スプリング ティア シロップ
シナリオノベル第2弾はこの人が主人公です。
初期のキャラクターですが、主人公は声優で大切な女の子がいたということを把握いただければ単品で読めると思います。
『春センチメンタル企画』参加作品
春に向かっているとは思えないほど寒くて、甘い香りがしたのを覚えている。
バイバイ、えっくん
夢を見た。あの子との最後の日のこと。
あの時は何も知らなかった。あの子がドイツに行くことも、隣にいたあの子が会うことすら叶わないほど遠い存在になってしまうことも。
今日は午前から収録がある。男子4人のそれぞれの恋愛模様を描いた青春小説が原作のアニメだ。僕が声をあてるキャラクター・泰雅はクール系で4人のまとめ役、おっちょこちょいな隣のクラスの女の子に片思いをしている男の子。今回の収録は泰雅がメインになるから気を引き締めていかないと。
それなのに、なんだか落ち着かない。
……いや、きっと台本のことを色々考えていたせいだ。決してあの子が夢に出たからじゃない。僕はスタジオへの道を早歩きした。
よろしくお願いします、と一通り挨拶をして打ち合わせとテストが始まった。
「では、お願いします」
本番が始まった。最初に録るシーンは、泰雅が片思い相手と仲違いするシーン。おっちょこちょいで1日1回は必ずアクシデントを起こす女の子を助ける役目だったけど、ある日その役目を女の子の後輩に取られてしまう。事故が解決した後、のほほんとした彼女の態度に泰雅は怒りを露わにする。
『泰雅くん! ねぇどうして怒ってるの? やっぱアタシが事故起こしたから……』
『なぁ眞城、俺はずっとお前といるわけじゃない』
『え……?』
『いつまでも俺に助けてもらえると思うんじゃねぇよ』
『違うよ、あたしは』
『お前の事故処理してくれるやつは他にもいるだろうしな』
『あの……!』
『じゃあそういうことだから』
『あ! 泰雅く……!』
監督から「はい、ありがとー」と声が入った。その後も順調にアフレコが進んで休憩が入った。
「江夏さん、お疲れ様です!」
「終わろうとしないで」
後輩の紫苑が声を掛けてきたのですかさず突っ込んだ。紫苑は18歳の新人ながらこのアニメの主演を勝ち取った。彼は泣いているような切ない声の持ち主で控えめでシャイな主人公にぴったりだけど、実際は明るくて真っ直ぐな子だから先輩にも可愛がられている。
「やっと現場に慣れてきたんじゃない? 初めて現場入ったとき吐きそうになってたのに」
「やめてください! 恥ずかしい」
「大丈夫だよ、僕も似たような感じだったって言ったじゃん」
第1話の収録のときの話で盛り上がる。アニメ初出演で初主演なんて相当プレッシャーがあったはずだ。ただ今は現場に慣れてきて緊張もほぐれているらしく、クオリティの高い芝居をするし、大先輩に囲まれても笑顔で話すことが出来ている。
紫苑がコンビニおにぎりにパクついたところで「俺らも混ぜてー」とのんびりした二つの声がした。同期の光樹と15年先輩の山中さんだ。メインの男子4人が揃ったとか思っている間に紫苑はおにぎりを大口で咥えたままワタワタしていた。2人が「食べてていいよ!」「ごめんごめん!」と紫苑を宥めている光景に僕は懐かしさを感じた。
あの子もご飯を食べているときに職場の常連さんと会って慌てていた。頬が膨らむほどチャーハンを詰め込んですぐだったから喉に詰まりそうで僕も心配になったし、声をかけた奥様も「食べてるのに声かけてごめんね!」と謝っていた。そういえば、昨夜はあの子の夢を見たんだった。
……やめよう。もう1年以上経ってるんだ、いい加減目の前のことに集中しないといけない。
心を切り替えようと僕は3人の輪に入ることにした。
「何の話してたんですか?」
「あ、湧也、紫苑これからエロくなるよな?」
どうやら年少者の色気の話らしい。
「え? え?」
「エロく? うーん……」
大先輩の山中さんにエロくなると言われた本人は戸惑っている。確かに独特な声ではあるけど、今の紫苑は女性を魅了する、というより母性をくすぐるような雰囲気だと思う。年齢もあると思うけど。
「うーん……まだ若いから何とも言えないですよ。大人になったらまた変わるんじゃないですか?」
「ほら、湧也も言ってるだろ?」
「え!? うー……」
紫苑は恥ずかしいのかもごもごしてしまった。光樹はそんな紫苑をかわいいかわいいと頭をぐりぐり撫で、山中さんは「うちの後輩とは大違いだ!」と構い倒した。
世間話もそこそこに台本を改めてチェックする。今回の一番大事なシーンは、後悔の嘆き。想い人が春休みから家庭の事情で遠くへ行ってしまう。それも誰にも知らせないまま。そして、謝ることも想いを伝えることも出来なくなったことを嘆く。
『伝えればよかった……!』
「あ……」
目に入った台詞で僕の中で何かが弾けた。
きゃらきゃらとした声が蘇る。
『ねぇこっち向いて!』
