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ACT1  石井 優美(2)

「石井さん!」

 翌朝、いつもより閑散としているA警察署の刑事課室で優美に声をかけたのは、吉田 直仁だった。彼は優美の二つ下の後輩で、ちょうどH駅の事件が起こる前に刑事課に配属された新米刑事だ。しかしその姿を見た優美はきょとんとする。

「吉田君、何でこんなところにいるの?」

 思わず口をついて出た疑問。なぜなら吉田もまた、例の事件の捜査員として警視庁にいるはずだったからだ。吉田は石井に向けてしゃちほこばった敬礼をしてみせる。

「高岡さんから、石井さんの補佐をするように言われました」

「そうなの?……でも私は」

「高岡さんから話は聞きました。ぜひお手伝いさせてください」

 高岡に背中を押されたとはいえ、自分が今からやろうとしていることは本部の方針に逆らうようなことだ。その目的が上の者にわかってしまえば、ともすれば処分を受ける可能性もある。優美自身は望んでいたことでもあるのでそうなったとしても仕方ないとしても、そこにまったく関係ない後輩を巻きこんでしまうのは気が引けた。それなのにこの年下の新米刑事は持ち前の若々しさで「手伝う」と言い切ったのだ。その若さをまぶしく思う。自分はいつの間にか失ってしまったもの。

 そんな吉田の姿に、優美は高岡の気遣いを透かし見た。特別捜査本部の捜査を外れ、大村を追うことを選んだ優美を一人にはしない。自分の仕事もあるはずなのに、後輩のフォローも抜かりない。はじめ優美は暴力事件の連絡をくれた同僚に協力を請うつもりだった。危険が増すため単独での捜査は禁止されている。バディという言葉が刑事ドラマなどでも浸透しているように、聞き込みだろうと張り込みだろうと必ず二人以上で行動する。ただ同僚たちも別立てでチームとして捜査に動き出している。今は若者グループたちの調書をとるので忙しく、とても優美に協力できるような状況ではなかった。だからこのフォローは心底ありがたかった。それと同時にこの状況を的確に推測していた高岡を空恐ろしくも思う。

「それじゃあ、お願いね」

「はい!」

 優美は吉田とともに署を後にした。

「高岡さんてすごい人だなあって僕も思いますよ」

 運転席に座った吉田はそんな当たり前のようなことを言う。でもそれは吉田なりのまっすぐな高岡への敬意なのだろう。

「あの人は観察力がすごいから。心に迷いがあれば、口に出さなくても見透かされてしまう」

 フロントガラスから流れていく景色を目に映しながら、優美は少し前のことを思い出す。それはこのまっすぐさに引きずり出された、ずっと封印してきた記憶。

「私は、高岡さんに出会ってなかったら、この仕事続けてなかったと思う」

「何かあったんですか?」

「……いろいろ。今に吉田君にもわかるかもね」

 目的地である駅裏界隈に到着した。大村が発端だという暴力事件が発生した付近だ。ここからは地道な聞き込みが始まる。刑事とは足で稼ぐ仕事だ。優美も刑事課に配属されてからの二年ほどで何足靴を履き潰したことか。たまに営業職の人間と話をすると、思いの外話が合ったりする。

 優美は目の前の喫茶店に入った。吉田もその後に続く。

「いらっしゃいませ」

 ウェイターが店の入り口までやってきた。優美は身分を明かし、店長に取り次いでもらう。ウェイターは少し慌てた様子で店の奥へと戻る。少し間を置いて、店長らしき男が店の奥から出てきた。三十代後半といったところだろうか。

「お忙しいところ申し訳ありません。私、A警察署の石井と申します。こちらは吉田です」

 吉田は軽く頭を下げる。店長の男もそれに応える。

「今度は何があったんですか?」

 店長の男は二人を見て訝しげに問う。もう既に暴力事件に関する聞き込みを他のチームの刑事がしていたからだ。しかしそれは優美も承知の上だ。

「実はその事件で、もう一人重要な参考人がいまして。我々はその人物の行方を追っているんです」

 優美は一枚の写真を取り出した。

「この男に見覚えはありませんか?」

 店長の男は優美が取り出した写真を受け取り、まじまじと見る。しばらくうーんとうなっていたが、何か思い出したようにあぁ、と声を漏らした。

「この子なら、見たことありますよ。よくこの先のコンビニにいますよ。この辺の子なのかなって思ってました」

 なんと、まさかのいきなりのヒットだ。優美と吉田は顔を見合わせる。

「この辺では、よく姿を見られる?」

「よくってわけではないですが。ほら、目立つ容姿をしているので目が行きやすいんですよ」

「目立つ、といいますと」

 持参した大村の写真は同級生だったという人物から提供してもらった高校時代のものだ。制服の詰襟に、茶色く染めた髪。特にこれという特徴はないように思える。店長の男は補足する。

