんて全くないぞ。
「そんなとき、ヘルガ様はどこか思いつめたご様子で、私に子爵家との縁談を取りやめにするとおっしゃあました。
顔には笑顔を取り繕い、瞳から涙をこぼしたヘルガ様。
魔族に汚されてしまった身では侯爵家に嫁ぐに値しないと、気を使っておられるのだとそう思い、私は決意しました。
必ずヘルガ様をお救いすると!
……そして、リク様に決闘を申し込みました。昇格試験の形を借りて。
リク様は、決闘で勝利すればヘルガ様の身柄を解放すると約束してくれました。
私にはリク様と決闘して勝利するしか、ヘルガ様をお救いする道がありませんでした……」
涙を浮かべるマリー。
ヘルガとオレは顔を見合わせる。
ヘルガは「ふふっ」と笑い、マリーを抱きしめる。
「……ヘルガ様?」
顔を上げようとするマリーを手で制して、
「マリー、私のことを心配してくれたんだね。
ありがとうね。このまま泣いていいんだよ」
「ヘルガ様……」
ヘルガは、マリーを抱きしめ、背中をトントンと一定のリズムで優しく撫でている。
「私はね、今の話し方が一番自分らしいと思うんだ。
さっき、みんなの前でマリーを怒ったみたいな話し方は実は無理をしていたんだよね」
一生懸命ではあったので、そこが可愛らしくもあったけどな。
「私はね、子どもから剣士になったから、女の子っぽい話し方はあまりできないんだ。
でもね、リクといるときくらいは自然にしていたいんだ。
リクはね、とっても優しいんだよ。
薬草をね、取って来てくれたり、私が起きてくるのを待っててくれたりするんだよ。
でもね、疲れてテーブルで寝てたりもするんだよ」
ヘルガはとても楽しそうにオレの話をする。
話の中身は、特になんということのない日常だ。
「それでね、リクは私の全てを認めてくれたんだ。
そしたら、好きになってたんだ。
だから、私はリクと一緒になるから侯爵家には嫁げないんだ。
思いつめた顔をしていたのはね、侯爵家との縁談をうまく断れるか心配してたからだよ。
泣いてたのはね、リクと一緒になれるのが嬉しいからなんだよ」
侯爵家のことだったら心配するな。
オレを誰だと思ってるんだ、史上最強の武闘家リク・ハヤマだぞ。
「ねえ、マリー。
こんな私でも変わらず慕ってくれる?」
「……それはどういうことでしょうか」
オレはヘルガの隣に立って手をつないだ
自分を見せるのは勇気がいることだ。
そして、自分の心を開かなければ、相手も心を開いてはくれない。
ヘルガが心細いなら、オレが隣にいる。
ヘルガと目が合った。
オレは、ヘルガに精いっぱいの笑顔で笑いかけてやる。
……頑張れ、ヘルガ。
マリーなら大丈夫だ。
ヘルガは、抑えていた感情を解き放った。
それは嬉しさだったのか、恐怖だったのかはわからないけど。
そこには漆黒の翼を持つ赤い瞳のサキュバス。
しっとりと濡れた黒翼に、宝石のような赤い瞳。
紅潮した頬と、挑発的な表情にどんな男も惹かれてしまう。
オレにあまり変化がないのはすでにヘルガに惹かれてしまってるからかもな。
「これが私だよ、マリー」
マリーは瞳を大きく開け、驚いていた。