悪用しないから! とあの子は笑いながらスマホのカメラを僕に向けていた。
『やだよ! そういうのはダメって言ってるでしょ!?』
僕は必死に顔を隠していた。でも知ってた。あの子はカメラアプリ起動してなんかいなかった。顔を隠していたのは、ただカメラを向けられて恥ずかしかったから。
僕が疲れた日には『えっくんの背中はおっきいね』と背中をさすっていた。そう言ったあの子の手は水仕事をしているとは思えないくらい温かかった。あの子が弱ったら僕も励ましの言葉が出るようにしたいと思っていたけど、あの子の弱みを僕は全く知らなかった。
散歩していたら近くの教会で結婚式をしていたという話をした。
『あたしも結婚式とかするのかな……』
ケーキ入刀とか面白そうじゃない? とニコニコしながらあの子は言った。
『ケーキ入刀はメインじゃないでしょ』
『むしろケーキ入刀だけやれれば……』
『じゃあアレじゃん、ケーキタワー自分で作って自分で切るの……』
『1人じゃさびしい!』
あの時は自覚していなかったからあの子と一緒に笑うことが出来た。
想いを自覚して2ヵ月だった。僕とあの子は一緒の電車で、僕より先に下りたあの子は言った。
『バイバイ、えっくん』
僕はまた近いうちに会えると思ってたから、いつものように笑って
『うん、じゃあね』
出入口の側で手を振った。
メッセージが来たのはその3日後だった。文字ではなくムービーが1件送られてきた。
『穂香です、みんなより少し早く卒業証書を貰いました。ビザもやっと取れて、ようやく今からドイツに行けます』
『これまで辛いことばっかだったかって言われたら違うけど、大変でした。移住費用は高いし、学費はママとお姉ちゃんに手伝ってもらったけどそれでも高いし。先輩に言ったら笑われるかも知れないけど、お金なかったから200円ののり弁当を2日かけて食いつないだときもあったし、靴は安いところのスニーカーばっかだった』
『きっと先輩が“辞めちゃダメ”って言ってくれなかったら辞めてたと思う。ずっとお金も時間もなかったから、辞めようと思ったりしたけど、高校辞めちゃったらこれからやりたいことも満足に出来ないって先輩が言ったから』
『……5年。5年で世界的な写真家になります。その時はまた、先輩の写真を撮らせてください。今度は報酬もきっちり貰いますから』
絶対ですよ、と笑ってムービーは終わった。僕は目が溶ける勢いで泣いた。
……ああ、そうか。
泰雅も僕も卑怯なやつだったんだ。泰雅は想い人を助け続けていれば、いつか想い人から告白してくれると思って自分から伝えなかった。僕はあの子への気持ちを自覚しながら、どうせ受け取ってもらえないと諦めて自分から伝えなかった。あわよくばあの子から近寄ってきてくれないかとさえ考えていた。その結果、自分の気持ちを伝えることも叶わなくなった。
「そろそろ時間でーす」
後半の収録が始まる。どうにか気持ちを切り替えようと深呼吸をした。
テストでは特に指摘もなかったけど光樹に「なんか顔色悪くなってる」と言われた。まずい、何か勘付かれてる。ここで私情が出たら声優の看板を下ろさないといけない。「何もないよ」と返しておいた。
「では本番お願いします」
映像が目の前に流れる。展望台でうなだれている泰雅と、その後ろでどういう言葉をかけるべきか考えあぐねる主人公。
『っ……! 何でだよッ!……』
『……』
『あの時素直になってれば変わったのかよっ!』
『……泰雅』
『何で突き放した! 何で謝らなかった!』
(小波の音)
『もう遅いってわかってる……。でも……眞城に伝えればよかった……!』
『……行こう泰雅、きっとまだチャンスはある』
『? 行くってどこに……』
『フフッ! 身近にいるじゃん、眞城さんとつながりある子が』
『……!』
はい、ありがとー、と監督の声がかかった。
「江夏さん……?」
「え?」
僕の顔を見て先輩たちも「湧也!」「どうした?」と駆け寄ってきた。視界が滲んでいるのを自覚して僕が今どうなってるのか想像ついた。
「いや、違うんです。これは、あの……」
拭っても目を思い切り閉じても止まってくれない。むしろ熱くて苦いものがこみ上げてきて飲み込むこともできない。
「どうしたの?」
「やっぱり体調悪かったんじゃないの?」
ああ、もう。これじゃプロ失格だ……。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
もう立っていられなくなった。監督やプロデューサーもブースから出てきて必死に宥めてくれた。それでも沸き上がった感情を止めることができない。
穂香ちゃん、僕は……
僕は君の側にいたかったんだ……
春に向かっているとは思えないほど寒くて、甘い香りがした。
『何の匂い?』
『これ』
『紅茶……?』
『最近好きなの。ストロベリーティー』
個人的には全く気に入っていませんが、
お付き合いいただき、ありがとうございました。