「今は金髪ですね。服もわりと派手めというか。昔のスタジャンみたいなの着てるんですよ」

 いわく、この喫茶店を閉めた後という遅い時間に、ふっと寄るコンビニにその姿があるのだという。真夜中近い時間に、そんな場所にたった一人でいる大村はひどく目立つそうだ。 

「コンビニ以外のどこか他の場所で見かけたことはありませんか?」

「さぁ……多分どこかではすれ違ってるんでしょうけど」

 店長はウェイターの一人を呼び寄せる。

「こんな奴最近見かけなかったか?」

 アルバイトらしいそのウェイターの男は店長から写真を受け取る。

「……いや、ちょっとわからないですね」

 店長は他の従業員も呼び寄せては確認してくれたが、結局この喫茶店では新しい情報は得られなかった。

「参考になりましたか」

 店長は優美たちの顔色を窺う。

「十分です。ご協力ありがとうございます」

 優美は礼を言うと店を後にした。吉田も店長に頭を下げて続く。

 それからも近隣の店舗を回るが、先ほどの喫茶店の店長ほどの情報にはなかなか行き当たらなかった。最初から情報が出てきたのはただ運がよかっただけか、と思いはじめた矢先、その運は再び巡ってくる。

「こいつなら、おととい見ましたよ」

 それはメンズファッションのセレクトショップだった。従業員の男は写真をしばらく見て、思い出したように応えた。おとといというのは、ちょうど暴力事件があった日だ。思わず前のめりになって質問を継ぐ。

「どこで、何時ごろ見られました?」

「この向こうの通りですね。店を閉めて帰るところだったから、十一時頃だと思います」

「その場所、少し詳しく教えていただけませんか?」

 従業員の男はカウンターから適当な紙を引っ張り出し、そこに簡単な地図を書いた。今いる店は路地を入ったところにある。現在地の店と、駅。そして路地と駅裏の通りを書きこむ。簡単な位置関係がわかる程度のそこに二つの印を付け加える。

「僕はこちらから駅方面に歩いていました。その写真の男は反対側から駅に向かって歩いてきました」

 説明しながら男は印から矢印を引っぱる。

「そいつは駅には入らずそのまますれ違いました。僕は駅に入ってしまったので、その後どっちに行ったかまではわかりませんが」

 優美は男の書いた地図を黙って見つめる。何かが、頭の片隅に引っかかる。「石井さん」と吉田が小声で呼ぶまで、優美はしばらくそうしていた。

「ありがとうございます。参考になります」

 結局、その手書きの地図をもらってその店を後にした。

 二人は一旦車に戻った。考えをまとめる時間が必要だった。優美は助手席に座り、しばらく黙ったまま何やら思案に沈んでいる。

「石井さん、どうしますか?」

 吉田は運転席の方から遠慮がちに様子を窺う。しかし優美はまだ上の空だ。吉田が手持ち無沙汰にポケットの携帯を探る段になってようやく優美は口を開いた。

「奇妙だと思わない?」

 吉田はその手をあわてて引っこめると隣の優美を見た。優美はフロントガラスのほうを見つめたまま、まるで自問するかのように呟く。

「今になってこんな簡単に目撃証言が出るなんて」

 話すことで考えをまとめている節がある優美は、吉田に向けてというよりは誰にともなく問いを投げかける。

「大村が被疑者として浮上してから、あんなに必死で聞き込みしたじゃない。時間は十分じゃなかったかもしれないけど。でも今こんなすぐにたどり着くほどの情報に、なんであのときは誰もたどり着けなかったんだろう」

 今いる場所は、そのときに聞き込みをしていたエリアのすぐ近くだ。捜査方針が切り替わる前には触れることがなかった大村の目撃情報。単純に漏れがあったとは考えにくい。ベテランの高岡が指揮をとっていたし、新人ばかりのチームというわけではなかったのだから。それでも手に入らなかった情報が、捜査の目先が変わったとたんにこんな簡単に手に入る。偶然にしては出来すぎているような気がした。

 あと一歩で何かが掴めそうな感覚。だがそれには決定的な何かが足りない。そんなときはとにかく動いてみるしかない。

 二人は再び車から出て、最初の証言に出たコンビニへ向かう。

 中はある程度混んでいた。昼が近い時間ということもあってスーツ姿のビジネスマンや学生の姿が多い。優美は時間帯を誤ったと思った。店の人間が忙しい時間は避けたほうが望ましい。恐縮した気分で店長に取次ぎを頼むと、しかし程なく奥から若い青年が出てきた。

