「そう、【目が合った人を今いる空間に閉じ込めちゃう】病気」
俺は、メロンパンが嫌いだった。
「小桜紗乃子は目を合わせない」
「いやいや、目合わせたからアタシが呼ばれたんでしょうが」
「小桜紗乃子はうっかり砂埃にやられて眼鏡を外してなんかいない」
「状況説明までしっかりしちゃったじゃない」
「いちいちうるさいの、鳴海」
「理不尽だわ!」
目の前で漫才のようなやりとりが行われているが、俺には現状が全く理解出来ていなかった。
何だこれ、どうなってんだ。
今いるのは俺がいつも働いているコンビニ。黄緑がイメージカラーのちょっと目に優しくなさそうなロゴが目印のコンビニだ。
今日もシフトが入っていたからいつも通り出勤。黒地に黄緑のストライプが入った、これまたあまり目によろしくなさそうなユニフォームを着てゆるく接客をしていた。そして、たった今小桜紗乃子と自称していたお客さん(落ち着いた茶髪をゆるくおさげにして、木目調のこげ茶色をした大きめのフレーム眼鏡をかけている。小柄な容姿にすとんとしたクラシカルなワンピースがとても似合っていた。少し幼く見えるがきっと俺と同じ大学生くらいだろう)がレジに並んでいた時に、日中は開けっ放しにしている自動ドアのせいで強風が店内に吹きこんできた。
たまたまドアに近いレジにいたせいもあってか、その強風で舞い込んできた砂埃が彼女の目に入ってしまったらしい。眼鏡を外して少し痛そうにごしごしと目をこすっていた。思わず「大丈夫ですか」と無意識に彼女に目線を合わせるように前屈みになった瞬間に顔を上げた彼女と目が合って、そうだ、目が合ったら――――コンビニから人がいなくなったのだ。
「折角ネギトロ食べようとしてたのに」
「あら残念ね、店内にはそこのオニーサン以外誰もいないみたいよ」
「……おなかすいたの」
正確には俺と彼女以外の人が、だ。
昼のピークは過ぎていたからそこまで多くの客がいたわけではないが、それでも五、六人はいたはずだった。それがまるで消えてしまったかのようにいなくなったのだ。俺と一緒に働いていたおばさんも隣のレジから消えてしまっている。
その代わりに今彼女と喋っている鳴海と呼ばれた人物が、音もなく現れたのだった。
彼を一言で表すと――――すげえでかい。
百八十五センチは確実にあるだろう。細身だからか余計に縦に長く見える。小柄な彼女と並ぶと親子みたいだ。その上かなり色素の薄い髪色(銀というよりは白に近い)の猫っ毛がふわふわとしていて、街中にいたら確実に二度見されるようなビジュアルだった。そのくせに、口調は何故かオネエ気味なのが非常にミスマッチだった。
目の前にいる二人の話し声以外何も聞こえてこない。開けっ放しの自動ドアはいつの間にか閉まっているし、常時かかっているはずの店内放送は消えていた。
ここまで考えてやっと気付いたが、店外からの声や物音すら一切聞こえてこないのだ。ガラス張りになっている店の外はいつもと変わらず人や車が行き来しているのに。おかしい。入口のすぐ傍では常連の主婦達が井戸端会議をしているというのに。おかしい。
慌てて入口まで駆け足で向かうが自動ドアは一切反応しない。ドアの隙間に両手を挟んで無理矢理開こうとするがびくともしない、おーいと声を出しても誰も振り向かない。
今になって焦る。何故だ。俺はただ彼女と目が合っただけなのに。
「あの、これ、何なんですか!」
「ほら紗乃子、オニーサンに説明しなきゃ駄目でしょ」
「うん、病気みたいな感じなの」
「病気?」
「そう、【目が合った人を今いる空間に閉じ込めちゃう】病気」
――――そんな病気聞いたことないぞ。
口にせずとも表情に表れていたようで、彼女は無表情で続けてくれた。
