地下通路で刻まれたひと夏の思い出。
※ この作品は、なななんさま主催の「夏の涼」企画 参加作品です。ラストであったまっちゃいますがw
「おい柳川。夏だぞ。暑いぞ。今日の最高気温知ってるか? 昨日の夜は熱帯夜だったらしいぞ。熱帯夜の定義を知ってるか? 暑くて頭がおかしくなりそうだ。ということで、行くぞ」
「柳川ですが。夏ですが。暑いですね。35度くらいでしたか。熱帯夜というのは……、えっと……」
「どうした柳川」
「いや、別に」
川沿いの柳の木の幹に寄りかかって、この暑いなかでも「ザ・クール」を演じきれてるぜと思い込んでいるようすの柳川くんは、立花さんの並べたてたことばの束を一文ずつ区切って、そのすべてに対して的確なザ・クール・アンサーを返してやろうと頑張ったものの、熱帯夜の定義がわからなかったので、このままではザ・クールの姿勢を崩しかねないという危機感を感じてひとつずつ丁寧に答えるのをやめにしたのだけど、これを受けて困った立花さんはこう言った。「せめて最後の呼びかけに対する返答がほしい」
「ん、なんだっけ」
「『ということで、行くぞ』」
「……どこに?」
「そうこなくっちゃ」
そう言うと立花さんは、柳川くんの手首をつかんでかけだした。
「あ、ちょっ……、イッタタタタタターアッ」
もはやはじめから怪しかったザ・クールの面影は完全に消え失せて、柳川くんは顔を真っ赤にして手首の痛みを訴えながら立花さんに引かれてかけていったのだけど、その二人の起こした風が川沿いの柳の木の垂れた枝と葉っぱをゆらす風景はいかにも夏らしくて涼しげで、すれ違った釣り人があんぐりと口を開けて「速え……」などと言っているのも「いとおかし」といった風情が感じらるものだった。
ところで、柳川くんの連れてこられた場所はちょっとした地下通路だった。コンクリートの壁におおわれて薄暗く、青白い蛍光灯の明かりがあるのみの、昼間でも少し不気味といえなくもない場所だった。入り口には「自転車は降りて押してね」と書かれてあったと思われるひからびた看板があった。
「え、なにここ?」
「なんだ知らないのか」
「いや、知ってるけども……」
「こないだドラマの撮影で使われたらしいぞ」
「ああ、じゃあ……、いまはやりの聖地巡礼ってやつ? 撮影地を聖地に見立てて見てまわるっていう」
「聖地といえば聖地だな。なんでも、ヴァンパイアが生まれた聖なる場所っていう設定らしいから」
「ホラーじゃないかっ」
あくまでもザ・クールの延長線上の、軽やかなアリアを歌うような口調でツッコミを入れたつもりの柳川くんだったのだけど、それを聞いた立花さんにはどうやらそうとはとらえられなかったようで、立花さんはにやにやとしながら、柳川くんの名前の「柳」というのを意識してこう返した。
「なんだ、ビビってんのか。名前にホラーの代名詞が入ってるくせに」
「……?」
ピンとこずに黙りこんでしまった柳川くんのようすを見て、立花さんはいよいよニヤニヤとしながら「ビビってんのか」と言って柳川くんの脇腹を小突いたりした。
「なにをイチャついてるんだ……」
「ぎゃーああああっ」
「で、出たーあああっ」
……というようなことは、聖地でもなんでもない単なる地下通路でしかないこの場所では起こるはずもなく、せいぜいあったとして、ちょっと怖めのお兄さんお姉さんたちが座り込んで談笑しながらポテトチップスを食べているところに鉢合わせをして「食うか?」と声をかけられて気まずくなる程度のことなのだけど、そんなことすら起こらなくても、仲良しの二人は肝試しのつもりでこの地下通路を満喫して出てきたようだった。
「でもさ、立花さん」
「なんだ柳川」
「ぜんぜん涼しくなかったよ」
「ん、なんでだ? あんなにビビりまくってたのに」
「だって立花さん、七歩進むごとに背中に飛びついてくるんだもん。なにも起こりゃしないのにさ」
「な……、そんなこと……っ」
顔を朱に染めたかわいらしい立花さんを見て、柳川くんは内心「かわいいな」と思いつつも苦笑いを抑えられずに自分の肘を突きだして言った。
「これが証拠。立花さんに飛びつかれて転んじゃってできたひと夏の思い出だよ」
「……ッ口外禁止だっ!」
そんなこと言われなくてもわかってるよ。……そう思いながらほほえんだ柳川くんは、この夏が終わってもうすぐ年明けというころになって、立花さんのつかんだドラマの撮影地という情報はデマだったというどうでもいい情報を耳にして、それをきっかけにして、暑かった夏の日のことを思い起こして心の暖をとったのでした。
地下通路のあの狭いところで本当に撮影をするとなると、大変でしょうね……w
五月末の旅行で行った彦根で、佐和山城跡近くの地下通路を通ってきたのが記憶と記録(写真)に残っていて、それでこんなものを書いてしまった私でした(笑)