「お忙しいところすみません。我々A署の者です。事件の関係で防犯カメラの映像を見せていただきたいのですが」

「それでしたらこちらへ」

 青年は落ち着き払った様子で優美たちを事務所へ案内する。警察への対応が慣れているように見えた。まるで警察の人間とよく顔を合わせているかのように。気になったので優美はその青年に訊いてみる。

「つかぬ事をお訊きしますが、このお店はその、被害が多いのでしょうか」

 被害、と優美は言葉を濁したが、要するに万引きである。コンビニの店主が警察と頻繁に接触する理由など他に思い当たらない。店長の青年はため息混じりに応える。

「まぁ土地柄仕方ないところもあるんでしょうけど。ただ放置しては経営が立ち行かないので逐一警察の方に引き渡しています」

 それでも全てを捕えることはできないのが現状だという。今は専門の警備員に不定期で協力してもらっているそうだ。確かにこの辺りは治安がいいとはお世辞にも言えないエリアだ。いち警察官としては耳の痛い話でもある。

 青年は防犯カメラの機器の説明をすると事務所から出て行った。

 万引き犯には優美自身も生活安全課時代に対峙したことがある。若者が多いイメージだったが、意外と年配者も多い。万引きは刑法上窃盗にあたる。軽い気持ちでその一線を越えてしまう者たち。優美はそんな者たちの姿を見るたび苦い思いをした。

 優美は過去の苦みを振り切る。今はそれよりも大村だ。

 聞き込みの情報を元に時間帯を絞って映像を繰る。写真とは見た目が変わっているという話なので慎重に。目立つ容姿だとは聞いているが、見逃さないとは限らない。しかしそんな心配は杞憂であったことがわりとすぐに判明する。聞いた通りのなりをした男は、あっけなく見つかった。映像から鑑みるに、背格好は大村のデータと一致する。しばらく立ち読みをした後、カップラーメンのようなものを買って出ていく。他の日の映像でも、その姿は確認された。それらに優美は違和感を覚えた。

 防犯カメラの映像には、大村と思しき人物が何度も映りこんでいる。喫茶店の店長が言っていたような派手めな服装。いっそ無防備と言っていいほど、その姿は頻繁にカメラの前を通り過ぎる。

 まるで自分が犯罪者という自覚などないかのように。

 さぁぁ……と血の気が引くのを優美は感じた。自分たちは、何かひどい思い違いをしている……?

 映像に映る人物が大村だと仮定すると、ひどく矛盾する行動をしている。用意周到に、足がつかないように先の事件を起こしたと思われる大村。暴力事件にしても、防犯カメラに映るという失敗をおかしてはいるものの、すぐにその場から逃走し闇へ紛れた大村。それがこんなに堂々と姿を晒している。こんな目立つ格好をして。

 気づくと優美は弾かれたように事務所を飛び出していた。ぽかんとする吉田を置き去りにして、店長への謝辞もそこそこにコンビニを走り出る。

 置いてけぼりを食らった吉田が追いついたときには、優美は車の外で慌しくどこかに電話をかけていた。吉田が慌ててポケットからキーを出して開錠すると、ほぼ同時に助手席に乗りこむ。

 通話が切れると同時に吉田に指示を出す。

「一度署へ戻って。確認したいことがある」

「はい!」

 その迫力に気圧されたように大声で応える。

 先ほどまでとは打って変わって緊迫した空気が車内に満ちる。吉田は優美の心情を察しているのか、できる限り急いで署へと向かってくれている。

 防犯カメラに映っていた派手な格好の男は、そのほとんどは本物の大村ではない。つまりは影武者だ。

 大村自身には見た目にこれといった特徴がない。あんな派手な格好をしなければ衆人に紛れてしまうはずである。それをあえて目立つ容姿にしたのは、似たような見た目の人物を大村だと誤認させるため。

 あくまで仮説ではあるが、その可能性は大いにあると思われた。もちろんそれで本人が捕まってしまうリスクは増す。それでもあえてそんな綱渡りのようなことをした目的は何か。次の犯罪の準備か、それとも他の何かか。

 何か大きなことを見落としている気がする。背筋を冷や汗が流れ落ちる。

「私たちの手には負えないかもしれない」

「何ですか?」

 運転に集中していた吉田は優美の呟きを聞き逃した。しかしそれきり優美は深い黙考に沈んでしまった。訊き返してきた声が聞こえなかったわけではないが、結果的には吉田を無視する形になった。余裕がなかったのだ。いくつもの思考が浮かんでは消える。

 この三日後、優美たちと応援要請したチームは協力して大村の逮捕に漕ぎ着ける。しかしそれは事件の終わりではなく始まりであったことを、このときの優美は知る由もなかった。

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