「自称病気、別に医者に診てもらったとかじゃないの。わかりやすく言えば病気、って言葉が出てくるだけなの。薬のない病気なの。すごく不便よ」
「じゃあ、そこの人は……?」
「鳴海のこと? 鳴海は鳴海なの、私が閉じ込められると出てくるのよ」
「ハーイ、オニーサン。今回は不運としか言い様がないわね、まあある意味幸運なのかしら」
「見ての通り、オカマなの」
「ちょっと?! アタシはオカマじゃないわよ!」
「オカマなの」
「違うわよ!」
オカマさんらしい。
鳴海さんはぎゃあぎゃあと否定の言葉を並べていたが左から右に聞き流してしまった。そこじゃない。今俺にとって一番問題なのはもっと別にあるのだから。
「それは別にどっちでもいいんですけど、」
「よくないわ!」
「いや、あの、俺は出られるんですか?」
眉間に皺を寄せながらオカマ説の否定に必死になっていた鳴海さんの表情ががらりと変わった。
大して仲良くもない友達から図々しい頼みごとをされた時のような、微妙に返答に困った表情をしていた。そんな表情とは裏腹に、次の言葉は一瞬言い淀んだだけですらりと「ええ」なんて返ってきたものだから俺は少しだけ違和感を覚えた。
「じゃあ出してください、今すぐに」
「それは無理ねえ。いえ、オニーサン次第なのかしら」
「は?」
「たちばな、」
「え、はい?」
急に名字を呼ばれて驚く。
視線を上げて鳴海さんと話していたからすぐには気付かなかったが、彼女、小桜紗乃子は俺のユニフォームの左胸についた名札に指をさしていた。
そこには俺の苗字が平仮名で記されている。単に彼女はそれを読み上げただけなのだろう。大きめな眼鏡の奥の瞳はぼんやりとしていて、特に俺の素性や名字に興味があるようには見えなかったからだ。喋り方もそうだが、この短時間でもわかる、彼女は少し変わっている。
「出たいの?」
「当たり前じゃないですか!」
「そう」
「そう、じゃないですよ! 出る方法は何なんですか、教えてください」
「別に誰でも閉じ込めちゃうわけじゃないの」
質問に返答することなく、独り言のように彼女は言葉を紡ぐ。
少しいらっとしたが、感情のままに怒鳴り続けるのもどうかと思ってここはぐっとこらえることにした。どっちにしろ、原因はこのおさげ髪の少女なのだから、俺が喚いたところで状況はよくならないのだ。
鳴海さんはこの説明に興味がないのかそれともいつものことだから終わるまで待つつもりなのか、誰もいない店内を物色し始めた。健康補助食品のコーナーをまじまじと見つめている。あ、新作のダイエット食品を物色している。女子か。
「すぐ出られる人もいるの、ううん、すぐ出られる人の方が多いのよ。そういう人は閉じ込められてもすぐに勝手に出て行ってしまうの。すごく楽よ。手を繋いで出て行ってしまうの。でもここには私と鳴海とたちばな以外は誰もいないから、たちばなはすぐに手を繋いで出ていくことは出来ないのよ」
呼び捨てなのか。
彼女の説明はふわふわとしていて具体的ではなく、言っている意味がはっきりとはわからなかった。レジカウンターに置かれたネギトロをじいっと見つめながら口を挟む隙も与えずに喋る喋る喋る。
「そうなると、きっと時間がかかるのよ。でも閉じ込められている間は実際に時間が経っているわけじゃあないから安心していいの。たちばなは安心して探せばいいのよ。でも忘れているの。忘れているから手を繋げないの。もう手を繋げないから忘れているの。ねえたちばな、」
ここで彼女は初めてネギトロから目線を外す。俺がつけたネクタイの結び目あたりをまっすぐ見つめるように顔を上げた。
「死んじゃった人の声って、真っ先に忘れちゃうのよ」